テント生活 食事
昭和40年ごろの俺たち山仲間達との出来事、装具などの思い出を語ってみたい。

 豚汁に豚肉が無い
 俺は大山の地獄谷の上流にある駒鳥小屋の周辺が大好きだ。
 駒鳥小屋は、昭和25年8月に「日進土建YK」が建てた、大山で一番古い小屋である。
 元谷小屋も同年に建てられたが、今は新しい小屋に建て替えられた。
 地獄谷の駒鳥小屋は、俗人が立ち入らない自然に囲まれ、人工物は駒鳥小屋と道標が1本あるだけだ。
 その小屋も、地獄谷の谷底から十数m上のブナの林の中にある。

 ある年の4月下旬 残雪の残る、駒鳥小屋の下の河原にテントを張った。
 小屋は、既に数名の登山者が入っていた。
 俺は小屋より、静かな河原にテントを張った。
 ザックを降ろすと、袋と細引きを持ち河原を上流に下流に歩き回った。
 蕗のトウを集め、雪崩や降雪のため折れた小枝などを集め、焚き火の材料にするためだ。
 俺は羽毛服を着て、飯ごう炊飯する。
 蕗のトウを味噌汁の具にした。
 風がなく、静かな夕方だった。
 石の上に座り焚き火を始めた。
 水に濡れた木々も、俺のテクニックで気持ちよく燃え始めた。
 一人で、ウイスキーの水割りを飲み始めた。
 飲み始めて直ぐに、俺の傍に高校生がテントを張った。
 米子の高校生数名に、先生が1人だった。
 先生が高校生に話しかけた。
 「それにしても、後の連中は遅いなー」
 と言うと、高校生が無線機で後発の状況を確認していた。
 「先生、小屋の屋根が見えるところまで来ています」
 「オイ 今晩は何にするんだ」。
 高校生が「豚汁です」
 「オー それはいいなー」
 「オイ 豚肉はどうした」 
 「後の者が持ってきます」と話していると、しばらくして二人の先生と数名の高校生が到着した。
 遅れていた高校生が着いた。
 直ぐにテントを張り始めた。
 リーダーらしき高校生が 「オイ 肉を出してくれ」 催促する。
 「エーッ 僕達は持っていませんよ」  と、後輩らしき高校生が答えた。
 「先生 豚肉がありません」 すまなそうに話す。
 「豚汁に豚が無いと、ナンになるんだ」 との質問に一同沈黙した。
 俺は、高校生の会話を全て聞いていた。