米穀通帳
当時の俺たちは貧しかった。
街での食事も山の食事もテント生活における食事も、非常に貧しかった。
だから俺達の会は食事代を切り詰めていた。
1960年後半から70年代の登山者は、その前からの形態と同じであるように、社会人か大学生が主体であった。
山に行くとなると、目的の山、登山方式、日程、参加者、装具、食料、支援体制等が計画されていく。
学生の場合は、時間があり、生活は親にゆだね、比較的山に行ける状況にあった。
山に行くために留年するものもいた。
そしてそれを支援する学校の顧問、先輩等いた。
そして集団で山に入り色々な記録がつくられ、そして計画が立てられ進められていった。
一方社会人の場合は、強行登山が多かった。
会社勤務の登山者は、会社の理解が得られる者はいいとして、そうでない者は土・日の山行きを強いられた。
山行の前になると、登山装具の準備や食料調達に廻らなければならない。
1970年代のことであった。
山陰のある店に米を買いに入った。
店員から「米穀通帳(べいこくつうちょう)を持っているか。なんで購入するのか」
と聞かれたが、寮生活の俺は、米穀通帳を持っていなかった。
「山に登るため」。
すると「通帳のない者には、売ることがでいない」と断られた。
それまで他の店では、少量でも購入することが出来た。
いつもどおりに購入できると思い、始めての店に入った。
店員は、山に登る贅沢な遊びをしている奴に売れるか。
そんな感じだった。
しばらくして田舎町でも大型の農協が経営するスーパーが出現した。
街中にも色々なスーパーが出来た。
そこでは、自由に米が販売されだした。
米穀通帳とは、戦争中等食料の確保が出来なくなり、闇の米の流通を規制し、等しく国民に配分するために、日本において食管制度の下で米の配給を受けるために発行されていた通帳である。
米を国が管理するため、生産者から直接買い上げ、各都道府県に配分、営業所で国民に配っていた。
その後、米の販売が登録制度に変更(民営化)された。
しかし、民営化になっても国が発行する「米穀通帳」を預けているお米屋さんでしか、買うことはできなかった。
戦後しばらくは、お店でカレーライスのような米が入っている食事を注文するとき、米穀通帳が必要だったそうだ。
1960年代には米の配給制が無くなったが、食管制度上の規定で米屋から米を購入するときは必要であった。
しかし、1970年代になるとスーパー等の登場や米余りの状況に陥ったため、自然と米穀通帳がなくても米が購入できるようになり、なし崩し的に米穀通帳の必要性は薄れていった。
1981年に廃止された。
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