鳥 取 県 の 歴 史

  「さいとりさし(刺鳥刺)」という、祝い狂言を紹介しよう。
 三朝のさいとりさしは三徳山を舞台にし、和尚との問答で楽しませる。
 美徳山(三徳山)の境内等でのやり取りである。

  さいとりさし 出かけた 
   出かけた 出っかけた 
    さいとりさしが 出っかけた
  昨日も天気 今日も天気 
   天気続きで さいとりさしが 出っかけた
  因幡伯耆は池田の殿さん 
   鷹の餌を刺す さいとりさしでござるよ
    よ笹の中を 押し分け見れば
   一つヒヨドリ 二つがフクロウ 
    三つがミミズク 四つが夜鷹 
     五ついるかに  六つが百舌鳥(モズ)
      七つ長尾に 八つが山鳥 
       九つ駒鳥 十で鳶(トンビ)
    悔しや 小鳥を 逃がして しもた
      どこへ行くかと よくよく見れば 
      三朝温泉 三徳のお寺
   やれやれ来たぞ 
    寺の御門に 一服すれば
  そこへ坊さん カンシャク筋 
    張り立てて   申しそこなる
     さいとりさし様よ 寺の地中で 殺生はならぬ
  何こらぬかす 坊主のくせに 
   天下御免の さいとりさしでござる
      いかに坊さん 怒ったとても 
      天下御免のさいとりさしでござる
       坊主見ぬ間に 刺してはやるぞ−−−

   江戸時代に各地の大名・藩主が、盛んに「鷹狩り(戦い訓練)」を楽しんだ。
 「刺鳥刺(さいとりさし)」は、殿様の鷹狩りの鷹の餌にする鳥を捕る職業とした人の職名である。
 江戸時代の鳥刺しは鷹匠に仕えており、鷹の餌となる小鳥を捕まえていた。
 鷹の餌は生きた小鳥であり、小鳥を捕るために一つの集団があった。
 その集団を「さいとりさし(刺鳥刺)」と呼んでいた。
 身分は低いが、藩主の許可を受けているため、天下御免の「鑑札」を振り回しては、無理難題を押し通した。 殺生することが忌み嫌われた、さいとりさしが田・畑の中を走り回り、農作物を踏み荒らし、殺生禁断の寺域まで、踏み込んでは鳥を刺す(採る。)さいとりさしの横暴に怒った庶民が、滑稽な踊りと歌で風刺して抗議した。
 四・五人で、そろいの法被、鉢巻き、手にトリモチの棒、腰にはこれ見よがせの鑑札、といった格好でユーモラスな「踊り」と「歌」は面白い。
 鳥を捕ることから転じて「嫁をとる」「福をとる」などとして 現在は祝狂言となっている。
 ご希望の方は、是非とも三朝温泉でゆったりと温泉に入って、地酒でも飲みながらご堪能下さい。

 鳥刺しが使う代表的な道具は黐竿(もちざお)と呼ばれる先端に鳥黐(とりもち)を塗った長い竿で、これで小鳥を「刺す」(くっつける)ことで捕らえる。
 三朝町のさいとりさしは関金町のさいとりさしとともに昭和四十九年に鳥取県から無形民俗文化財の指定を受けました。
 三朝のさいとりさしは漫才文化の源流 大阪俄(にわか)漫才の種に入ると言われている。
 三朝町にある、三徳山は、古くは
  美徳山と呼ばれていた。

 荒唐無稽・自家撞着・厚顔無恥な私の文書におつきあい下さり感謝申し上げます。
 また、天真爛漫、謹言慎行とか軽佻浮薄ともいわれている小生であります。