平の将門 平家と源氏の戦いも伯耆と因幡の国にも影響を与え、地方を二分して戦いがあった。 文治元年(1185)壇ノ浦等の西海で滅亡した平家の武将達は、源氏の激しい追求を逃れ、鳥取県の各地に逃れ来て、平家部落として隠れ住んだ。 美徳山近くの中津集落には、安徳天皇陵や二位の尼(平の清盛の妻)の墓がある。 その中津には、平の将門の「将門」という姓があり、将門先生が東郷中学に赴任してきた。 将門先生は「おなご先生」で、綺麗な体育の先生であった。 私は、数回目の初恋をしてしまった。 お元気でしょうか。 私の姉の嫁ぎ先が、将門先生と親戚で、5年ほど前に鳥取県内で元気に暮らしているから、尋ねて見るかと聞いてくれた。 先生は、今でも若々しく お元気に当時の美貌を保っておられるとか。 平家落人集落
山道を奥へ奥へと進み、ひっそりとした山間に桃源郷のように現れる集落、そして、そこには平家落人伝承や古式ゆかしい行事や芸能が伝えられる・・・。
民俗学に興味がある者であれば誰もがそのような集落に行ってみたいと思うのではないかと思います。 鳥取県にも落人伝説をもつ集落はたくさんあります。 ほとんどが山間僻地とされる交通の不便な豪雪地帯にありますが、そこのいくつかの集落を訪ねてその現状に驚かされました。 全国的に山間集落の過疎化はすでに数十年前から問題化していますが、すでに定住者がほんの僅かである集落もあるということです。 落人伝説の村を訪ねて 三朝町中津は平将門が落ち延びたという平家落人伝説をもっており、また安徳天皇が落ち延びたという伝説もあります。 八頭町姫路は平家落人伝説をもち、安徳天皇が隠れ住んだとも伝えられる地です。 智頭町板井原も平家落人伝説をもち、かつてカリョウと呼ばれる焼畑による耕作が行われ生業から見ても特徴ある地域です。 |