鳥 取 県 の 歴 史

                     歌人「大伴家持」
   因幡国の政治の府として選定されたのが、岩美郡国府町である。
 国府町内に庁・国分寺等の集落名が残り、国府の存在を代々伝えている。この国府に因幡の国守として、赴任したのが歌人大伴家持(718〜785)である。
 家持は、751年頃に少納言に任じられたが、天平宝字2年(758)6月に因幡の国守となった。年数からいって40歳頃であろう。その当時の平均年齢は判らないが、かなりの高齢であったであろう。
 645年に中大兄(天智天皇)と藤原鎌足が蘇我入鹿を惨殺したのが、大化改新のクーデターは、他の勢力も脅かし、宮中を陰謀等の争いの世界となった。鎌足は中国をまねて作った中国式の律令国家は、古い氏族の出番を奪い、自分の孫を天皇の皇后とした。臣下の娘が皇后となったのは始めてのこととなった。
 家持ちの父の時代には大伴家はそれなりの力を持っていたが、家持ちの時代となると大伴家は新興勢力の藤原一族に取って代わられ、少納言から国守にと左遷された。
 ここ、因幡の地で「万葉集」4516首を編纂した。最後の一首
 新しき年の始めの新春の今日降る雪のいや重け吉事   は、家持ちの歌であるという。