「地獄谷の彷徨」

 天狗沢の東側に小さな尾根があり元谷沢がある。
 元谷沢の左にある尾根が「サポート尾根(大屏風岩を登る登山者をサポートするのに好位置の尾根)」又は「墓場尾根」である。
 墓場尾根は、夏には崩壊が激しく登ることが出来ない尾根である。下部は左右二つに分かれている。
 冬季には、ナイフリッジの尾根となり別山のリッジとともに数少ない稜線までの尾根である。
 1993年1月31日、高氏はHI山の会3名で大山寺を午前6時半出発、墓場尾根から稜線にでて、宝珠尾根から大山寺に下る計画であった。
 3名は墓場尾根を登り稜線に出た。
 別行動のHI山の会の一行2名は、頂上から主脈を縦走し、高氏の後を追っていた。
 天狗の頭少し下った終了点からユートピアに向かって一行の先頭を切って下り始めた。寒冷前線の南下で冬型の天候となり、吹雪の稜線上は足下しか見えない状況となっていった。
 高氏が一歩踏み出したとたん盤上雪崩(根雪と新雪の間に積もった「あられ」がコロになっておこる雪崩の一種)が発生した。
 高氏は足下をすくわれた状態となり、振子沢を数百メートル流され、奇跡的に雪崩の上面で停止した。
 流されるあいだ、雪の中でもがき、雪の表面に浮き上がるよう泳いだ。
 「始めはゆっくりと、徐々にスピードを上げる雪崩の中にあって、腹の底をくつがえすような地鳴りを聞きながら、不思議と死への恐怖感はなかった。文字通り「走馬燈の如く」新聞の活字や、半生の回想、家族や友人の顔が超スピードで頭の中を駆け巡る。(「中高年のための登山学」日本放送協会より)」
 尾根の上では高氏の姿が忽然と消え大騒ぎになり、呼べども返事は帰ってこなかった。急いで大山寺部落に急報する者、ユートピアの小屋にとどまり高氏の安否を気遣う者に別れたが、彼らの前に高氏は現れなかった。
彼の上体が雪の上に出ていたのが幸いした。下半身を埋没したデブリから自力で脱出した。自分の現在地を東壁に落ちたと勘違いをして登ることが出来ないと感じると下に下にと下り始めた。
 氏の持ち物は、簡易テント、ザイル、ハーケン等登攀用具は充分ではあるが食料はゆで卵1個しかなかった。幸い身体に異常はなかった。
 その日は、振子沢の途中のブッシュに身体を固定するとビバークの態勢に入った。
 翌2月1日(遭難2日目)どんより曇った天候の中でビバークサイトを出発し、振子沢を下っていく。しかし、氏は大山東壁及び振子沢の地形を知らなかった。
 自分の位置が判らないまま下っていく本人の気持ちはいかほどのものか。
 沢が広くなり大きな樹林帯の中に入って初めて振子沢から地獄谷に向かって進んでいくのを感じ始めたが、それでも近くにある駒鳥小屋の在処を知らなかった。
 地獄谷の中を進んでいく。
 上空を救難のヘリコプターであろうか旋回しているのを見つけるが、パイロットなどの目は振子沢や大山主稜線を探すのか高氏の姿を発見できなかった。
 本人はあらん限りの声でわめき、衣類を振り回したという。無情にも雪の上の足跡は吹雪でかき消され、無垢の自然の状態になってしまっていた。
その日のビバークは地獄谷の中心部でむかえた。
 食料のない空腹の夜。
 水一滴もない極めて厳しい夜となった。
 雪を食べては水分の補給をしたらしいが、遭難者が雪を食べるのは死期を早めるだけであることは、彼は知っていたと思う。
 2日(遭難3日目)の地獄谷は厳しいものとなった。
 地獄谷の下部は廊下状となり沢を下るのに水の中を下るようになった。水の中を下り、沢の中に落ちながら、濡れた衣服と登山靴の中は凍傷の一歩手前まで進行していった。
 数個の堰堤を下っていくが、夏道の登り口を見落とし、なお下ってしまった。
 絶壁状の高巻くことの出来ない沢を、雪と冷水に苦しめられ下っていく。次々と滝が現れると下っていく。
 数個の滝をザイルで下ると高さ40メートルの大山滝の上部に出てしまった。引き返すことが出来ない状態で氏は大山滝を下っていった。
 廊下状の地獄谷は益々その名のとおり本当の地獄になった。
 2日の夜は、またしても悲惨な状態となっていった。
 塗れた衣服と登山靴が2月の厳冬期の冬山でどのような状態になるのか。
 氏の身体は凍傷で蝕まれていった。
 2月3日(遭難4日目)地獄谷を下る彼の身体は悲惨な状態であったが、鬼神も驚く精神力で体力で進んでいくと、頭上に吊り橋を見つけることが出来た。
 吊り橋は登山道か何かであり死力を振り絞って登った。
 吊り橋近くの登山道の上に立つことが出来た。
 高氏は地獄の川から這い上がった。登山道を水の流れていく方向に歩いていると、地蔵尊の前に出た。
 地蔵尊は、彼に蝋燭の灯火と2個の蜜柑という温かいもてなしものを恵んだ。
 地蔵尊に頂いた蜜柑は、凍っていたが美味しかった。
 凍った蜜柑が彼の口の中でとろけ、豊満な極上の、この世にない食べ物になった。
 31日の昼から3昼夜七十四時間かけて8q歩いたが喉を通ったのは水と雪だけであった。
 2月3日の夕刻鳥取県東伯町の山深い所にある牧場の夫婦が家畜に餌を与えているとき、牛舎の中に彼があらわれた。
 この遭難は、自力で下山した「奇跡の生還」として知られている。
 高氏は、この地蔵尊に後日お礼参りをしたという。

 同年代に大山を愛し、何度か大山でお見かけし、憧れた高氏の戦いの姿をここに記す。
 大山の元谷小屋で、HI山の会高氏、OCCの重広・近藤両氏、大倉大八氏等の有名な登山者が、元谷小屋から登攀に向かわれたことは、同じ小屋の常連として誇らしかった。
 文中、失礼な点が多々有ると思われます。その際はメールにてご連絡下さい。
 直ちに、訂正等させていただきます。
 本書は、「岳人」、「山と渓谷」、「岩と雪」「中高年のための登山学」、「中国新聞」「朝日新聞」の各紙及び観光協会、友人の談話等を参考に致しました。

 高氏の主要山行
  1969.7〜8  グランド・ジョラス、ウォーカー・バットレス
            グラン・カピュピサン東壁、ドリュ西壁
            マッターホルン北壁
  1973.8〜11 エベレスト南壁
  1976.4〜7 ナンダ・デヴィ縦走
 1979.6〜8 ラトックV
   9〜11 チョモランマ偵察
  1980.3〜5 チョモランマ北壁
 1982.4〜9  K2(チョゴリ(喬戈里峰))
  1991.9〜12 ナムチャバルワ