クリンカーとトリコニーの登山靴
俺が始めて購入した皮の登山靴には、クリンカーとトリコニーの鋲が打ってあった。
出雲市知谷橋に岩登りのゲレンデがあった。
そこで初めて岩登りの指導を受けた。
指導者達は小さな岩の出っ張りを利用しながら登っていくが、俺はその小さな岩の出っ張りに立ってなかった。
滑ってしまいどうすることも出来ない。
その指導者は俺の靴の先を見て驚いた。
靴にはトリコニーの鋲が在り、一世代前の登山靴だと笑った。
廃止された立久恵線のトンネルにあるハングルートで、初めてアブミを使用した時、アブミの金属板が靴の土踏まずのクリンカーの金具に当たり、ハングで宙ぶらりんの状態になり、装具は岩登り以前の問題と笑われた。
その夜、下宿で鋲を抜き捨てた。
山陰の田舎町では、登山用具の専門の店はなく、一般のスポーツ店で、カタログを見ながら注文し販売されていた。
たまたま飛び込んだ店に俺に合う靴があり、知識にとぼしい店員が売ってくれた。
(本当は在庫処理に悩んでいる時、無知な俺にこれ幸いと押し付けたのであろう。)
その鋲はゴミ箱に消えたが、今思えば俺の博物館に残して置きたかった。
「登山靴の鋲」
初期の登山靴は皮靴で底には滑り止めの鋲を打ってあった。
鋲(びょう)には、鋲の頭部(地面に着く部分)が色々な形の一種の釘で、その形状により「クリンカー」「トリコニー」「ムガー」と呼ばれていた。
どの鋲を靴底のどの部分にどのように配置するかは、登山家それぞれのノウハウがあったようだ。
現在の登山靴は、ビムラム底で、そのパターンはクリンカーやムガーを模していると云われている。
登山靴の大きな変革は、鋲の靴からゴム底に変わった頃だろう。
イタリア製のビブラムソールが圧倒的だった。
イタリア製のピレリはチョイス。
ガリビエールという登山靴はオリジナルソールを貼っていたがどちらも少数だった。
ビブラム底は「かかと」だけや「全面」貼り替えもできたから、比較的いい状態ではき続けることができた。
1956年マナスル登山隊の雪線以上のB.Cまでのアプローチシューズとしてキャラバンシューズが造られた。
土踏まずのところにトリコニーと呼ばれる鋲がついていた。
1935年にイタリアで誕生したビブラム底のブロックパターンには細長いクリンカーや丸いムガーなど鋲の配置パターンが残されていて、クリンカー等の形状や配置が想像できるらしい。
キャラバンシューズは土踏まずにギザギザの歯、トリコニーのまがい物をつけたのだが、それが逆に岩で滑り悪評だった。
ソールが一体形成であり、なかなか直せなかったそうだ。
倒木の上を歩くとき、トリコニーの歯が非常に役に立ったので、これが本当の登山靴だ。と、うぬぼれた新人がいた。
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