黒部の遭難(ハシゴ谷乗越の落雷)

   

 山陰のある山岳会が、剣岳において岩場の登攀等の合宿が終わりに近づいた。
 ある日、B会員が仕事の都合で早く下山することになった。
 彼の行動は、ハシゴ谷乗越から下廊下経由で、下山するという計画であった。
 剣沢のキャンプ指定地から剣沢を下り始めたのは、午前10時頃であった。 
 剣沢の雪渓の末端近くで、突然大雨に見舞われ、真砂沢ロッジに駆け込んだ。
 お昼近くであり、彼は小屋の従業員にラーメンを頼み小雨になったとき、従業員にハシゴ谷乗越の道を聞くと、山小屋を出た。
 3日後、残りの山岳会員は、早朝剣沢を出発し、真砂ロッジで休憩すると、数日前の登山者を聞くと従業員は、ハシゴ谷経由で下山する登山者が少ないことから覚えていた。
 仙人峠を経由して、欅平の駅に到着したのは翌日であった。
 駅の伝言板に会員の書き残した下山報告を探したが見つからなかった。

 1か月後、松江のクライマース・クラブの会員が、山陰の岩登りの知谷ゲレンデを登っていた。
 終了点近くの上部ハングを突破しようと、微妙なバランスで登っているとき、次の碑文を見た。
 「若き会員B君、黒部ハシゴ谷乗越で落雷により遭難死する。△山岳会」
 Bを知っている会員は、ハングを登れずに下のテラスに下っていった。
 瞬く間に「Bの訃報」が山陰中の登山者に広まり、次の日曜日のゲレンデに、山陰の登山者が集まっている所に、Bがノコノコとやってきた。
 大騒ぎになってしまった。
 真偽を確認するため、Bの職場に電話がかかってきたり、大山の元谷小屋に彼が行くと訝しがられたり、幽霊ではないかと怖がられもした。

 ことの真相は、伝言板になかったことを、その合宿のリーダーは訝り、欅平の駅員に尋ねた。
 駅員は、「時間が経過したので消したが、本人は黒部ダムに下山した。」ということであった。
 無事を確認したのはリーダーだけであり、一計を企んだ。
 いつも使っている山陰の岩場、知谷ゲレンデの上部ハングの微妙な部分に、先程の碑文と会員の写真を掲げた。

 今、ここでいう、その会員Bは「私のことである。」
 ハシゴ谷乗越を登り切ると、内蔵助平から丸山東壁の下まで下ってきた。
 当時有名であった岩場「丸山東壁」を偵察せずに通過できないと、判断すると時間をかけて偵察した。
 夕刻遅くになって、黒部川の川縁に降り立ったが、その時間では下廊下を目指すわけには行かなり、出会いの砂地にてビバークした。
 翌朝、下の廊下を目指したが、直ぐに下山をあきらめた。
 登山道は雪崩の後で残雪が多く、登山道は荒れていて、貧弱な装具では通過することが困難であり、また、時間がなくなってしまい、黒部ダムに回り下山した。