味屋ルート・緑ルート開拓
(1976)

 出雲市から神戸川沿いに立久恵峡に向かってバスは田園地帯を走る。
 支流稗原川を渡るとやっとバス1台が通れるトンネルをくぐりしばらく走ると知谷橋の停留所で下車する。
  知谷橋には、出雲山岳会の岩登りの知谷ゲレンデがあり、ここで腕を磨いては、北アルプス等の中央の岩場に出かけていた。
 ゲレンデは左から「バンドスラブ」「正面壁」「トンネルハング」と呼んでいた。
 「バンドスラブ」はフリーでハングを越えるルートとスラブをもっていて、登攀後はザイルを使用した懸垂で下降する。
  「正面壁」は、すべてバランス登攀で各ルートともユニークなルートである。
 スラブ、ハング等で構成されている。下部に「クの字」、「獅子岩の下部」上部に完全に空中に飛び出るハングをフリーで越えるもの、スラブの上に崩壊した白ハング、上部でトラバースするルートなどがある。
 「トンネルハング」は、立久恵電鉄の廃線に伴い出雲山岳会がゲレンデ化したものである。
 ルートの左と右では難度が極端に違っている。
 「トンネル」はその日の連続登攀における位置づけで全体の登攀が変わってくる。
 だいたいの者が前半にルートを終了したいと考えるであろう。
 真夏の時期は、頭大の石をザックに詰めて全部のルートを登攀・下降そして移動して連続登攀で何十本登れるか体力勝負をしたが、その当時18本くらいが最高だったと思う。
 秋になると、手袋・アイゼンを装着した積雪時の練習により腕を磨いていた。
 

 いつしかゲレンデに飽きてきた植と私は適当な壁を探していた。
 中央の壁は色々とあるが、大きな壁になると数十日ともなる。
 しかし小さな壁であればすでに登攀しつくされ、新しいルート開拓は、どれでも他のルートと重なってしまう。(
 市嬢と登った前穂W峰がそうであった。)
 山陰の小さな壁でも良いではないか。と、色々な壁を見て歩いた。
 中央の岩に比べれば小さな壁ばかりである。
 その中でも、松江の連中の北浦海岸ハングルート、断魚渓の凹角ルート等は見事であった。
 その難しさはどこに出しても恥ずかしくない。
 植と偵察に行った壁は、知谷橋から下流500mのバスからほとんど上部しか見えない壁である。
 その壁を偵察して何とか登れそうなルートを、見つけだした。
 植が見つけたルートは、壁の左部分から取り付き凹角を登りハング気味の部分を面白いオポジションで通過するルートである。
 途中クラック状の部分を進むフリーのきついルートである。
 山陰のルートでクラックは少ないため、よいルートである。
 私がみた限りではX級の非常に難しいく、高度のバランスを必要とするルートである。