天狗沢厳冬期単独登攀(1972.1)

 米子駅からたった一人で最終バスに乗ると伯耆大山の大山寺部落に向かった。大山寺部落は標高700〜800メートルにある旅館・宿坊だけからなる集落で数百年昔から山岳宗教の僧坊として栄え、又周辺からの牛馬の市場の博労座の地名が残る。
 スキー客の喧噪の中をザックを担いで登っていく。バス停から部落の端に来るまでに随分とザックが膨らみ重くなった。大好きなお酒のためであり今宵の祝宴に頬がゆるむ。あとから友人の入山があるから。
 1月の連休を利用し、松江に住む友人と二人で大山の氷壁天狗沢を登るため、金曜日の夜一人で元谷小舎に入るため参道を登っていく。
 大山寺のお寺を左に回り込むと数百年の年輪を刻んでいる杉の並木を登っていく。大山の山懐に大神山神社がある。立派な神殿の前にザックを降ろすと神殿に手を合わす。元谷に入る連中は重力に逆らい岩登りをしているが、神仏の前では手を合わせている。
 神社からは人の踏跡が無く一人でラッセルを強いられた。林道に突き上げる道は、沢状になって四方から飛ばされた雪が積もりその上急峻で辛いが距離は短いが二回も休んでしまった。
 林道に出てみると風の通り道でクラストして歩きやすい。その林道に一か所だけ雪崩の危険性がある地点を慎重に進む。林道が終わる所に大堰堤がある。堰堤から見上げる元谷全体は月明かりに幽玄の美を際だたせているが、北壁は暗い陰の中で不気味に静まっている。ここまで来ると今夜宿泊する元谷の小屋は、直ぐそこにある。
 小屋は私一人の歩く音だけが響く。天狗の間にザックを下ろすと、自分で持ってきた蝋燭に火を着ける。小屋の中に残っている小さな蝋燭を掻き集めると火をともす。キャンドルサービスのごとく数本の蝋燭により、天井・壁は氷の結晶でキラキラと輝く、ガラスの御殿のようである。一人で酒盛りを始める。
 酔いが回ってくるが、友の入ってくる様子はない。一人の酒盛りは、寝袋に入っても続く。いつしか眠ってしまった。しかし寒さに目が覚める。皿の上のローソクは消えている。
 風の音が聞こえないシンシンと冷えきった小屋の中からでも今朝の好天は判別出来る位に冷え切っている。好天の場合は、今日の行動をどうするのか色々考えているうちに朝がきた。
 放射冷却の早朝の大気は怖いほど冷たく肌を刺す。天狗沢を一人で登攀のする事に決心し、登攀準備を完了すると小屋を後にする。小屋から数分の所にある山下ケルンを過ぎると、屏風岩の壁に向かって直角に登って行く。
 蝋燭沢と元谷・天狗沢からの雪崩を避けるように沢芯から離れよう。屏風の頭は雪雲に隠れたりしているが、大きく崩れる様子はない。
 数日前から新雪はないが、屏風岩に向かって登っていくと各沢の雪崩の心配は無くなってきたが、屏風からのチリ雪崩で出来あがった雪の斜面は膝を没する程の柔らかい雪である。
 たった一人のラッセルは苦しくて進まない。圧する北壁と屏風の基部から距離は短いが襲ってくる雪崩が脳裏をかすめる。恐怖からの心細さは、単独の私を見すかしたように包んでくる。
 屏風岩の港ルート取り付き近くまでラッセルしてくると次第に圧雪状態になり最後はクラストしアイゼンの先だけしか入らなくなった。港の取り付きは屏風のちり雪崩等で夏より十数メートル以上がっている。港の取り付きで登攀の準備にかかる。
 アタックザックを降ろし、登攀具取り出し、肩から吊るした捨て縄に、カラビナ、アイスハーケン等の登攀具を身に付けると、再びザックを担ぎ、ザイルを肩から掛ける。両手にアイスバイルとピッケル持つと、天狗沢への挑戦の準備が完了する。
 屏風岩の影から出て、天狗沢に向かう。新雪の下のデブリが登行を困難にするが百米程で天狗沢の真下に着く。
 雪雲が稜線から降りてくるように下がってきては、風とともに斜面を掛け上がっていく。
 天狗沢は、縦走路にある天狗の頭から北壁をダイレクトに元谷に落ちていて傾斜はほとんど変わらない。沢の登攀は核心部(F1)が三百米程のアイスである。
 天狗沢の下部は左側による程ブルーアイスの急峻である。
 上部にかぶり気味の垂直の凍った滝(F2)を持ち、稜線近くで雪崩に巻き込まれると、標高差七百米は叩き落とされる。
 ルートは元谷沢と分ける尾根寄りに進むと、下部は急峻であるが上部は緩やかになる。
 屏風岩寄りは下部が緩やかであるが上部が急峻であるうえに雪崩の危険性のある屏風尾根の斜面に出てしまう。
 そのため通常は、左側及び中央から取り付き120m程登った地点からやや左上に登る。
 いよいよ私だけの天狗沢の登攀に掛かる。
 ピッケルとアイスバイルを交互に打ち込み、アイゼンをブルーアイスに蹴り込みながら登って行く。
 ルートは、努めて中央を進む。単調だが全神経を氷に打ち付けたアイゼンとピッケルの数センチに、生命を預ける。慎重にかつ大胆に登って行く。
 200m程登り下部を終了すると少し斜度が落ちた部分を100m程進む。このあたりはアイゼンの爪がよく効いている。上部に見えるF2が粉雪の中で見え隠れする。
 いよいよ上部の凍り付いた滝の登攀になる。
 この滝は垂直に近いが夏場は4級程度(岩登りの難易度で6段階の4級は、自然の状態で登るときの最高グレード)で最後の部分が垂直に成っているがさしたる滝ではないが、今日は上部が結氷し張りだし困難な状況になった。
 凍った滝を左上に登って行くと、体が空中に出され微妙な体勢となる。
 今日始めてのアイス・ハーケンを打ち込み体を安定させる。
 ハーケンを頼りにせり上がり、上部にもう一本打ち込む。下のハーケンを回収し、ピッケルを滝の上の氷に打ち込み、バイルを叩き込み登り切る。
 最後のハーケンを回収したいが、一人では回収できず残置してしまう。
 ハング気味の滝から、上部から稜線までの雪の斜面は、雪崩の心配もなくクラストした状態で非常に安定していた。
 雪面にアイゼンの刺さる音が小気味よく聞こえる。
 稜線に近づくと、時折視界が開け周囲の状況が判明する。
 稜線越しに太陽の温かい光が頭から肩、胸と当たり始め稜線に飛び出す。
 飛び出た天狗の頭は、3mもある道標が頭だけ出している。
ザックを降ろして、道標に縛り付けるとほっとする目の前に、烏ヶ山の独特な頂きが登攀の成功を祝ってくれる。剣ヶ峰・ユートピアも稜線を横切る雪雲が横切る。
 雲が飛び去り少しづつ視界が戻ってくる稜線は、南側に雪庇が数mも張りだしている。北壁側を一人ラッセルしつつ剣ヶ峰を越し、主脈縦走路の稜線散歩を楽しみながら、大山山頂を回り行者谷から元谷の小屋に帰り着く。

 小屋の中で、今夜も一人天狗の間で酒を飲みながら、昨日入山して来なかった友を待つ。
 ひょこっと小屋の戸を開け「オイ飲もうぜ。明日登ろうぜ。」を、期待しつつ。
 広島山の会の4人パーティがあがってきたが。私は天狗の間でたった一人の夜となった。三鉾の間に泊まった広島の人達は明日天狗沢を登るという。たしかこのパーティに高見和成氏の姿があったが、寝ぼけ眼の私は誰だ。と、いう感じであった。
 翌日何もする事がなかったが、起き出して空を見あけげると、私は天狗沢を登りたくなった。
 要するにどこか登りたくて仕方がないから。
 広島山の会が1時間程先に小屋を出発し、昨日の私のラッセルを利用しつつ天狗沢に向かっている。
 私も後を追いかけるように登って行き、取り付き近くになり、ふと上を見ると200m程上で広島の連中は登攀を始めている。
 広島の連中は2つのパーティに分かれ、急峻な左側の氷壁を登っており二人は既に40m程登っている。私が近づくのを見て、不安そうに見ている者がいる。
 彼らはピッチを刻み少しづつ登って行くが、私は単独の強みでスピードをあげ彼らを追い上げる。
 最後に登っていたパーティを追い越す。
 天狗沢の最後の滝では、最初のパーティとの距離が30m程となり、広島山の会が、私の昨日のアイス・ハーケンを回収しようとしているので、昨日打ち込んだ私のハーケンであることを主張し残置してもらう。
 今日は、稜線まで見える素晴らしい天気である。
 途中余裕が出てきたのでカメラを出しては元谷沢を写す。
 元谷沢は、クラストして一部表面が氷の薄い幕となり照り輝いている。
 天狗との境の小さな尾根が登ってご覧と言いたそうである。
 天狗の頭に着いたときに、先行していた広島山の会の高見和成氏の姿に気付き、元谷小屋の失礼の件をお詫びした。
 登りきった稜線は、昨日と違い雲一つない素晴らしい稜線を昨日と同じ頂上経由で、歩いて元谷小屋に帰ってきた。
 荷物を早々にまとめあげると、大山寺の喫茶キャラボクに向かって直ちに下山する。
 キヤラボクでたった一人の祝杯を上げる。
 カウンターの中では元谷のアイドル「みどりさん」が微笑んでくれた。
 この単独の登攀の後、所属山岳会から当分の間会員としての活動の中止を宣告される。いわゆる「破門」に近い処置である。
 山に登るため入山し、天候の良い日に登らないで山小屋にじっとしている事の辛さ、登りたい意欲のある人の心を忘れている。目の前に餌を置かれていて縛る鎖もなくお預けをしている犬のようにはなれない。天候の素晴らしい日に、小屋の周辺でカメラを持ち、コーヒーを楽しむのも良いとは思うが。