ゲレンデと朝山神社

出雲の神在月

俺たちのゲレンデは、出雲市の近くにある知谷橋の近くにあり、高さは40m横幅は約80m。
それと朝山神社の下を走っていた、トンネルとがあった。

 
 トンネル左ルート  トンネル右ルート  チロリアンブリッジでの移動

 「トンネル」と言ったら、本当に「トンネル」である。でも本当のトンネルの名前は、「桜トンネル」と言いましたが、厚顔無恥な俺は単に「トンネル」と言っていました。
 現在の国道184号線の宇比多伎(ウイタキ)トンネルの下に「一畑電鉄立久恵線跡」の「桜トンネル」があり、このトンネルにわれわれのゲレンデがありました。
 宇比多伎トンネルは峠越えのトンネルではなく、峠越えの市道が神戸川寄りにあります。1車線の短いが趣のある道です。

 
 

 トンネルゲレンデの上にあった朝山神社は大変有名な神社であります。
 朝山神社を紹介します。
 朝山神社は、島根県出雲市朝山町大字上朝山字比多伎1404
 式内社 出雲國神門郡 朝山神社 旧県社
 朝山神社々記
 御祭神 眞玉著玉之邑日女命,神魂命,大己貴命
 祭日 歳旦祭 元旦   祈年祭 二月二十七日
 例祭  四月十日 神在祭 自旧十月一日 至旧十月十日
 新嘗祭 十二月五日
 御由緒
 主祭神 眞玉著玉之邑日女命は神魂命の御子にして姿容端正淑徳玉の如し坐し坐せば「大己貴命娶(めと)り給いて毎朝に通い坐しき故朝山と云う」と出雲風土記に記さる。
当社の創立については当地方の神楽歌に、「ありがたや宇比多伎山の宮造りこれぞ社の初めなるらむ」と、歌はれる如く余りにも古く古典に依れば「出雲風土記」に淺山社、「延喜式神名帳」に朝山神社と記さる。
 当社は往古より山美しく水清き宇比多伎山に御鎮座坐し位置を移せしことなく故に中世より宇比多伎大明神とも申し奉る。
 天武天皇以来皇室を始め毛利氏松平氏等領主の崇敬厚く右文書に依れば毛利氏出雲国を領し時の左の棟札あり
永禄九年(1566)九月十八日遷宮 大檀那大江朝臣坂本貞公武運長久
     大江氏 - 大江広元などを輩出した、古代から近世の貴族又は武将の家系。
文禄五年(1596)丙申歳遷宮   護持旦那王申中藤原朝臣元圓武運長栄
     時代は、秀吉が朝鮮の役後、来朝した明使節と謁見し再度出兵を決定した頃
境内神社
星宮社   御祭神 皇之命        船子神社  御祭神 猿田彦命
杉尾神社  御祭神 豊受姫命 字杉尾に鎮座せしを明治五年当社に合殿
朝山十九社 御祭神 八百萬神 旧十月一日より十日の間八百萬神御旅所
 平日は八百萬神の遥拝所
昭和五十四年十一月吉日                朝山神社社務所
 以上の内容が神社の「御由緒書」に記されてあります。
棟札の若干のご説明

 

国土地理院の1/25000地図の「稗原(浜田)」には、「朝山神社」を「朝山八幡宮」とあるが、これは間違いである。朝山八幡宮は、出雲市高松町にあるのだと、『式内社調査報告』でも指摘している。
神紋は、同『報告』では「百合の葉」らしい。
出雲国風土記に「浅山社」とある神社。近世には「雲井瀧(ウイタキ)大明神」と称していた。
しかしながら、当社の主神は瀧に関する神ではない。眞玉著玉之邑日女命は、要するに「麗しい土地の女神」ということ。神魂命は、その父神で、大己貴(おおなむち)命は夫ということか。
大己貴(おおなむち)命は、大国主神(おおくにぬしのかみ)ともいい大穴持命である。大黒様は大国主でその奥様が眞玉著玉之邑日女命だったのか。
御祭神は神魂命(かみむすびのみこと(神魂命は大国主神の危難を救った神))の娘で大穴持命(おおなむぢのみこと)の妻である真玉着玉之邑日女命(ま たまつく たまのむら ひ めのみこと)。併せて大穴持命と神魂命を合殿に祭ります。実はこの神社は非常に重要な神社です。
 宇比多伎山(ういたきやま)といわれる出雲風土記にのる山名そのままの山域(標高180m)にあり、山頂に朝山神社があります。周囲には冠(かがふり)山・陰山・稲山・桙(ほこ)山・稲積(いなづみ)山で朝山郷六神山といわれ、風土記には「大神の御屋なり」とあってこの山自体を神として拝んでいたと思われます。

朝山神社 
宇比多伎(ういたき)山の頂上付近にある古社で、「出雲国風土記」、「延喜式」にもその名は記載されています。この社は出雲大社の十九社にならって20年程前に造営され、旧暦の10月1日、神職は氏子総代とともに鳥居下にヒモロギを立てこれに神々を迎え、ヒモロギは総代らによって絹垣に覆われて、境内の朝山十九社に安置される。御忌の期間中は神社では歌舞音曲をつつしむ。
旧暦の10日、神迎え同様に鳥居下にヒモロギが立てられ、神送りが行われます。朝山神社のあと、神々は出雲大社に向かうと伝承されており、この神社では出雲大社同様、様々なことの神議りが行われていると伝えられています。
一般には神様は陰暦10月の11日から17日まで出雲大社、そのあと26日まで佐太神社で会議をなさるとされているのですが、実はその前10月1日から10日までこの朝山神社に集まっておられるとする説があります。そのため、この神社では以前はこの1日から10日までの期間、氏子全員が一の鳥居から社殿までの1kmの道を毎朝参拝しにきていたのですが、近年ではあまり行われなくなっているとのことです。

 


神在祭日程 11月9日 神在祭(神迎え) 11月19日 神在祭(神送り)
JR出雲市駅から公園駐車場まで8km。一畑バス出雲須佐行き寺田橋下車。表参道まで徒歩15分。同バス根波行き朝山神社前下車し表参道まで徒歩8分。
 出雲市駅から南へ佐田・立久恵峡方向へ向かう国道184号を進む。神戸川沿いから稗原川沿い進みを1km走ると三差路の信号があります。立久恵峡方向に右折するとすぐに南中学校が左に見え左道路沿いに「朝山森林公園」の案内板があります。ここが表参道入口になります。車はこれより狭い林道「雲井滝線」の道を2km程登ると「おこもり遊歩道」への分岐があり、右へ進むとすぐに駐車場(70台)に到着。駐車場は舗装・区画整理されています。
 また、休憩施設も完備されて、流し台、トイレ、電話等もあります
 朝山森林公園は、宇比多伎山(ういたきやま)といわれる出雲風土記にのる山名そのままの山域(標高180m)にあり、山頂に朝山神社があります。周囲には冠(かがふり)山・陰山・稲山・桙(ほこ)山・稲積(いなづみ)山で朝山郷六神山といわれ、風土記には「大神の御屋なり」とあってこの山自体を神として拝んでいたと思われます。
雲井滝(ういだき)
立久恵峡から朝山郵便局を過ぎた所に「宇比多伎トンネル」がある。ちなみに「宇比多伎」とは出雲風土記に登場する、雲井滝のある山のことで、雲井滝が山名の由来となっているようである。
そして、山の上にある朝山神社は古来「雲井滝明神」と呼ばれていたとのことである。
 雲井滝は落差80m以上の滝だが、集水面積は小さいため多くの水量は期待できない。

朝山八幡宮
創建:およそ1200年前の宝亀年間にて、出雲国八社八幡宮の一社
出雲市松寄下町1103番地
例大祭(春祭り4月20日)
三百年以上も前からの伝統行事で、さまざまな願いを託し、氏子たちが「神事花」「獅子舞」を奉納するのが特徴で、十一班に分かれた氏子たちが年番で担当します
毎年、大人が中心になって催されていましたが、最近は小学生も多く参加するようになりました
 市内をはじめ、周辺の町でも同様の行事が残っています。町内行列、境内で舞いの奉納などがあり、クライマックスは「神事花」の奪い合いが行われます。
神事花(高さ3m、直径3.5m)は、竹を花木様に骨組みし、花に見立てた赤、黄色などの色紙を千枚以上も張り付けた大きな飾りで、持ち帰ると「福を授かる」という云われがあります
朝山八幡宮の周辺
 出雲市内から国道9号線の白枝交差点から大社街道を進むと、築地松の綺麗な防風林が現れ、白砂青松の浜山公園が前方に見える。この浜山公園の東端に「朝山八幡宮」が鎮座しています。
 八幡宮の直ぐ傍に、陸上自衛隊出雲駐屯地があります。出雲駐屯地は、競馬場の跡地を利用し開設されましたが、当時の面影は、若干残っていますが、建物はありません。
 八幡宮の南側に国鉄の大社線があり、「あらかや(荒茅)駅」が近くにありました。あらかや駅の次が大社駅で豪華な作りは、栄枯盛衰の哀れさを感じます。なお大社線は、出雲駅始発、出雲高松駅、荒茅駅と大社駅の7.5Kmを走っていた線です。開通はかなり早く明治45年6月です。昔は各地からの直通列車が走り、寝台列車も乗り入れていました。しかし、鉄道で参拝に訪れる人はわずかになってしまったのか直通列車は次々と廃止され、JRになってからもしばらく走り続けていましたが、平成2年ついに廃止されてしまいました。

「神無月(かんなづき)」と「神在月(かみありづき)」
旧暦の10月、全国は「神無月(かんなづき)」と言われる月です。日本中の全ての神様が出雲に集まり、出雲以外に神様はいなくなります。
旧暦の10月、出雲では「神在月(かみありづき)」といいます。全国から八百万ともいわれる神々が集まり、人々のご縁にまつわる会議をなさる。だからこの月を「神在月」と呼び、ゆかりの古社では、様々な伝統祭が厳かに神聖に行われます。
出雲の「神在月」を紹介すると、
 神々の出雲滞在期間は、「神在月」を中心に参集する場合、「神在月」の前に他の神より先に参集(早立ち)する(そして先に戻る)場合、中帰りといって「神在月」の途中に神が一度戻る場合、「神在月」から大きく離れた時期まで滞在している場合があるそうです。
「神在月」を中心に参集する神々は氏神・鎮守系が多い。早立ちする神々は天神が多い。中帰りする神々は釜神が多い。そして最後に越年するまで滞在してしまう神々は、山の神、田の神、亥の子神、釜神等の農耕神が多い。
 神在月に神々は何のために出雲に来るのは、いろいろな諸説が地域にある。多くは縁結びの相談のためということになっている。他には酒作りや、交易をしにくる神もある。
神在月は、平安時代末(1177)の「奥義抄」にすでに神無月の解釈として「天下のもろもろの神、出雲国にゆきてこと(異)国に神なきが故にかみなし月といふをあやまれり」とある。それ以前の成立であることは間違いないであろう。
神々は出雲のどこに集るか。一ヶ所の神社に集まるのではなく何ヶ所かの神社を参集して回る。出雲大社を中心とする神社である。
・朝山神社(出雲市朝山町) (旧暦10月1-10日) ・出雲大社(簸川郡大社町) (11-17日)
・万九千(まんくせん)社(簸川郡斐川町) (17-26日)・神原神社(大原郡加茂町) (10-26日)
・神魂(かもす)神社(松江市大庭町) (11日)  ・佐太神社(八束郡鹿島町) (11-16、20-25日)
・朝酌下神社(松江市朝酌下町) (25日)   等です。

出雲大社の行事
10日の夜、神迎えとして近くの海岸「稲佐の浜」にて儀式が行われます。カガリ火が焚かれ、注連縄が張り巡らされた斎場の中には、神の依代となるひもろぎが2本、傍らにその先導役となる龍蛇神(海蛇)が海に向って配置される。
神職が入場して修祓の後、神迎えの祝詞が奏上される。この後、一同は隊列を組んで大社へ向う。ひもろぎは、大社教の施設である神楽殿に入り、ここで祭典が行われる。そして次に大社境内の東西にある19社へ渡る。ここで神々が休まれる。
これより神の滞在期間である「お忌み」となる。神在の期間中、本殿前にて3度(11、15、17日)の神在祭祭典が行われる。
神等去(からさで)祭は17日の夕方に行われる。東西の19社にあったひもろぎが、拝殿に移動される。拝殿の祭壇に2本のひもろぎ、龍蛇神、餅が供えられ、その前にて祝詞が奏上される。
その後も神々は出雲国内に滞在されるが、26日の第2神等去祭で御国に帰っていかれる。

主要な神社の神在月の行事
佐太神社の神在祭は、他社と異なり春と秋の2回行われる。春は神在祭裏月祭と呼ばれ5月20〜25日、31日が止神送。秋の神在祭は11月20日夜の神迎神事から始まる。
万九千神社は、斐伊川の水辺にあり、東南に仰ぎ見る「出雲国風土記」の神名火山(現仏教山)の麓で火を焚いてお送りしたとの記録や伝承もある。
神魂神社は、東北方の茶臼山(かっての神名樋山)を真向かいに仰ぐ地に建てられていたことから、神在祭と神名火(樋)山に何か関係があるのではという説もある。
多賀神社(朝酌下社)は大橋川沿いにある。「出雲国風土記」所載の神社でもある。神々の参集の場所は神社ではなく、神社横の魚見塚古墳(前方後円墳)であり、ここで神々はエビスの釣を見学するともいわれている。
日御碕神社は、島根半島の最西端に鎮座する。近年は龍蛇が上がることはほとんどなくなっている。従って祭は龍蛇が奉納されたとの仮定のもとで行われる。
売豆紀(めづき)神社は、松江市中心街の南端に鎮座し、当社の神在祭は神魂神社から佐太神社への巡幸のルートに当たっていたとも言われる。
神原神社は、斐伊川支流、赤川の下流左岸に鎮座する「出雲国風土記」「延喜式」所載の神社である。
10月10日に神々は神在代宝原(神原)に参集し諸事の相談を行う。神々は神社に巡幸され、神原に戻った後全国に帰られる。これを神去風(カラサデ)という。

朝山神社と出雲の神々の様子が分かったかな。では、しばしの別れであるぞ。