第6話〜 三幅対
(2003/10/12)

 損保ジャパン東郷青児美術館で展示されている、「三幅対」を模した展示法が論議を呼んでいるようです。「三幅対」というのはキリスト教の祭壇画のように、主題を真ん中に置き、左右にサブテーマを配する方法のようですが、ゴッホはルーラン婦人を真ん中に、左右にひまわりを配置する計画を抱いたようです。
 この美術館の展示法が「ゴッホの意図した通りではない!」というのが問題なのだそうですが、展示方法というのは、展示側の解釈に依存するものですから、必ずしも作者の意図通りにはならなくてもやむを得ないと考えます。
 音楽の場合、ベートーヴェンなどは執拗に繰り返し記号を楽譜に書き込みましたが、その通りに演奏される場合は殆どありません。演奏家の解釈によって省略されることも可、というのが一般的な考え方のようです。
 芸術作品ってのは、作者の手を離れた瞬間に一人歩きをしてしまうものです。美術や音楽も例外ではありませんし、文学などはいろんな言語に翻訳されています。シェークスピアは、果たして自分の作品が日本語で読まれたり、上演されることを想定していたでしょうか?


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