おそらくは人が居住する全ての地に発生し、そして最も古くから存在した「商売」は、「酒場」と「娼館」であると云われています。
卑しき者と蔑みながらも、悔悛する「娼婦」の姿が人々に親しまれたのは、神の威光は頭上を掠めていくのではなく、足元まであまねく広がっていること。罪深い者たちにもしっかりと救いの手は述べられることを実感出来るからなのかもしれません。しかしながら。
なんという豊かさよ。
聖母マリアの美しさが「無垢な処女」として、または「慈しむ母」としての「禁欲的な清らかさ」にあるとするならば、「マグダラのマリア」の美しさは「女」であることの「生身の色香」でございましょう。
うすものを纏う豊満な肢体。天を仰ぎ涙するその表情もどこかしどけない。
画家の描きたかったのは、宗教的な背景と云うよりもむしろ「満ち足りてみずみずしく美しい一人の女性」ではなかったかと思わせるほどに、体温と質感のある作品であるかと存じます。