咎人


ある雨の日の暮れ方、セブルス・スネイプは自室で魔法薬の調合に没頭していた。人から作ってくれと頼まれた薬だった。魔法界におけるありとあらゆる薬を調合することのできるスネイプは、しばしばこのように調薬の依頼を受けることがあった。もっとも彼はそういった頼まれ事を受けるのは好きではないのだが、断るのも億劫であるし、スネイプにとって調薬のひとつやふたつ、さして手間になるものでもなく、また、相手から相応の見返りを貰えるのであれば、まあ受けて遣ってもいいだろう、と、余程気乗りのしない時以外は断ることもなく、頼まれるままに薬を作るのが半ば常となっていた。

さて、しかし、今回頼まれている薬は少しばかり技術を要する薬であり、とはいえ無論、スネイプの手にかかれば難なく完成するのだが、その薬は調合の際に僅かの湿気も許さないという類いのもので、ここ数日珍しく降り続いている長雨によって地下室の湿度が狂い、調合に不都合をきたしていたのだ。

今日、すでに何度目になるであろうかという失敗作を廃棄しながら、スネイプは溜め息を吐いた。眉間の皺はいつもよりいっそう深く刻まれている。もうかれこれ丸三日、授業の時間以外はこうして研究室に籠って調合を繰り返している。しかしどうにも上手くいかない。普段であれば半日とかからぬ作業にこれほどの時間を費やすことを余儀なくされているということに、スネイプの苛立ちは臨界点に達しようとしていた。

薬の受け渡しは明日ということになっている。「遅らせてくれ」などと申し出ることは彼のプライドが許さない。そもそも、彼にとって難しい調合などではないのだ。ただ、湿気が邪魔をして思うような結果に至らないだけなのだ。しかし、そのような言い訳を述べて「しかじかの事情だから天候が回復するまで待ってくれ」と言えば、相手は承諾はするであろうがスネイプに対する評価は多かれ少なかれ下がるであろう。それが彼としては如何とも許し難いことであった。

こんな頼まれごとをするのではなかった、と己を呪いながら、しかし時間は待ってはくれないので、うんざりしながらも材料となる薬草に手を伸ばした。

その時、背後に何者かの気配を感じた。スネイプは反射的に身構え、その気配のする方向へ鋭く杖の先を向けた。そして薄暗いランプの灯りの中、そこに立っているのは誰であろうかと目を凝らした。

しかし、その気配の正体が判った瞬間、スネイプは先程の何倍もの深い溜め息を吐き、大きな脱力感とともにその人影に背を向け、叩き付けるように杖を調合台に置いた。

「何をしに来た、Ms.!」

。魔法学校の新米教師であるが、どうもスネイプに興味を示しているらしい。怖いもの知らずとはよく言ったもので、校内では「陰気で陰険な変わり者」で通っているスネイプに臆するどころか何かとと付きまとってはそのペースを乱すため、スネイプはほとほとうんざりしていた。

「何って……スネイプ先生に会いに来たんです。」

(まただ。また、この娘は、わけの分からぬことを言う。)

暗がりの中から姿を現し、全くいつもの調子であっけらかんと答えるに、スネイプは背を向けたまま激しい苛立ちを覚えた。の言動は、スネイプの理解の範囲を大きく逸脱しているものばかりである。このように突然室内に姿を現すことも、「会いに来た」などとさらりと言ってのけることも。何もかも、スネイプのこれまでの経験上知り得る、他人の自分に対する言動とはかけ離れていて、それが、言い様もなくスネイプの胸中をざわつかせた。

「ノックもせずに、人の部屋に入って良いと、そんな教育を受けて君は育ったのかね?」

スネイプは背中を向けたまま、精一杯嫌味を込めた台詞を吐いた。それが暖簾に腕押しであることは、既に十分承知の上であったが、そういった態度をとらずには、いられないのである。

「いえ、ノック、しましたよ?」
「……聞こえなかったが?」
「しましたよ、何度も。先生、調合に夢中になってて聞こえなかったんじゃないですか?」
「ほう……まるで我輩に非があるかのような言い方だが、ノックをして返事がなければ普通はずかずかと室内に入って来たりはしないと思うが?」
「いえ……まあ、それはそうなんですけど……」

そこまで言っては珍しく言い淀んだ。スネイプの語調に、彼の機嫌がひどく悪いことを感じ取ったのであろう。それまで平然としていた彼女の表情が、少なからず不安そうな気色を帯びた。

「だが、何だ?そのような無礼をおかしてまで我輩に会わねばならぬ用事でも?」
「…用事は、ないです、けど……スネイプ先生、どうしていらっしゃるかと、思って……」
「……何?」

心底、彼女の言っている意味が分からなかった。同じ校内に居るのだからどうしているもこうしているもない。一体、この娘は何がしたいのか。自分に、何を求めているのか、理解ができない。苛立ちは最大限に達し、スネイプはの方を振り向いた。

「どうしているか、だと?どうもこうも、こうして仕事をしているわけだが?」

機嫌の悪さがその声にこもる。の方へとにじり寄りながら、問い詰めるように睨み付ける。やはり普段とは違うその様子に、は動揺した。

「あの……先生、この間から、食事の時間も全然広間にいらっしゃらないし……校内でもお見かけしないですし、だけど、薬学の授業には出られていると生徒に聞いて……どうされたんだろう、と思って……もしかして、体調を崩されたりしているんじゃないかと思って……」

そこまで言って、は堪らず下を向いた。スネイプの言葉に、いつもは感じられない怒気が含まれている。自分の行為が彼をひどく怒らせてしまったということへの後悔で、思わず涙が零れそうになった。



「………本気で、そんな事を言っているのか?」

の言葉に暫く絶句していたスネイプが、口を開いた。

「………」
「本気で言っているのかと訊いている!」

ついに、怒鳴り声を上げたスネイプに、はビクッとして顔を上げた。

「はい……」
「そんな理由で、わざわざ来たのか?」
「そう…です……」

スネイプは今にも泣き出しそうなの顔を見て、言い知れぬ苛立ちを覚えた。それが彼女へ向けられるものなのかそうではないのか、それも分からなかった。何にこんなに腹が立つのか、当の本人にも見当がつかなかった。

「ならば取り越し苦労というものだ。お前にそのような心配をされるまでもなく我輩はこうして生きている。余計なことをしてくれると迷惑だ。このようなことに時間を割いている暇は、我輩にはないのだよ。」

を睨み付けたまま、スネイプは吐き捨てるように一気に言った。はもう、その場に立っているのが精一杯といった様子で、涙を堪え唇を噛み締め、握り締めた手は震えている。

「……ごめんなさい…」

やっとの思いで喉から声を絞り出すと、そのまま踵を返して立ち去ろうとした。一秒でも早く、この場を去りたかった。スネイプに会いたくて来たはずなのに、スネイプを本気で怒らせてしまった。胸が、ちぎれそうだった。

「待て!」

足早に部屋を出ようとするを、なぜかスネイプは呼び止めた。まだ、何か言われるのだろうか。これ以上言われると、泣いてしまう。はそんな自分への情けなさも感じながら、いっそういたたまれない気持ちになりつつも、恐る恐る、振り向いた。

「いい機会だから訊いておく。お前は、何故そうやって我輩に構う?一体、何が目的だ?」
「……何が……?」
「答えろ!これ以上、理解不能な言動を繰り返されるのはもう御免だ。目的は何だ?!」

激昂したスネイプは、の腕を強く掴んだ。スネイプの、怒りの中にどこか切迫した空気を孕んだその迫力には圧倒され、呆然とした。

「……目的なんて…ない、です」
「ではどういう理由で、このようなことを繰り返す?!」

目的などない───どこか予想はしていたその答えに、スネイプはしかし益々苛立ちを感じ、声を荒げた。

「よもや、お前は、俺のことを……っ!!」

ハッとして、スネイプは口を噤んだ。

(何を、言おうとしたんだ?おれは───?)

そのただならぬ空気に、はただ呆気に取られて、もはや言葉を失っていた。



「……もういい。帰れ」

重苦しい沈黙の後、スネイプは掴んでいたの腕を放し、再び背を向け、低く言った。

「………でも、」
「帰れと言っている!聞こえぬのか!」

再び発せられた怒鳴り声に、は逃げるように、小走りで去って行った。



その足音が消えるのを遠くに聞きながら、ようやくスネイプは落ち着きを取り戻し、今しがた起こった出来事を、頭の中で反芻した。
なぜ、ああまで、怒鳴り散らしてしまったのか。何にそこまで、腹が立ったのか。最後に自分は、何を言おうとしたのか。なぜ、そんな言葉が、出てきたのか。の口から、一体何を聞きたかったのか───。

そして頭に浮かぶのは、紛れもなく自分が傷付けた、の顔。きっと、泣いているに違いない。自らの意志で怒鳴り付け、故意に傷付けておいて、今更ながらに胸に重いものがのしかかるのを感じた。



ややあって、スネイプは思い出したように、再び薬の調合に取り掛かった。降り続いていた雨は既に止んでいたのだが、その調薬は結局、期日までに成功することはなかった。



(2007.6.9)

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