へたうま見聞録:「W杯徒然(1):W杯はカメルーンと共に日本にやってきた」      
      その6:「W杯徒然(1):W杯はカメルーンと共に日本にやってきた」
     


 数年前、サッカー雑誌を手にした友人は写真を指差しながら、かっこいい選手を楽しそうに教えてくれる。「サッカーは戦争よ」と言っていた。そして「ワールドカップ(W杯)はオリンピックを超える祭典」とも。

 今までまったくW杯を見たことがない訳ではない。94年のアメリカ大会。灼熱地獄の中での決勝戦は、ブラジル=イタリア。延長の末PKにもつれこんだ試合は、イタリアのロベルト・バッジョの放ったボールと共に終わった。勝利を逃したバッジョの背中を今でも覚えている。

 それでも、「W杯ってそんなにすごいの?」と、ずっと思っていた。
TVで「W杯開催まで後●日ですよ~。待ち遠しいですねえ」とアナウンサーが毎日のように言ってもピンとこなかった。

 いよいよ開催も間近になり、各国選手たちが続々と来日する中、日本全国の注目を一度に集めたのは、何日もキャンプ地の中津江村をお待たせしたカメルーン。サッカーを知らない人たちも「今日はきたの? カメルーン」と、W杯に興味を持ち始めたのではないだろうか? 夜中の3時に中津江村に到着したカメルーンの選手たちを、たくさんの村の人々が歓迎した。とても暖かな光景だった。日本各地のキャンプ地で同じような光景があったのではないかと思う。

 地元岡山(といっても美作なので遠い)には、スロベニアがきていた。地元少年たちへのサッカー教室やイベントなど、交流も盛んだったようだ。「控えの選手までみんないい男!」とは見てきた人の談。美作の人たちは、韓国までスロベニアの応援に行った。

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 (2002/7/21)

(C) HETAUMA HONPO 2002


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