Fate/Trigger Point 第一話 月光ゲーム





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 平穏な昼の時間が終わった。
 世界はゆっくりと夕闇に浸食されていっている。教室に差し込む夕日が徐々に世界を赤く染め上げていく。
 やがて日が沈み、夜の闇が校内を覆い尽くしたなら、魔術師の時間が始まる。
 まずは学校に張られている結界の調査だ。わたしが学校を休んでいた昨日中に張られていた、この嫌な感じの結界を何とかする。
 魔術は隠匿されるべきモノ。それをこんなに派手に、しかもこのわたしのテリトリーで行うような奴には、きっちりと落とし前を取らせてやる。
 まかりなりにも、わたし、遠坂凛はこの冬木の土地の管理者だ。いくら聖杯戦争中とはいえ、ここまで大がかりな魔術結界が発動したらどれほどの騒ぎになるか、そしてその隠蔽工作がどれほど困難になるか、考えるだけでも憂鬱だ。まったく、そうでなくても聖杯戦争の準備等で出費がかさんでいるというのに……。
 嫌な考えになってしまった。わたしは軽く頭を振って思考を切り替えた。教室は燃えるような赤色に染まっている。あとは日が沈んでいくだけだ。そろそろ活動を開始しよう。
「始めるわよアーチャー。まずは結界の下調べ。どんな結界かを調べてから、残すか消すか決めましょう」
 わたしはわたしの相棒に声をかけた。霊体化しているため姿は見えないが、同意の気配を返してきた。
 ざっと見た感じ、この結界は攻撃的な特色をしている。結界内の生命の体力を奪うという敵意に満ちあふれた結界だ。とはいえ、体内に魔力を纏う魔術師にとって、こんな攻撃結界などほとんど効果は成し得ない。つまりこの結界の目標はあくまで一般人。まったくもって最悪な仕掛けだ。わたしは宵闇に覆われていく校内を回って、結界の要部分を潰していった。





 最後に、屋上にたどり着いた。時刻は八時を回っている。
「――――これで七つ目か。とりあえずここが起点みたいね」
 わたしの目の前には、七画で描かれた刻印。魔術的な視覚をもってしてはじめて見えるソレは、禍々しい赤紫色。描いてある意味も形も分からないけれど――――
「……まいったな。これはわたしの手には負えない」
 技術のレベルが違いすぎる。一時的に刻印から魔力を消し去ることはできても、刻印そのものを消すことはできそうにない。この刻印の術者が再び魔力を通せば、それだけでこの結界は復活してしまうだろう。
「――――――――――」
 アーチャーも無言。
 屋上でこの魔術刻印を見てから、お互い一言も言葉を交わしていない。
 そう、アーチャーも気が付いているのだろう。この結界は、体力を奪うなんていう生やさしいレベルじゃない。この結界は"胃袋"であり"腸"だ。中の人間を消化してその魂を吸収する、最悪の魂喰らいの内臓のようなモノ。
 頭の中がグラリときた。これは怒りかだろうか、嫌悪だろうか。とりあえず、わたしは深呼吸して冷静さを取り戻した。
 ただの魔術師にとってなら、この結界にはどれほどの意味も無い。魂なんて扱いにくいものを取り出し、集めたところでそこから先が無いだけだ。つまり、この結界は魔術師のためのものではなく――――
「アーチャー、貴方たちってそういうモノ?」
「……ご推察の通りだ。我々は基本的に霊体だと言っただろう。故に食事は第二(精神)、第三(魂)要素となる。君達が肉を栄養とするように、サーヴァントは精神と魂を栄養とする。栄養をとったところで、基本的な能力は変わらないが、取り入れれば取り入れるほどタフになる――――つまり魔力の貯蔵量があがっていく、というわけだ」
「――――マスターから供給される魔力だけじゃ足りないってコト?」
「足りなくはないが、多いに越した事はない。実力が劣る場合、弱点を物資で補うのが戦争だろう。周囲の人間からエネルギーを奪うのはマスターとしては基本的な戦略だ。そう言った意味で言えば、この結界は効率がいい」
 そう、この結界はサーヴァントのためのモノ。無差別に人を殺してサーヴァントを強化するための"内臓器官"。
「……それ、癇に触るわ。二度と口にしないでアーチャー」
「同感だ。私も真似をするつもりはない」
 力強い同意。ああ、やっぱりコイツはいい奴だと思う。背中を預ける相手が信頼出来るというのはいいものだ。
「……さて、それじゃあ消そうか。無駄だろうけど、とりあえず邪魔をするくらいにはなる」
 刻印に近づき、左腕を差し出す。左腕には遠坂の家系が伝えてきた魔術刻印。それを起動して、結界の刻印に貯まっている魔力を消し飛ばす。

「なんだよ。消しちまうのか、もったいねえ」
 呪文を唱え、結界を消去しようとした瞬間、背後から声が響いた。
「――――!」
 弾けるように立ち上がったわたしは振り向いた。やや離れた場所にある給水塔の上、蒼い色を纏った男がわたしを見下ろしている。身長はアーチャーと同じくらいか。引き締まった、鍛え上げられた体つきまで似ている。
 視線は涼やか。感情の起伏のない静穏さ。自然体で立ったまま。だが、その存在感には覚えがあった。それは私の相棒と同じ感覚。
「……サーヴァント……」
「ほう、すんなり判るとはな。ということはお嬢ちゃんは俺の敵ってコトでいいのかな?」
 ゾクリ、とした。どこまでも平坦な、まるで挨拶をしているかのような感じでの戦闘予告。
 ここは拙い。この場所では拙い。相手が何のクラスなのかは判らないが、こちらのクラスはアーチャー。それが文字通りの"弓兵"ならば、屋上という限定空間での戦闘は不利だ。
「へぇ、その若さで大したものだ。戦況を見通す眼はあるってことか……まったく、もったいねぇ。もう何年か生きてりゃいい女になっただろうに……惜しいもんだぜ」
 男の腕が上がる。次の瞬間、その腕には紅い槍が現れた。
 と同時にわたしも体を真横に飛ばした。さっきまで居た空間を切り払った何かを感じながら、左手の魔術刻印を起動。目的は体の軽量化と重力制御。戦場を移動させなければ。そのためにわたしは、屋上のフェンスを飛び越えて、夜空へと身を躍らせた。

 着地をアーチャーに任せ、移動に全力を注ぎ込む。アイツがもっていたのは紅い槍。ということはランサーである可能性が高そうだ。こちらの手札を考えるならとにかく広い戦場がいい。
 そして校庭でわたしは再び青身のソイツと対峙した。
「追いかけっこは終わりかい、お嬢ちゃん」
「ええ、追いかけっこは終わりよ」
 後ろに引いたわたしと入れ替わるように前に出て実体化するアーチャー。広い肩幅。筋肉に覆われた背中。そしてその手には一降りの短剣が握られていた。
「――――へぇ」ニヤリと嬉しそうに口元をゆがめる男。「……いいねぇ、そうでなきゃ面白くない」
 ブン、と音を立てて、その手に持たれた深紅の槍が一降りされる。
「……ランサーのサーヴァント、でいいのかしら」
「如何にも。そういうアンタのサーヴァントはセイバー……って感じじゃねえな。何者だ、テメエ」
 ランサーの誰何に無言のアーチャー。ただ赤い外套が風に揺らめくだけ。そう、わたしの言葉を、命令を、戦いの開始を告げる台詞を待っているだけ。そうねアーチャー、ではわたしたちの聖杯戦争を始めましょう。
「アーチャー」
 その鋼のごとく鍛え上げられた背中にわたしは語りかけた。
「手助けはしないわ。貴方の力、ここで見せて」
「――――ク」
 それは笑みだったのか、返答だったのか。次の瞬間、わたしのサーヴァントは疾風となって駆け、そして戦闘が始まった。
 迎え撃つは蒼い槍兵。そのサーヴァント中随一とも言われる速度を持って相対する。
「ハ、やっぱりテメエはアーチャーかよ」
 打つ、突く、払う、薙ぐ。
 長柄の長所を生かした連撃は止まるところを知らず。
 けれどそれらの攻撃を片手に持った短剣でいなすアーチャー。
 受け、流し、捌き、避け。
 しかしながら、武器のリーチの差か、間合いに入れないアーチャーが少しずつ後退している。長柄の武器と対するに短剣では不利すぎる。
 援護をしなければ――――そんなことは分かっているのにわたしは動けなかった。
 曇天の下、わずかな月明かりでおこなわれるまさしく神技の応酬。人の域では到達しえない英雄達の演武。そう、わたしは見惚れていたのだ。
『これがサーヴァント……これが聖杯戦争……』
 この時になって初めて、わたし、遠坂凛は、自分が立っている戦場をはっきりと認識した。知識としてではなく現実として、遠坂凛の聖杯戦争は今始まったのだ。
 今わたし達が居るのはわたしが通っている学校のグラウンド。わたしの日常が在る世界だ。しかし今、夜の帳の下、ここは別世界と化している。
 一際高い剣戟に思考を引き戻された。宙を飛ぶアーチャーの短剣。ランサーの打ち返しによって弾き飛ばされたようだ。
「――――間抜け」
 そんな隙を見逃すランサーでもなく、次の瞬間に奔る三連撃。武器を失ったアーチャーに防げる攻撃ではない。しかしその攻撃は、どこからともなく再びアーチャーの手に現れた短剣によって弾かれた。
 さっきまでと同じ、中華風の短剣。しかしながら今度は一対。左右対称で黒と白との色違いの双剣だった。
「チィ、二刀使いか……! ハ、弓兵風情が剣士の真似事とはな――――!」
 さらに加速するランサーの槍。二刀を持って受け流すアーチャー。まるで良くできた楽器のごとく響く剣戟、ぶつかり合う鋼に飛び散る火花、閃光のような剣閃。
 戦況はアーチャーが押していた。武器を弾き飛ばされても、次の瞬間には再び現れる双剣。そしてそのたびに後退していくランサー。
 自らの不利を悟ったのか、ランサーが一瞬の隙に間合いを外した。
「……二十七。それだけ弾き飛ばしてもまだ有るとはな」
 そう、二十七。ランサーによって弾き飛ばされた短剣の数。どういうことだろう。父の話ではサーヴァントが持つ宝具はただ一つのはずだ。あんな風にまるで使い捨てるように使えるものでは無いはず。―――つまり、あの短剣はアーチャーの宝具ではない? 
「どうしたランサー。様子見とは君らしくないな。先ほどの勢いは何処にいった」
「……チィ、狸が。減らず口を叩きやがるか……いいぜ、訊いてやるよ。テメエ、何処の英雄だ。二刀使いの弓兵なぞ聞いた事がない」
 槍兵として戦ったランサーに対して、弓兵としてではなく、剣士として戦って見せたアーチャー。ランサーの疑問も当然だろう。わたしとしても知りたいくらいだ。
「そういう君は判りやすいな。槍兵には最速の英雄が選ばれると言うが、君はその中でも選りすぐりだ。これほどの槍手は世界に三人といまい。加えて、獣の如き敏捷さと言えば恐らく一人」
「―――ほう。よく言ったアーチャー」
 その瞬間、世界が凍った。いや、凍ったのはわたしか。ランサーから発散される鬼気。その圧迫感は私に呼吸を忘れさせた。
 つい、とランサーの腕が動く。穂先が沈む。右手は弓を引き絞るかのように体の後方に下がり、溜められる。
「―――ならば食らうか、我が必殺の一撃を」
「止めはしない。いずれ越えねばならぬ敵だ」
 ランサーの体が沈む。
 危険だ。アレは危険だ。理性が警鐘をならす。知識が危険を知らせる、本能が死を感じている。あの槍はまずい。あれは間違いなくランサーの"宝具"。それがどのようなものかは知らないけれど、わたしの直感が全力で終わりを告げている。あれはそういうモノだ。撃たせてはいけない。
 空間の密度が上がっていく。渦巻く殺気は止まるところを知らず。しかしわたしは指一本動かせない。止められない。動くことすらできない。いかなるわたしの行動でも、それによって引き金が引かれてしまう。どうしよう、どうすればいい、どうすれば―――
「――――――誰だ…………!!!!」
「……え?」
 ランサーの誰何の声と同時に、嘘のように空間の重圧が消えた。
「……どういうこと?」
「どうやら、建物の中に誰か居たようだな。微かに物音があった。おかげで命拾いしたが」
「まあ、確かに。……けど失敗したわね。誰も居ないと思ってた。……って、アーチャー。アンタ、何してんの」
 いつの間にかわたしの真横まで来ていた我がサーヴァントに尋ねた。
「見て判らないか。手が空いたから休んでいる」
「んな訳ないでしょ、ランサーはどうしたのよ」
「さっきの物音の方だろう。目撃者だったならまずいだろうしな」
「……く、なんて間抜け。追って、アーチャー! わたしもすぐに追いつくから!」
 瞬時にランサーを追うアーチャー。
 目撃者は消す。目撃したことは無かったことにする。魔術師のルール。魔術は秘匿されるべきモノ。誰かに知られてはならないモノ。
 失敗した。そうすることが嫌なら目撃者なんか出さなければいい。だからっていうのに、なんだってよりによってこんな時に―――。





 わたしが校舎に駆け込んだその瞬間、一度だけ高い金属音が響いた。
『剣戟? こっちね』
 わたしは音のした方向へ突っ走った。剣戟の響きが一度だけなのが気にかかる。間に合わなかったのだろうか。
 冷たく薄暗い廊下の果てに、三人の人影を見つけた。長柄の槍を持っているのはランサーだろう。同じくらいの背格好なのはアーチャーか。そしてもう一つの小柄な人影が目撃者だろうか。
「来たか、凛。だが少々ややこしい状況になってしまっている」
 アーチャーの台詞と同時に、風が雲を押しのけたのか、窓から月光が射し込んでいく。
 十分とは言えない光量、けれど、その姿を焼き付けるには十分だった。月光の下においてすら鮮やかな金の髪、涼やかな青い衣。小柄な体躯を無骨な鎧で包んでいてもなお、その少女は可憐で、美しかった。
 サーヴァントだ。ランサーと遭遇して生き残っている時点でそれは明らか。となるとどのクラスだろう。まずアーチャーとランサーは除外。ランサーを凌いだ時点でキャスターとアサシンも外せるか。となるとセイバーかライダー、もしくはバーサーカーか。
 「―――サーヴァントが出てきたってことは、さっきの奴がマスターだったってことかよ。ハ、コイツは面倒なことになってきた」
 狭い廊下を苦にもせず、ぐるりと槍を回すライダー。ピタリ、と穂先を少女に向ける。と同時にこちらの動きも視界に入るように間合いを取った。
「アーチャー、他にも誰か居たの?」
「いや……私が追いついたときにはこの二人だけだった」
「おお、居たぜ。コイツのマスターはこの先の部屋に飛び込んだ。まだ居るんじゃねえか」
 わたしの疑問になぜか答えるランサー。あごで少女の奥の教室を指し示している。
「……何でアンタが答えるのよ、ランサー」
「おやおや、知りたかったんじゃないのかい? オレは答えてやっただけだぜ。……で、居るんだろうコイツのマスターよ。それともなにか、テメエもこそこそ隠れるしかない大腑抜けか」
「我がマスターの侮辱はやめてもらおうか、ランサー」
 鈴のような声でランサーの挑発に答えたのは小柄な少女だった。すっと腕が持ち上がり、構えを取る。その手にはなにもなかった。いや、違う。彼女は"何か"を持っている。ただ、それが不可視なだけだ。
「ケッ、腑抜けを腑抜けと言って何が悪い。――――そんなことより一つ訊かせろ、貴様の獲物―――それは剣か?」
「――――フ、さて何だろうな。斧か、弓か、槍剣か、棍かもしれん。案外と杖だったりしてな」
「ハ、ふざけてろセイバー。――――しかし、この状況はいささか面倒だな」
 確かに面倒だ。三体のサーヴァントにマスターがおそらくは二人。それぞれが敵対している。マスターのうちの一人は姿を隠しており、一体のサーヴァントのクラスは確定していない。
「確かにこの状況は面倒ね。――――ランサーと……多分セイバー。そうね、一つ訊くわ。学校の結界……仕掛けたのは貴方達のどちらかかしら?」
 そう、今、学校には最悪な仕掛けの結界が張られている。発動まではまだしばらくかかるが、発動した場合、中に居る人間を終わらせる類の結界が。わたしは冬木の管理人として、この暴挙を見逃すつもりは無かった。
「オレがそんな回りくどい陰険なことするかよ」
「それは私に対する侮辱か、魔術師」
 ギン、とわたしに向けられる殺気。
「……悪かったわ。これだけは確認したかっただけなの。―――セイバーであることは否定しなかったわね」
 言葉を飲み込んだセイバーに思わず苦笑してしまった。何か可愛い。わたしは場違いにもそう思ってしまった。彼女こそが私が引き当てたかった最強のカードか。
「提案するけど……今夜のところは分けにしない? 貴方達があの結界を仕掛けたのでないなら、わたしにとっては、今日急いで戦う必要も無いわ。このまま三竦みでいるよりはいいと思うけど」
 多分、今日のところはこれがわたしにとってのベスト。いささか不確定要素が重なりすぎている今の状況で戦いたくない。
「オレはいいぜ。むしろこっちから提案したかったくらいだ」
「セイバーの方はどうなのかしら?」
「……良いでしょう。今日のところはこちらとしても戦いを望んでいません」
 不承不承と言った感じのセイバー。
「それじゃオレは引かせてもらうぜ――じゃあな」
 一瞬の間で、霊体となって撤退したランサー。
「ではこちらも引かせて貰うわね、セイバー。セイバーのマスターも」
 隙を見せないように下がるわたしに、
「アーチャーのマスター。この結界は貴方達の仕業でもないのですね?」
 とセイバーが訊いてきた。
「――――ええ、わたしたちじゃないわ。こんな外道な仕掛けはわたしの趣味じゃない。これはわたしの誇りに賭けて誓う」
「……失礼した、魔術師。貴方の誇りを犯した事を謝罪しよう」
「大したことじゃないわ……出来れば、貴方とは最後まで戦いたくは無いわね。ではまた」
「ええ、また」
 そしてわたしたちは別れの言葉とともに撤退した。





 とりあえず、我が家に帰ってきたわたしはいろいろと考え込んでいた。
 聖杯戦争。
 七人のマスターである魔術師とその相棒である七体のサーヴァントによる生き残りゲーム。
 最後の一人には"願いを叶える"という聖杯が与えられる。
 サーヴァント。人類サイドの守護者たる英霊達を聖杯によって召還する規格外の使い魔。聖杯戦争におけるマスターの最強の武器。
 10年前、わたしの父が参加し、そして戻ってこなかったその戦いに、今、わたしが参加している。
 相棒はアーチャー、弓の騎士。口が悪く、態度もでかい皮肉屋。だが、十分に信用できる。それを先ほどの戦いで証明してくれた。とはいえ相変わらずの正体不明。召還時にちょっと失敗したわたしも悪いが、それで記憶を混濁させてしまうアイツも悪い。悪いに決めた。あの根性無しめ。
 で、その根性無しは今、紅茶を淹れに行っている。まあ、紅茶を入れるのが上手なのはありがたいか。わたしは再び思考の海に入り込んだ。
 とりあえず、判っていることを整理しよう。確認できたサーヴァントはセイバーとランサー。真名は不明。セイバーに関してはマスターが学校関係者の可能性が高い。でなければあの時間に学校に居るはずもない。時間的には教員の可能性が高いと思うが、生徒の可能性も否定は出来ない。そして気になるのは学校の結界。中心となる核の部分は屋上に在ったが、ランサーと遭遇したせいで、破壊には至らなかった。あれはヤバイ代物だ。発動すると、中に居る人間を消化、吸収する類の外法。
 すっと目の前のテーブルに紅茶が差し出された。とりあえず、一口啜って口を湿らせる。クッ、相変わらず美味い。鼻腔をくすぐる香りからして違っている。ひょっとして、コイツのクラスは弓兵なんかじゃなくて執事ではないのだろうか、などと戯言を考えてしまった。ちょっと考えが煮詰まっているのかもしれない。
「ああ、ありがとう……そういえば貴方、ランサーとの戦いの時に何か言ってなかったっけ? アイツの真名に関すること」
「ふむ、ランサーか。……彼の真名は分かりやすいな。おそらくはアイルランドの光の御子だろうさ」
「アイルランドの光の御子……って、クー・フーリン!? ってことはあの槍って」
「ああ、彼がクー・フーリンならまず間違いなく"ゲイ・ボルク"だろうな」
 ゲイ・ボルク。"幾たび躱されようと必ず相手を貫く"と言われる魔槍。
「やばかったわね。で、セイバーの方は? 何か気が付かなかった?」
「いや。残念ながら私は彼女と剣を交えていないのでね。予想も立てられない」
「結局、分からずじまいか。少女の姿の剣の英霊なんてそうそう居ないと思うんだけど……。せめてマスターの顔でも見れてたらね」
 でもまあ、終わったことは仕方がない。とりあえず、次の一手を考えよう。
 再び思考に入ろうとした時、電話が鳴り出した。時刻は十一時を回っている。こんな時間に電話を掛けてくる人間など、ろくな人間ではあるまい。出ないでおこうかとも思ったが、万が一のことを考えてわたしは受話器を取った。
『凛か。私だ』
 ―――やっぱりろくな人間ではなかったようだ。
「こんな時間に何の用? 綺礼」
 言峰綺礼。わたしの兄弟子にして第二の師匠。魔術師でありながら代行者でもあり、聖杯戦争の監督役に就任したエセ神父。
『ご挨拶だな。―――まぁいい。先ほど七人目から連絡があった。これにより、今回の聖杯戦争は受理されたわけだ』
「そう。……一つだけ質問するけど、最後に召還されたのはどのサーヴァント?」
『その程度の情報ならいいだろう。最後に召還されたのはセイバーだ。一昨夜召還された』
「そ、ありがとう。それじゃこれで正式に」
『そう、聖杯戦争は開始された。おそらく君が勝者になるだろうが、せいぜい油断はしないことだ』
「ご忠告感謝するわ」
『では、な』
 そこで電話は切れた。相変わらず言いたいことだけ言う男だ。でもまぁ、なんにせよ、
「これで正式に聖杯戦争が始まった、ってことよね」
 綺礼と話したせいか、思ったより喉が渇いている。わたしは少々冷めた紅茶を喉に流し込んだ。そんな私の様子を観察していたアーチャーが声を掛けてきた。
「そういえばマスター、大切なことを一つ聞き忘れていたのだが。凛、君は聖杯に何を望む。君の願いは何だ。主の願いを知らなければ私も剣を預けられない」
「願い? 別にないわよ」
「――――――何?」
 愕然というか、呆然というか、判断の付けにくい顔のアーチャー。
「では一体何のために戦うというのだ。聖杯戦争とは聖杯を手に入れるための戦い。なのにその聖杯に願う願いがないというのはどういう事だ……!」
「だって自分で叶えられる願いなら自分で叶えるべきでしょう。自分で叶えたい願いなら聖杯に頼らず自分で叶えないと意味がないことだし。わたしが戦う理由はそこに戦いがあるからよ。聖杯なんてその結果。貰えるから貰うけど、現時点での使い道は考えられない。ま、なにか欲しい物が出来たら使えばいいだけでしょ?」
「―――つまり、君の目的は」
「ええ、勝つのが目的よ。勝つために戦う。それだけ」
 わたしは胸を張って答えた。そう、わたしはわたしの誇りのために、わたしが誇れるわたしであるために、遠坂凛らしくあるために戦う。それこそが目的。
「………まいった。確かに君は、私のマスターに相応しい」
 そんなわたしにアーチャーは、真摯な目でそう答えた。わたしのサーヴァントに相応しく、胸を張って。……さすがにこういう対応をされると対処に困る、というかちょっと照れる。
「え、ええ。そうよ。だからアーチャー、貴方は私を勝たせなさい。そうしたら、わたしは貴方を勝たせてあげる」
「ああ、了解した。マスター」
 こうして私の聖杯戦争は本格的に幕を開けた。





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