Fate/Trigger Point プロローグ





 10年。
 言葉にしてしまえば一言。実際に流れた時間としてみれば――それは長かったのだろうか、短かったのだろうか。
 私の10年はと言えば、ただがむしゃらに走り続けてきただけのような気がする。父さんが死んでからは特に。
 薄暗い暗闇の中、私の目の前には10年ぶりに修復され、本来の姿を取り戻した召還陣。破損と摩耗が酷かったこれを再び使える状態まで持ってくるのはなかなかに骨だった。なにせこの身は中途半端な半人前魔術使いと言うのですらおこがましいほどの実力しかない。それでも、亡父の残した文献などから魔法陣をきっちり復活させた。もともと構造解析は得意な方だ。さらに、絶対的に魔力量の少ない私が使用出来るようにするために、自身の血液を混ぜ合わせた塗料を使うなどの工夫もした。こつこつと貯め込んだ呪術具も大判振る舞いで使いまくった。
 香料を練り込んだ蝋燭たちの炎が揺らぐ。独特の臭いが空間を満たしている。これで準備は整った。少ない制限時間ではあったが、前々からの準備のおかげでなんとかここまでこぎつけた。後はこの召還陣を起動させれば、もう引き返せない。
『本当は普通の女の子として過ごして欲しかったんだけどね……』
 それは父さんの口癖。でも私はこの道を選んでしまった。選んだからには後悔はしたくないし、する気もない。なにより、普通なんて魔術を習う時点で放棄した。それこそ、なにを今更、だ。
 左手に視線を落とした。手の甲にはじくじくとした痛みを訴える痣がある。この痣こそがこの事態の先触れ。左手に通る魔力に違和感を感じたのが一週間前。それが昨日の朝の時点で痣になって表に出るまでになってしまった。おろらく、今日明日あたりがリミットだろう。それを過ぎるとどうなるのかは私には分からない。が、ろくでもないことだろう。さすがに自分の命をチップにしてそこまで危険な賭をする気もない。とはいえ、この痣が現れなければ、これからも今まで通りに普通を装って生きていけたはずだ。しかし、兆しは現れてしまった。これも運命の皮肉かもしれない。結局、私はまたも聖杯戦争に関わる運命なのだろう。起こらなければ良いと思っていた。起こらないんじゃないかとも思っていた。けど、起こる可能性があることも、私は予想していた。だからこそこうして前々からある程度の準備はしていたのだけど――――
「せめて後5年は欲しかったかな……」
 5年あればもうちょっと余力があったはず。肉体的にも、精神的にも、社会的にも。しかし、始まってしまうのならもはやどうしようもない。やるべき事をやるだけだ。
 そう、この召還陣を起動すれば、10年ぶりの聖杯戦争の幕が開く。

 聖杯戦争。"なんでも願いを叶える"という願望機としての聖杯を手に入れるため、この冬木で行われる大魔術。七人の魔術師が、聖杯の能力を借りて七騎のサーヴァントと呼ばれる使い魔を召還して行われる戦争。文字通りの"殺し合い"。最後まで勝ち残ったマスターとサーヴァントが聖杯を手にすることが出来るという血なまぐさいシステム。
 私の左手にマスターとしての兆しが現れている以上、聖杯の能力を借り受け、サーヴァントとして英霊を召還出来るはずだ。
 英霊。人々の願望を形取ったゴーストライナー。世界が保有する英雄達の霊。それを聖杯の能力で七騎のクラスに当てはめて召還される。

 剣の騎士、セイバー。
 槍の騎士、ランサー。
 弓の騎士、アーチャー。
 騎乗兵、ライダー。
 狂戦士、バーサーカー。
 魔術師、キャスター。
 暗殺者、アサシン。

 どのクラスが呼び出されるかは呼び出してみなければ分からない。もっとも、その英霊に縁のある物を媒介とすれば狙った英霊を召還することも出来るという。魔術量が少ないうえ、神経がそのまま魔術回路として機能する私は、魔術回路を起動しない限りはまず魔術師として気が付かれないという利点がある。となると、できるならアサシンあたりを召還したいところだ。とはいえ、父さんの話からすれば、私がサーヴァントを召還したなら、そのクラスがまだ召還されていない限りは、まず間違いなくある特定のクラスが呼びだされることになるだろう。
 時刻はそろそろ24時。普段の魔術の鍛錬時のピークの時間帯だ。この時間に合わせて召還する。私の聖杯戦争をスタートさせる。
 そう、二度と失わないように。
 そう、二度と失われないように。
 すべてを救うなんて、神ならぬ私には出来ないけれど。
 せめて10年前の私を再び生み出さないために。
 ナイフを取り出して右手の人差し指に小さく傷を入れる。その血で左手のひらに小さな模様を描く。さらに甲の痣にも指を這わせ、三画の図形を書き込む。これで令呪と呼ばれるサーヴァントへの首輪の準備はできた。後は巧くラインが繋がるのを祈るのみ。
 左手のひらを召還陣の起点部に押し当てる。後は魔術回路を起動して、召還陣に直接魔術を流し込むだけ。
 私は目を閉じた。
 冷静なつもりだった。落ち着いているつもりだった。覚悟を決めたつもりだった。なのに――――どうして、こんなにも体が震えてしまうのだろう。
「なんて――――無様な……」
 私に、人を殺す覚悟が出来ているのだろうか。私に、人に殺される覚悟が出来ているのだろうか。
 きつく眼を閉じ、呼吸を深くする。自分の内に心を飛ばす。目に浮かぶのは過去の情景。赤く、紅く、朱い世界と――――黒い太陽。
 それで心が決まった。

「■■、■■」

 そして私は、呪文とともに魔術回路を起動、召還陣へと魔力を流し込んだ。幕を開くために。





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