貴方、それ絶対なんか使ってるわ。
寿命とか勝負運とか預金残高とか、ともかく何かが減りまくってるに違いないんだから!

ああ、今分かったよ、遠坂。俺があの頃使い果たしてしまったのはきっと幸運とか悪運とか、いわゆる危機回避に必要なナニカだったんだな……いや、マジで。





Fate after SS   交差点から空を見よう 〜俺と私の見た風景〜 1−1





 ふと、目が覚めた。
 まとまらない思考。まとわりつく違和感。うすぼんやりとした視界がようやく焦点を結んでくれ、どこか見覚えのある天井を写してくれた。
「……って、遠坂の部屋の天井か」
 どうやら、窓から差し込む初夏の日差しの眩しさに目を覚ましたようだ。ほつれた前髪が寝汗で額に張り付いて、目にかかって鬱陶しい。あれ、俺ってこんなに髪伸びてたっけ? まあ、最近、遅い成長期を迎えてくれた俺の体はたまに節々が痛くなる。きっと髪の毛の成長もそれに合わせて早く伸びてしまったのだろう。うん、きっとそうだ。いまだ正常に働いていない思考がどうでもいい回答を導き出す。
 どうやら、俺は遠坂のベッドで寝ているようだ。遠坂独特の香りが残るふかふかのベッドの上。ああ、なんか安心する。ちなみに、なぜ俺が遠坂の部屋の天井を見た瞬間にそこと分かるかとか、遠坂独特の残り香を知っているのかとかはこの際置いておこう。健全なカップルとしては秘めておきたいアレやコレもあるのだ。
 けれど、なんで俺がここで寝ているんだろう。いまいち記憶がハッキリしない。いまだ思考は混濁中、まるで熱に犯されているかのように正常に働いてくれない。何か凄い違和感があるんだけど、その違和感が大きすぎて違和感として認識できていないというか、とんでもない間違いを犯しているのに、その間違いを正しいと思い込んでいるかのような。
 ――何かが、繋がっていない――
 ひどく、怖い。目が覚めているのに夢の中にいるような。このままでいると俺は何かを無くしてしまう。本能的な、根源的な……恐怖。
 ……何を馬鹿馬鹿しいことを。ここは何度か訪れたことのある遠坂の部屋だ。何を恐れることがあるというのだろう。ここには「あかいあくま」以外の脅威はない。そう、遠坂を怒らせていない限りは別段恐れる必要なんか……ない、よな?
 待て、待て待て。ひょっとすると、俺が今ここで寝ているのが遠坂のせいだという可能性もあるだろう。思い出せ、思い出せ、思い出せ衛宮士郎。そもそも、どうして俺は遠坂の部屋なんかで眠っているんだ。俺の中の最後の記憶はなんだ。ふわふわとした思考回路を無理やり繋ぎ止め、修復し、強引に回転させる。
 む、思い出してきた。確か昨夜は遠坂の実験に付き合って……付き合って……どうなったんだっけ? 遠坂邸の地下室に居た記憶から先が思い出せない。考えがまとまらない。何か見落としてるのに何を見落としているのか分からない。
 となると、後は知っている人間に聞くしかない。ということで、
「えーっと、遠坂はどこだろ?」
 隣に寝ていた形跡は無いし、となると別の部屋だろ……あれ? 今、なんかおかしな感じだったぞ。何がおかしかったのか考えてみてすぐに思い当たった。声の通りが良いというか、息をする感触が何時もと違う気がするとか……なんだ?
「ッン、ッン。……ァーーーーー」
 軽く咳払いしてから、小声で発声練習をしてみた。やっぱり何かおかしい。通りが良すぎる。喉のあたりをすっと通り過ぎるような感じだ。そしていつもより高い。……高い?
ものすごく嫌な予感がする。まるで遠坂が俺のことをにやにやとした笑顔で「衛宮くん?」って呼ぶときみたいな悪寒。とりあえず大きく深呼吸して、
「アーーーーー?」
 もうちょっと大きな声を出してみた。ああ、嫌な予感が加速的に増殖する。――確認したくないなぁ。とりあえずベッドから体を起こすとしよう。
「よ、いしょ……っとと」
 いつもの感覚で起きあがろうとしてベッドの上でグラリと体勢を崩してしまった。バサリと揺れる髪。随分と体を動かしてなかったような感じだ。まるで長年付き合ってきた自分の体じゃないみたいな……ハァ、オーケイ、現実逃避は良くない。覚悟を決めようぜ衛宮士郎。ああ、ちゃんと見えたさ。布団からでた自分の格好が下着姿だったってことくらい確認したさ。
 つまりアレだ。
 髪の毛がなぜかセミロングなのも。
 声がいつもより高いのも。
 手足の長さがいつもより短いのも。
 重心がおかしくて体がうまく動かせないのも。
 そしてなにより。下着が女性用の上下なのも。
「うん、女の子だからだな」
 うん、納得した。まぁ服来たまま寝ると皺になるし疲れもとれないから脱がしてくれたんだろう。ブラは白いスポーツブラ……遠坂<俺<桜? しっかし可愛げの無い下着だよなぁ、実用一点主義か。
「……って、なんでさーーーーーーーーーーーー!」
 叫び声をあげた瞬間、俺の中で何かが繋がった気がした。ようやく頭の中が霧が晴れたようにすっきりと回転しだす。……空回り中だけどさ。それにしても、魂の叫びってのはこういうのを言うんだろうなぁ。……ほんと、なんでさ?





 ドカッ、バン、ダダダダダダダダダ。
 俺の叫びがきこえたのか、遠くの方で勢いよくドアの開く音。そして徐々に近づいてくる足音。

『ちょ……セイ………何が…………』
『シ…の声でし………行っ……………』

 バタバタバタバタ。ああ、今扉の前だなぁ。しかし遠坂もセイバーも、そんな音を立てて歩くと廊下が痛むぞー。

「志保、何事!」
「大丈夫ですか、シホ!」
 バタン! と勢いよくドアを開けて飛び込んできた遠坂とセイバー。俺は見知った顔を見てようやくフリーズから回復した。どうやら相当テンパってたようだ。不覚にも目が潤んできた。やばい、泣きそうだ。遠坂に泣き顔を見られると後でいろいろと拙い。絶対拙い。俺は大あわてで腕で目を拭った
「ちょっ……! あ、アンタ何泣いてるのよ!」
「な、泣いてないっ!」
 血相を変えて詰め寄る遠坂にがーっと吠える俺。そんな俺にちょっと引いてしまう遠坂とセイバー。
「泣いてないって……ハァ、まぁそれだけ元気だったら大丈夫ね」
「大丈夫な分けないだろっ! この状況で平然となんて出来るかー!」
 俺は藤ねえのように咆哮した。ああ、久々に藤ねえに親近感を覚えちゃったよ。人としてダメかも。
「ちょっ! 志保、どこかおかしいの? 調子悪い? どんな感じなの? ああっ、やっぱり何か副作用が起きてるのかしら!」
 遠坂が俺の肩を掴んでがくがくと揺さぶった。掴まれた肩の痛みとシェイクされている脳みそが、これが夢ではなく現実であることを主張してくれている。
「……とりあえず、二人とも落ち着きましょう。リン、シホの顔色が青いです。落ちる前に止めたほうがいいと思います」
 セイバーの冷静な台詞で、ようやく遠坂の動きが止まった。……助かった、あのまま続けられると酔ってたかもしれない。
「で、シホ。体の方は大丈夫なのですか?」
「……いや、全然大丈夫じゃないだろ。なんで二人ともそんなに普通なんだ?」
 普通、恋人とか友人の性別が変わってしまったらもうちょっとパニックになるだろうとかなんとか。どうも二人と話がかみ合ってるようでかみ合っていないような。ほんと、なんでさ?
「ともかく! 志保。どっか痛いとか感覚がずれてるとか魔術回路が不安定とかそういうのは無いのね?」
 心配そうな顔で俺を見る遠坂とセイバー。じっと俺の様子を観察している。
「ああ、それはない。それは無いけど遠坂」
 うん、さっきからどうも気になっていたんだが。
「志保って誰さ?」
「「はい?」」
 おお、みごとなユニゾンだ。さすがマスターとサーヴァント、見事に同じタイミングで固まってしまった。
「……ええっと、志保?」
 数十秒の停止から回復した遠坂。続いてセイバーも再起動。
「ちょっとリン、いったいどうなっているのですか?」
「わ、わたしに聞かれても困るわよ。……ちょっと、衛宮さん?」
 ピシッと俺に指を突きつける遠坂。いや、人を指差すのは淑女としてどうかと思うぞ。
「おう」
「……おう、って……ま、まあ、それはいいんだけど。えーっと、わたしたちの名前は分かるかしら?」
「遠坂凛とセイバーだろ?」
 少なくとも、桜とか藤ねえには見えない。
「ええ、合っているわ。別段記憶喪失とかじゃないみたいね。……それじゃあ、自分の名前は言えるかしら?」
 実のところ、いくら俺が鈍感で昼行灯で朴念仁で分からず屋でも"志保"が誰なのかの予想はついている。……ただ、確認したくないだけで。
「えーっと、驚かずに聞いてくれ。俺の名前は衛宮士郎。……ちなみに目が覚める前までは確かに男だった」
つまりは、衛宮志保というのがこの体の名前なんだという事なんだろう。どういうわけか衛宮志保というオンナノコの体に衛宮士郎というオトコノコの心が入っているということ。……夢なら醒めないかなぁ、ほんとに。





 とりあえず、二時間ほど遠坂の診察を受けるハメになった。触診、聴診、血圧、体重、魔術による走査、さらには血液検査まできっちりと。
「んー、体の方は正常なのよね。魔術回路の流れがちょっと乱れてるけどこれは事故の余波だと思う」
 二時間ほど人の体を弄くり倒して満足したのか、やたら満ち足りた笑みの遠坂と、
「リン、それで結局、シホはどうなっているのですか?」
 その様子を塩せんべい片手に見物していたセイバーが会話している。ちなみに俺はベッドに倒れ伏していた。
「多分……精神だけが違う世界の"志保"と入れ替わってるんだと思う。その辺は本人から詳しく聞いてみないと分からないけど」
 口に手を当てて考え込んでいる遠坂。けれど、そんなことよりも、
「えーっと、遠坂?」
「何?」
「……そろそろ服、着ていいか?」 
 そう、俺は二時間ずっと、下着姿だったりする。この二時間の苦行は……筆舌に尽くしがたい。何が悲しくて自分の下着姿に赤面しなきゃいけないんだろう。遠坂には面白がられるし。――実際、面白いんだろうけど。
「ああ、ごめん。もういいわよ」
 にやにやと笑みを浮かべているあかいあくまから顔を背けて、ベッド脇に置かれていた服に眼を向ける。白いトレーナーとジージャン、それにデニムの半ズボン。とりあえず俺はトレーナーを手に取った。
「……むむ」
「ん、どうしたのです、シホ?」
 俺が困惑しているのに気が付いたのか、セイバーがこちらに向き直った。
「いや、胸が引っかかって、着にく……な、なんでもないデス……」
 ギロリ、と視界の隅には猛禽類のような遠坂の瞳。ヤバイ、すげぇ怖い。どす黒いオーラを撒き散らしているかのよう。「ふーんだ、ふーんだ、悔しくなんかないわよ、くそぅ、半年前まではつるぺただったくせにー」
などと呟いている。というか、セイバーさん? 何であなたもそんなヤる気な表情なのですか? ……それにしても、二人とも気にしてたのか。
 気を取り直して半ズボンを……半ズボンを……アレ?
「ズボンじゃない……」
 二股に分かれてません。筒状構造です。そんな俺の疑問に嬉しそうに答える遠坂。
「そうね、スカートだもの」
「そっか、スカートなのか」
 なんだ、スカートなのか。だからこういう構造なんだな。なるほど。うん、
「スカート!?」
 スカートはやばいだろう、スカートは。スカートは良くない。なにがやばいのか、なにが良くないのかは、よく分からないが、何か大切なものを失ってしまう気がする。というか、男として何か壊れてしまう、ような気がする。まあ、男にも好きでスカートを履く人間も居るらしいが、俺にはそんな趣味は欠片も無い。
「えーっと、遠坂さん?」
 恐る恐る問いかける俺。ああ、いい笑顔だな、遠坂。なんでそんなに嬉しそうなんだよ、コンチクショウ。
「なにかしら、衛宮さん?」
「あのですね、ズボンがあったらお貸し頂けたら嬉しいなぁー、なんて思ったりしてるのですが……」
 うん、背は腹には変えられない。ここはあかいあくまに借りを作ってでも守りたいものを守ろう。高く付きそうだなぁ。く、なんて邪悪な笑みなんだ、遠坂。
「ふーん、衛宮さんはズボンが履きたいんだー。でもねーそのデニムのスカートは私がプレゼントしたものなんだけどなー」
「ぐ……」
「あぁ、悲しいなぁ。衛宮さんは私が送ったプレゼントを履いてくれないのね。私は衛宮さんを親友だと思ってたけど衛宮さんにとってはそうじゃなかったんだ」
「うぐ……」
「でも仕方ないわよね。衛宮さんが嫌っていうんだもの、うん、それじゃあ仕方が「分かった、履く」」
 くそぅ、あかいあくまめ。やっぱり遠坂凛は遠坂凛じゃないか。……でも少しだけ。ほんの少しだけホッとしている。遠坂が遠坂でいてくれて。なぜかおかしな事になってしまって、不安でしかたないんだけど。衛宮士郎は遠坂凛と居れば頑張れる。だから、
「でもさ、遠坂が居てくれてよかった」
 うん、本当に良かった。気が付くとなぜか遠坂がびっくりした顔でこっちを見ている。
「おや、私は居なくても良いというのですか、シホは?」
「いや、セイバーにも感謝しているよ。もちろん」
 クスリと笑みを浮かべているセイバー。
「……ハァ、良いわ」
 じっと俺を見ていた遠坂が大きな溜息をついた。さっきと同じ満面の笑み、だけどそれは優しく。
「貸してあげる。オトコノコにスカートは辛いわよね。セイバー、そこのタンスからベージュのカーゴパンツ持ってきてあげて。この間貴方に貸した奴。上から二段目」
「ええ、分かりました。リン」
 スッと立ち上がるセイバー。やれやれ、これでスカートを履くことからは逃れられそうだ。
「でもさ、志保、じゃないや、士郎?」
「うん?」
「……オトコノコのナニが無くなるのってどんな感じ?」
 ……やっぱりあかいあくまだよ、コノムスメハ。
「黙秘権を行使します!」






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