中国を観る(4)
「大連とロシア人観光客」
大連で宿泊したホテル「大連香洲大飯店」(セントラル・プラザホテル・大連)は「労働公園」を望み中山路沿いに位置する準五つ星級のホテルであった。
ホテルに入るとロビーは大勢の西洋人(東洋人でない…と言う意味で)で溢れているのに驚かされた。言葉のニュアンスからするとほとんどが「ロシア人」の様である。また、そのほとんどが家族連れの観光客のようである。子供も多い。日本人らしき宿泊客はほとんど見当たらない。
大連にロシアからの観光客?日本人の我々からすると大連はビジネス目的の街であり、観光の街…と言う認識がない。コーディネータの包さんに「彼らは何が目的で大連に来ているの?」と問うと「観光」と言う答え。「観光は解るけれど、観光の目的は?大連観光の目玉は?」と更に問うと、「解らない。」という答え。
大連滞在中、大連・旅順各地を巡りながらも「何故、ロシア人が大連に観光に来るのか?」を考えた。本人達に聞けば良いのだが、ロシア語を通訳できる人は居ないので想像してみる。
@ 1898年帝政ロシアが遼東半島の租借権を獲得して、大連の最初の街づくりはロシアが行い、古いロシア風の街並みが残っているから…(日露戦争後は日本が街づくりをした。)
A 大連は海に面した街で、しかも海が凍らない。(ロシアの日本海側のウラジオストック等の港は凍りつく)ロシア人にとっては「暖かい海」のイメージが強く「海辺のリゾート」と言う存在か?
B 大連郊外、旅順等は「日露戦争」の戦跡。ただし、負け戦の戦跡を観光目的にはしないはず。
そのとおりで、日本人には有名な唯一の観光地「203高地」「旅順・水師営」には日本人観光客はいてもロシア人は皆無であった。
瀋陽でロシア貿易を営んでいる夫妻と食事をしたが、中国とロシアの関係は密接な様である。夫妻は瀋陽で「ロシア料理店」も経営していると言う。
ロシア観光客の観光の魅力はどうもAの「暖かい海」にありそうだ。「海辺のリゾート地」というイメージが強いのであろう。その証拠にホテル内でも、ホテル内のプールを利用するため水着姿のロシア人の子供も見かけた。
地図を眺めてみると、確かにロシア内陸部のイルクーツクやヤクーツクあたりのロシア人からすると「海」ましてや「暖かい海」は憧れであろう。
古い昔は、ロシアにとって極東の「暖かい海・港」「不凍港」は是非手に入れたい「宝物」だった。
それが三国干渉、日露戦争、の原因であった事が良く理解できる。
現在、日本では「日中」「日韓」「日朝(北朝鮮)」の関係ばかりが話題になるが、「日露」の関係も重要な要素である事を忘れてはならない。と同時にロシア人も多数家族で海外旅行が出来るほど豊かになった事に驚かされた。
「中国を観る」(4)終わり
次回(5)へ続く