2003年7月15日更新 2001年4月26日 アップ
障害者カヌーNO 1 |
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平成12年 4月 8日 花見ツーリング
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障害者だから・と言う、垣根を持たない心情で、やっとここまで来ました。 平成12年4月8日大林さん初めての、ツーリング・中央公園〜安田〜縮景園 往復約10キロ・3時間・この日一般参加者9名・障害者大林さん一人にサポ ーター・広島国体カヌー第2位の藤森君・呉から参加リハビリの藤村先生 ・中国新聞 同行記者を兼ねて参加小川さん。いずれもカヌーのベテラン ・私と妻の総勢14名のツーリングになった。 |
中国新聞・同行記者を兼ねて参加の小川さんと、大林さんに取材中。 私と小川記者さんとは、障害者カヌーの準備段階時に、艇庫の カヌーを見て、「レンタルされるんですか?」と尋ねて来られた。 まさか、記者さんとは知らず、障害者カヌーの話しをしていたら、 どんどん質問してくる、「その障害者の座席を作る所を、ぜひ取材 させて下さい。」??私は「中国新聞の記者」です。エッ・・ 大林さんの連絡先を教え、了承をもらってから・・・ 平成10年8月27日中国新聞朝刊に載った。 |
新しい座席の感触に、皆が覗きこむ、大林さん自分で創った座席・背もたれの感触、 足のホールドを確かめる。この日は、他の障害者7名が来ていた、この岸の上から、 その7名の家族も見守る中、大林さんは得意そうな感じだった。この写真大きくされる と、分かって頂けますが、この後、ひざの下に、空気枕を入れて、ひざを持ち上げる 状態で、セッティング完了です。 カヌー選び・・・艇名「スプライト」以前友人が乗っていたから、自分も試乗済み。 この艇は座席背もたれが、下から立ち上がっている事・コクピットの開口部が広 い事・初心者でも比較的直進性がいい事・この理由からである。 背もたれがセットしやすい・ベルト式だと、難しい。開口部が広いと介護しやすい。 艇幅、これも丁度良い、これ以上広いとカヌーとしておもしろくない。(65cm) 注・座席と書いているが、背もたれの事です、身体のホールド腰のホールドです。 |
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この日カヌー初試乗の三沢さん、初乗り5分後、乗ってしまったら 障害者も健常者も変わりなく、むしろ腕の力が強い分パワーを 感じる。この三沢さん10分前は陸の人・5分のパドリング練習の後 もう水面を・・この後テレビのインタビューで「すごっく気持ちよかった・ カヌーは思っていたほど難しくなかった」とコメントしていた。 これは大林さんの座席のたまものなんです。だから乗れたのです。 沖の黄色のカヌー、前はホームテレビのカメラさん、後が藤森選手 リラックスしてのんびりしていますが、頼もしい、助っ人です。 私には嬉しい事に、たくさんの、カヌーの友人が居ます。何かあれ ば手助けしてくれる、これは私の財産だと思っています。 |
この日初参加の7名と家族・TVスタッフ・サポーターで20食のラーメン でも、足りなかった。次の心配がトイレであった、これは大林さんから 近くのディスカウントに、障害者用があるから心配ない、言われた。 が、携帯水洗トイレは、付き添いの家族には大好評であった。 平素、このトイレは男性禁止・女性専用で使って、評判がいい。 このトイレは最初から計画に入れていた。タンクが2層式である。 タンクの16リットルの水が、ポンプを押すと便器を洗い流して、下の タンクに (笑) 後は下のタンクだけを処理(米製)\(^O^)/ 水満タンで約30回使用可。何時も専用テントに鎮座 |
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トップページと、このページの最初と、少しダブリますが、一読してい頂ければ幸いです。
”広島カヌーセンターFujiが立ち上がるまで” ”障害者カヌーを含む、カヌー保管の為の場所を貸して頂きたい”・・・の要望 最初にアタックしたのは 広島市体育事業団・鼻もヒッカケてもくれず、中区役所の教育委員会・生涯学習部 スポーツ振興課に回され、課長補佐さんは熱心に話しを聞いてくれたが、カヌー教室などで営利が絡むからダメ。 次は高瀬堰周辺の農家を尋ね 「畑の一部を10坪−20坪を年間10万円以下で貸して下さい」 と言って周ったら「ええよ 、なーんするんねー」の答え・・ 「カヌーの艇庫で パイプでカヌーの台を作り パドル・ライフジャケット等の小物入れる為 スーパーハウス( 工事現場などにあるトラック等で運べる小さな小屋 )を置く・・」 「そーよーな物んを置いたらいけんよー」で、ことごとく ダメだった。そんな時 市の土地で最高の場所をみ つけた。( 高瀬から高陽町に入る時 芸備線を跨ぐ、そのガード下は(久村陸橋下)100坪くらいの空き地 ) これは フンドシを絞めてかからねば・・と思い トップから攻める事にした。 平成9年10月に 広島市長さん宛てに請願書を書く。( A4で7ページ、その時の抜粋である。) 請 願 書 広島市長 平岡 敬 様 平成9年10月 5 日 『空き地借用の件』 広島カヌ−センタ−FUJI 藤本剛士 印 広島市安佐北区真亀4丁目2−62−904 TEL・ FAX 082−843−4504 青少年 と 中高年のための カヌ−教室 カヌ−と 広島の川 今、広島の川は護岸の整備も整い大変きれいになっている。なのに川を遊ぶ者がいない。カヌーは広島 の川に打ってつけの乗り物で、すばらしいスポーツだ。又 障害者のカヌーの為にも艇庫を作る空き地を 貸してほしい。(あらまし) と 障害者カヌーの私の思い (以下は原文のまま ) 阪神大震災の時 広島の社会福祉協議会の協力を得て 現地へ二度行き、私の知人で障害者親子 (当時67歳 )右半身不随の知人の井上さんを救援に行きました。 その井上さんは今 私の三軒隣りに 二所帯で住んでおられます。その井上さんを ボランテアで一年間 リハビリに同伴して 障害者の人たち の努力されている 姿を ずっと見てきました。週一日ではあったが、毎週々々 中途障害になられた人達の 努力されている姿を目の当たりにして、感銘を受けていました。そんな時でした。 『 社長室はアウトドア』 の本に出会いこの本の巻末の あとがきのところでガーンッと頭を後ろから殴られる思いをしました。 この本の 原文のまま・・ 『「ワア− おれ、障害者やったん忘れてた」パラマウント チャレンジ カヌ−のひとり吉田義郎が カヌ−を漕ぎながらおもわずもらした言葉だが、それは私には思いもよらよらぬ嬉しい衝撃だった。彼は 十八歳のとき事故で下半身が不自由となり、以来 車椅子の生活がはじまった。こうゆうかたちで中途障害者 になった彼らは、必ずといっていいほど、広い野原を思いきり走り回る夢を見るという、彼らにとって水面を まるでミズスマシのように思いのまま漕ぎ回れることは、障害をもたない私たちには考えも及ばぬほど 大きな意味をもつ。彼は 水の上では、少なくとも自力で自由に動き回ることができる。この時、 私は「これだっ・・」と思った。後略 』著者の辰野勇氏は起業家のモンベル社の社長さんです * 私もそれまでに、同じ気持ちを持っていただけに,この文面には強い衝撃をうけました。 「広島の障害者の人にもカヌーに乗るチャンスを」・・この思いが、私に カヌー教室を始める原動力に なっています。 どうか私にガ−ド下の土地を貸してください、切に切にお願いします。・・と・書いた、 市会議員経由で出したがその市会議員の所で 営利が絡むからだめだろうよ。でボツになる。 (それまでワープロの経験もない私が、パソコン1ヵ月目の奮闘A4で7ページだった) 平成10年2月 になって私の思いを良く知ってくれる、友人の田中さんから (有)グリーンオート なら 艇庫を作ってもよいと 言ってくれたが どうする? と、話しを持って来てくれた。 私の思いも解ってくれて、条件も合い、やっと目的に向かって進みはじめた。 3月末頃この障害者カヌーの話しをどこへ持って行くかだった・・!社会福祉協議会から・・か?、迷ったが、 つたない私一個人が出来る事を考えると、水を怖がらない、ほんの数人から始めたかったので、 安佐市民 病院の最先端の現場の 先生にカヌーに乗って体験してもらう事から始めた。それによって3人を紹介 して頂いたわけだ。 平成10年4月19日 ・・ 初めて車イスの人に会った時の 3人の様子・・紹介された3人の障害の程度は・・ 車イスの3人と初めて会った時の印象は半信半疑の様子だった。(先生達は来ていなかった) 大林さん だけがカヌーのそばに来て後の2人は近ずいてもくれず、 遠巻きで・・横目で・・そんな様子だった。 馬本さんはその内に少しは近ずいてくれたが、狩谷さんは土手の上のまま降りてもこなかった。 私方はカヌーの提供・乗り降りの介護・水面の上でのサポート・その外に座席は、必要ならば座席を とっぱらって 別な座席を考えても良いが 何をどうすれば良いのか・を尋ねた、・・ 「まず、僕らはこの座席では乗れない・メーカーに言えば障害者用の座席があるんじゃないのか」でしたが 、そんな座席がある訳もなし、大林さんが自分たちに合う座席を作るから、それをこのカヌーに取り付ける事で この日は終わった。私にして見れば大林さんの障害の程度ならばカヌーに乗れそうなので、 ぜひ乗ってほしかったが、ガンとして乗ろうとはしなかった。(何か取り付く島がない感じ) それでも色々質問して、それなりにヒントは獲られたので、私なりの座席を作る事にした。 その時友人が「あんた一個人がやることじゃないよー・」と言っていた。だが、今では賛同してくれている、 その事が大変うれしい。 ・・紹介された3人の障害の程度は・・ 大林さん・―――・自力で立ち上がり伝い歩きの出来る人「車イスグループの窓口」 (当時・車イス製造販売・勤務 ) 狩谷さん・―――・自力では立ち上がれない人 馬本さん・―――・(Th10 )までまひ麻痺の人(へその裏の脊椎まで麻痺) 腹筋・背筋が効かない ・・一年後加わった人の障害の程度は・・ 三澤さん・―――・(Th8 )までまひ麻痺の人(みぞおちの裏の脊椎まで麻痺) 腹筋・背筋が効かない 私の座席 (あくまで試作段階なのでお金をかけずに廃品を利用する事にした) 背もたれ・ポリタンクを切りバーナーで伸ばし、 みぞおちの裏の位置まで背もたれを高くした。 太股の押さえ・・浮き袋を利用・小さな浮き袋をカバーに入れ左右独立に空気で調節出来るようにした。 (座席横以上空気は逃げない為、浮き袋が足(もも)を押さえる) 一方 大林さんは 障害者のギブスを創る材質で座席を作って来たが・・(これは無理だなーと思われたが、 まずはテストだからこの座席をカヌーに取り付け、馬本さん用する事にした。) で、結果は ・・ 私の座席に・大林・狩谷さんが乗る・――・評価は ・・ぐあい良く大好評。 大林さんの座席は・――・馬本さんにはポジション取れず 不評だった。第2回目までに、私の座席をヒント に発展した物で、大林さんが作り、良い物ができた。 10/4 第2回目 (この日はテレビ取材あり・障害者の家族・テレビスタッフ・サポーターで大人数になる) 大林・狩谷さんは前回と同じ私の座席で快調、馬本さんは改良された大林さんの座席、これも大変 良いようだ。馬本さんは笑顔で鼻歌まで出ていた。 第2回目に乗った人 「大林さんが声をかけた人」 三沢さん・―――・馬本さんと 同 レベルの麻痺 (30歳代半ば)(へその裏の脊椎まで麻痺) (この日新しく7名集まったが、乗る、乗らないは大林さんの指示に従った・) 『次の問題が" 尻 "である。』 この2回目まで、知らなかった事・今までは背もたれと太股のホールドだけだったが、 次の問題が" 尻 "である。障害の程度によっては3分−5分で床擦れが出来るのである。 その為の座布団は、あるが高い。最近は安くなったそうだ30cmX30cmの空気座布団が4万5千円・ 以前は7万円だそうだ。これには、欠点がある、着座位置が高くなる事だ。 尻の問題は障害の程度で、大きく違う。人によってはお尻の肉がほとんど無い。すると、 すぐ床擦れが出来る。それを防ぐためには、何分に一度、お尻を浮かせて血を通わせる事が必要となる。 この事は平成11年から、大林さんが良い事を、思い付いて、ほぼ解決している。 この2回目の試乗経験で、目標は夏に原爆ドームから宮島大鳥居までの22キロを漕ぐのが夢 と言っている。( それまでに、まだ多くのツーリングを経験しておかなければ・・) 『テレビ取材のキッカケ』 ホームテレビ報道部 上月さん ・この日受付を家内がして私は誰が何の仕事なのか知らないでいた。 水の上でパドリングのアドバイスをしていた、「カヌーはすごく気持いいですねー」と話しになり、 「ええ、先日もここで障害者の人がカヌーに乗って大感激だった」話しをしたら、「次は何時ですか」 何時かは解らない、車イスの大林さんから連絡してくる、その日に合わせて私方はサポートの人員を 集める。こちらの体制が整ってはじめて出来る事を話した「ぜひその時は知らせて下さい 私ホーム テレビの報道部です」アッ・エー・私には決定権はないから大林さんの事を教えた。これが2回目の 試乗会10月4日にテレビ撮りの運びになり10月6日PM6;30 (6分30秒間)のニュースになった。 これには おまけが付いた。テレビ朝日のCS衛星放送で世界版、海外の日本人が見ている 朝日ニュース「ふるさと発」でも放送された。( 内容はホームTVと同じ 6分30秒 ) 『 障害者との付合い方』 私が最初に知った、障害者との付合い方は『目は離さず、手は出すな、』である。一番恐い事は転ぶ事だ。 その為に目を離すな、である。手助けはしないで、・・(愛情を持って、そっと手を添える程度) じっと待つ 但し転ぶ時の為の心の準備はしておく。 その人にとって、全てが、リハビリなのだから、手助けはしては成らないのだ。 大林さんの場合は階段を降りる時、私の肩を貸してあげるだけで良い、本人に合わせてゆっくり階段を 降りればよい。狩谷さん・馬本さんの場合はカヌーに乗せるまでの介護が必要だ。一人、一人全て違うから、 何を、「どうしてあげれば良いか」、を 尋ねる事だ。 馬本さんがカヌーに乗った時足が痙攣を起こす、(初めての時はビックリした)これもじっと待つしかない。 痙攣は足がまだ死んでいない証拠なのだから。したがって我々はじっと待ち、見守り、もしもの時の為に 心の準備と、、さらに一つ先の心の準備だ。 『マスコミ取材に付いて・・』 私は障害者の人たちを、カヌーセンターFujiの宣伝材料にしては成らない、と、自分自身で決めていた。 この事を彼たちから「誰か人に、何か言われたのか」と聞かれ、違うと答えたら、「自分達は同じ障害者 にも・世間にも、カヌーに乗ってる事が自慢で自慢でしょうがない」、「だから新聞も・テレビも、どんどん 出たい」 だから、いらぬ気を使わず、マスコミに売り込んでほしい、自分達のツーリングがテレビ番組で お金が稼げないだろうか???とも、言ってくれる。これは「カヌーセンターFuji」の稼ぎ少ない事の懸念 からだ、まこと「カヌーセンターFuji」の方が年収では、彼達に負けている。そんな気遣いで、馬本さんが、 ツーリングに来ない事があった、それを数日前に知って、私は困惑している。「カヌーセンターFuji」が 潰れたら、「自分たちの乗るカヌーがなくなる」 これが一番困る、と彼たちが言う。 この様に、ならない為にもがんばります、皆様のご協力のほど、よろしくお願い致します。 この文面をここに載せるか、迷いましたが、彼たちの思いでもありますので、載せる事にしました、ご理解下さい。 NO22001年6月3日教室 NO3障害者レスキュー練習 NO4障害者11kmツーリング NO5『世界遺産ツーリング』 「原爆ドームから宮島」平成13年9月16日 ついに 挑戦しました
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