「邪馬台国探訪記」は、『邪馬台国26XX』(幻冬舎ルネッサンス新書)として発売中です!
なぜ陳壽(『魏志倭人伝』)は、「邪馬壹(壱)国」と記録したのか!
なぜ倭王武は、「東征」、「西服」、「渡平海北」と言ったのか!
なぜ「倭(ゐ)」の文字を、「わ」と発音するようになったのか!
なぜ対馬から、多量の銅矛が出土するのか!
なぜ記紀は、四国を「伊予の二名の島」と呼ぶのか!
なぜ古事記には、四国・九州のことだけが詳細に記されているのか!
なぜ記紀には、邪馬台国の記事がないのか!
なぜ記紀には、「遣宋使」の記事がないのか!
なぜ「神功皇后紀」は、皇后を卑弥呼になぞらえたのか!
なぜ天孫は、日向に降臨したのか!
なぜ古代日本は、「倭国(わこく)」と呼ばれていたのか!
なぜ「大和」を、「やまと」と読むのか!
・・・・・・・
すべての謎の答えはここにあります。
ぜひお買い求め下さい。
(以下、「邪馬台国探訪記」の「第一部 倭人伝説 目次」を掲載しますので、ご参照下さい)
邪馬台国探訪記
第一部 倭人伝説
吉木 正實
邪馬台国探訪記
目次
第一部 倭人伝説
第一章 謎の女王国
1 女王国はどこにあったのか
得心がいかない九州説と畿内説/女王国は伊予国にあった/青銅器の出土状況からみた女王国の所在地
2 七万戸もの大国があったのか
奈良の都、人口二十万と比較すれば.../「南至投馬國、可五萬餘戸」はどう解釈すればいいのか/なぜ「南至」と記述されたのか
3 なぜ北九州諸国は女王国を畏憚したのか
女王国の水軍力、諸国これを畏憚す/高地性集落はなぜ築かれたのか
4 女王国の比定地と狗奴国
女王国の比定地はどこか/狗奴国はどこにあったのか
5 魏志倭人伝に記された女王国の領域
なぜ「奴国」は二度出てくるのか/「周旋五千里」とはどこか/「烏奴国」は「穴門(あなと)国」である
6 女王国を建国したのは誰か
倭人とはどのような人たちだったのか①/倭人とはどのような人たちだったのか②/馬韓で行われた国譲り/亡人の渡来と女王国の建国
第二章 倭国の侵攻
1 五王の一族はどこから来たのか
統一王朝の出現/倭国を建国した五王の一族/五王一族は渡来民族にあらず
2 空白の世紀になにがあったのか
女王「壱与」君臨す!?/朝鮮半島に侵出した倭国/「東征、西服、渡平海北」の条件を満たす地方はどこか/女王国は存続したのか
3 中華帝国に「除正」を求めた五王
謎の統一王朝/除授を賜った五王/「以って忠節を勸む」と上表
4 上表文は誰が書いたのか
倭国に文字は無かったのか/「持衰」、「大夫」に対する疑問/卑弥呼も「上表」していた/倭の五王は文書外交をしていた
第三章 「亻+妥(=以下タイと表記)国」への疑問
1 なぜ隋書は倭をタイ(たい)につくるのか
隋書は倭をタイにつくる/「タイ国」は存在しなかったのか
2 なぜ、いつから「倭=わ」と発音され始めたのか
「倭」の音は「ゐ」であった/金印の「委」は「ゐ」の音ではないのか/「倭」が「わ」と発音されるようになったのはなぜか/それはいつの時代のことだったのか
3 中華帝国の冊封体制から離脱したタイ国
奴国・邪馬台国・倭国は中華帝国の臣下だった/独り歩きを始めたタイ国/大隋に教えを請うたタイ国/大隋の臣下となることを拒んだタイ国
4 「タイ国」の正体
五世紀の「大倭」王/タイ国とは「大倭(だいわ)」国である/なぜ「亻+妥(=タイ)」の文字を選んだのか
以下、「第二部 葦原の中つ国の神話と伝承」へと続きます。