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●計算する道具


17世紀になると、計算に時間がかかる筆算やソロバンにかわって、計算に便利な道具が工夫されるようになりました。

ジョン・ネピア

ネピアの棒

ジョン・ネーピア(1550-1617)はスコットランドの領主で数学の勉強をしているうちに、乗除算がもっと簡単にできないかと工夫を重ね、ネピアの棒と呼ばれる計算の補助道具を発明しました。

図でもわかるように、簡単な仕掛けです。九九が書いてあるだけです。
斜めの線で答えの10の位と1の位を分けています。

使い方も簡単です。

375×48を計算してみましょう。
被乗数になる3、7、5の棒を図のように並べます。
乗数の下の桁8の段を見ます。
      
次に乗数の上の桁4の段を見ます。

         

掛け算や割り算はは九九を知らない当時の人にとって、かなり面倒な計算でした。ネピアの棒は知識人に広く使われたようです。乗除算だけでなく、平方根を求めるにも使われていました。

対数の発見

ネピアは歴史上では対数を発見した人として知られています。ネピアは 数のべき乗の性質を研究して、あらゆる数字をべき乗の形で表わせば乗除算が加減算で行うことができることを発見し、対数と言う概念を発表しました。

その後オックスフォード大学の数学者ヘンリー・ブリックス教授は生涯をかけて10万までの常用対数表を作りました。

ウイリアム・オートレットの計算尺

その後対数は広く受け入れられ乗除算を便利にしたほか、応用製品として、イギリスの牧師ウイリアム・オートレットは1621年に計算尺を発明しました。当時は2枚の板に対数目盛が書かれていました。
オートレットの計算尺はたちまち人気商品になり、今日電卓が世に出るまで使われました。
それだけ計算する道具が求められていました。
  最近まで使われていた計算尺

パスカルの計算機

ブレーズ・パスカル(1623-1662)はフランスの哲学者、数学者です。「人間は考える葦である」と言う言葉をパンセの中に残しています。

パスカルの父は税務官吏で、毎日膨大な数の計算に追われていました。 1639年、パスカルはこれを見て、16歳のときに機械式計算機の制作を思い立ちます。 その後研究を重ねた結果、0〜9の数字が書かれた歯車を鉄筆で回転させることで、加算を行う機械を作りあげました。この計算機はパスカリーヌと呼ばれています。

パスカルの計算機は加算器で、減算は補数を加算することで行っていました。乗除算は加減算を繰り返していました。

最終的に50数台を作りましたが、売れるまでにはいかなかったようです。それでもこの機械をヒントにこの後いろいろな人が機械式の計算機を作っています。

ライプニッツの計算機

ゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ(1646年-1716年)はドイツ・ライプツィヒ生まれの哲学者・数学者。
微積分法を発見し、それに対する優れた記号法を考案しました。現在使われている微分や積分の記号はほとんど彼が考案したものです。
同じ時期、ニュートンも、異なった視点から微分積分法を発見しました。二人は優先権をめぐって四半世紀にも及ぶ熾烈な争いが展開されました。

1672年ライプニッツは加減乗除ができる計算機を作りました。加減算はパスカルの計算機と同じ構造になっていますが、乗除算ができるようになっていました。乗除算は突起の付いたドラムをハンドルでまわして使用します。

シャルル・トマのアリスモメーター

シャルル・トマ(1785-1870)はフランスの人で、ラ・ソレイユ保険と言う保険会社を経営していました。かれは自分の業務のために正確な計算がいかに大事かと言うことを実感し、1870年「アリスモメータ」と言う計算機を機を発明し特許をとって発売しました。商用で製作された本格的な機械式計算機はこれが初めてでした。

数字は歯車を回すのではなく、各桁に対応したレバーを引いてセットするものでした。掛け算はセットした数をかける数だけクランクをまわして計算するものです。彼の計算機は1500台ほど生産されました。

その後、技術者によっていろいろな改良機が発売されました。これらの計算機はコンピュータが発売されるまで広く使用されました。

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