水の惑星
(2000/03/08作成)
清里“千が滝”

 いわゆる古代文明と呼ばれるもの、エジプト、メソポタミア、インダス、黄河。そのそれぞれが大河に接して誕生している。当時地球は寒冷化に向かっていた時期にあり、北方より諸民族が移動してきて生まれたものとも言われる。
 生き物が生存する上で、水が必要なことは言うまでもないが、文明を育むためにはより多くの水を必要とする。古代文明が大河に接して発展したのは必然とも言える。

 水が育むもの、その一つは森林であり、古代では燃料、建築資材などに用いられていたのであろう。また、その森林は都市に対しての水の供給源ともなり、人々の生活を支えてきた。
 都市化によって生じる現象として、水の供給源と、その消費地が隔たることが挙げられる。古代エジプトでは供給源であるナイル源流の森林が遠く隔たっていたが、その他の文明では、森林伐採によって、土砂の流入、気候の温暖乾燥化が進み、文明の衰退を招いたとも言われている。水の利用技術の高さは文明のバロメーターとも言えよう。

 この地球では水はひとつの循環系をなしており、太陽のエネルギーで海より蒸発した水は雲となり、雨を降らせる。地上に降り注いだ雨は土壌に浸透し、木々を潤し、川を伝いまた海に戻る。この海水を浄化淡水化する巧妙なシステムが、地上の動植物の繁栄を支えてきた。この星を「水の惑星」と呼んでもよいであろう。

国宝 那智滝図 根津美術館蔵 我が国では、不思議なことに水は自明の存在として認識されている。「湯水の如く」という言葉で表されるように、豊富な降水量にも支えられ、水の存在は自然そのものであり、苦労して手に入れなければならないものではなかった。「瑞穂の国」と言い表されるように、日本は最も水に恵まれた国の一つだと言えよう。

 葛飾北斎は「富岳三十六景」の中の「神奈川沖浪裏」で、水の持つ力をダイナミックに描いた。鎌倉時代に描かれた「那智滝図」が、そのエネルギーを内に秘めた形で表現しているのに対し、「神奈川沖浪裏」では水の持つエネルギーを画面一杯に解放し、波はその力に翻弄される船とともに、霊峰富士の前で踊っているように描かれている。この浮世絵はヨーロッパに紹介されるや否や、かの地の芸術家たちに熱狂的に迎えられた。
 一方山水画の世界では、水は墨を付けない地の白として表される。それは不思議なことに空と同じ表現を取る。この国では水は清く澄みわたり、空の青さを写し込む鏡のように考えられていたのであろうか、あえて描き込む必要のない存在と考えられたのかも知れない。近代日本画においても、陽光に満ちた明るい存在として描かれていることが多い。横山大観の「漁村の曙」では、空と海の境界線すら定かではなく、遠景では双方が融合しているような表現がなされている。


 これらのことは、我々日本人の水に対する感性を表しているのかもしれない。水は大気と同じように絶えず流れ、形を変え、捉えがたく漠然としたものとして存在している。その水が大きなエネルギーを持って、その姿を我々の前に現したとき、始めて畏怖の念を抱くのである。我が国では滝が神格化され、信仰の対象になることが珍しくない。前述の那智の滝などはその代表的な例である。実際滝の側に立ってみると、水滴が飛び散ることによって周囲の空気が冷却され、えも言われぬ清々しい気分になる。滝壺の深く澄んだ色を目にすると、そこに神が宿ると感じたとしても不思議ではなかろう。

ポン・デュ・ガール 古代ローマでは、清澄な水を都市に供給するために多くの水道橋が建設された。その中で最も有名なものは、ローマ帝国の初期、現フランスのプロヴァンス地方に建設されたポン・デュ・ガールで、世界遺産にも指定されている巨大な水道橋だ。この橋はモルタルなどの接着材を用いず精巧に積み上げられており、当時のローマの建築技術の高さには驚くほかない。しかしローマ帝国の滅亡後は維持管理が出来なくなり、9世紀以降は放棄された。導水路部分は建設資材として解体され、かろうじて水道橋部分のみが後生に伝えられた。水を守ることなしに文明が栄えることはありえない。この教訓を現代に生きる我々はどう受け止めるべきであろうか。

トップの写真はANNさんのご厚意で掲載させていただきました。

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