出身地 :徳島県 美馬郡 半田町 上喜来 大字 山の奥 字 山の中
社会人の人生の第1歩となる入社試験を徳島の田舎から受験のために一人で上広したが、初日から25分遅刻した。というのは、岡山駅から広島駅間の特急とこだまを乗り間違え40分ロス。(当時、新幹線はまだ無かった。)更に遅れているのに何故か、国鉄バスで広島駅前から向洋駅前までのバスに乗り15分ロス。(電車もしくはタクシーなら15分早かった。)向洋駅前バス停から東洋工業正門への横断が出来ずに10分ロス。(当時は正門前に、横断歩道が無く、地下道を自分で見つけることが出来なかった。焦っているのに横断歩道はないし、かといって入社試験の当日から信号無視で歩行者横断も出来ずに…)余裕を30分見ていたので計25分の遅刻。係員から少々遅れても試験で取り戻せばよいとの励ましとも、おまえはもうダメとも受け止めれる言葉を胸に受験したのたが未だに忘れられない。その時の教訓「もっと余裕を持って行動せよ!」その後、入社試験会場で、私の人生を変える男、同じ受験生の岡が出現。これがおもろい「やつ!」で、後々に一緒に漫才をやるはめに。
オイルショック前の入社試験の難関を突破し(オイルショック後だと受からない)、大企業である東洋工業に入社。私は岡だけは試験に落ちているだろうと思っていたがなんと彼も入社式に来ていた。
- 1974年 7月 サマージャンボリーでダブル岡(柏岡と岡で)として漫才を披露(大盛況)
当時のギャグ 「ナンヤネン」が大流行
3岡トリオ(柏岡、岡、平岡で)結成し漫才を披露(東洋工業の寮祭等に出演)
東洋亭 白糸 (とうようてい ホワイト)命名
- 1975年 2月 東洋工業内で第1回爆笑寄席を開催。「牛ほめ」でデビュー。その後定期的に年2回のペースで定期的に開催。
- 1976年 10月 広島落語連盟を設立(東洋工業落研・市役所落語村・広島大学落研・広島修道大学落研・広島経済大学落研・広島工業大学落研等で)
- 1978年 7月 東洋亭 白糸独演会を開催(大阪から北へ行くネタを3話披露 「牛ほめ」、「無精の代参」、「池田の猪買い」)
- 1978年 7月 大阪へSEセールス出向(広島落語連盟の連中20人位が広島駅の新幹線ホームへ見送りに来てくれて非常にうれしかった。)
得意の話芸と人柄の良さ?で車を売りまくり、新人銀バッチを獲得とか台湾旅行を獲得。また大阪で開催される落語はほとんど聞きに行った。そんな暇があったら車を売れちゅうの
- 1979年 3代目 松鶴 十三夜(1話づつ13日連続)を聞きに行って感動した。
1年延長の上司からの要請を蹴り無事広島に帰広。しかし、その時からサラリーマンとしての出世
街道はたたれる。柱 笑福(はしら しょうふく)と改名 。
- 柱2人会開催 (柱 笑福(花筏・犬の目)と 柱 笑康(ちしゃ医者・子猫)が2話づつ)
- 1983年 東洋工業落研解散(メンバーが次々に東洋工業を退職しメンバーがいなくなった。)
- 「広島笑い庵」を結成しプロの前座を何回か努める。西広島駅近くの山手町に能舞台が完成し、そこで毎月1度のペースでプロを呼んで落語会を開催していた。プロを呼ぶとなると足代とかで最低でも10万円はかかるが1000円のチケットで70人くらいがやっとで毎回赤字により、月1回が年4回になりついに中止。しかしオーナー(宇野さん)のおかげで3年位は続いた。
- 1986年に私の落語活動も笑い庵と共に休演。普通の男の子に戻った。
- 1998年 2月 まさに2000年を目の前にして柱笑福の心のどこかで落語を捨てきれずにくすぶっていたのが一気に炎となって現れ、南区民文化センターにて13年間の充電期間をおいて再デビューした。
- 1998年 6月 広島で活躍中の素人落語家、漫才師等で
広島演芸協会を設立。副会長に任命される。
- 老人ホーム・公民館等の寄席に月八回〜十回のペースで出演。
- 1998年 出演回数 6席
- 1999年 出演回数 28席
- 2000年 出演回数 33席
- 2001年 出演回数 38席
- 2002年 出演回数 58席
- 2003年 出演回数 77席
- 2004年 出演回数 75席
- 2005年 出演回数 91席
- 2006年 出演回数 91席
- 2007年 出演回数 103席
- 2008年 出演回数 124席
- 2009年 出演回数 152席(106箇所)
- 2010年 出演回数 138席(99箇所)
- 2011年 出演回数 135席
- 2012年 出演回数 136席(100箇所)
- このように鰻のぼりの出演回数の増加に対して、家族の談 「身も知らずの人を喜ばすより、まず家族を喜ばせてくれ〜」。
- 落語実演のほかに、講演「落語的コミュニケーションのすすめ」も受け付けております。
- 今までに数多くのTV・ラジオ出演、新聞記事掲載がありますが記録に残っていないので残っている分だけでもリンクを張って残すことにしました。
2000/10/31 中国新聞
2004/5/29 朝日新聞 もう既に記事がなくなりました。早いこと早いこと!!
2005/02/18 RCCラジオ「本名正憲のゴゴイチ」に生出演し笑福の自作小話[ありとはと」を披 露しました。
2006/03/07 RCCラジオ「本名正憲のゴゴイチ」に生出演させて頂きました。
その後沢山のご予約を頂きました。本当に有難うございました。
2006/03/09 中国新聞 情報交差点に取り上げていただきました。
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