平成10年裁判Q&A

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現代社会には物があふれ、人々の価値観は物によって左右されています。こころではなく物によって幸せをはかるときこころは荒廃して、人は幸せの中にいながら幸せをあじわえなくなります。信仰はこころのオアシス、荒廃したこころに一点の光明をもたらす救いとなります。しかし、見識に導かれた信仰は救いですが、盲目的信仰はアヘンとなります。

「老後の別荘」「福祉の理想郷」と説明した浅尾法灯

「病院付きの老人ホームページ」が建つと信じた会員だか実際建ったものは

浅尾法灯は「福祉の理想郷・般若の里」の建設をかかげ、 会員にむけて 建設の為の資金として「まごころ協力」を呼びかけました。「100万円だした人は無条件で老人ホームにはいれるのです。病院付きの老人ホームですよ、年をとっても何の不安もない老後が待っているのです。」といいました。講演では「アスワン山荘も病院も私が建てた、私が経営している」と自慢しました。会員は、浅尾法灯のこの言葉に「施設の柱一本、釘一本まで私たちのまごころで建てられたのだ」と思い疑いませんでした。ところが実際は違っていました。建設されたのはどこにでもある病院と軽費老人ホームでした。「会員のための老後の別荘を会員のまごころで建てるのです」という、浅尾法灯の呼びかけとはまったく違うものでした。この現実にもと会員は「これは詐欺ではないのか」と浅尾法灯を告訴したのでした。

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山口地方裁判所

多くの皆さんから「このホームページを見て」と前置きをして、数々の疑問が寄せられました。その疑問にズバリ答えることは難しいことです。しかし、被害者にならないための知恵を共に学びたいと願い、真実のみをあきらかにすることにしました。ここで述べられていることはすべて真実です。なを、警察署が我々の味方ということではありません、警察はあくまでも公平、中立です。

question

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「まごころ返還請求」の裁判を起こしたのはなぜなの

answer

aa7.gif浅尾法灯は講演会の中で、人類救済に全人生をかけているかのごとく、壇上から会員にいいました。原告元会員は浅尾法灯が人生のすべてを人類救済と会員のために捧げておられると信じたからこそ「自分は裸になっても、浅尾不当のいわれるままに協力しよう」と食べるものも食べず、着るものも着ずに「まごころ」に「お礼」にとお金をだしてきました。

・浅尾法灯「会員の皆さんが安心して老後がおくれる、病院つきの老人ホームを皆さんの力で建設するのです。親が子を、子が親を捨てる時代ですぞ、老後の安心は子をあてにしていてはだめなのです。だからこそ、皆さんの手で皆さんの老人ホームを建てるのです。これは生命保険よりも確かな安心です」と「まごころ協力」を呼びかけました。

・初めの頃は「100万円だせば家族は保証される」ともいいました。だからこそ会員は生命保険を解約してまでも「まごころ協力」に全財産を注ぎました。

・浅尾法灯「般若の里建設には50億円必要です。50億円集まったらまごころ協力をスットプします」ともいいました。しかし、建設の見積もり書の掲示もなければ、建物が建っても決算書報告もありません、いつ果てるともなく「まごころ協力」の呼び掛けは続き、さらには、「まごころ協力が徳積みである」と言葉をかえました。

・浅尾法灯「勉強したこともない古代インド哲学が浮かんでくるのです。この本はただの本ではありません」と著書を説明し「本を買うことが徳積みである」といわれて会員は何百冊も買わされました。

・原告元会員は浅尾法灯の言葉を真実まちがいないものと信じて「まごころ協力」をし、それ以外に「お礼」をしてきたのです。浅尾法灯が青少年にワイセツ行為を重ね、青年部員や出版局員をターゲットにしているような裏のある人物だと分かっていれば、決して「まごころ」や「お礼」はしませんでした。
「全国感泉で夜寝る間もない」といいながら、ゲイバーめぐり、芝居見物三昧の生活をおくっていたことが分かっていれば、着るものも着ず、食べるものも食べず、生命保険を解約してまでも「まごころ協力」や「お礼」はしませんでした。
しかも浅尾法灯は自分の過ちが原因で出版局員や青年部員が脱会し、さらには浅尾法灯に失望して会員の脱会が続出すると、自分の過ちを反省するどころか「キリストも同じような苦しみをあじあわれたのです。世の聖職者はこのような法難に遭っているのです」と反対に、ありもしない作り話を吹聴するなど、宗教家として許せない行為の数々に、原告元自然の泉の会員は「自然の泉被害者の会」を結成して、山口地裁に告訴したのです。

question

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浅尾法灯は会員に「皆さんの力で皆さんの病院を建てるのです」といって「まごころ協力」を呼びかけたのでしょ、それがうそならなぜ原告会員の訴えが認めてもらえないの

answer

aa7.gif自然の泉の新聞には初め「泉病院」と書かれていました。浅尾法灯も講演会では「皆さんが建てた皆さんの病院です」とか「法灯は講演もして病院の経営もしなければならない、本当に忙しいのです」といっていましたから会員の誰もが「宇部第一病院は私たちが建てた、柱一本、メスひとつも自分たちのまごころで買われたものだ」と信じていました。

裁判において浅尾法灯は証言台で「生命保険よりも確かな安心、100万円だせば老後は安心、病院は自然の泉が建てた、法灯が経営している、などといったことはありません」とすべてを否定しました。原告弁護士の「自然の泉の新聞には、泉病院の建設、五十億円で建設、会員同士が安心して送れる別荘と明記してありますよ」と指摘されましたが「泉病院の建設は私の夢を語ったのです。50億円で建設はウベニチ新聞社が勝手に書いたんです。老後の別荘の話は大野先生が自分の夢を語ったんです」と答えました。

民事裁判では証言者の裏(証言が真実かうそかを調べること)をとりません。また、100人の証言者の言葉よりも一つの証拠が重要なのです。浅尾法灯が20年以上壇上で会員にいっていたことで、会員の誰もが聞いて知っていることでも、浅尾法灯「いったことはありません」と証言すれば、証拠のテープを提出しない限り浅尾法灯の証言をうそ(黒)にはできないのです。「原告会員が生命保険を解約してまでまごころをだしている事実を考えれば、おそらく浅尾法灯は会員にむけて、原告会員が述べているようなことをいっていたのであろう」という状況証拠では、灰色であっても黒にはならないのです。裁判は「疑わしきは罰せず」が原則ですから、灰色では有罪にならないのです。

また、裁判長は判決文の中で「原告の会員の多くが、自然の泉に在籍中に自然の泉への不信感を持ったといっているが、その不信感を浅尾法灯に対して問いただした形跡がない」と原告会員の態度を指摘しています。
不信感を持っていても浅尾法灯に問いたださなければ、浅尾法灯の行為を認めた、許したことと同じだと判断されたわけです。浅尾法灯を釈迦、キリストのように信じている自然の泉の会員が、浅尾法灯に疑いを持ち、問いただすことがができない信者の心理は裁判では通用しないのです。

question

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浅尾法灯は会員に「生命保険よりも確かな安心」といって「まごころ協力」を呼びかけたのでしょ、だからこそ会員は生命保険を解約してまでも「まごころ協力」に全財産を注ぎこんだのではないの、これが認められないの

answer

aa7.gifアスワン山荘は建設時1000万円程の融資うけたにすぎず、他は国や県からの融資により建設されたのです。土地は「建設地がアスワン山荘の所有地でないのはまずい」の県の福祉課の言葉に仕方なく提供したものです。土地を提供したといっても山林の値段はしれたものです。自然の泉被害者の会に告訴されるとあわただしくアスワン山荘に多額の寄付をし、特別養護老人ホームを建てる資金を融資するなどしています。この事実は浅尾法灯が会員に呼びかけてきた話と大きく食い違います。

浅尾法灯は裁判の証言で生命保険よりも確かな安心などといったことはありません」といっています。原告の訴えをすべて「いったことはありません」と否定しています。

question

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浅尾法灯側証人として、筑波大学助教授の斉藤泰嘉氏が立ったけど、証言はあきらかに作り話じゃない、裁判は何をいっても許されるの

answer

aa7.gif民事裁判は証言の裏をとりませんから、証言者の正義を信じるしかありません。浅尾法灯も斉藤泰嘉氏も証言の前に「私は何事も隠さず、何事も付け加えず、真実のみを語ることを誓います」と誓って証言台に立つわけですから、あとは個人の良心、正義感を信じるしかないのです。斉藤氏の証言は浅尾法灯の作り話の証言にそったものですが、被告側証人ですから当然でしょう。

question

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浅尾法灯はさかんに「まごころ返還請求の裁判は、元出版局の奥田氏がお金が取れなかった腹いせに会員にありもしない話を吹き込み、先導して起こしたものだ」といっているけど、本当なの

answer

aa7.gif時間的に無理です。裁判を起こすためには訴状を裁判所に提出しなければなりません。
その過程を説明しますと、はじめに原告全員が弁護士への委任状を書かなくてなりません。次に原告全員が訴状に添える陳述書を書かなくてはなりません。陳述書とは告訴する被害者が被害にあった状況や程度、時期、理由などをきちんと述べたもので、これがないと告訴できません。何十人かの人間が弁護士への委任状と陳述書を書き終えるだけでも半年はかかります。さらに、陳述書を見て弁護士が訴状を作成します。それから、被害者の会が結成されて弁護士へ着手金が支払われます。
「自然の泉被害者の会」の場合、原告元会員の依頼をうけて奥田氏と青年部員4名で、山口市の塚田法律事務所に相談にいったのが平成9年の5月初めです。塚田法律事務所の弁護士のアドバイスを受けて広島の現弁護士に相談をしたのが5月の中ごろです。告訴が平成10年8月ですから1年以上かかっています。裁判には日常の感覚では驚いてしまう程、時間がかかります。裁判を待たずに、あるいは裁判の最中に年老いた原告が亡くなるというのも無理ありません。

question

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浅尾法灯は裁判所に提出した陳述書で、ありもしない作り話をでっち上げたというけど、詳しく教えて

answer

aa7.gif(2)本件訴えの前の平成9年7月、自然の泉および私(浅尾一行)に対して奥田氏ならびにM氏(元出版局員)の2名が、退職に際し、退職金とは別に功労金の名目で6千万円の支払いを要求する「和解金請求訴訟」を提起したのです。しかし、奥田氏は裁判で全面敗訴し、その悔しさから、奥田氏等が怪文書やミニ集会でありもしないでっちあげの作り話を流し、惑わせ脱会させた元会員を募り、本件の訴えを提起したものと思います。-省略-奥田氏が退職後に知ったのですが、たびたび給料の前借りもしていたようで、お金に行き詰まり在職中に自然の泉出版局員を扇動し5名が退職、退職時に功労金名目で退職金以外にお金を要求するというシナリオを描き、それを実行したのです。(浅尾法灯陳述書抜粋)

元編集部員の奥田氏はすぐさま浅尾法灯の「陳述書」を宇部市警察署に届けると共に「このようなうそを書かれて黙ってはおれません」と説明して、浅尾法灯の自宅にハンドスピーカーを持ってでかけて抗議をしたのです。「浅尾法灯よ、作り話の陳述書を書いて、おまえはそれでも宗教家か、恥ずかしくはないのか、編集部員にワイセツ行為をしやがってそれを作り話にできるとでも思っているのか」との抗議の声は浅尾法灯の自宅がある地元亀浦地区にひびき渡りました。このような状況の中で浅尾法灯は驚いて反論もせずに、雨戸を閉め切って閉じこもったのです。

question

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浅尾法灯の裁判を有利にしようと、作り話の陳述書をだした会員がいるとゆうじゃない、こんなことが許されるの、

answer

aa7.gif乙第81号証 平成13年7月29日記述 陣川晴治 山口県宇部市居能町(現在・宇部市二俣瀬にある老人ホームページ)
義母は自然の泉で30年近く人間勉強をしておりましたが、奥田氏らに惑わされ講演会にも参加せず、人間勉強を怠っておりました。長年積み重ねてきて、生きる支えとしていた自然の泉の教えから離れ、友達づきあいも断ち、家に ―省略― こもって寂しそうにしている義母を見るのが辛くてなりませんでした。(陣川陳述書抜粋) 

元編集部員の奥田氏は、自然の泉在職中も退職後も、陣川清治の義母と会ったことも話をしたこともなく、陣川が述べる「奥田氏らに惑わされ」の言葉に思い当たらず、平成13年10月15日、陣川に対して内容証明郵便にて「貴殿の義母が私の言葉で惑わされて苦しまれたという、根拠をお知らせ下さい」と返答を求めました。しかし、陣川から何の返答もありませんでした。奥田氏はこのことを宇部警察署に報告して「ありもしない事を陳述書に書いて、裁判所に提出するのは犯罪行為ですから、陣川にどこまでも釈明を求めます」と説明をして返答を求める抗議をおこなったのです。
またこの話には余談があります。14年3月25日、浅尾法灯への抗議のための道路使用許可申請を宇部警察署でたびたび受けていた奥田氏と運転免許書の更新のためにきた陣川清治とが宇部警察署で遭遇したのです。奥田氏は「陣川ではないか」と忽ちどんぱちが始まり、陣川はひたすら「私は弱い人間だから」といい続けた。詳しくは隠ぺいのページで

question

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宗教でだしたお金って裁判をしても返って来ないって聞いたけど、本当

answer

aa7.gif宗教の多く、とくに病気の信者に「病気が治る」と期待を持たせる宗教は奇跡的なことを宣伝文句にしたり、人知で思議できないことを素晴らしさのうたい文句にしています。そういう宗教の信者は教祖の言葉や教えに盲信的にしたがい、お金をだしたりします。しかし様の声やお告げ、霊感的なものを信じる信者は常識的ではないのです。ありていにいえば、常識的でない教祖の言葉を信じる信者も常識的ではない、「釈迦、キリストと同じ方だと信じていたのにそうではなかった、お金を返してください」と訴えても、裁判所は「釈迦、キリストと信じたのはあなたの意志でしょう」と相手にしてくれないのです。「裁判所が相手にしてくれない」といってはいけないですね、受理してくれますが信者の言い分は通らないでしょう。お金をだしたものが無知なのです。

question

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日本における宗教被害の裁判の展開とみとうしはどうなの

answer

aa7.gif宗教の裁判はあきらかに信者が不利なのが日本の裁判の現状です。感情では騙したと分かっても法律で裁くことが出来るかが問題なのです。「まごころ返還請求」の裁判は「まごころ」のみが審議され浅尾法灯のワイセツ行為、親声のうそ、掛け軸のうそ、全国講演のうそ、我象身代りのうそ等は本裁判では審議の対象外で裁かれないのです。しかも、刑事裁判のように証言者の証言の裏を取りません。これが日本の民事裁判なのです。現在裁判員制度が行われ始めました。アメリカの裁判のように陪審制に近くなれば判決も変わるかも知れません。

question

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自然の泉の会員の中には「救ってもらった法灯先生に反旗を翻すなんて、なんと恩知らずな」という人がいると聞くけど、どうなの

answer

aa7.gifそれは個人の考え方ひとつでしょう。病院の医師が、「主治医からワイセツ行為をされた」と患者から訴えられたとして、この時「救ってもらっているのに、恩知らずが」と周囲がいいますか。まして宗教家は、人の模範となる人格があればこそ信者が寄付をするのでしょう。宗教家の人格を信じたから無理してでも、宗教家にお金をだすのではないですか。「教祖が何をしてもいいです」という信者は見識を失っているとしかいいようがありません。宗教の救いは、教祖と信者が教えを学びあい共に人間としての向上を目指すところにあるといえます。