自然の泉告訴した理由 1





わいせつ行為を暴く・自然の泉被害者の会制作

編集部員・青年部員をホモのターゲット
わいせつ行為がばれると「恐喝された」とでたらめ

浅尾法灯に愛想をつかした編集部員は浅尾法灯に決別し脱会、退職をいいわたしました。このとき浅尾法灯は彼らに償い料を支払うと約束し、のちに出版局で支払いの取り決めをし「念書」を作成しました。ところが間もなくしてもと編集部員に弁護士から「恐喝罪で告訴するぞ、謝罪にくれば許す」という通告書が送付されてきたのです。若い編集部員2名は驚き恐れて弁護士のもとへ謝罪にいくものの、もと編集部員3名は浅尾法灯の汚いやり方に激怒、浅尾法灯を告訴したのです。。

出版局員が全員退職
 
平成5年(1993)6月、浅尾法灯わいせつ行為に耐えられなくなった自然の泉出版局編集部員3名が出版局を退職する事件がおこりました。この時彼らに償い料を支払い、事件は納まりました。しかし、これを機会に浅尾法灯の性癖は世間の人々に知られるようになり、多くの会員が密かに語り伝える状態になりました。さらに事務所内で行われているデタラメな金使いなどが、話されるようになりました。
 
浅尾法灯の性癖はおさまるどころかエスカレートするばかりで、出版局員が退職した事件を知る青年部員は、出版局編集長の奥田氏と「このままでは浅尾法灯のことは世間に知られてしまう。自然の泉は世間から変態の集団と思われたしまう、何とかしなくては」と相談を続けていました。
 
平成8年(1996)、編集長の奥田氏は青年部員の一人から「飲み屋でも、先生のわいせつ行為の数々が話されている。会員も山口県下かなりの人が知っている。編集部の者はそれを知って何もしないのだから同類だといわれている」と聞かされ愕然としました。以来、平成5年6月に3人の出版局編集部員が退職した後に、新たに出版局に就職した出版局員と青年部員は「このままでは自然の泉は世間の笑いものだ、いることはできない、仕事ができない」と打開策を話し合ってきましたが結局「出版局員が浅尾氏に直接問いただす以外にない」と青年部員にいわれ、平成9年(1997)2月14日、出版局員全員(5名)が浅尾氏の自宅にて浅尾法灯に問いただしました。
 
平成9年2月14日・出版局長の奥田氏は浅尾法灯に「前回(平成5年6月・浅尾法灯のわいせつ行為により編集部員3名が退職し、3名に慰謝料を支払った事件)のとき、あなたは私に『この度の事はすまん。これからの法灯を見てくれ』と土下座して謝罪したではないか、それがこのざまか」と大声で怒鳴り上げると、他の編集部員も「世間は編集部員も浅尾法灯と同じホモの仲間だといわれているんですよ」と浅尾法灯につめより、出版局員のひとりは「もう先生をかばいだてすることはできません。もう疲れました」といい、出版局員全員は退職を浅尾法灯に告げたのです。
 
出版局員が自室にもどり自分の荷物を片付けていると浅尾法灯が現れて「すまん、ついては償いがしたい」と自分の非を詫び、出版局員に償い金を払うことを申しでました。このとき償い金の金額を後日に極める事をきめ、出版局員は全員出版局をでたのでした。
 
後に、償い金の金額は平成5年6月に退職した出版局員に支払れた償い料をもとに、計算されました。この時、2ヶ月勤務のF氏に400万円、1年勤務のA氏2年勤務のS氏にそれぞれ1千万円づつが支払われましたので、20年勤務の奥田氏や15年勤務のO氏をこの割合で計算すると膨大な金額になってしまいます。そこで全員の金額を大幅に少なくしました。それでも全員の合計償い金は億に近いものになりましたが浅尾法灯の資産からすれば大したものではありませんでした。
出版局長の奥田氏とO氏は浅尾法灯の資産が5億以上あるのを知っていましたから、「長年に渡り編集部員をホモのターゲットにしてきた償い」であるから、高いとは思いませんでしたた。浅尾法灯は同意し、この時、出版局員が「先生約束をきちんとした証書にして著名捺印してください」と申しでると、「君たちとの仲ではないか、証書は必要ない」と証書の作製を拒否しました。しかし、浅尾法灯は約束を平気で破る人間だと知っている編集部員は「念書」にすることにこだわった、難色を示していた浅尾法灯でしたが、編集部員の要望により念書を作成し浅尾法灯は著名捺印したのです。
 
ところが浅尾法灯は時間がたつにつれ編集部員にお金を支払うのが惜しくなってきたのです。しかし、著名捺印した「念書」を作成しています。そこで、取引先の「山口銀行」の役員に「恐喝された」と被害者を装って相談に行ったのです。浅尾法灯の話がでたらめだとは思わない店長は驚いてすぐさま顧問弁護士の平岡弁護士を紹介したのでした。
 
間もなくして(3月21日)、編集部員全員に弁護士から「謝罪にくれば許す、こなければ恐喝罪で告訴するぞ」と内容証明郵便が送りつけられたのでした。弁護士からの「通告書」ですから、平凡に暮らしている者は驚きます。驚いた編集部員2名の両親は理由もないまま弁護士に謝罪をしたのでした。
浅尾法灯のやり方に「宗教家として許せない行為」と激怒したのがもと出版局長の奥田氏とM氏とO氏でした。すぐさま、平岡弁護士に対し「出版局を退職する原因が浅尾法灯にあり、償いは浅尾法灯がいいだしたことであり、恐喝した覚えはない」と回答書を送付したのでした。
 
間もなく、浅尾法灯による「でっちあげ」「でたらめ」の流布が始まりました。これを浅尾法灯を盲目的に盲信する信者が協力しました。
編集部員が退職して動揺した浅尾法灯は3月の講演会ができなくなり、急きょ中止すしました。この時「中止を知らないで会員が会場にくるかも知れない」と、講演会当日に親泉隊員が総合本庁に派遣され、そこへ事務局の藤中、西山両氏がタクシーででむき、自分の言葉を信じ込みそうな隊員だけを集めて「奥田が色きちがいになって、ありもしない話をでっちあげて先生を脅してきた」とでたらめを説明したのです。
さらに、下関の会員の河野は「元編集部員の奥田やOが新しい宗教をはじめようと仕組んだことで、奥田が色きちがいになってありもしない話をでっちあげた」などと下関の会員に流布してまわりました。
山口県宇部市佐山のY氏と宇部市厚南の中野君子の会員2名も、会員の自宅を一軒ずつまわってはこの話を流布してまわりました。
 
このように、人間勉強を説きながら裏では、青年部員や編集部員をホモ行為のターゲットにしておいて、それがばれると今度は「恐喝された」と被害者の編集部員に罪を擦りつける浅尾法灯に対して「許せない」と
もと出版局員長の奥田氏とM氏が浅尾氏を告訴した裁判が「平成九年(ワ)第一二九号 和解金請求事件」なのです。