自然の泉による人身事故ねつ造

わいせつ行為を暴く・自然の泉被害者の会制作

  身に覚えのない人身事故をでっちあげ

街宣車を運転中「おまえ人を跳ねたじゃろう」と確保される

もと浅尾法灯付き人の若林伝氏が街宣で宇部市八王子町を走行中、後ろから来た宇部警察署の警備課長より「あんたは交通事故を起こして末武を跳ねたじゃろうが」と声をかけられ警察につれてゆかれた。
若林氏が自然の泉出版局の末武祥治をはねて大怪我をさせたという。しかし、若林氏にはまったく覚えのないことで、訳もわからない。すると、警察から「ぶつかった証拠に車のまえが壊れているだろう」といわれ、車を見てみると左の方向指示器のランプカバーが壊れている。
これは浅尾法灯を街宣車で抗議行動する若林氏を警察に逮捕させる為の、自然の泉出版局長末武祥治による「人身事故でっちあげ」でした。(写真は宇部市の団地内を走る街宣車)

・道路で待ち受けた出版局長末武祥治とトラブル
 
平成12年(2000)12月30日、若林伝氏が街宣車で宇部市内を走行中、出版局長の末武祥治宅横の道路にさしかかったとき、休日で自宅にいた末武祥治が街宣車の音声を聞いて道路に飛びだし街宣車の前に立ちはだかりました。末武は街宣車のサイドミラーを掴んでそれを折り曲げ「この若林が」と大声でどなり、若林氏も「この末武が」といいあうトラブルが発生しまた。トラブルはそれで終わり若林氏は街宣車を駐車地において年内の街宣をこの日で終えたのです。
                  (写真左・トラブルが起こった道路)
 
 
・自然の泉出版局長末武祥治・人身事故をでっちあげる
 
年が明けた平成13年(2001)1月8日、若林氏は年明けの街宣を開始しました。その午前中、もと浅尾法灯付き人の若林伝氏が街宣車で宇部市八王子町を走行中、後ろから来た宇部警察署の警備課長より「あんたは交通事故を起こして末武を跳ねたじゃろうが」と声をかけられ、警察につれてゆかれたのです。
警察がいう末武とは自然の泉出版局の末武祥治のことで、末武祥治が「若林に31日に車にはねられて大怪我をした」と警察にいってきたといいます。突然の話のうえ若林氏にはまったく覚えのないことで、訳もわからない。すると、警察から「ぶつかった証拠に車のまえが壊れているだろう」といわれ、駐車場にいき車を見てみますと確かに左の方向指示器のランプカバーが壊れていますが、若林氏にはまったく覚えがありません。
若林氏はすぐさま「ぜひ現場検証をしてほしい」と頼み、明くる日の1月9日、9時30分より末武がはねられたという末武自宅前の現場で現場検証がおこなわれたのです、現場検証は警備課長自らが指揮し5台ものパトカーが現場に到着しました。この時末武祥治は「これが現場にあった証拠の割れたランプカバーです。昨日ひらいました」といってランプカバーの破片をだしてきたのです。またこの破片と破損した街宣車の方向指示器のランプカバーをみた警察官は「これはぶつかったんじゃないぞ、上から叩いたんじゃないのか」とつぶやいていたといいます。この言葉に若林氏が激怒して大声で自宅にこもる末武祥治に「末武でてこい、事故をねつ造しやがってでてこい」と怒鳴り上げ、警察官が「若林さん落ち着いて、気を鎮めて」と若林氏を静止する状態になったのです。
 
自分が壊したランプの破片を「落ちていました」とさしだす
 
末武祥治は警察に「31日にスピーカーの音をきいて玄関を出たところを、若林の車にはねられそのときに大怪我をした」と説明しました。しかしそれでは、その破片が道路上に31日から正月中、放置されていたことになり、誰も気づかず、通行の車にひかれもせず、きれいな形のままあったということはおかしな話です。31日に若林氏にはねられたというなら、自然の泉顧問弁護士の平岡氏がいるにもかかわらず、なにも知らせず、はねられたその日になぜ警察にも被害を届けなかったのでしょうか。
また街宣車はランプカバーがきれいに割れただけで、その周囲はおろかバンパーもボンネットにもまったく衝撃を受けたあとがありません。
警察の説明によると、末武祥治は病院に行って、診断書をだしています。なにより若林氏には末武祥治をはねた覚えはありません。これは明らかに常盤糊近くに駐車していた街宣車を見つけだし、正月の間に方向指示器のランプカバーをこっそり叩きこわして人身事故をでっちあげて、若林氏に罪をなすりつけようとした犯罪行為です。
若林氏はすぐさま広島の弁護士に相談し、車のランプカバーが壊されたうえ罪を擦り付けられたのですから、末武氏祥治を宇部警察署に告訴する手続きをとったのでした。
告訴状は検察局ではなく宇部警察署長あてに広島の弁護士より送付されまし。まもなく警察署の警備課安田課長と佐々木部長より「告訴状を受け取りました、つきましては話をしたいので来てほしい」むね連絡をうけて警察署におもむき、宇部警察署5階にある警備課応接室での話し合いなり、安田課長より「告訴状を持ち帰ってもらえないか」といいわたされました。その理由は「これぐらいのことで告訴しても検察庁に受理してもらえない」というものでした。当時、「人身事故のでっちあげが検察庁に取り上げられない程の些細なことなのか」と、おかしいとは思いましたが警察には抗議をする現場では毎回お世話になっていることもあり、弁護士より警察署に提出した告訴状は若林氏が持ち帰えり管理しました。しかし、このような犯罪行為が許されるものではありません。
(写真左・末武が跳ねられたと警察に届けた自宅前道路、ここに正月中誰にも拾われずに割れた破片が落ちていたことになる
なお、はねられて怪我をしたといって病院の診断書を提出したという末武祥治からの、人身事故にあったという訴えはでっちあげがばれたため取り下げられています。

警察署5階応接室にて、現場検証の結果の説明されたこと


・大怪我をさせられたと、末武祥治が訴えたから安田課長自らが若林氏を警察署につれてくるために出向かれた
・末武祥治は病院に行き、診断書を警察に提出している
・怪我をしたという箇所が警察の説明でもかいもく分からない
・末武祥治は31日に跳ねられた事故を、1月7日に警察に届けたという
・7日もたって届けでた理由は、その時には痛く無かったが、あとで痛みだしたからだという
・日頃は、若林氏が街宣車で走っていると車のまえに立ちはだかり、どなりあげていた末武祥治だが、跳ねられたときは7日たってから被害届をだしたという。
・病院へは、はねられた当日ではなく後日いったという
・当日に行かなかった理由は、正月だからあいていなかったからだという
・証拠の破片は、現場検証のとき「こんなもんが落ちていたが」とだしてきた
・証拠のガラス片は一週間道路にころがっていたことになる
・車のガラスは大きく割れているが、カバーだけが穴があいたように割れており、バンパーやボンネット等、他の箇所にはまったく損傷がない。


尚、現場検証の最中、末武が「これが証拠です」と提出したヘッドランプの破片を見た警察官は「これは人が当たって割れたものではない、何かで上から叩いたものだ」と話あっているのを現場の若林氏は聞いています。