若林和夫の上記掲載・雑感文章を読んだ元編集部員の奥田氏は心を痛め 若林和夫に理解を求め 兄弟が分かりあえるようになって欲しいとの 願いを込めて下記手紙を送付したのでした。
前略
突然お便りいたしますが、私はもと自然の泉出版局で出版局長をしておりました奥田と申します。
私たち出版局員が全員退職した理由は裁判所に提出した陳述書で述べてありますので、いまさら詳しく説明はいたしません。また、若林和夫様が浅尾氏のことばを信じようが、信じまいが私にはどうでもよいことで、そのことを述べようとペンをとった訳ではありません。 以前、自然の泉誌の雑感のページで若林和夫様の原稿を見て大変に驚きました。「でたらめのつくり事で、法灯先生を迫害する誹謗中傷が最近目にあまりますが」と書かれた文句は、どうでもよいのですが、若林和夫様と原告の若林伝さんとが兄弟であることに心が痛みました。 そこで、意を決して私なりの気持ちと説明を述べたいと思い、こうしてお手紙をさしあげました。どうか最後まで読み終えてくださいますよう、お願い申しあげます。 私には幸いにも私の言葉を信じてくれた兄弟がいました。広島ですが。それが大きな心の支えになりました。 自然の泉一筋に生きてきた若林伝さんが、現在街宣車で抗議行動をしておられる現実を見たとき、なぜそうまでして怒りをぶちあげる気持ちにまでなられたのか、そのいきさつだけでも理解していただきたいのです。 これから述べることは、すべて真実で、名前は実在の方々です。うそと思われましたら確認をされてもけっこうです。 私は昭和五十一年一月に自然の泉の出版局に就職しました。当時は二十三才で自然の泉の広島支部支部長をしており、広島支部を開いたのは私で、私も自然の泉にすべてをかけてきた人間でした。私が広島から呼ばれた訳は、自然の泉の編集長をしていた原田智子氏が肝硬変で入院して編集ができなくなったからで、当時、広島青年部で季刊誌「いずみの虫」をだしていた私に白羽の矢がたったのでした。(詳しいいきさつは省略します) 私は人類救済のお手伝いができるという喜びでいっぱいでした、丁度、宇部セメントから自然の泉に引き抜かれた若林伝さんの心境と同じといえます。 しかし、私はおおきなショックを受け苦しみました。それは退職するまでの二十二年間続きました。 それは、浅尾氏にはホモという性癖があり、ホモ行為を強要されることでした。これは、私のみか青年部員も同様でした。のちに自然の泉の出版局に就職したA氏(このページでは実名をふせます)はついに我慢しきれず浅尾氏に「おれは男妾にはなりたくない」といって、やめました。このときはつかみあいの喧嘩のすえでした。 若林伝さんとの関わりも浅尾氏のワイセツ行為が原因でした。 平成四年六月に、出版局員三名がホモ行為を強要され退職する事件がおこりました。このとき大学から就職して三ケ月勤務したばかりのB氏に四百万円、二年間勤務のC氏には一千万円、三年間勤務したD氏には一千万円の慰謝料を支払ってなんとかおさまりました。 出版局は突然三名がやめてしましい、E氏と私だけ二名になってしまいました。 浅尾氏は月の大半を芝居見物にでかけますが、その同行者がいなくなってしまいました。 そこで、本部はあと五年で定年になるという若林伝さんの情報を聞くと、若林伝さんを浅尾氏の同行員として引き抜きました。 若林伝さんは鉄工一筋に生きてきた職人ですから「自分は外交とか、折衝のような背広を着た仕事はできない、今のままの給料であと五年は慣れた仕事ができるのですから」と何度も断られました。しかし、浅尾氏の「先生を助けてくれ、人類救済の手伝いをしてほしい」との言葉に転職を決意されました。 その時、転職の条件として浅尾氏から「現在の宇部セメントでの給料に二~三万円上乗せをする。ボーナスは同額支払う」という約束があり、若林伝さんも「そこまで先生にいわれるならば」という気持ちでの転職でした。 しかし、実際は信じられないものでした。給料の少なさに驚く若林伝さんに浅尾氏と藤中氏の言葉は「定年を迎えようとするものが、給料を多くもらおうとするその根性が腐っちょる」というものでした。 ボーナスも宇部セメントの五分の一以下でした。 それでも若林伝さんは、浅尾氏を釈迦、キリストのように思っておられましたから「自分の言い分にどこか間違いがあるのだろうか」と自問自答しながらも、辛抱をされました。 浅尾氏と同行したものは誰でも体験しますが、ちょとでも浅尾氏の気に入らぬことがあるとどこであろうと、大声でば倒され、怒鳴られます。若林伝さんも同様でした。 ホテルのフロントで「とろとろするな、この田舎もんが」とば倒され、福岡駅地下街で若林さんが買った牛乳の銘柄が違うといって「わしが飲む牛乳の名前ぐらい覚えておけ」と大声で怒鳴られました。 「田舎もんがとろとろ歩くな、走れ」と理由もなく地下街を走らされたといいます。 私には若林さんが受けた仕打ちは予測できました。誰もがそういう目にあっていますから。 同行者はホテルで浅尾氏に指圧をさせられますが、若林伝さんは福岡のホテルで、局部付近をマッサージさせられました。 浅尾氏のホモ行為ははじめはこの指圧、マッサージからはじまりやがてホモ行為になるのですが、若林伝さんもこれに近いことをさせられた訳です。 若林伝さんは「法灯先生に不平、不満を持つ自分が間違っているのだろうか」と悩まれました。 やがて、芝居小屋で役者に何十万円も花をうつ、若林さんに「親声をつくれ」という、次々と目にする信じられないことや仕打ちに、耐えられなくなり、とうとう平成五年五月に退職されたのです。 このとき浅尾氏は講演会場の裏で若林伝さんを理由もなく怒鳴りあげて、いじめました。この光景は裏方にいた青年部員は全員みていますが、青年部員にはすべてが分かっていました。 青少年の合宿を手伝っていた青年部員のほとんど、E氏、F氏、G氏、H氏らをはじめ出版局員はホモ行為のターゲットになり皆、親や兄弟にもいえずに苦しんでいましたから、若林伝さんに浅尾氏がどのような仕打ちをしたかは、想像ができました。 仙崎のI氏は浅尾氏の自宅に指圧をするために出かけておりましたが、ホモ行為を強要され強く拒むと浅尾氏から「このことは母親にはいうな」と口止めされました。 I氏の母親は仙崎支部の女性支部長です。自然の泉に命をかけてきた人です。彼は「母親にはとても真実はいえない」と自分の胸におさめて秘すことにしました。(I氏は後に青年部員とともに脱会し、このときすべてを母親に話されました。驚いた母親はすぐに支部長をやめて脱会されました) 誰もが皆、このように自分の胸におさめて秘したのです。 ところが、浅尾の行動は何もばれないことをいいことに、エスカレートするばかりでした。 私たち出版局員と青年部員は「このままでは自然の泉はだめだ」と相談をしてきました。しかし結論はでませんでした。 そして、平成九年二月に出版局員全員が自然の泉を退職し、脱会しました。(退職した理由に浅尾氏の○○○もありますが、プライバシーがありますのでここでは述べません) 厚狭や小野田の会員の皆さんも浅尾氏のホモ行為のことはうわさでかなり知っておられました。 平成四年六月に退職したC氏が、E氏の工場で焼肉会をしていた青年部員にすべてを話しており、浅尾氏のワイセツ行為は世間でもかなり以前から知られておりました。 このような状況のなかで、出版局員全員と青年部員や自然の泉職員がやめたものですから、一般の光友の皆さんが「やはりうわさは本当だったのか」と次々に脱会されました。 若林伝さんも私に「なぜ自然の泉をやめたのか」と聞きにこられました。
そして、自分がホモ行為で退職した出版局員の代わりに引きぬかれたこと、局部付近のマサージは浅尾氏の性癖であったことなどを知りました。
若林伝さんは浅尾氏に対し「あなたのやったことは純粋にあなたを信じてきた者への裏切り行為です。私の人生を踏みにじった犯罪行為です」と内容証明郵便を二回に渡り送られましたが何ら返答はありませんでした。 私は二十年間浅尾氏のやりかたを見てきましたから、若林伝さんに「最初から守る気はなかった約束ですから、無駄ですよ、若林伝さんがだした内容証明郵便はゴミ箱に捨てられていますよ」といいました。 私は若林伝さんが気の毒で「給料が約束どおり支払われなかったことに対する、損害賠償の請求」が法的に訴えられないかと広島の弁護士に相談しました。しかし、「約束を証明する契約書がないとだめです。浅尾氏や藤中氏らが約束をしたと自分からいうとは思えませんから」という返事でした。浅尾氏は決して約束を証書にしない人間です。「法灯を信じてくれ」といわれれば誰でも光友は信じます。 若林伝さんは納得できず、自分で下関の弁護士のところにも相談にいかれましたが、返事は同じでした。 浅尾氏を信じてすべてを自然の泉に捧げてきた若林伝さんは、利用された挙げ句、最後はたばこの吸い殻のように捨てられました。そればかりか、脱会した会員に罪をなすりつけ、若林伝さんも同様です。 若林伝さんの「宗教家として許せない」という心境は、浅尾氏に濡れ衣を着せられた私にも痛いほどよくわかります。 私自身、浅尾氏のとった行動は許せませんから、やったことはやったことと白日のもとに明らかにして浅尾氏に宗教家としてのけじめをつけさせるまで、反省を求める抗議はやめません。 浅尾氏が裏でやってきたことを知ったうえで、自然の泉をされるのは皆さんのご自由です。 浅尾氏がいかなる人間であっても、浅尾氏の言葉が生きる支えでありその言葉なくして生きていけないなら、それがその人の幸せであり仕方のないことだと思います。幸せの形はさまざまだと理解しております。 ただ、何も知らず、誤解をしたままで憎しみあったり、傷つけあったりするのはとても悲しいことです。それが肉親であればなおさらです。 色々と不快なことばかり、信じられないようなことを述べましたが、どうか私の気持ちを少しでもご理解していただき、私はどう思われようと結構ですが、若林さんだけは心中を察してあげていただきたいのです。 最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
追伸
自然の泉の中で行われてきたことは、実際に自然の泉に就職して自分の目で見、聞いた者でないとまず信じられないでしょう。若林伝さんも一般の光友と同じように就職するまでは、浅尾氏を釈迦、キリストの再来と思っておられました。それだけに「許せない」という気持ちが強いのだと思います。 若林伝さんが退職された後、本部事務局の女性職員は誰もが「若林さんは気の毒に」と陰でいっていましたから、みんな、若林伝さんがどんな仕打ちにあったか知っているのです。 ですから、若林伝さんが街宣車で本部事務局にむけて「浅尾法灯、藤中よくも俺をだましやがったな」と叫ばれることの理由は、事務員には分かっているのです。ただ彼らにも生活がありますから、黙して従うしかないのだと理解しています。 尚、浅尾氏が今日までおこなってきた宗教家らしからぬ行為は、宇部警察署にすべて報告してあります。この手紙と若林伝さんとのかかわりはありません、この手紙を差し上げたことで若林伝さんにご迷惑が掛ることがないよう、お願い申しあげます。
平成十三年十月二日 |