「地 獄 亡 者 今 日 戯 (じごくもうじゃこんじつのたわむれ)」
西方極楽寺院家(伊藤 節)
ある時、目を開くと自分が歩いていることに気づいた。しかし歩いている場所がわからない。その場所に記憶もない。空々寂々、闇夜に似て、夜道ともどこか異なって、弱い微かな光がどこからともなく、ほこりのように、煙のように舞っている。歩む足元が道であるという確信も持てない。周囲の物事が見えるようで見えない。それでも心には広大な何ものかの流れが映じている。歩み行く私の前も後も同じような身なりをした人々が、同じ一定の方向へ移動しているのだ。数十といった規模ではない。ざっと見回しても数百、数千といった人の頭がうごめいている。第一の不思議は、これだけの群衆が動いているのに少しもその足音が聞こえないことだ。聞こえるのは、その群衆がお互い近くの者同士、恐々と不安げに細声でささやき交わす会話だけだが、それが全体の音響の高音部をなしている。低音部は、どこからともなく響いて来る地鳴りのような、凄味のあるごうごうたる水流の音である。
辛うじて人々の容貌が見分けられると、彼らの多くが額に小さな三角形の布を付けていることがわかる。そして短い丈の帷子を着て、おがらの杖をついている。そうでない者もあるが、そうでない者らは街を闊歩する時の私服とかわらぬものを身に着けている。男、女、老人、若者、壮年、子供、みな混じり合って、この茫漠とした夢のような闇の中を流れて行く。彼らの姿形については何とも表しようがない。たしかに顔や身体は見えるのだが、それは本当に目の前にあって見えるといった感じではないのだ。何か透明な幕の上にでも映された薄ぼんやりした映像を見ているような按配でもあり、あるいは私は(彼らも私についてそうだろうが)彼らについてそれらの存在の幻を見ているだけであるかもしれない。
一方では肉体には不可解な軽快感がある。空腹も、喉の渇きも、身体の疲労もまったく感じない。しかしそれはスポーツの後の爽快感とも違う。私について言えば、ついこのあいだまで四十年間の人生の垢を蓄めていた肉体の節々が、日夜どこかの不調を訴えていたはずだった。ところが知らぬふりして押し通してきたあの無自覚の痛痒から、今は完膚なきまでに解放されている。つまり自分を固くいましめていた肉体そのものから、全く解放されたという感覚である。しかしそのことは同時に肉体がたまさかに与えてくれていた、強烈な快感や快美の機会を失ったことでもあり、その喪失感が真水を口に含んだような頼りない空虚感を生んでいる。
ともあれ自分が空気か水になってしまって、意識だけが冴え渡ったまま中空に残っているという気がするのだ。自らの夢の中に紛れ込んだのだろうか。しかし意識のこれだけの明晰さはなんだろう。夢ではこうは行くまい。
やがて群衆は当初の予定に従ったかのように大きな河の畔に行き合って、そこで行列を成した。最前から耳鳴りのように響いていたのはこの水流なのだろうか。日も差さず、燈もなく、四面を闇に塗り込められているのに、不思議なことにはその川面と川岸だけは鮮明に目に映るのだ。川岸のはるかな前方には大きな舟が一艚もやってある。さて行列を成してゆるゆると前進しいた群衆の流れがここで停頓した。何かの障害で渋滞した気配である。やがて少しづつ前に押されるように進んで行くと、前方で誰やら女の声でけたたましく喚き叫ぶ様子である。若い女の声ではない。嗄れた老婆の絶叫で、それにつれて群衆の中からは泣いたり、愁訴したりする哀れな声が湧き上がる。老婆は、到着した新来の群衆の誰かれとなく面罵し、激しく叱り飛ばしている。
「ここをどこや思うてんのや。もうここまで来た以上じたばたしても始まらんがな。さっさと脱ぎなはらんかい。恥ずかしいことなんかあらへんがな。いまさら何を恥ずかしがんねん。散々娑婆で恥の山積んで来たんが、しおらしげな顔したかて誰が信じるかいな。こんな酷いことすんのもなあ、みんなあんたらのためやで。亡者に甘い顔見せたら地獄の果てまで行ったかて付け上がりよる。そんなんはいつまで経っても地獄をぬけられん。聞き分けのええ、素直な亡者だけが出世するんやし。さあさあ何をぼやぼやしてんねん、おとなしゅう脱ぎんかい」
針のように鋭く食い込む、苛烈な悪口に気押されて人々はその命ずるままに衣服を脱いで行く。老婆は、人々の、とりわけ私服のままの人たちの着物を奪い取って、側の巨大な柳のような樹の梢の方へ放り投げているのだ。
「あれがいわゆる三途の脱衣婆ちゅうやつでっしゃろ」
私の背後から、私の表情を覗き込むようにして話し掛けてきた男があった。
「三途の渡し場で、亡者の衣を剥ぎ取るちゅう鬼婆でんがな」
三途の川か、そうか、私もとうとうここへ来てしまったのか。納得と感慨がひとしきりだ。いや、自分はいつかここへ来ることだけは信じていた。地下二万由旬にあると言われているこの場所、娑婆の人生にどんなドラマがあったとしても、所詮はここが必ずたどり着くべき地点なのだ。自分は娑婆にある間、現世の何ごとも、どんな人生の価値も信じようとしなかった傲慢な男だったが、ただひとつこの地獄へ通じる行路をいつかはたどるということだけは信じて疑わなかった。現世の何がどう変わろうとも、人間の行き着く果てがここだということを認めていた。地下二万由旬といえば古代インドの里程で、1由旬が40里、1里が6町、1町が109m、従って現世の「地上」から52万3千2百キロメートルの距離となる。
今はまだ中有をさまよっている状態だが、やがては完全に地獄の門を入るであろう。話によれば、今から脱衣婆に服を剥がれ、三途の川を渡って、六道の辻に至る。そこから閻魔の庁へ引き出されて、閻魔大王その人から審問と裁きを受ける。娑婆で息絶えて、そのまま極楽浄土へ直行する者もあるらしいが、私はどうやらその選からはもれたらしい。多くの人と同様に、閻魔の裁きを受けて、六道のどれかへ送り込まれるか、あるいは万にひとつ、極楽行きの切符の残りがもらえないものでもないが。
ああ、そうか。水の流れのように聞こえたのは三途の川音ではなくて、娑婆の諸々の音、「現世」の営みの悩ましい音響が遠いどよめきとなって聞こえて来るのだ。それほどまだ娑婆に近いのだ。何なら廻れ右して、ひた走れば、あるいは生き返れないものでもあるまい。しかしそれでいったい何がどうなるというのだ。それからさらに百年の形態を保てるわけでもなし、遅かれ早かれどの道またここへ舞い戻るのだ。わかっていることはそれだけだ。
事情通らしいその浪速言葉の三十男が、ふたたび話しかけて来る。
「わてはな、食いもんに当ってここへ落ちましてん。でも長いこと三途のこっち側でうろうろしてましてね。つまり中有をさまよういうやつですわな。死んだ日の前晩にな、人に大けな鯖を一匹もらいましてん。わて鯖に目ないもんやさかい、さっそく二枚におろして片面を食うてもうたんやけど、それに見事に当りよりましてん。あっという間や。あっけないもんでやすがな。まだ結婚して一年しか経っとらんちゅうのに、人生今からやゆう時に、鯖に当って死んだやなんて、恥かしゅうて人には言えまへんがな」
と騒がしく、聞かれもせぬことまで告白する男は、きっと変わった死に方をむしろ吹聴したいのであろう。たしかにここでは娑婆でのどんな体験談よりも、その最後の死に様こそが最高の話題になるのではないかと思える。
「関西で親の代からの葬儀屋やってたんだすけど、ほんまにわての人生何やったんやろと思いますがな。暑い時も寒い時も一生懸命働いて、人さんのお弔いの段取りばっかりして、自分は四十にもならんゆうのにあっさりといなしてもろた。あんまり真面目に人の死ゆうもんに付きおうたさかい、そいつが伝染したんやろか。それでもな、親父の代には裏通の隅の方でひっそりと小商売でやってたのをな、わてが表通に移して、多少は見栄えのする店構えにしましたわな。自分で言うのもなんやけど、結構繁盛してましたで」
「まだあそこに未練があるの?」
他人の人生にさほど興味はないが、新参の自分の立場に遠慮して私も相手の話に調子を合わせた。
「ありまんがな、ここの人らみんなそうでしゃろうけど、わてかて人並みに未練、心残りがありま。もっとも女房とはもう一年暮らしたさかい、これはもうよろし。どうせ夫婦は他人、別れてしまえばそれまでだすがな」
「じゃあ奥さんのお腹にベビーが出来かかってたんでしょう。自分の子の顔を一目も見ぬうちに死んだのが残念でならぬと」
「いいや、やや子は気えもありまへなんだ。いや大将、わてが心残りや言うのんはやね、二枚におろした鯖のもう一方の身のことですがな。どうせ好きなもん食うて死ぬんやったら、両方いっぺんに食うときゃよかったってね、さっきも歩いて来る間そればっかり考えてましてん。わても地獄だっしゃろな」
茶化されたのか。ペラペラとよくしゃべる男だが、どこまで本当のことを言っているのか察しがたいところがある。
「ところで、ここの脱衣婆の関門はどうするね。うまいこと切り抜ける手立てはないもんかな?」
「ないこともないやろ、思うわ。わてもな、なんべんもここに並んで、あの婆さんに剣突かまされて、そのたんび追い散らされてまんねん。ほんまに難儀な婆さんやで。でも、今度こそはここ無事に通らなあかん。ここ通らんことにはいつまでも閻魔はんのお裁き受けられん。要領はだいたい掴んでますわな。まあ、押しの一手やな。こっちから弾き飛ばすくらいの勢いで突っ掛かって行かな埒はあきまへんで。なあに、どうせ相手は婆さんや。こっちが変に受け身になったらあかん」
たいそう自信のありそうな物言いだが、その男がじっと脱衣婆の方をうかがいながら居丈高に言えば言うほど、その内心の不安が見透かされるようでもある。
かく言いながらしばらく待つうちに、例の脱衣婆が喚き立てている場所へ順番が回って来た。鯖のお兄さんはあらかじめ私に告げていたとおり、わざと迫って行ってワアワアしゃべり散らして、相手を一方的に圧倒して煙に巻こうとする戦法に出た。しかしそこは名にし負う百戦錬磨の鬼婆である。逆に言葉尻をつかまえられて激しい勢いで反撃され、一瞬虚をつかれたようにたじろいだ隙に一気に寄り切られる。男は、もう一言も言い返せない。さんざんに毒づかれて、意気喪失し、結局身ぐるみ剥がされて這う這うの態で逃げて行った。
私の番であった。同様に激しく怒鳴られて、私も手も無く服を剥ぎ獲られてしまう。私にはいまさら傷つけられる誇りも自尊もあるまい、とは思ったが、それでも刺されるような屈辱感を噛み締めた。
ところがその次に妙なことが起った。私の次に順番に立ったのは暗い陰気な表情の、四十半ばの男だが、一転して婆は罵り散らすのを止めて、厳しい目付きでこの男を睨み据えた。そして睨んだだけで、何も言わずそのまま素通しさせてやったらしい。何か特別扱いされる理由でもあるのだろうかと、私は鯖の兄さんを振り返って問いかける。
「なに、あれは要するに形式的な罰ですがな。娑婆でのどんな美服も権威の衣装も、ここではいっさい通用せえへんゆうことを新入りの亡者どもにわからせるためのセレモニーみたいなもんですわな。それもみんな閻魔の庁から委託受けてやってることでんねん。まあしかし、あの婆あさんの酷薄邪険なこというたら、娑婆ではちょっとお目にかかれまへんな。もっとも娑婆にもむづかしい婆あさんは五万といてるが、脱衣婆は三途の川岸でもう千年近くもあれやってまんねん。年期が違いますがな。ただな、普通の亡者には火が出るほど厳しい婆も、ある種の亡者にはコロっと態度変えまんねん。たとえばやね、娑婆で極道やった奴とか、人道を外れた行いやって来た者とか、そんな娑婆の道徳や法律で極悪人のレッテル貼られた者には逆に丁重な扱いしますんやで。見え透いた依怙贔屓でんがな。もっとも、わてらの常識てなもんはここではとんと通用しまへんけどな。
聞くとこによると、脱衣婆ちゅう人も元は地獄に落ちた亡者だったんだそうだす。娑婆の頃は、京都の宇治の方に住んではったお公家の娘はんでしてん、そりゃまあ大層な器量好し、気立て好しだったそうですわ。でっすさかいに、当然若いお公家はんが放っとくはずがない。ええ男の、ええ匂いのする女たらしのぼんぼんと、やっぱしええとこの、ええ男の、おとなしいぼんとが取り合いしなはった。ええ匂いのするぼんぼんが女扱い馴れてますさかいに、力ずくでものにしはった。おとなし方も黙ってまへんがな。ごちゃごちゃともめるうちに、そのおなごはん宇治川に身い投げて死のうとした。結局、比叡山の偉い坊さんに助けられて、そのまんま髪下ろして世俗を捨てはったそうやが、普通ならそりゃ極楽行きの特別切符みたいなもんやけど、男どもを惑乱させたとか、あるいはそうした下心があった疑いとかで地獄へ来はったんですと。こっちい来たらもうあんじょううまいことやって、閻魔の庁の役人に取り入って、あんな気楽うな下請け仕事やらせてもろて、はりきってやってますそうな。あの般若みたいなごっつい顔もな、すっかり本人気に入って、虫も殺さん、屁もひらんような、固っ苦しいべっぴんはんのかっこよりよっぽどええとかいうてからに。哀れな中有の亡者にいけずするんが何よりの楽しみなそうや。これ、わてが三途のこっち側でうろうろしてた時に聞いた話でんねん」
「その宇治の方の何とかという話は、どっかで聞いたような話だな。しかし死んだ亡者の扱いに不平等があるというのは、問題があるんじゃあないの」
「はあ、問題がねえ」
そんな話をしながらわれらふたりが渡し舟の方へ歩んで行くと、いつの間にか亡者の群れの最後尾に取り残されていた。渡し場の鬼に怒られることを案じて、私は早足になろうとする。
「焦りなはんな。急ぐことはなんもあれへん。ここには何もないけど、時間だけは永遠にありまっさかい。これこそほんまに急がん旅や。こんなにのんびり行ける旅は、娑婆では味わえん」
たしかにそうだ。絶対に急がぬ旅に間違いない。娑婆ではいつも何かに追い立てられるように感じていたが、そんな「何か」などもう毛の先も考える必要がない。まあ、地獄(世間)話でもしながらゆっくり行きまひょやないか。
「で、大将はあっちで何をしてはりましたん?」
「日本自殺総合研究会という団体を設けて、その代表をやっておりましたわい」
私は少々威厳を取り繕って答えてやった。私の方が十は年上であろうと思ったからでもある。
「へえ、そら何でやす?」
日本自殺総合研究会、それはまだ仮称に過ぎないし、団体といっても職場の親しい遊び仲間を二三人連込んだだけのアホくさい私設クラブに過ぎないが、私の「晩年」の情熱がそこにだけ注がれていたことも間違いない。私の娑婆での本当の仕事は、さる地方役場の保健関係の吏員でしたがね、と私。享年が四十五だった。私が自殺という行為に興味を持ち出したのはその数年前からだった。役所の窓口で死亡診断書を受け付けて受理書を交付する事務の繰り返し。さらに人口の動態統計を見つめているうちに、自殺者がいかに多いかを知る。交通事故死よりも多い。全国で年間二万人以上の人が自殺する。毎年二万回の自殺があの国のどこかで演じられていたのだ。二万回の絶望、二万回の迷い、二万回の決意、二万回の選択と行為。
自殺とは、要するに己れの死を己れの意思で演出するドラマだ。首吊り、服毒、カミソリ、飛込み、水没、意外と人間は己れの死については真剣な知恵を搾るものだ。そこには当然様式化された方法論があるし、また文化に反映された秘密の伝承もある。ただ事が事だけに世間におおぴらに喧伝されないだけで、人間の歴史があるかぎりどの時代にもその行為はあったわけだし、その独自の文化や技法については潜在的な需要は常にあるものである。
私は秘かに研究を始めた。別に秘密にする必要もなかったが、秘密めかすことで「神秘的な」価値が上がる。生涯結婚もせず、家族も持たなかったので、公務員の休日は存分に図書館でその仕事に費やせた。自分なりに充実した日々だったと思っていた。しかも研究の成果は人間にとって最も普遍的な問題、「死」を最大限含んでいる。古今東西のすべての哲学や宗教がクロスする地点で、私も自殺の知識を獲得し整理したのだ。それをすべて今申し述べる暇はない。
が、そもそもの前提は、人間が一日に一回は必ず自殺したいと思うものであり、むしろそれがまともな人間であり、それほどに自殺とは人間にとって親しい観念であるということがある。かくしてもっとも安楽に自殺できる技術的方法の開発へと、その「研究」は発展して行ったわけだ。自殺さえ楽に、かつ不安なく自己演出できれば、人生の苦患の大半は解決する。生きること自体が苦痛である「現世」では、その生きることをきっぱりと止める時がまず安楽の第一である。そして死そのものが苦痛でないとすれば、人類への福音ははかり知れぬものがある。
そして論文の著述に取り掛かった。もちろん各論的に自殺について著述したものは今までもたくさんある。しかしそれを歴史、統計社会、哲学、宗教、生理などの総合的な観点から分析しきったものはあるまい。少なくとも私の知的な構想は壮大であった。ほとんど快楽であるような臨終、決して見苦しくない死骸、尊厳と美しさをもって死んで行ける希なチャンスの到来。その条件を自らの意思で選べる機会とは、人間にとっての最高の精神的自由ではないか。
実際、私の研究会の仲間で、借金と家庭の崩壊で生きる意味を完全に失った男が、私が考案したいくつかの方法の中のひとつを選んで自殺した。「限りある命ならば、永遠に生きたい」と彼はノートに書き付けて逝った。彼は密教の即身成仏の方法をうまく応用したのだ。今でも彼のミイラ化した遺骸は、どこかの土中深く隠されて、何百年後かの発見を待っている。失踪宣告はまだ出されていなかったから、法的には彼は「生きた」ままだった。その男の魂魄ははたして永遠に「生きて」いるのだろうか。地獄で、その消息も尋ねたい。
「そいであんさんもその自殺の最善の方法とやらで、ここへ来はったんでやんすか」
私は沈痛な思いになる。思い出したくない過去というものが誰にだってある。
「そうした内容を長大な論文にまとめていた頃に、そう、秋の日のきれいな日曜日の夕暮れだったかな、関西への出張のついでにそこの図書館へ立ち寄って、そこからの帰り道、横道から飛び出して来た大型車に跳ね飛ばされてね。ある自殺した作家の手稿を閲覧しに行ったのだけど、馴れない道を考え事しながら歩いてたものだから、跳ねられてそのまま息も絶え絶えに横たわっていた。病院に担ぎ込まれたのはその翌朝で、そのまま重体で生死の境をさまよいながら一年間意識不明。身動きも取れないままにこちらに迷い込んで来たというわけさ」
私にはほとんど結論に近い『最善の』方法が脳裏にあるにはあったが、それも世間に発表できないままこちらに持って来てしまった。惜しいといえば惜しいが、別に人が楽に自殺できることの発明者としての名声を残しても何にもならない気もする。それにある意味ではその知識は人類にとっては危険なものでもある。しかしこの地獄にとっては有益な知恵ではないのか、「お客さん」を増やすという意味で。ただお客さんが増えることが喜ばしいことであるかどうかはわからない。第一、人間の寿命はどんなに足掻いても有限であるから、自殺しようとしまいと、総数として地獄の出入に違いはないかもしれない。
「三途の渡しはここでようおますかいな」鯖の兄さんが、すでにぞろぞろと乗り込んだ亡者の衆の、舟べりに顔を出したのに尋ねた。聞かれた方は心ここにあらずの態で、誰ひとりはかばかしく答えてくれない。たしかにどの青白い頬にも不安と緊張が貼り付いている。ここを渡りきってしまえば、もう娑婆には戻れない。対岸には六道の辻があって、さらに行けばいよいよ閻魔の政庁があり、そこで最後の裁きを受ける。それは閻魔大王直々の審判で、娑婆で重ねた罪業のいっさいが暴かれて、糾弾されるということになっている。
考えてみれば皮肉なものだが、あの娑婆では誰もが身の回りの者や物を絶えず裁き続けていた。気に入るの入らぬの、好きだの嫌いだの、正しいだの間違いだの、諸事万端にわたって冷然と裁きをつけて来たではないか。生きるとは、まさに外界を裁き断罪することでもあったかもしれない。ところがそれもすべておしまいだ。死とはその逆に、いっさいの裁きをひたすら受け続けることかもしれない。究極の、最終的な裁きをあの地獄の魔王から申し渡されることになる。昔からそういうことになっているのだ。亡者の誰もが不安に苛まれるのも道理であろう。
「亡者ども、地獄のお迎え舟じゃ。おとなしゅう乗っておれよ」
われらふたりが乗り込むのを待って、大きな赤鬼が舟先で立ち上がり、傲然と声を放った。櫓を担いでともの方へのし歩いて来て、櫓べそにそれを据える。さすがに筋骨隆々、恐ろしくでかい鬼であった。亡者たちは恐れ戦いて、肩寄せ合って身を縮める。鬼の櫓さばきによって舟は三途の岸を離れて、先の見えない対岸を目指して進み始める。鯖の兄さんは舟べりから手を伸ばして、三途の川の流れに浸けて見る。私もそれにならって手を伸ばす。闇の底に流れる川が、それ自体発光物であるかのように清らかに輝いている。水と変わらぬ手触りだが、掬うと金砂子を握ったように指の間から光が零れて行く。娑婆世界に流れていた川水とは異なる液体に違いない。もっともこの川を著名な科学者も無数に渡ったはずだが、この川水の成分分析について論文が書かれたという話は聞いたことがない。
「きれいな川でやんなあ。ちょいと泳いでみたい気もして来まんな」
鬼の船頭がこの軽口を聞き咎めた。
「なんやと、いまアホなこというたんはどいつじゃい。この川へ飛び込んでも生き返れへんぞ。おかしなまねすなよ。三途川渡し人人別帳てのがあってな、それと数が合わなんだら儂がきつう叱られるんや。おかしなまねしたら、地獄に来たときに仇を取ったるで」
どのくらい舟に乗ったかわからない。とにかくここには時間がない。従って一瞬であったような気もするし、また何十年間も舟に揺られていたような気もする。その川中で鬼船頭はいきなり櫓を止めて、錨をがらがらと水中へ降ろす。馴れきった手つきであり、これも亡者を六道の辻に運ぶという運搬人としての何百年、何千年も続けた仕事の繰り返しのひとつに違いない。
「やい、亡者ども。知っておるやろうが、ここで三途の川の渡し賃をもらい受ける。あり金全部、払えよ。娑婆でなんぼ儲けても、ここまで来りゃあ全部没収や。ええか、地獄へ行って金でええ目見よう思うても、そうはいかんでえ。さあ、払え。さあ、出せい」
ひとりひとりの亡者の前に、鬼の巨大な三本指の手のひらが現われる。亡者は我先にと渡し銭をつかみ出す。銭をつかむと鬼は、それを腰の皮袋へぞんざいに押し込む。そのうつむいた顔つきは嘲弄を含んでいて、どこか哀れな亡者どもをからかっているようなところもある。
「まあまあ、こんなとこまで来て銭がいりますのんか。いやらしわ、わてら娑婆でさんざん辛酸嘗めて来たのに、まだ苛められまんのか」
中年増の姐さんふうの女がちゃちゃを入れた。亡者の白衣の衿筋をつまんで、ちょっと粋に肩をふる。鬼に聞こえよがしの愚痴を言ってはいるが、さほど落胆した様子も、残念そうな顔色もない。環境に動じない、女の意気地のたくましさか。私には最前から気になっていたが、その女には娑婆で見覚えがあった。
「何で来はりました」鯖が銭を掴み出し、女の方を振り向きながら尋ねる。と同時に、身体を傾けて私の耳元にも早口で囁く。
「全部出したらあきまへんで。ありゃ、ああいうて脅してるだけでんねん。全部出したら六道の辻行ってからに念仏が買えんようになりま」
私も、鯖の兄いも手に掴んだだけの目腐れ金を差し出す。たしかに鬼はその銭高を見もせずに、うむと頷いて、腰に下げた皮袋に放り込む。こちらも素直にそうすると、まるで良いことをした幼稚園の子のように満足感が沸き起こって来るから不思議だ。一方、女は鬼の手にいかにも邪険に小銭を投げ出し、ぷいとそっぽを向けてしまう。これには鬼も一瞬きっとなって女の横顔を睨み付けたが、何も言わずに通り過ぎて行った。さてもふてぶてしい女だ。
そうだ、思い出した。女はこちらに気づかないふりをしているが、そのよそよそしい態度がかえってこちらを知っていることを感じさせる。数年前まで行き着けていた飲み屋の女将だ。あの頃で三十代後半か、四十そこそこだったろうか。女将は関西方面から流れて来たと、一度聞いたことがある。あけすけな関西弁も店の売り物ではあったようだ。
私は駅裏のカンウターひとつのその店に、独り者の食事を兼ねてしょっちゅう立ち寄っていた。雑居ビルの小料理屋、いつも決まりきった客が同じ時間帯にどこからともなく集まって来ていた。うらぶれたサラリーマン、気弱そうな小店主、皆五十の後先に近い中高年者ばかりで、顔を合わせてはいつも同じような世間話を突付き合っていた。大した肴はなかったが、なかなかに気働きのする中年増の女将の愛想を頼りにして、我々の救いがたい面が宵時のカウンターの上に吸い寄せられる。貧弱な店構えがかえって遠慮のいらぬ気安さを生んで、際限のない長尻は毎度のことだった。
棚の上では毀れかけたテレビが空しく番組を流し、男たちは毎晩毎晩景気の悪い話ばかりしている。お互い本当は人が何を生業にしているのか知りはしない。「新聞記者」、「証券会社の営業課長」、「チェーン店の経営者」勝手な肩書きを言い合って、お互い儀礼上恭しくその職域を尊重し合ってはいるが、自分を含めてそんなことは誰も信じちゃいない。だいたいそんな人種が、毎晩決まって五時前からそんな店に集まって来たりするものか。
「これは地獄やろか」
酔い疲れたオッサンの一人が、話の途切れ目にぼんやりとつぶやいたのなぜか覚えている。
「まあ、ご挨拶やわ。あんさんには半年分のツケ待っててあげてんのに」
「いや、この店がじゃのうてね、わたしの心がもう生きながら地獄にあるような気がしてんだよ。家に帰るも地獄、ここに居るのも地獄、すべてが無明の長夜よ」
女将はそんな客筋には頓着しなかったが、私のような陰気な偏屈者とも案外に話が合って、私の方では気の置けない仲のように考えていた。ところが一度私がその女に迫った後で、ある時女将は店を捨てて別の客とどこかへ出奔してしまった。私は論文作成に熱中していたから男女の関係など興味もなかったが、多少は落胆させられたのはたしかだ。ある日行くと店が閉められ、近所の人に尋ねると、女将が正体の知れない風来坊と別の町へ行ったとのこと。鼻白けた気分で「当分閉店」の札を振り返って、踵を廻らせたのを覚えている。
「よっしゃ。今日の亡者は聞き分けがええ。仕事がはかどったがな。さあ錨を上げて、向う岸へ行こか」
鬼は錨を引っ張り上げて、赤松を割ったようなごつい筋肉に渾身の力をこめて、うんとこどっこいしょと漕ぎだす。
すさまじい力である。娑婆でどんなに偉丈夫を誇った男でも、これだけの肉体を持った者はあるまい。ましてや亡者の今の姿は、臨終の際そのままのなりであり、青壮年期にどんなに鍛え上げた肉体の保持者であっても、死に臨んでは貧弱な老いさらばえた体となっている。またたとえ最盛期のままの肉体でここへ来ていても、青白い幻のように頼りない輪郭しかないので、鬼とは比較にならない。鬼の四肢はまさに仁王像そのままに、鉄索を撚り合せたような筋骨の輪郭を波打たせていて、力をこめる度にそれらがまるで生きもののように小気味よく躍動する。
そんな話し声が聞こえていたが、我々の前を年寄らしい亡者が足を引きずりながら行くのに、道連れがいきなり声を掛けた。
「こりゃ、伊勢屋の旦さん、旦さんやおまへんか」
「ああ、あんたかいな。こりゃ奇遇やな。この前のわての葬式出てくれてたな。あれ以来や」
「そうでんな、あれはたいそうなお葬式でしたな、さすがに伊勢屋はんやいうて大評判でしたがな。しかしこの前いうたかてあれは、わてがまだ十五くらいの時でっせ。かれこれ十年以上も前に旦さん、亡くなってはりますのに、なんでいまこんなとこで遭いまんねん。わての死んだんが平成七年でしたから、旦さんの亡くなられたんはたしか昭和五十五か六年でっしゃろ」
「あらそわれんもんや、前世の因縁でな、わては一人息子があったん知ってるやろ。わてが商売に身入れ過ぎてたさかいに、家のことはなんもかまわなんだんで、知らんまにおかしゅうなってしまいおったんや。おまけにわても悪いんや、小商売大きうしょう思うて焦ってたさかい、家族のもんの気持ちなんか察する余裕があらへんかった。外では世間から如才ない男やとか、やり手やとか言われていい気になってた分、家では思いっきり不機嫌やったわけや。始終ガミガミと家人らを叱り飛ばしててな、そいで息子がダメになってしもうたんや。悪いことするいうわけやないんやけど、妙に陰気にふさぎ込んでしもうてな、わてはそんなんが大嫌いやったさかい厳しう意見したりしたもんや、そいでしまいには家飛び出して暴走族たらに入りおったねん。これがまだ十四か五の頃やけど、車でコンクリート壁にぶち当ってからにそのまんま死によった。あれからわての生き方も少しは変わった思う。それで今もな、こうして賽の河原をさまよって息子を探してまんねん。地獄で閻魔はんのお裁き受けるんはいつでも出来る。せめて息子に会って謝り言おう思うてさまよってまんねん。しかしこう子供が多ては、どないにもならん。賽の河原、端から端まで歩いて行って帰って来ると、もうまた新しい子供の亡者が五万と到着してる。永遠にこの抹香臭い河原を行ったり来たりや。罪滅ぼしにもならんけど、わてが閻魔はんに謝ったかて、親に見捨てられた子供の魂は浮かばれへんやろ」
「そらまあ、ご殊勝はんなことでんな。しかし今時の十四五の子供が、こんなとこでおとなしゅう石積みなんかしてまっしゃろか。それに罪作って生きてきたんは旦さんだけやありまへんやろ。そこまで身を責めんかて、ええんと違いますか」
「そらええが、お前はんはまだ若いのに、何でまたこんなとこ来たねん。ちと早すぎやせんかい」
伊勢屋の旦那に聞かれて、鯖に当った話を繰り返す三十男。そして連れの私を紹介した。伊勢屋の旦那はどちらに聞かせるでもなく、この世界のことを語る。
「なんにしても頼んないことやで。わてがここへ降りて来たんは昨日のことのようやけど、案外何百年も前のことかもわからん。ほんまに時間ちゅうもんがあって、ないようなとこや。そら、時おりは娑婆にあった頃の身体が夢幻のように見えることもあるけど、ほら闇ん中に白い薄ぼんやりした手が見えまっしゃろ。これがわての手だす。いや、わての手だったんだす。それも見えがてに見えて、見えんことの方が多い。あんさんもそうだっせ。まだ娑婆の記憶が鮮明やさかい、自分の体、あるように思うてるかもしれへんけど、なんの、そのうちにはとんと見えんようになりま。まず下半身、脚のあたりから消えまんな。そいから胴が見えんようになって、手を振ってもその手が見えんようなります。もっともここでは食うことも、働くことも、女子と何することもいらんさかい、それでも少しも不自由せん。そのうち馴れまんがな」
たしかにそうだ。三途の川を渡った後には、亡者の輪郭はすべてあいまいで漠然としたものになって来た。それは物としての輪郭の投影ではなくて、自分自分が思い描いている意識の反映なのだ、となんとなく理解出来る。自意識の強い奴は比較的くっきりと見える。おとなしい、控え目な奴の姿は風にゆれる端布のように頼りない。
「そういやあ、たしかに三途を渡ってからは、男も女もみんな器量よし、美男美女の群れになってるわな。おかしなこっちゃで。みんな自分のこと何や思うてんのやろ。アホらし。それと伊勢屋の旦さん、ひとつ聞きたい思うのんは、渡し舟の中で鬼の船頭が人別帳がどうたらこうたら言うてましたが、あないなもんが地獄にもありまんのか」
「そら、あるがな。これだけの亡者を手際好う捌かなあかん。目分量や目測では埒が明かんで。あそこの鬼なんか遅れてるさかいまだ手書きの帳面てなものに頼ってるけど、閻魔の本庁ではもうパソコンが仰山導入されてるがな。電気?電気てなものは心配せんかてええ。雷電は閻魔庁の外郭事業やがな。地下発電所で余った電気を娑婆の空に放出してんのや、夏の夕立なんぞの頃にな」
六道の辻で手持ち無沙汰に群集している亡者たちはやがて、「念仏」を買いに見世屋街に散って行く。六道の辻の空き地に軒を並べた店々には、金細工を施した豪華なのから、紙袋にぞんざいに包んだだけのまで、値段に応じた「念仏」が売られている。亡者たちが賑やかにそれを冷やかして回る。これが最後の喜捨の機会だっせ、せいぜい金で購えるだけの罪滅ぼし、やっときなはれ。という伊勢屋の促しに応じて、周りの者たちが思い思いに店の軒下に駆け付ける。店の中は裸電球に照らされて、まばゆいほど明るい。私だけは笑って取り合わない。伊勢屋のお節介そうな霊が私を覗き込んで、あんさんはまだそれほど年でもなさそうやのに、「なかなかでんな」
何が「なかなか」なのか。たしかに娑婆でも私は変り者だったかもしれない。私はただ人類に福音をもたらす自殺の究極の快楽を追い求めただけの男だった。しかし一方では毎朝九時に事務所に出勤して、隅っこの席で一日の時間の移り行きを計っている。手は書類を繰っているが、身体は微動だにしない。彫像のようだとからかわれたこともある。またあだ名が「烏」、いつも決まりきった黒っぽい潮たれた背広で生きていたかららしい。不吉で陰気で、終末的な人間の現実を予告する「疫病神」、それを忌む気持ちがどの顔にも。馬鹿め、お前らもどうせ時間が押し流して、死に向かい合う地点まで行くのだ。その時になって俺の研究の成果が最後の希望になるだろう。それまでせいぜい俺を用無しの穀潰しとでも侮っていればいい。そうして昼休みには必ず、こんな安月給取りには不相応な高級レストランに歩いて行って、高価なフルコースをゆっくりと一人で食べていた。そうしながら自殺の高邁な論文を組み立てていたのだ。まあ、「なかなか」と言えば言えるかもしれない。生きた死神みたいなものだったが。
そんなことを思っていると、また別の亡者が寄って来て話しかける。生前にはこんなに他人から関心を持たれるようなことはなかったのに。
「私は極普通のサラリーマンでしたが」とその五十がらみの男が言う。「それこそ三十年間陰日向なく勤めて来たんですが、急に関西に転勤になって単身赴任してる時に、食生活の乱れからかもしれませんがね、病気になりましてね、少々の病気で休むわけにも行かず、無理して働いていたんですが、結局癌だとわかった時にはもう完全に手遅れでした」
儀礼上、私の方も自己紹介して自殺研究の一端についても簡単な説明をした。この初対面の紳士がいたく関心を示したからだ。それも無理はない。末期の膀胱癌で、さだめし死そのものよりはるかな苦しみを経て来たことだったろう。
「いやあ、あなたに生前お会い出来ていれば、私もあんなに苦しまなくてよかったでしょうにね。病院の廊下を血小便を流しながらね、そして数か月間ベッドの中で七転八倒の激痛をね、本当に何にも悪いことをしていなかったとは言いませんがね、そりゃあ私も人間でしたから、でも死ぬ前にあんなに苦しまねばならなかったなんて不条理ですよ。あなたのそのご研究の成果があれば、私は自分の人生を呪いながら死ななくてもよかった。自殺の手段がどんな人生の事柄よりも重要になる時はあるんですよね」
しかし今はもう肉体の苦しみの激流からは脱して、穏やかな静流に浮かんでいる表情だ。二度と人間には生まれ替りたくはない、と彼は言う。「もし人間界に入るなら、物心ついてすぐに自殺の研究に取り掛かりますよ」上品そうな顔立ちの、実直そうな中年男である。手にはいかにも中ごろの値段の、漆塗りタイプの「念仏」を大事そうに抱えている。彼は六道の辻に到着するとさっそく店々を尋ね、「縁起物」を熱心に見て回ったらしい。この男は死んでもなお何かに満足している。生前は自分の仕事や地位や生活に何の疑いもなく満足し、どこまでもおとなしく、どこまでも凡庸に生きて来た、その人間性のイメージは十分想像できる。ただ満足できなかった唯一の例外が末期癌の激痛だったということだ。
「そんなもん買っても何にもならんでしょ。どうせここら辺りの商売人が、売らんかなで作ったインチキもんじゃないですか。だいたいそんなことで極楽へ行けるんなら、娑婆で何をしてもよいということになって、あっちの世界秩序は崩壊してしまうでしょ」
私は彼の罪のない、分別くさい様子に少し苛々する気持ちになって、相手の喜ばないことまで言ってしまう。私の悪い癖だ、真面目な人間の不動心を、ちょっと横からくすぐってやりたいという。
「いや、いいんですよ、みなさんが買っておられるんで、私も同じようにしておいただけなんです。インチキならインチキでかまいません。ところで、私はこういう者ですが、以後お見知りおきを」
と言って、男はふところから名刺を引っ張り出した。私は有難迷惑な思いで、渋い顔つきのまま受け取って、微かな鬼火の街灯に晒して読む。私はそもそも名刺などというものが大嫌いな人間である。名刺には「元」何々といった娑婆の頃の肩書きがあり、さらに戒名が印刷してあった。
「まさかこれはあっちで作られたんじゃないでしょうな」
「いえ、さっきここの街筋で即席の名刺屋があったんで、作ってもらいました。地獄もなかなか気の利いたところですな。私はどうもこれがないと落ち着きません。ところでお浄土とやらへ行けるのはどのくらいの競争率ですかね」
「最前人が言ってたけど、何万分の一くらいだそうです。まずよほどの徳行を積んで、地域住民からこぞって慕われるような人でないと話にもならんでしょうな。なんせ坊さんでもほとんどが極楽には行けません」
「政治家はどうでっしゃろ」別の男がこの会話に口を挿んだ。我々のまわりにはまた人垣が出来つつあった。なにか私の日頃の胡散臭さが、かえって地獄では裏の事情に通じた狷介な人物のように映るのかもしれない。そうした人間から情報を得たいという切なる気持ちはわからないでもない。
「いや、そら政治家の方がむしろよろしおまっしゃろ。あれら人の行かん裏道知ってるさかい、それに閻魔庁の偉いさんたらし込むにも一日の長がありまんがな」また別のおしゃべりが答える。そのうち「念仏」買いを終えた亡者がわらわらと会話に寄って来た。
「どのみち娑婆で人間やってた亡者を裁くんでっさかい、どんな悪党も、どんな善玉も五十歩百歩の違いだす。誰か選別してお浄土なり、極楽なりへ送り込むんなら、愛想立てのええ、口のうまい亡者を選びますがな。娑婆で大層な地位持ってた人は、やっぱしどこそこ余裕や貫禄があるし、普通のもんの知らんこともよう知ってて、わてらみたいな亡者にしてからが、どうしてもそんなお人にはお先にどうぞってな気いになりまんがな。昔の権力者が神さんや仏はんになってるのがええ証拠ですわ」
「やっぱしな、娑婆でええ目見た偉い衆は死んでも下駄履かせてもらえるわけやな。わいらはどう転んでも損な役回りばっかりや」
「そうともかぎらんでしょう。まだ閻魔に会ったわけでもない」
私はむきになって反論する。「そんな馬鹿げた、安直な形式的な判断で極楽行きを決められるんなら、そのうち極楽そのものの質が落ちるわけでしょ。そんな自滅行為をしますかね」
「まあまあ、ええやないか」と伊勢屋の旦那が押し止めるように手を振る。「地獄もみんなで行けば恐いことあれへん。行けもせん極楽のことを愚痴っても始まらんがな。わてらにはなんぼうにも関係のない話や。どうせ六道のどれかに行くのんは決まってるがな。身の丈に合うた幸せ見付けて、のんびりやろうやないか。なあ、どこへ行かされても戸惑わんように心の準備しとこな」
そんなことを誰かれとなくしゃべっているうちに、地獄道の奥の暗闇から乾いた狂おしい熱風が吹きつけて来た。亡者の口が自ずと閉ざされる。やがててんでに金棒や刺す又を引っ下げた鬼の一団が、恐ろしい顔してその闇から駆け出して来た。鬼たちは帳面を見ながら亡者の群衆を強引に手荒く列に並べて行く。すわ、これこそ六道の振り分けかと、亡者の間に緊張が一気に高まる。お前はこっちや。お前はそっちやない、こっちや。さっさとこっちへ来い。のたのたすな。聞き分けのないやっちゃな。こっちへ来んか。鬼の鉄拳が、我意を張る亡者の横面に落とされる。肩を引っかんで寄せたりこづいたりして、整理して並ばせる、その手並みには長年の熟練を感じさせる。
亡者の大集団はやがていくつかの同じ数くらいの小集団に分類された。鬼たちは、それを「班」と呼んでいるようだった。1班、2班などと呼び、班ごとに鬼の統率者が付く。班の整頓が完了すると、鬼の統率者が号令をかけて地獄道へ向って進発して行く。すばやい、実にてきぱきとした一連の動きだった。私の班は、13班と呼ばれていた。鯖の兄さんはまったく別の班へ入れられて、先に出発して行った。闇の中の道を怯えきった亡者の行列と鬼との集団が歩調を揃えて次々と小走りに行く。
六道の辻の繁華な町並みが途絶えると、あたりは一面の荒野となった。闇の底に草木も生い立たない、岩と石だらけの地平が広がり、冷え冷えとした闇の中を鬼火だけがあたりを照らし出しながら隊列の上について来る。やがて道は四方を岩壁に囲まれた所へ入って行く。広々とした薄闇の世界から、闇をさらに濃く凝縮した穴のような所へ吸い込まれて行った。すなわち巨大な洞窟である。以前ここには来たことのある感じもする。不思議な記憶の惑乱とでもいうのか。無性にこの洞窟には見覚えがあるような気がするのだ。娑婆でだろうか。それとも夢の世界でここをさまよっただろうか。鬼火が照らす岩塊の一角は鍾乳石のようにしらじらと浮かび上がり、その表面はたしかに濡れているようでもある。洞窟の天井は高くなったり低くなったりして、延々と続く。おしゃべりな亡者は隣人とこんな場所のことを批評し合っているが、それは恐怖感を払うためでもある。
「な、見てみいや、気色の悪いとこやで。わてらいっぺん死んでるさかい、いまさら死ぬのは恐いことないけど、こんなとこで永久に居れ言われたらそれこそ死ぬより恐いがな」
「何をいうてんねん。地獄が気色のいいわけがあるかい。いまからいよいよ閻魔の庁へ連れて行かれるんや。そこでお裁きを受けて、まあ、わいもおまはんもどうせ地獄行きよ。なあ、仰山悪いことを積み上げて来たものな。そうすりゃ、こんな落ち着いた場所では済まへんで。ありとあらゆる恐ろしい地獄が待ってんねん。針地獄、血の池地獄、熱湯地獄、そのほか火やら水やら刀やら鞭やらの賑やかなこっちゃがな。考えられるかぎりの残酷な刑罰があってな、それで責め苛まれて、死んでもまた生き返るねん。苦しむためだけに、地獄の中で仮に死んで、そんでもってまた仮に生まれかわんねん」
「なんべんもかいな?」
「なんべんもや、永久にや」
「せわしないこっちゃなあ」
「そや、せわしない。あがいてもどうにもならん。そやから静かに呑気な顔して旅が出来んのも今の内だけということや」
「しかしわては思うんやけど、皆がそう言うて恐ろしいとこや、恐ろしいとこや言うて脅すけど、そんなに永久に恐ろしいなんてことあるやろか」
「どういうこっちゃい?」
「そやろ、人間、恐いなんて気持ちはそないに永く続くもんやない。どうせ一時一時のこっちゃがな。それに、恐い思いすんのは心に欲のある娑婆の人間の話やで、欲があるさかいそれが思うようにならんで恐れるのと違うか。わてらもう死んでんのや。恐いとか、苦しいとかいうことはほんまにあるんやろか」
「そうやな、たしかに恐いなんてことはないのかもしれへんなあ。地獄も言われてるほど悪いとこやないかもしれんな」
「まあ、そう思うて行こうやないか。恐れても、嫌がってももうどうにもならんがな。後は、地獄の定めに従って行くだけや」
とやこう言ううちにはふたたび広々とした空間に出て来て、人通りも賑やかになる。道も広くなって、路面も石畳か何かで整備されてある。それでも隊列の歩速は一定のままで、後にも前にも同じような隊列が連なっている。そして道の尽きる辺りが見渡すかぎりのグランドのような広場で、周囲を鬼火がびっしりと囲って、明るさは類い稀である。なんや、ここでナイターでもやろうちゅうのんか。アホなこと言うな。また鬼にどやされるぞ。隊列はそれぞれの決められた位置に停止させられて、そこで待つように鬼から指示を受ける。待てたかて、いつまで待つかわからんやないか。お兄さんはいつから待ってはりまんのん。おしゃべりが隣の隊の端っこの者に尋ねる。え!あんさんは壬申の乱の時の戦死者でっか。げぇ、こっちのあんさんは大阪夏の陣のおりの方でやんすか。そらまあ、永いことご苦労はんだす。閻魔庁の正門は巨大な鉄の門扉で、その高さだけでも娑婆の何十階建ての高層ビルほどもあるだろう。その前に整列させられた亡者の群集は、もちろん姿が完全に見えるわけではなくて、それぞれの気持ちの強さに応じて闇に紛れたり、現われたりしているが、ともかくその数だけは桁外れに多いことだけはいえる。鬼たちが見回ってはいるが、これだけの亡者が不安に駆られて隣人とささやき交わす声は寄せ合って壮大な潮のようになっている。その地鳴りのような音響が眼前の鉄扉に反響して、音の津波になって押し返されて来る。
「あの鬼の連中てのは、あれはいったい何ですかね」私は伊勢屋の旦那と呼ばれた人に尋ねて見た。彼はついに賽の河原で息子を探すのを諦めて、「お裁き」を受けにやって来たのだ。もっとも死んですぐにここへ来たとて、ただちにお裁きを受けられると限ったことではない。ここには新旧の亡者が娑婆の時間秩序などまったく無視されて、ただ待たされているのだ。千年前に来た者も、今来た者も同じように並んで待たされる。
「あれらも可哀相な亡者のなれの果てや。閻魔の政庁でも人手が要るわけやから、亡者の中からそれらしいもんを雇うわけやな。政庁に雇われた者だけが、ほれ見なはれ、赤やら青やら紫やらの恐ろしげな、ごっつい身体を借りれまんねん。そんな因業な肉体でも着けてないことには、自分いうもんが闇に紛れてわからんようになってしまいよる。あんまり頼んないんで気い狂いそうになったんが、閻魔はんのお慈悲で鬼にしてもらいまんねん。ほんまは娑婆でもええ目見なんだ、孤独で寂しい奴らですわ。あいつらが地獄で一仕事終えて、業火の傍らで一息ついてる時の寂しげな肩を見てみなはれ、娑婆でどんな不幸を背負うたんか知れへんけど、地獄へ来てもやっぱしああやって亡者を責めては自分も孤独に苦しまなあきまへんねん。極重悪人のなれの果てやな」
その話のうちにも、新しい亡者の班が鬼に統率されながらやって来る。鬼が金棒を振り回しながら、真っ赤な裂け口を開いて哀れな亡者どもを追い立てて来る。
「早う、さっさと歩かんかい。トロトロするんやないぞ。世話焼かすなよ。わいらはこんな極道なことを何千年もやってんねん。もう何億人の亡者も見て来たわ。わいらの仕事は同じことの繰り返しや。同しような亡者を、同しように捌く。数を捌かなならんねん。わいらは獄卒やさかいに頭を使うことはいれへん。その代わり、次から次から引っきりなしに押し寄せる亡者の群れを滞りのう捌かなならん。そうすりゃあ、わいらはお前らよりは少しはましな立場であれんねん。地獄では、鬼が一番恐いんやで。四の五のいうて世話かせやがったら、六道回る最中にはひどい目あわしたる」
「そうはいうても、わいら何も悪いことしてへん。罪が確定しとらんのに鬼はんにそないに言われんならん道理はおまへんやろ。わてらはただ死んだだけや。死んだ者はみんな罪人だっか」と鯖の兄さんが受ける。鬼も退屈晴らしに立ち話がしたいらしい。むっつりとふてくされたような面をしながらも、会話に乗り出してくる。
「当たり前やがな。お前ら、娑婆でいっぺんでも罪作りせなんだ言えるんか。そんな奴があったらお目にかかりたいわ。ええか、ここのお裁きは運転免許書の更新とは違うで。三年で罪が帳消しになるような甘いもんやない。どんな一挙手一投足、一言片句でも全部娑婆の罪は記録されたままや。文句を言う前に、よう胸に手当てて思い出してみい」
「そう言えば、わてが死ぬ一年前に歩道で倒れている人を、どうせ酔っ払いやろう思うて、知らんふりして見過ごしたことがあったなあ。あん時悪いとは思いながら、なんせ急いでたし、それに何で倒れてるのわからなんだ。結局、そのまま歩道を迂回して行ってしもうた」
「それ見い、もうその罪だけで十分地獄行きの因果になるがな。そのあんたが見捨てた奴が、このオッサンやがな」つまり私の方を顎で指して話を続ける。「あの日、車に当てられて虫の息で倒れてたんや。それから一年近く病院で寝たきり、意識不明のまんまや。あんたがあん時早うに救急車呼んでりゃあ、助かったかもしれん。しかしこのオッサンも変った人間やで。いや、人間だったんや。自殺の方法をさんざん研究しながら、自分は事故で長いこと苦しんだ挙げ句に死んだんやかいに」
そうとわかっても、今更冥途の道連れを恨む気持ちはない。まあここへ来てしまった以上、過去など何の意味もないことであるし、生き残ることが幸福で、死ぬことが不幸とはどうしても信じられないということもある。心のどこかには、早いこと(もっとも四十半ばまで生きたら十分であろうが)死んでよかったという気持ちがないでもない。
「そらまあ、そう言われればたしかに因果でやんすな。それでも鬼さんにお尋ねしますが、いったい誰が何の資格でわてらを裁くんでやんすかい?」
「決まってるやないかい。地獄界を司る閻魔大王様やがな。閻魔様ちゅうのんはやね、人類で最初に死なれはったお方や。つまり最初にこの黄昏の国へ来なはって、ここで未来永劫の絶対権力を確立なされたお方や」
死ぬのはいい。しかしその閻魔大王とやらが何だと言うのか。そんな奴に裁かれてたまるか。彼は人類で最初に死んだ人間だとされている。それなら彼も元は人間であったわけではないか。同じように罪作りな生活をして、欲情を持ち、我意を張り、他人と争って生涯を送って死んだはずだ。それなのにただ単に最初に地獄へ来たという特権だけで、それ以後の全人類の罪刑を確定する権限を一手に持つというのは理不尽な話だ。彼はこの地獄に18名の部将と、8万の鬼卒とを従えて君臨しているとも言われている。もちろんそれは大昔の記録であるから、「現在」ではその「兵力」ははるかに強大なものになっているであろう。しかしその力だけでこの地に権力を布いているとすれば、ただの強権独裁というに過ぎないではないか。
意識がせっかく肉体から離れて純粋な自己同一性を果たすかに思えた時に、つまり意識それ自体の存在感を享受しうる絶対的な境地らしき状況に立ち至ったと思えた瞬間に、「世間」という「肉体」が眼前に不遜に屹立した。しかしそれも私の死後の錯綜なのかもしれない。意識それ自体が中空に孤立した「存在」などそもそも意味があるのだろうか。死後の妄念がただ、過去からも未来からも完全に途絶して漂い、非存在の事実を糊塗したまま、存在を夢見ているだけのことかもしれない。夢見る意識が、今「現在」の意識を夢見ているのか。すると、地獄もまた幻影、そこでまことしやかにくり広げられる「茶番」もまた阿保臭い幻なのか。いや、そもそも孤立しうると自惚れた意識にとっては娑婆の世間さえが、そんな相対位置にしかないものかもしれない。
「なあに、そんなたいそうなことがありまっかい。これだけの亡者を捌くのに、一人一人審判にかけるなんて手間を取ってる時間はありまへん」私の想念をふと中断させたのは、昭和四十年代に死んだ伊勢屋の旦那がまた近くの亡者をつかまえてもの知りを披瀝している声だった。
「日本の民族だけでも毎日何千人いう亡者が降りて来ますのや。そんなもんは所詮生まれ替わり死に替わる迷界流転の亡者の群れですがな。ルーティンワークで済ましますねん。前世の記憶をすっぽりと抜いてな、娑婆の女の胎内へ放り出せばええというだけのこってす。それを一秒間に何百、何千いう数でこなして行きよる。人間だけやおまへんのやで。死ぬのんは畜生も虫も草木もみんな生きてるのやさかい、それらが寿命尽きたらやっぱしここに来ますがな。もっともそれらを扱うのんは別の部署があるらしいけどな。閻魔はんのお裁きも形式的なもんですわな。心配せんでもええ」
どのような形であれ現実の中に身を置きながら、頑強にその現実界を意識のレベルで拒絶するいつもの私の癖。私はさしずめ地獄に降りたペシミストか。まあ、単なるへそ曲がりではある。それは人類最初の死人、閻魔もそうだろうが、彼が永遠に人間の前世の罪状を裁く役目を受けているのはなぜだろうか。娑婆の人間に何か価値があるとすれば、それは世間にまじわりながら世間の他人を許し続けることであろう。人を許す者だけが許されるし、許す者の内実がペシミストであろうとニヒリストであろうと、自己破滅者であろうとそんなことはその人の価値に何の関わりもないことかもしれない。しかし彼、閻魔は亡者を裁く。娑婆では正当性があろうと、なかろうと人は人を裁く誘惑に駆られ、そして裁いた後に己れの心に修羅の苦しみを生む、そんな繰り返し。それにしても誰からも頼まれもせぬのに、ここの連中、閻魔も鬼卒らもみんなご苦労なことだと思う。人の過去の生きざまに判定を下す、それはある意味でもっとも難しい課題であるし、またそうして他人に裁きを着けることの苦しみをすべて引き受けもしなければならない。許されざる者を許してしまうくらい姑息な、安楽な選択はないのに。閻魔とは、あるいは地獄界でもっとも苦しむ者、過去未来永劫に最高の苦悩を運命づけられた絶対者であるかもしれない。それは絶対者であることの苦悩なのか、それとも許さないことの責任を課せられた苦悩なのか。
それでは世間に交わりながらも、世間の様々な価値を信ぜず、己れ一人の観念世界の独立性の信念に固執していた男はどのように裁かれるのだろうか。娑婆に未練を残してここへ来る亡者は多い。あるいは自殺というかたちで現世を否定してここへ来る者も少なくない。しかし娑婆を否定する精神を持したまま現世でそれなりの楽しみは得て、社会をコケにしながら社会に加わり、己れの冷笑嘲笑するものを平然と享受し、自分自身自殺する気は毛頭ないのに他人のためにその方法の発展を企画して来た男、ある種の逆説主義者、したたかなオプティミスト、史上最悪の瞞着を腹に保った人間、つまり私のような箸にも棒にも掛からぬ奴をどう裁くつもりなのか。私はむしろその判断のプロセスが知りたい。
閻魔の庁の正門前は霧とも煙ともつかぬ白いもやが流れ、亡者の霊はその幽明のもやの中で見え隠れする。「いったいいつになったら開きまんのやろ」「さあ、わかりまへんな。なんせここには時間いうもんがありまへんよって、いつと決まったことは何もないんだそうだす」「閻魔はんの気分次第ですやろか」「さあ、六道の混み具合やら、娑婆の生殖活動の加減やら、いろいろ都合があるのんと違いますかいな」とこうするうちに鬼卒たちが正門前の一ヶ所に集合して何やら連絡事項を伝えられると、朱塗りの柱の巨大な鉄門が真ん中から裂けて、内側へ開かれた。鬼たちが忙しく走り回り、亡者の班ごとの列を誘導しながら政庁の中へと入って行く。「何班、前へ進め。列を乱すな。しゃんとせいよ。さっさと行けよ」
わあわあ言いながら門をくぐって閻魔庁へ入った亡者の大群集も、やがて聞こえて来る遠くの地獄の音響に自ずと声が止まってくる。それは罪人を鞭打つ音、火の中や熱湯の中に入れられた絶叫、激しい泣き声、殷々と響く呻き声。そうかと思うと、時おり混ざる場違いな奇矯な叫び声、それは耳にするのも気色の悪い笑い声となってすーと糸引くように消えて行くのだが。ゴボッと何かが沸騰するような音もする。腸がのたうつような音もする。さらに鼻孔に漂って来るのは、肉の焦げるような臭い、血の濃密な臭い、糞便の臭い。そして気も萎える熱風が吹き寄せる。地獄とは、娑婆で体験した気味の悪いもののイメージの総体と言ってもいいかもしれない。
始めは数の多いことを頼りに、意気軒高に空元気を張って歩んで来た亡者の一部も、不気味な気配や声を呑むほどの威厳に打たれてしーんとなってしまう。奥へ通って行くとやがて、驚くほど広い部屋に行き当たる。幾百千もの亡者の班が金棒持った鬼卒にそれぞれ率いられて、話し声もなくざわざわと大広間へ流れ込む。これが閻魔のお白洲と思われる。そのホールは周囲の壁は剥出しの岩盤であるが、天井と床は細工の施された立派な大理石様の壮大な建材で、それを見上げても果てしもない広さであることがわかる。壁の岩には等間隔に鬼火の松明が備えられている。その無数の火明かりによって申し分のない明るさである。「本日」のお裁きを受ける予定の亡者が全員この部屋に入ったところで、巨大なドラが鳴らされる。腹の底に沁み渡るような太い、重たい響きである。静粛はいやが上にも高まる。ところがそれでも懲りない奴もある。自分の胸中の感動をどうしても人にしゃべらないと納まらない奴、たとえもう一度殺されても今の心境を語ってしまいたい奴。
「なんとまあ、凄いところでやんすな、閻魔はんのとこは。やっぱりわてらが娑婆で想像してた通りの場所やないですかい。これならどんな罪人かて畏れ入りまんがな。まあもっとも、人間の犯す罪なんてものは、所詮人間のやる範囲でおまっしゃろうけどな。どんな罪人かてわてらの一部ですわな」私の耳に囁きかけてくる声は、三途の手前で出会った青鯖の兄さんだった。移動のどさくさ紛れに班を外れて、私の隣へまた寄って来たのだ。
「こんなところへ来ちゃあ、また鬼に怒られるぜ」
「ええですわ。いまさら何言われたかて、ここまで来たらもう腹くくらな。うちの班なんかみんな年寄ばっかりでんねん。もう娑婆で生き過ぎるくらい生きて、耄碌して死んで来た人らばっかりですさかい、全然話が通じまへんねん。やっぱ同い年くらいの男仲間がないことには寂しゅうてやれまへん。それにわてはな、あんさんは何かどっかここらの亡者どもと違うと思うんです。何かこう、自分の信念みたいなもんを持ってはる。あんさんは極楽行きの特別枠に入るんやないかとにらんでまんねん。ついでにお仲間いうことでわてもそれにはめてもらおうなんて虫のいいこと思いましてな」
「はっはは、何をおっしゃいますやら。私なんかとてもとてもそんな器ではない。浅学非才の凡俗ですよ」
とは言いながら人からそう言われてまんざらでもない気分であるし、反面胸中の秘かな期待を見抜かれたのような気がしないでもない。わざと素知らぬ風を装う仏頂面。私が極楽行きの特別枠へ。この事情通の男がこんなことを口にまで出して言うからにはやはり、私に関して何か好いことでもあるのだろうか。何といっても、私の途中挫折はしたが、長年研鑽した研究は地獄に「お客」を増やす役には立つはずのものだ。娑婆世界にとっては人類の種としての存続を危ぶませるほどの恐ろしい研究であったが、地獄への功労者であることはたしかだ。こんな亡者はそんじょそこらにはいない。
極楽行きなどということは娑婆では考えさえしなかったことだが、そうはいっても地獄と極楽では天地の差だ。どちらに行きたいと聞かれれば、やはり上に行きたいと答えるのが正直な気持ちのはずだ。あそこの快適さは娑婆でもよく聞かされていた。あそこへ行きたいためだけに一生を棒にふった者も昔はいたそうだ。その快適さに飽き足りてしまわないかと想像もするが、そんな娑婆の他愛もない快適さとはどだい次元が違うのであろう。西方十万億土にあるという阿弥陀仏の居所、そこでは人間のどんな苦患も消滅している。おそらく倦怠感や空虚感からさえ救われているのであろう。さあどっちへ行きたい、と言われればどんな反逆児でもやはり極楽と言うだろう。
ただし定員は極々わずかであり、ここの亡者のはたして何人が閻魔より通行の許可がもらえるか。おそらく見渡すところ、「本日」分には一人もおるまい。全員六道送りで、そのうちでも地獄界が最大の定員のある間口である。九割以上は地獄へ追い込まれて、強姦をした者は畜生界へ、戦争で殺人を犯した者は阿修羅界へ、暴飲暴食で身体を損なった者は餓鬼界へと行くことになるが、それらはまあ割合でいえば少数であろう。そしてもっと恐ろしいことには六道へ回った者全員が地獄の責めの後に揃って人間界へまた追い出されるのだ。「人間」に生まれ替わる。人間の肉体を背負って、人間として生き返さねばならない。あのやりきれない娑婆の、苦患に満ちた現世へまた出て行って、ごちゃごちゃと生きなければならないなんて、笑い話にもならぬ。
また永い待ち時間である。その間、私が気になってならなかったのは三途の渡で同行した無口な同い年くらいの亡者で、この男が今も同じ班にいる。その全体の雰囲気にどこか水のように淡泊な、穏やかな気配がある。娑婆の濁世を生きぬいて来た男には見えないほど、浮き世離れした柔和さ。脱衣婆が一目置いたのも無理からぬ気もするのだ。何か自分の周囲のすべてをまとめてあっさりと許しているような、頼りのない、はかないような、どこかもの悲しい、いかにも死者らしい死者ではないか。いったいどんな悪業を積んでここへ落ちて来たものなのか。話しかけてみたくて、どこかためらわれる。その乳児のように率直な目で、私自身の中身全体が一瞬で見透かされそうな不安があるからだ。それにしてもその男の風貌姿形はみすぼらしくて、なんと冴えないものだろう。肩はすぼみ、目は伏し目がち、実年令よりはるかに老けて見えて、目の色だけが異様に澄んでいる。娑婆の競争社会に、最初からまったく参加しなかったのか、それともそこから追放された生涯だったのか。
「どちらから?」ちょっと声をかけると、「はあ、あちこち居りました」と答えて、少し怯えたような真剣な眼差しで見つめ返す男。
「あかんが、この人はほんまに甲斐性がないのんや」女将が後を引き取って断定的に言う。
「この人知ってるの?」
「ええ、そら馴染みのお客さんだした」
「ところで女将さんはなんでまたここへ降りて来たんだい?」話の矛先が変ってきた。
「まあ、聞いておくれやす 」しかしそこでもう一度ドラが鳴り響いた。
さあいよいよ、閻魔大王様の御出場である。ホールの正面、亡者が列を成して集合している前方へ、「王」の字を打った黒い冠を頭に載せた大男が眠たい顔をして、ずかずかと歩み進んで来た。唐服とかいう珍奇なほど古風ななりで、二人の鬼の従者に両脇を守られて、あまり颯爽とはせぬ様でいきなり右手奥の袖から現われ出た。おそろしく大きな男だが、どこか全体に締まりのない感じで、もはや威厳を持たせようという気もないらしく、手足の運びのひとつひとつにも投げ遣りな気配がうかがえる。身ごなしもどこかあたふたと忙し気で、今この場の仕事などさっさと済ませて、次の予定に移りたがっている様子が顔にありありと見て取れる。考えて見れば何千年間も同じ仕事をやってきているのだ、本人も相当に倦み果てているといった事情があるには違いない。
壇上の「玉座」に腰掛けると、亡者の方には目も遣らず、鬼の秘書役から渡される分厚い帳簿を形式的にさらさらとめくって見せる。おそらくその帳簿に「本日」分の、数万人の亡者の「前世経歴表」、「罪状報告控え」等の個人毎の書類がファイルされてあるのだろう。そんなものを一々読んでいる暇は、もちろん大王にはない。すでに事務方で決めている亡者毎の処分を裁可する手続きを、彼が取ればよいだけになっているはずだ。そしてこの場で一言、もっともらしげな訓話をひとくさり述べるのが彼の仕事のすべてであった。閻魔大王は一、二度咳払いをしてから杓を構えて立ち上がる。そして髭をしごいて威厳を取り繕いながら演台に立った。
「皆さん、本日はお忙しいところをお越しいただきましてご苦労さまでございました」
ケッ、お忙しいてなことがあるもんかい。好きで来たんやないわい。私は大王の第一印象に胸がむかついて、ぼそぼそと悪態をつく。伊勢屋の旦那がシーと押し止める。亡者の誰もがうなだれて、ひたすら神妙に拝聴しているのを私は見回して、いっそう嫌な気分になる。この中にはあるいは一国の総理大臣や大学の学長やノーベル賞の科学者もいるかもしれないが、こうしてここへ来てしまった以上はどんなに威張って見たって始まらないのでもあろう。横丁のご隠居や熊さん八さんと同じように並ばされて、黙って閻魔大王の演説を聞き、そして一方的なお裁きの申し渡しを受けねばならない。その意味ではすべての人は死後において平等と言えるかもしれない。そのお裁きはどういう形で申し渡されるのだろうか。一人一人にこの場で告げるわけにはゆくまい。それともすでに裁きの結論によって班が分類されているのだろうか。このまま班毎に六つの道のいづれかに引き立てられて行くのか。あるいは極楽行きだけは別に呼ばれて直接閻魔から告げられるのではないか。そういえば、通り一辺の演説を面倒臭そうに続けている壇上の閻魔大王の視線が時おり私の方に注がれているような気もしないではない。ああ、これがこのたび万にひとつの機会を掴んであっちへ渡る、運のいい奴か。後で、どのような奴か話をしてみよう、とでも言っているような好意的な眼差しである。私の勝手な思い込みかもしれないが。
「というわけですから、皆さん方におかせられましては、心身にご留意の上、益々のご活躍をなされますことを祈念いたしております。なお、どの界に進んでいただくかは後ほど担当の方より班毎に説明をいたしますので、今しばらくお待ちいただきたい。縷々申し述べましたが、これにてわたくし閻魔よりの挨拶を終わらせていただきます」
演説を終えると、閻魔大王は時間が気になるらしく、秘書役の鬼たちに促されるままにそそくさと大広間を立ち去って行った。終了の合図のドラがまた鳴り渡る。残った亡者たちの中には、最前の閻魔の演説に対する感嘆の念を禁じ得ない者も多い。「さすがやな、地獄界に君臨する人類で最初の死者だけのことはあるがな」「娑婆であれだけの弁が立つのは、きょうびおりまへんで」「いやまあ、閻魔はんの話、直に聞かしてもろて、ほんまに死んだ甲斐がありましたわい」
鬼たちが奥の別室から飛び出して来る。その手には書類をはせたファイルが大事そうに握られていて、当然そこに亡者の行く先が記されていることが誰の目にも明らかである。班毎の列は自ずと無駄話が減ってくる。どの亡者の目にも熱い期待と不安が滲みだしている。私だけがうそぶくように懐手をして天井を見ている。単身赴任の親爺さんは、これ以上ないほどの神妙さで伏し目にして畏まっている。放浪の男は相変わらず無関心そうな目を遠くへ遣っている。女将はその男の側に立って、思い入れたっぷりに男の視線をとらえようとして見つめている。鯖の兄さんはそわそわと首を振り、視線もきょろきょろと動かして焦点がない。伊勢屋の旦那にはどんな運命も覚悟した落ち着きがある。己れの子供を死なせた人間にどんな贖罪も適わないと思えばこそ、娑婆の時間で二十年近くも賽の河原をさまよい続けたのであろう。鬼の「担当者」がしかつめらしい顔をしてファイルをひろげる。いよいよだ、という緊張。「いつまででせっしゃろな」鯖が伊勢屋に早口で尋ねる。「いつまでて?」「つまり地獄行きとして、あそこで苦しめられる期間ですがな。まさか永遠てなことはないでしょな」「そらわからへん。罪の重さにもよるけど、たいがい次に人間に産まれ替わるまでやな」
おい、貴様、こっちへ出ろ。鬼が真っ先に私を指差して命じた。そら、やはり私は極楽の特別枠だ。長年の自殺研究の成果だな。そうだ、そういえば結論は「凍死」だったな。首吊りや手首の動脈切りが理想という古典的な考えもあるが、あらゆる観点から凍死することが最高の方法だ。やった、と喝采を叫びたいのをぐっとこらえて、生真面目な顔を取り繕って亡者連に御免をこうむるために手形を切りながら列の前に出ると、「ああ、貴様はやな、等活地獄行きや。等活地獄いうのんはやな、娑婆で人を殺したりした者が行くねん。行って永久に何遍でも殺され続けるんや。自殺なんかでけへんで」
「いや、わたしは人殺しなど一度だってした覚えはない」
「人の自殺の手助けするなんて人殺すんと同し罪や。しかもお前はそれを己れの名声のために利用しようと目論んでたな、いやらしいすけべえ根性やがな、罪は重いで。おいそれとは出られへんで。そいから伊勢屋忠兵衛、貴様はもういっぺん賽の河原へ追放や。子供を探すなんて言うてからに、あの河原で昼寝ばっかりしてたな、こんだあ性根入れ替えて真面目にやらんとあかんでえ」私は唖然としたまま、鬼が次々と名指しして宣告する六道行きの声など聞こえていない。謙遜して否定はしていたが、やはり極楽行きの選から外されたことはショックであり、どこか納得のゆかないことであった。すごすごと列の定位置に戻る途中で、放浪の某が呼び出されるのが聞こえた。「あなたはやね」と鬼が我々に対するのとは別の声音で呼び掛けるのを意外なことに感じながら。
「あなたは極楽へ行けます。おめでとう。むこうでは仏さんたちと仲良う、末長く付き合って行っておくんなはれ。また別途案内はしますが、なんせあそこは遠おまっせ。そこへ行くまでに宇宙の中で消滅してしまわんように、気いつけなはらんと」何人かの鬼たちがそのまわりに寄って来て口々に祝福を言う。鬼たちにとっても羨ましいかぎりなのだ。
我々六道行きとは、どだい言葉態度まで違っている。「しかし驚きやしたなあ。あの男が極楽行きの特別枠を引き当てるとはねえ」と、また鯖の兄さんが寄って来て言う。「娑婆でやったことといやあ、家族を捨てて、息子を連れて、街から街へと流れ者になってさまよっただけのこと。挙げ句は釜が崎のドヤ街である晩に野たれ死に同然の最後。わてらまあ、立派な生き方してたとはよう言わんけど、それでも家族や仕事を大事にして人並みに暮らしましたがな。それやのになんでわてが餓鬼道へ落ちて、あんなんが永遠に極楽で楽しい目見なあきまへんのか。納得行きまへんな。なんか地獄には不服申し立ての手続きみたいなんはないもんでっしゃろか」
私も同感だった。私だって偏屈者ではあったが、仕事を大事にして、人をわざと苦しめるようなことは一度もなかったと誓える。仕事などはいつも人の目を気にして、周りの人々との和を第一義にやって来た。ねえそうでしょう、単身赴任さん」癌で死んだサラリーマンも、目に不満をたたえながら寄って来たので言葉を投げたのだ。「あなたはどちらへ?そうですか地獄界ですか。一番の大口ですな」私の不満たらたらの言辞は蕩々と胸中に湧いて来て尽きない。「あなたなどはまさに仕事のために、すべてを犠牲にして討ち死にしたようなものだ。たしかにここで娑婆の価値観はそっくりとは通用しないだろうが、それにしても常識的な判断というものがあるだろうに」
「いや、そうとはいえまへんやろ」と賽の河原送りになった伊勢屋の旦那が異を称えてきた。「仕事や家族を大事にするいうんは、娑婆ではたしかに見てくれええけど、結局は己れのため、己れ一人の見栄やエゴのためやがな。そんなんは胸に手当てて考えて見ればわかることや。そうやろ。そういうエゴがここではあかんねん」
「しかしやね」鯖が思い詰めたように反論しようとする。
「わかる、言いたいことはわかんねん」
「そやろ、怠け者がええなんて理屈は納得でけんがな。ひとつ閻魔に掛け合おうやないか。なあ、皆さん、駄目で元々、いっちょねじ込んで見まひょやないですかい」鯖の意見に同調する雰囲気が亡者の群れの中に広がった。
「そんな過激なことはせんがええで。ここは娑婆とは違う。泣く子と閻魔はんには逆らえん。閻魔はんはわてらをどうにでも料理でけるがな。殺すこと以外はな。仏はんの世界へ行かんかぎりは、何度でも永遠に繰り返し閻魔はんの前に出なあかんねん。心象悪うしたらどうにもならんで」
「だいたい何の権限があって、彼は我々を支配し、我々に一方的な判決を下したりできるんですかね。彼が人類で最初の死者だということは知られているが、そのことと今のこの権力の壟断とは何の関係もないことだ。死者という意味と条件においては我々も閻魔大王も同じことではないか。掛け合いに行くのなら、私も行こう」
私を含めてそう名のり上げたのが数人。単身赴任も加わった。男ばかりだと殺伐として、どこか喧嘩腰になる。女の人にも加わってもらおうというので、鯖がすでに親しくなっていた娑婆で亡くなった時が娘であった者と、例の女将とのふたりを加えることにした。それに後見役の伊勢屋の旦那を押し立てて、都合七人が閻魔への直談判役を引き受けた。だいたい私は娑婆にある頃から、権威の樹下にありながら自分を包む権威に対して無性に反抗する気味があって、その気質は地獄へ落ちようと、どこへ突っ込まれようと治りようがない。正真正銘の小役人の立場にいながら、役所の決めた事柄に何かと文句を付けたがる。もっともそれこそが屈折した小役人の本来的な性癖なのかもしれないが。かといって自分が馘になるようなところまで押し通す勇気もなかった。私は要するにへそ曲がりだったのだ。
「あんたほんまにわてを捨ててお浄土へ行ってしまうの」女将は我々の一揆の相談など眼中になく、じっと熱い視線で放浪の男を見つめたまま、最後に叫ぶように言った。
放浪の男は黙ったまま、鬼に案内されて亡者とは別の通用口へ去って行った。後に残された女将の目に涙がふくれ上がって来るのが見えたが、我々の方はその降って湧いた愁嘆場に気押されて唖然としていた。これでんねん、と鯖が親指突っ立ててわけ知り顔に言う。
「なんであんたそんなことまで知ってんねん」
「そらまあ、こんなつまらんところで男と女がおりますのやさかい、いろいろありますがな」
「まあ何にしても、いっぺん閻魔に掛け合おう。なあ、これでは浮かばれんがな。なあ女将はん、あんたもあの男といっしょのとこへ行きたいのやろ、この大将といっしょに掛け合いに行こ」ぞろぞろと七人の男女が亡者の群れから離れて、鬼の目のないのを幸いに、こっそりと奥の間へ通って行く。私には閻魔大王に直談判するについての自信があった。自分に対する評価は別にしても(それを云々するのは、ここでも笑止なことであろう)、そもそもすべての過去を失って来ている死者に対して「裁き」などという手続きが必要なのかどうか。何のために必要なのか、それを正当化するための根拠は何なのか、私はその辺のところの曖昧さを突けばある種の恫喝になるのではないかと考えた。
閻魔大王に会わせろと亡者に詰め寄られて鬼の警備員は少なからず動揺したようだった。そんなことはこの政庁では認められていないと形式的な拒絶をしたが、しかしすでに地獄餓鬼阿修羅とろくな行く先ももらえず、しかも殺すわけにもゆかぬ者らをいまさら何で脅かせばよかろう。七人で取り囲んで胸ぐら掴むようにして押し問答すれば、鬼もたじたじとなって引き身となる。そのまま押し巻くって、閻魔大王の室へとなだれ込んだ。秘書役の鬼はたまたま席を外していたので、そのまま奥へと通る。見当をつけた扉を思いっきり引き開ける。整頓されたきれいな室内には、大きな執務用のデスクがあった。そのデスクの向う側に大柄な絶対権力者が座っているらしい。座ってはいるが、彼はデスクに背を向けて窓を見ているのだ。昼寝をしているのか、それとも窓の外の地獄の責め場の紅蓮の炎をペシミスティクな気分で眺めているのか。とにかく我々がどやどやと入り込んだ扉の反対側の壁の窓に向かい合っていた。我々が闖入して、一呼吸二呼吸してから回転椅子が徐に回って、最前壇上に見た恐ろしげな髭面が現われる。今は「大王」の冠は脱いでいる。しかしさすがに地獄の絶対権力者である。亡者が七人許可もなく入り込んで来ても、いっこうにあわてない。もの悲しげに見渡して大きく溜め息を吐く。
一方の我々は正面の窓、つまり今の今まで大王がぼんやり眺めていたらしい窓だが、そこに映っている凄惨な地獄絵図を垣間見て戦慄していた。たぎり立つ溶岩の高炉、炎が数百メートルも立ち上り、その炎の先に高い崖の縁があって、そこから「罪人」が鬼たちによって放り込まれる。鬼たちはフォークのような刺叉の槍で罪人のケツを面白半分に突いては放り込む。彼らはいかにも嬉々として刑を執行している。哀れな罪人は炎をかすめて、溶岩の中へ転落するが、そこで見る間にも肉が溶け、骨も溶けて、一瞬で黒い煙となって焼塵する。絶叫を上げて落下して行く罪人、地底の溶岩のごうごうと渦巻く音、それらが実際に聞こえて来るようだ。もちろん聞こえはしない。その火炎地獄の底の部分に閻魔の執務室は外窓を取っているが、耐火性の厚い窓ガラスによってこの快適な部屋と地獄ととは隔絶されている。彼は毎日、その窓から外を眺めて、彼の後輩である亡者たちが数千度の熱に溶けて行く様を、その苦悶の表情を無関心に眺めてぼんやりと時を過ごすということだ。
「で、何かね、ご用は」
閻魔は言った。その態度は落ち着き払っていて、話を聞くだけ聞いてやろういう太っ腹を見せている。目線だけが油断なくこちらをうかがっている。
窓の景色に呆然と見入っていた我々は、はっとして我に返る。誰かが用向きを告げねばならない。しかし本当は何が言いたいのだろう。今こうして畏まって対面して見ると、我々には理論立ったような主張は何もないような気もして来る。ただ感情的に煮立って、自分勝手に暴発しただけだったのか。他の者たちは皆自分の運命に従順に従って、不平も洩らさず、六道へ就いたというのに、なぜ我々だけがえらく激昂して、こんな我儘なことをしたのかという恥ずかしいような、頼りないような、居たたまれない気持ち。もう一度出直したいという弱気を振り払うように鯖の兄さんが発言した。緊張で喉が潰れたような情けない声だ。
「お、お仕事中、お邪魔してすんまへん。わてら最前お裁きを受けました亡者どもでやんすが、鬼さんから一方的に申し渡しだけされたんでは、なかなか納得出来へん気持ちでして、その、不服というわけでもないんだすけどな、まあ、わてら、そら娑婆でええことばっかしやって来たいうわけでもないんでやんすが、人が生きるか死ぬかの瀬戸際にあるのんでも平気で見捨てたりしましたが、そやけど大なり小なり人間ちゅうもんはそないなところのあるもんで、なかなか娑婆では聖人君主てなものはお目にかかれまへん。それでもわてらかて仕事や家庭大事にまっとうな堅気の暮らしして来ましたねん。そのわてらがなんで地獄や餓鬼の世界へ入らなならんのかて、納得出来んような次第でして」しゃべっているうちに次第に支離滅裂になる、その男の話を引き取って、私が少し理屈っぽく構成を組み立て直して言う。
「つまり我々の罪状に対する認定やら、その判決の根拠やらがまったく示されないままで、一方的に申し渡されのでは、その判決の正当性そのものへの信頼を損なうと思うわけでありまして、もちろん我々は新参の亡者、お裁きは閻魔様がなされることとは太古の昔から決められたことでありましょうが、その判断のプロセスと言いますか、方法論も含めてお教えねがえないでしょうか」
大王はふたたび大きく溜め息をついた。少し考え込むような、憂欝な顔になった。そしてさんざん我々を待たせた挙げ句、草臥れきったような口調で、質問とは何の関係も脈絡もないことを言った。
「儂はね、ここでもう何千年もこんな商売やってんのよ。食べる必要もないから飲み食いする楽しみもなく、面白い遊び場に行くこともなく、日光の下を散策する喜びは永遠になく、来る日も来る日もこの地獄の底で亡者どもの裁きをこなして来た。最初の数年間はそれでもいきなり就いたこの権力の地位が面白くて結構楽しんだ。ところが十年も経てばもうたくさんという気にもなるさね。ところが儂はそれから数千年間を閲してこんなことを年柄年中やらされているんだ。儂だって、何の因果でこんな宿命を負わされるのか誰かに聞いてみたい気持ちじゃよ。薄汚れた亡者の、しょうもない一生の記録。そこに何が書かれていると思うね。今さら説明する必要はあるまい。みんなだいたい似たり寄ったりさ。もちろん娑婆でひとかどの地位や名声を得た者だって死ぬ。死んでここへ来るわけだが、そうしたVIPに対しては別室があって、そこで儂が直接審問するし、また世間話もするといった具合だ。娑婆のお偉方の土産話が唯一の気晴らしになるし、やはり彼らのやったことは善にしろ悪にしろスケールが違うぜ。まあ、たいていはそうした連中には極楽の特別枠組に入ってもらうわけだな。それにも漏れたら、六道の天に行ってもらう。君らも知ってのとおりこれは暮らし向きは大体極楽と同じだな。美しい、優雅な生活が存分に出来る。しかしここには極楽と違って時間制限があってね、大分経つと『天人五衰』と言ってね、やがては優雅も美も悦楽もすべて枯れしぼんで来る。そして廃残を晒した末にまた人間に戻るわけだな。極楽では、すべてのいい事が永久保証されているわけだ。
つまり極楽なり天なりへ行ける亡者は始めから決まっているのさ、申し訳ないが。あんた方の判決については、どの道六道行きの天を除いた五道と決まっているから、事務方で一括処理するんだな。さもなけりゃあ、とてもこれだけの亡者は捌けんよ。最近は事務の方でもコンピューターでやっているようだがね。」
伊勢屋が一歩踏みだして、取り成し顔に発言を始めようとする。年の功に誇ったか、多少はわけ知りの自己抑制を満面に浮かべている。
「これはまあ、ほんまにご無礼をいたしました。我々亡者、閻魔大王様のおかげをもちましてここへ参らせていただいたんでやんすのに、後先も見ずに、つい勝手な振る舞いをつかまつりやした。なにとぞ平にご容赦のほどを」
閻魔はうるさそうに手を振って伊勢屋を止めて、私の方にもう一度視線を向けた。厳しい、探るような目線である。
「君は娑婆で孤独だったことをむしろ誇りにするような男だったが、そんな孤独なぞここでは頭の中で描いていた夢みたいなものだよ。つまりここには実態があるんだよ。死後の孤独、つまり剥出しになった自意識と自分と呼ばれる非存在とが尖った刃のようにぶつかり合う。そしてお互いが認め合わざるえない状況へと無限にテンションが高まる。それが死の恐怖の実態さ」
たしかに私もそのことが不安だ。しかし考えてみれば、こちら側では少なくとも「生きる」こと自体の苦しみは免れている。不快、苦痛、嫌悪、懊悩、それは人間が生きなければならないという条件の上に出来てくる不都合だ。地獄にあっても、死者である以上そんな条件の拘束は受けない。苦しむことも悩むことも不要なのだ。それが死んだ者の、非存在の特権かもしれない。
「つまり極楽にあっても、地獄にあっても同じだということですね。極楽にあっても、死者はやはり孤独なんですね。」
ひとつの解釈であるが、まるっきりの的外れでもあるまい。
「ここへ来た亡者は、とにかく始終地獄と極楽のことしか考えぬ。そのことだけはどんなに娑婆の時代が遷っても変わらぬことだな。それにしても人間は永遠に死に続けるために、娑婆で一瞬の生を生きるというわけか。なんと不可思議な運命ではないか」
閻魔はうんざりしたようにつぶやく。
「どうかわてだけは、地獄へやっておくんなはれ」いきなり女の声が響き渡った。女将であった。
「この人たちは自分のことしか考えていない亡者でおます。自分さえ極楽へ行ければええいう浅ましい考えなんだす。特にこの烏と呼ばれた男の人(つまり私のことだ)は、娑婆で至福の自殺法などというまやかしで他人の関心を買い、それでゆくゆくは名利を得ようと企んでいた人間ですねん。何が人類の福音ですかいな。アホらし。平気な顔して人に病気移しておいてからに。次には楽な死に方やなんて、人を馬鹿にしたよな人間やないですか。しかし人のことは言えまへん。わてかて散々不義理をしました。いまさら悔いまへん。どうか天なんてあいまいなものやのうて、いっそ地獄へやっておくんなはれ。それとわてが惚れて惚れて惚れ抜いた男もいっしょにやってください」
「今回、極楽へ回る唯一の亡者のあの放浪の男のことかね」
「そうです。あの生涯放浪して回った男だす。あの人は、始め自分の幼い息子を連れて街から街へと流れてたんです。それは人には言えん事情から、あの人が奥さんを殺してしもうたからです。もちろん閻魔はんはその辺の経緯は十分ご存じのことと思いますけど、わてはあの人を知って何もかも投げ出してついて行ったんです」
「それで息子をあの男から引き離して、ふたりだけで暮らしたんだったな。ところが君がエイズに冒されていることには気づかなかった。ふたりともそれで死んだんだったな。その不治の病を移したのは、それ、そこにいっしょにいる自殺研究の大家の先生だったというわけだ」
閻魔はからかうような目付きをして私の方を見る。たしかにそうだ。ここへ来ると、娑婆で隠したいことがことごとく暴かれる。私が女将の店に通い詰めていた頃に、客と店主の関係から男と女の関係へ一度だけ変わったことがあり、その時私が海外旅行で手に入れたウィルスが移ってしまったということか。もちろん私はその病のことは知っていた。しかし自分がキャリアであることを知ったのは、女将と寝た後のことだから、私は生前はこの女に移されたものと信じていた。
「あの放浪の人は奥さんの首を紐で絞めて殺したいう罪ばかりやありまへん。自分の息子を世間から引き離して、自分の放浪に連れ歩いた。子供には何の罪もないのに。そんな人間が死んで極楽に行ってええんだっしゃろか。お上のなされることに間違いはございますまいけど、どうかもういっぺんそこら辺りをお調べいただきとう思いまして」
「好きな男と寄り添うても、六道の天界ではやがては恋愛感情も否応無しに冷めて来るぞ。あそこではどんな幸福も感情も必ず移ろうことになっておる。その時になって後悔しても始まらんぞ。いっそ始めから地獄と極楽で分かれ分かれに暮らし、やがて人界に出て一緒になることを期す方が賢明だと思うよ。そりゃあ、場合によっちゃあ、千年以上もずれてふたりが別々に人間に戻るということもあるんだけど」
閻魔の異例な真摯な説得に女将も考え込んだ。そして何かを悟ったようにうなずいて答える。
「よろしゅうおます。千年でもわては待ちます。あの人がわてより千年以上前に人間として生きて死んだのなら、わてはその千年前のあの人の生まれ替わりを思い続けて生き返します。大王さま、ほんまにええことを教えてくれはりました。先々の希望を失わんこうに、この地獄で立派にお勤めさせていただきますよって、よろしゅうお願いします」
女将が殊勝に言い切ってしばらく会話が途切れた。女将の問題は片付いても私のはもうどうにもならぬものなのか。せめて六道の天界へは行けぬものなのか。
「それにしてもあんた方のようにこうして納得がゆかんの、不服だのと言って直談判に来る者もしょっちゅういるが、最近はそうした手合いが特に増えたような気がするな。まあ、しかしこうやって訴えに来ようというだけでも並の亡者とは違っていようから、判決を差し戻して再審理させてもいい。どうかねそれで勘弁してもらえんかね。裁きの権限云々を言われても、それは儂も知らんのだよ。さっきも言った通り、儂だっていい加減うんざりしてるんだから。誰か代わってくれればといつも思うし、儂も久しぶりで娑婆へ戻って、明るい日差しや緑の梢の下を散歩してみたいよ、それが正直な気持ちだ」
閻魔の言うことは何の答にもなっていない。逃げを打っているとも感じられるが、実際本当に彼には地獄のルーティンワークを監督するくらいの権限しかないのかもしれない。そのいかにも投げ遣りな語り口からも、彼が自分の職務に倦みきっていることがわかる。そう感じると彼の押し出しの利かない風貌はいっそう貧相に見えてくる。それに彼にしては最大限の寛大な処置をしてくれるようでもある。我々は立ったまま目くばせを交わし合って、ここで引き下がることに決める。私が代表してその意思を伝えた。その間にも正面の窓では引っきりなしに罪人が崖から突き落とされ、炎熱地獄の底で焼き殺されている。
「差し戻していただければ、我々としてはありがたいと存じ上げます。もちろんお上のなされることですから、間違いはないものと信じてはおりますが、我々も一介の亡者、いったん疑念が湧きますと自らどうする術もないのです。何とか納得の行くようにしていただかねば、永遠に浮かばれぬというわけでありまして、その辺の救われがたい心情はお察しいただければと思います」
持って回った私の言い方を聞いていたのかいなかったのか、閻魔は執務に取りかかるようなふりをして机の上の書類をめくり出した。背後に大きな鬼の気配が迫った。秘書役の赤鬼である。他用から戻って来た彼は、我々を邪険でもなく、丁重でもない極めて事務的な、つまり「心得た」様子で促して室外に出させた。警備のいかつい、恐ろしげな青鬼四五人が我々を取り囲むようにして引き連れて行く。そのまま我々と青鬼の一団とは、地獄回廊の陰気そうな奥道へ向かって黙々と歩んで行った。娘が不安から泣きだした。いかにも取って付けた空泣きである。こいつは不良グループで結構いい顔をしていた「ずべ公」で、シンナーの吸い過ぎで卒倒、そのままあっけなく地獄まで落ちて来た娘だ。やることも、その性根もどこか卑怯や嘘が付きまとう。泣かれても、誰も気持ちを動かされる者はいない。それにしても恐ろしげな鬼たちが、その喧しいひとり騒ぎを黙殺しているのが意外であった。そんなあつかいにくい小娘の陰湿な、計算づくの反抗などは取り合わないのが賢明と知っているのか。周囲の状況から、自分の目論見が無駄と知った娘は、憑きものが取れたみたいにパタンと泣き止んだ、チェッと舌打ちして。
「わてらどこに行きまんのか」鯖が少し心配になって来て、青鬼に尋ねた。始めそんな問い掛けにも無視するような突っ慳貪な態度だったが、やがて何度目かの同じ問いを発するとここまで来たらしゃべってもかまわないと思ったのか、一人の青鬼が小馬鹿にしたような口調で話してくれた。
「貴様らは八大地獄の最低の獄、無間地獄へ落とされるんや。あの閻魔大王はやな、自分の決めたことに文句言われるんが死ぬほどいやなんや。アホなことしたもんやな」
「ええ、ほな勘弁してくれいうのんは、ありゃ嘘でっか」鯖が驚倒した叫びを上げる。
「まあ俺は、そんなところだと思っていたさ。しかしどうせ地獄行きは一定と思い定めていた以上、いまさら何をされても驚くものかい。変にちやほやされるよりも、いっそ恨みを含んで、毅然と罰に就く方がよほど気分がいいぜ」私がちょっと凄味を利かせて言う。半分はったりだが、後の半分はまんざら嘘でもない。反抗しながら滅びるという態度こそは、娑婆にある頃から自分に相応しい唯一の死にざまだと心得ていた。ところがあんな不細工な死に方をして取り返しのつかぬことをしてしまった。娑婆の頃と同様に無性に反抗したくなった。
「まあ、そんなところだと思っていたさ」真っ暗な洞窟の中の細道を、警護の鬼の捧げる松明の明かりだけを頼りに、苦い悔恨を噛みしめながら、七人の男女が追い立てられて行く。立ち止まった鬼が、巨大な扉の前で鍵束をさぐっている。扉が陰気な叫びを上げて開かれる。一歩中に入ると、一層闇が濃さを増したように感じられる。そして異様な臭気や、むっとする湿気、そして何とも言えない不気味な気配。若い方の女がまためそめそと泣き始めた。扉が閉められ、鬼は出て行ったのだ。「うるさいねえ」私は無性に苛ついて、ついきつい事を元「ズベ公」に言い放った。「まあまあ、そんなに怒りなさんな。ここでこうして際限のない時間を経んければなりまへんのや。こうして闇の中に七人でぶら下ったみたいにつっ立ったままな、永遠に居らんならん。つまらんことで言い争っておっては耐えられまへんで」伊勢屋の旦那がたしなめる。
それにしても無間地獄とはよく言ったものだ。完全な闇、絶対零度の空間、天井も床もない場所、音もなければ風も寒熱の感触もない。純粋に抽出された意識がただ闇を感じ、闇と対立している、その反意識だけが宙に浮いている。もはやここではお互いの姿のイメージさえ浮かばない。娑婆の世界の一千年が、ここではそれこそ須臾の間であろうし、娑婆の一瞬が億万年にも拡散されよう。我々は少なくとも死んでいるのだから、それを悲しみ嘆く理由はないのだが、この刑罰に期間がないというのはやはり恐ろしい。
「どや、ここなら自殺もでけへんやろ」伊勢屋が私をからかう。長年の研鑽も、姿も匂いも色もない無明長夜では存在すらが疑わしい。死したる者の存在など論理の矛盾だが、意識は「ある」と言える。いや、そう思う端からすでに疑い始めている。「ある」と認識する唯一の実態が意識で、その意識は自らの存在の確証を「ある」という形式的な認識だけに置いている。循環論の錯綜。しかし疑い始めているという、まさにそのことが逆説的に「ある」ということの証明になり始めると感じられだすと、そろそろ人間の腹の中から生まれ出す時期に差し掛るのか。
了
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