内容更新日:   2001/09/02 日曜日 20:59

 

[果てしなき雑感]NoY

 

2001/6/16
土曜日

 梅雨の晴れ間。好天,さわやかだ。
 大阪池田市の小学生殺傷事件の宅間は,どうやら偽狂行為とされて刑法犯として死刑にされようとしているみたいだ。そのようなシナリオが司法の方面で出来上がりつつあるようだが,もちろん宅間に同情する者はいないだろう。
 はたして死刑と,一生涯の精神病院留置の処置とどちらが残酷かは,元々言われていたことだ。死刑にならなくても,人は死へ向かって全員歩んでいる。その現実を考えればはたして死刑と言う刑罰は「実存的に」意味のあることなんだろうかと思える。
 戦後,百数十人の人間が絞首刑を執行されているそうだが,彼らのまわりの人間だって死に絶えた事件だって多いだろう。加害者も,被害者も,その家族も,逮捕した警官も,起訴した検察官も,死刑判決した裁判官も,死刑を執行した執行官も,その検死した医官も,その事件を報道した新聞記者も,カメラマンも・・・みんな死んでしまった事件だってあるだろうし,まだ生き残ってもいづれは間違いなしに逝くだろう。その中には癌などの病苦で,のた打ち回るような苦痛を死ぬに際して味わった人たちもいただろう。
 それを考えれば,やはり死刑という刑罰は首を傾げたくなる。最も素早く,最も楽に息の根を止める手段として絞首刑を日本では採用するわけだが,その直前には死刑囚の好きな料理を許される。教誨師との面談も許される。ロープは一回ごとの使いっきりで,その十三階段の死刑台は清められてある。一回の絞首で,絶対に過たず死ぬように万全が期されているわけだ。
 最後には遺言状や手紙等を書き置くことも許されて,その刻限になると担当検察官,医官,刑務所管理者等々の関係者に連れられて死刑台へ向かう。たいていの死刑囚は周辺の牢屋の囚人達に「お世話になりました」と挨拶して死刑に向かうそうだ。
 まさに至れり尽くせりの感もある制度で,こんな結構な扱いではたとえ「極刑」でも,八人の小学生達は浮かばれなかろう。

 引きかえ,精神病院への強制入院はそんなものではないらしい・・・「らしい」というのは実態なんて何もわからないからだ。わからないということくらい恐ろしいことはない。自殺も絶対に出来ない仕組みになっていて,従って想像の出来かねる状況は自らの自然死を迎えるまでは続くのだ。続けさせられるのだ。発狂したってどうにもならない。だってそこが精神病院なんだから・・・

 生きて宅間はそうした運命を負わせるべきだ。それは社会的な復讐というためだけでなくて,人間がどこまで悲劇的な状況でも人間でありつづけられるか,その実験にもなれば,案外この男,少しは人類普遍のお役に立つかもしれない。


 まあ,何はともあれ嫌な事件ばかりだ。
 今年は何とか仕事の都合つけて,また中国に旅行に行ってみたい。世間が逼塞しているから,せめて自分の心なりと開きたいものだ。旅行,しかも気ままな一人旅がそれには一番だと思う。
 上海も随分と変わったそうだし,あの辺を中心に回ろうかな。
 いや,いっそベトナムの方まで行って見ようかな。雲南地方もいいだろうな。とにかく日本人の手垢が少しでも付かない場所ならグーなのだ。

 

2001/6/25
月曜日

 時間というものの不思議を最近はとみに考えるようになった。
 日常的な意味での24時間区切りの(あるいは一週間区切りの,あるいは一ヶ月区切りの,あるいは一年区切りの)時間のことではない。それらをすべて含んで,しかも千年,数千年,万年,千万年と流れる時間のことだ。本質的な時間の流れと言うべきだろうか。永遠という謎につながる時間と言っていいかもしれない。
 たかだか百年の単位で終始する人間の寿命に与えられた,チャチな時間ではない。
 チャチな時間は我々をいろんな俗念で騙す。社会的な活躍への期待心や性愛の欲念,贅沢への郷愁・・・そうした人間らしいこの世の煩悩で,時の地平は滑稽なほど狭められているが,目を凝らす気があれば見えないわけではない。感ぜられないわけでもない。
 
 いっそ人の個人的な意思でもってこのふたつの時間を入れ替えて生きることはできないものだろうか。もちろん本気で生活を変えれば,たちまち暮らしは破綻するが,心の中の時間の持ちようをかえてみるのだ。
 永遠の中のこの一瞬を生きるのも自分。明日と昨日の間の俗事に煩わされる日常の時間を生きるのも自分。自分が変われば,時間も変わるのではないか。

 少なくとも百年後には自分はこの世のどの地上にも立ってもいない。寝てもいない。どうなっているかはもちろんわからんが,絶対に言えることは毎日毎日忌み嫌っているこの日常なんか永遠にオサラバできているということだが,さて本当にオサラバできているのかは・・・
 とまれ,「もうひとつの時間」に密着していることだけは期待できる。

 不思議に思うのは,そもそも人間にとっての過去とはなんなのかということだ。今現在をやっとこかっとこで生きてはいるが,これがはたして「現在」と本当に言い切れる自信があろうか。
 案外,現在とはこれは未来の自分が回想する過去の状景ではないのか。未来の自分が,今という「過去」を振り返って,もう一度なぞるように過去を再体験しているその「夢」なのだ,とは思えないか。未来の自分が思い描いている大脳上の映像・・・それが今の自分の本当の姿だとしたら,最後に自分が入滅する姿はいったい誰が思い描く夢なんだ?
 そう思い出すと,時間と時間は過去や未来を取り払われて,いろんなところで結び合い,溶け合って,共通の「絶対時間」という概念に合流して行くように思う。
『豊饒の海』の最終巻の最終章で,本多なる人物は「時間も空間もないところに来てしまった」とつぶやくが,別に門跡寺の中庭まで行かなくたって,日々のつまらない生き暮らしの中でもそんな時間のゆがみや,それが言いようもなく変質するのに出くわすことはちょくちょくある。
 これから先の十年なんて時間が本当にはたして今までのように在り続けるのだろうか。そんな保証こそ胡散臭いものに思われ出してきている・・・


2001/7/15
日曜日


 時間について,このところずっと考えつづけている。
 自分がなぜこの時代の,この頃に生れ合わせねばならなかったのか。というか,この時代に生れ合わせたことでどんな損得を受けたのか・・・「損得」というのもおかしいけれど,やはり人はその時代の社会環境によって最も大きな影響を受けるはずで,この時代にはこの時代の,そしてあの時代にはあの時代なりの影響があったはずだが,それでも自分は自分として何かがあるはずだし,その人格の深層部分がいったい何なのかという本源的な問題と併せて,時間についてぼんやりと思いつづけている。

 おそらく今に始まったことではない。昔からずっとそうなのだ。自分がなぜにこの時代に生れ合わせねばならなかったのか・・・しかし考えても見よ,そんな問いを発していた若い頃の(たとえば60年代,70年代)時代相さえがすでに遠い昔の「歴史」に成り変っている。
 目の前の時代さえが刻々と変貌しているのだ。自分なりに不思議に思った解答不能の問い合わせだけが延々と生き残って,問いを発せられた時代の方は過去へ消え去っている。

 今日久しぶりでスティーブ・マックインの『ゲッタウェイ』をビデオを買ってきて見た。その前には同じく『ブリット』を見たから,60年代が急に思い出されたということもあるが,あの頃でも私はすでにある種の「不可思議」を覚えていたものだ。なんで自分は秦漢時代の中国ではなくて,この20世紀の半ばの日本にぼんやりと佇んでいるのか・・・
 そして場所空間的にもマックウィンが激しく動き回ってるテキサスやサンフランシスコではなくて日本の片田舎で・・・
 すべて理由があることなんだろうか,と。

 しかしすべては移り変わってきて,すでに21世紀だ。この現在さえがまたやがては過去へと変じて行き,自分はどこの時間の住人と認められるだろうか。いや,そもそもそんな認定なんてありもしないし,あったところで本人にとってどれだけの意味があるだろう。
 源頼朝は,自分が参画した鎌倉の武家統治機構(まだ,はなはだ初歩的な未完成の組織であったが)成立が後の教科書の区切りのページに使われるなどとは,おそらく夢にも思わなかっただろう。しかし彼の仕事の「成果物」によってどの教科書の章元も一様に変わるとしても,そのことで彼の人生がいまさら再構成されるわけのものでもない。
 彼は彼の人生を生きて,時には危うい目(平家との闘争や御家人同士の騒乱で)にも遭い,また時には浮気もし,そして死んで逝ったのだ。S・マックウインも渋い好い男を60年代に演じきっているが,そのかっこ良さを30年以上も経ってから遠い極東の地方都市でふたたび見ている中年男によって賞賛されようなどとは夢にも思わなかっただろう。


 いったい現在とは何なのか?
 人間の生きる現在とは・・・インド人たちは皆その答えの手がかりを知っていようか。ボンベイなどの都市の路上で横たわる市井の「聖人」たちの群れはみんな,そんなことはとうに解決済みのこととしてやすらって居るのだろうか。
 時間の中に流されつづける自分とは,本当の自分なのか。


 人はどこから来て,どこへ行くのか・・・ただその答えを求めんがためだけに,この世に彷徨い出て来た我ら。明日もまた彷徨いつづける・・・

 


2001/7/22
日曜日


 三連休。しかしこんなに暑くては,休みにならない。
 室内のクーラーでの一時のしのぎも,何かいじましい時間稼ぎ,先延ばしの逃げ口上みたいで気が滅入る。
 いづれにしてもうだるような猛暑のなかでは,時間も意識もドロドロに溶け合わされるようだ。
 脈絡もなしに過去が立ち上がってくることもある。
 あるいは未来であるはずの先々の時間が,突然に見透かされるような瞬間もある。

 そもそも時間なんて初めから人間が考えているほど確実で堅牢なものじゃないぜ,と私の中のニヒルな自分が嘲笑う。
 そうだ,それは間違いのない真実だ。過ぎてしまえば時間はどのようにでも変形できるし,また都合のよいように変形される。
 過去の時間の証人を人間の意識なんぞに求めるのが間違っている。それならまだしも,「物」に「証人」を求める方がよほど気が利いている。時間が刻む自らの痕跡は物に対してのみ可能だ。古くは考古学的な手法,歴史時代なら考証学的な手法か。物的証拠だけを信じることだ。

 人間の意識は所詮自らもだます。だまし続けて死んでしまうこともある。頑迷な老人のひとつ話のように,それはいったん思い込まれた時の様相のまま固着されてしまう。本当にそれが三日つづいたことなのか,それとも実際には半日に過ぎなかったのか・・・・日常の些事であれば確かめようもない。しかし三日と信じられた時間は,意識の中では永遠に三日のままだ。
 つまり我々は現在の意識が生み出した仮想の時間を生きることになる。それを実際の経験として引継ぎ,その上に人生の階層を積み重ねてゆく。確かめようもない過去の時間・・・やがてそんなあいまいな,仮想じみた時間の層ばかりが積み上がって行く。
 お笑い草かもしれない。しかし過去は過去だ。それを土台にして現在を築くしか他に仕様はない。

 だがどんなに意識が自分をだましたつもりでも,ふとした折に本物の過去の時間が混濁しかけた大脳皮質の上に閃光のようなフラッシュバックを映すこともある。あれはやはり・・・半日ではなかったのか・・・
 めまいに似た動揺と言うか,軽い衝撃。

 ところで死したる者はもはや時間の上を流れない。しかし過去の中からは語りかけてくるのだ。フラッシュバックの中に別の,初めて聞く声,言葉があればそれは生き返った者との対話に等しかろうか。

 

2001/8/6
月曜日

{時間についての哲学的瞑想}

 時間軸にたどって,時間の連続は無限だと言われている。
 漠然と,ただその果ては見えないし,想像もままならないと・・・時間には果てもなければ,終わりもないと。
 もちろんその観念を否定するどんな論拠もない。現代物理学の論理の中には,それがあるのかもしれないが,そして天文学の実証から将来的にはこうだといったあるレベルの結論がだされるのだろうけれど,それもあくまでもその時点での「科学的真理」に過ぎない。
 一般向けの解説でも,時間は単一的なプロセスではなくて,先の先ではゆがみ,変形されて,場合によっては過去へと逆流しているとも,あるいはホーキング論のように多元的な宇宙が同時並行的に存在しているのが時間の正体で,今の我々の時間の隣にはあるいは江戸時代の,あるいは奈良時代の我々が存在しているとも・・・

 時間の正体なんておそらく今後数世紀経ても,人類にはその真の姿はわからないだろう。しかしわかろうとわかるまいと,我々はこの世の人生のどんな瞬間にも「時間」を生きる。しかしその時間はすべての人にとって,それぞれ別々のスピード,別々の色合い,別々の様態をしている。
 時間とは最も主観的な風景だとも言える。あまりにも主観に牛耳られた「もの」であるからこそ,科学として捉えられない。
 しかし時間はやはり存在する。しかも人間の意識の中にもっとも鮮明に存在するもの,だからやっかいなのだ。人間の時間は,意識と不可分。意識はもちろん時間によって構成されているが,しかもその時間は日常の単一流れの時の秩序にはとらわれない。
 終わりから始まる時間もあれば,回帰しつづける時間もある。そして回転し,永遠に繰り返されるような時間もあるだろう。すべては意識が為す業だ。
 そうした意識の時間の中を生きている我々人間。感覚と情緒によって明滅する,自らの時間。その時間とは,まさに人生そのものではないのか。

 

2001/8/19
日曜日

{時間,意識,時間・・・}

 結局,人間の時間を生み構成するのは人間の主観的な意識だ。
 唯識の哲理においてこの世の一切の現象が人の主観的な概念に合致して存在するように,まさに時間の意義は意識が生み,そして変成してゆくものだ。
 従って,時間は過去にしか存在しないかもしれないし,「歴史」となった時間だけが人の受け入れることの出来るものだからだ。未来の時間というものは,あまりにも客観的過ぎてそれは人間が思い描くには荷が重過ぎるのかもしれない。

 終戦の日の記念番組が毎年八月には繰り返されるわけだが,そのたびに日本人はあの時代を生き直すのだ。あの昭和20年までの数年間は,実際にはゆとりを以って見回すことなど出来なかった時代だから,今になってあの時代を生きている。あの時代にまだ生れていなかった者たちまでも(その人たちがすでに日本人の大半を占めているのだが),同じように父母や祖父母の苛烈な時代を生き直す。そうすることで,あの時代の時間を手に入れるのだ。
 そんなふうにして人は時間を手に入れて,そのストックを増やしてゆくものだ。

 それにしても時間は主観的には,あの時代の現実とは本当は似ても似つかないものであるだろう。記念番組では,しょっちゅう「特攻隊」とりわけ航空隊の航空機特攻が持ち上げられるので,我々は先の戦争と言えば必ずあの火達磨になって敵艦へ突っ込んでゆくシーンを共通の戦争体験のようにイメージするが,実際には全戦没者の中で航空機特攻隊員が占める割合はわずかで,また我々の周囲にもそうした遺族を見かけることはほとんどない。
 太平洋戦争の悲劇と言えば「特攻」,それが我々の見出された戦争体験である。

 つまり我々は新しい時間を生き抜いているのだ。もちろん大半の戦没者のように爆弾や砲弾で死んだ人々のことは眼中にはない。
 しかし新しい見出された時間が,さらに意識を刺激し,意識を駆って,いろんな感情を呼び覚ます。60年前には,この国にも特攻の悲壮な自己犠牲の時代があったと・・・

 嘘でも本当でも,人はそうした見出された過去を生きるのだ。
 そして死んでゆく・・・

 

2001/9/2
日曜日


 この秋に中国に旅行する予定なので,その準備が楽しい。
 外国旅行は実際に行けばいろんな不都合も生じ,身も心も草臥れるので,本当は行く前の準備期間が一番楽しい時だと思う。
 外国旅行といっても別に勤め先の仕事で行くような面倒なものではなくて,ほとんどお気軽なレジャー旅行だから身なりも持ち物もまったくのフリー,少しでも合理的に観光できるカッコウをして行こうと思っている。

 しかしこのツアー,単なる観光会社のパックでもなくて,日中友好協会とやらの肝煎りで行われる「目的のある」ツアーだからそれはそれで変わっていていいかなと期待している。四川省を回るのだが,そこの省政府なんぞもお出迎えしてしてくれるらしい。そして黄土台地の砂漠化を防ぐための植林事業のボランティア活動という触れ込み通り,一応「台地」に出向いてスコップを振るって植林をせねばならぬらしい。日本から「熱心な」市民が植林事業にやって来た・・・という宣伝になるのだろうが,ま,それも変わっていていいか,と思う。
 旅費はもちろん自費である。


 デジカメの小さな奴を持って行きたいのでいろいろ研究してから購入した。
 以前旅行した時には,まだデジカメなんてものはほとんど出回っていなかったから,アナログの小型カメラを持って行ったが,フィルムが足りなくなって情けない思いをしたことがある。今度は128MBのメモリーを装着すれば,まずまず後難の憂いなしに撮りまくれるだろう。バッテリーも国際標準だからホテルで毎晩充電できるはずだ。いけなければ,予備にニッカド電池も持ってゆく。
 いろいろ考えて(インターネットで情報を収集して),ソニーのP50という初心者向きのカメラにした。画素数なんか芸術写真撮りに行くわけじゃないから220万画素もあれば上等。扱いも簡単だし,小さくて場所を取らない。電気補充が多用だから,事情のわからない外国では応用が利くだろう。それに安いから壊しても無くしてもダメージが少なくて済むのも「便利」のひとつだ。

 それと旅行に使う消耗品をほとんど「100円ショップ」で揃えられるというのも,五年前に中国に行った時との大きな違いだ。あの時は旅行専門店で何から何まで高いのを我慢して買い揃えたのだ。どうせ消耗するか,捨てて帰るようなものまで御大そうな包みに入った「専用品」で手当てしたが,今は「100円ショップ」という便利なものがあり,そこでは大概のものは揃う。どのみち酔狂の旅行だから,経費は安いほどいい。しかし旅行にはちょっとした物が足りないために気にかかって感興が削がれるということもある。なるべく準備は万端にしたいものだ。

 そんなこんなの気使いのうちにも,腐ったような日常を越え出るこの思いをせいぜい楽しみたいと思っている。