1999/12/19

 師走の寒風に吹かれて,この休日,街を歩いた。
 馬齢を重ねるほど,暮れ時期の世間のあわただしさは気鬱なだけになる。
 陰気で,そらぞらしく,疎外感の気配はいっそう冬枯れの街角に濃くなる。
 かつて,まだ若くて「希望」というニキビが心の面上に無数にあった時代には,そうした意味もない空疎な「祭りごと」も何となく気分を浮き立てるものであったと思う。
 別に世間に顔向けの出来ぬようなマネはしていないのが, さっさと用件だけすませて家に帰り着きたい思いでいっぱいだった。足腰がついそそくさとなる。
 割烹着の女たち。重ったるい陰気なトンビ(和服用外套)の襟を立て下駄の音を高鳴らせて,市電の敷石を渡って行く男たち。年の瀬の群衆の姿が,なぜか鮮烈によみがえって来る。妾の家に急ぐ大正時代の高利貸しの親爺のように,私も世間から何となく顔を伏せるようなかっこうになっている。
 耳によみがえる救世軍のラッパと太鼓。(そんなもの,一度だって聞いたことはないのに)鼻にまつわる夕餉の家々の匂い。家々は裸電球の下でいかにも薄暗い。
 上海のダンスホールは,スイングジャズも弾けて,けばけばしくも楽しかろうに・・・
 年の暮れ,しかも千九百年代のどん詰まり。いっさいの陰鬱と沈滞がネガポジとなって,脳裏によみがえる。
 逃げ出したくても,逃げるべき方向性さえ見当たらない。 
 馬鹿げたことだが,やはり生きることも死ぬことも出来かねる。
 

1999/12/23


 大阪府知事の私的な不祥事による辞職。
 世の中には起こらないことは何もない,と知らされるような衝撃的な事件ではあったが,一面主人公の出身業界に引き合わせて考えると,やはりどこそこ笑えてしまう。
 もちろん府知事という地位は決して笑えるような立場ではなくて,それは世間一般の人々が思っているよりもはるかに絶大な権力的な地位である。東京都知事は実質的には日本国総理大臣よりは上だなどとまことしやかに語られたりするが,それはたしかにガバナビリティ(統治権能)の現実に則せば間違ってはいないであろう。おそらく大阪府知事にしても,同じ比較がなされよう。
 東京と大阪を納得させれば,後は日本国の地方自治体で異論を差し挟めるところはない,というのがこの世界の「常識」であるような。
 しかしそんな権力の比較論などどうでもいい。むしろ,一個の人間の栄光と転落というドラマをものの見事に演じきって見せたこの元「芸人」の人間的な運命の波乱に思いを致すのだ。
 塞翁が馬と言ってしまえば,まさにそれだけのことだし,いまさら感激するほどのことでもないが,やはり仏教の根源的な教理,「すべてのものは移り行く。留まるものはなし」の真理が突然テレビニュースを通じて我々一般大衆に示されたようなものだろう。
 伝え聞くところでは,この知事殿は凄惨な幼少年時代を乗り越え,関西お笑い芸人としての人気と地位に到達し,さらにそこから社会の表の世界での出世をもくろんで,見事政界進出を果たし,ついには大阪府知事にまで上り詰めたという。裸一貫からの天下取りといった趣向が,一般の大衆人気の源泉でもあったはずだ。それだけでも大したドラマだが,そこからの転落もまたあまりにドラマティックだった。
 世間は酷薄だ。いったん落ち目になった人間は執拗に追撃して,なぶり,打ち,侮り,誹謗するだろう。今後,彼は生き続けるかぎり「強制わいせつの何某」という冠をかぶせられて評されることになる。
 それはそれ自体の罪というよりも,むしろ彼が大阪府知事であったということの「罪」として科罰され続けるのだ。(さこそ,人の上に立つ者は身を慎まねばならぬとなるわけだが,私自身はそんな地位とはまったく無関係であり,また先々そんな「心配」もいらぬ身だから,何とも言えない。)
 古来,人類の中でほんの一握りの人間だけが,人生におけるあるチャンスに僥倖をつかんで,自分でも信じられないような「上空」へ一気に飛翔し,雲間の特別な人士の群れに入って行った歴史がある。
 仏教でいう「天人界・人間界・修羅界・餓鬼界・畜生界・地獄界」の六道の内,我々名もない一般小市民の「人間界」からふとしたチャンスで「天人界」へ昇ったということになる。しかし,天人界は決して永続しないというのがその最大の特徴で,まさに「天人五衰」なわけだ。
 天人界のあらゆる快楽も愉悦も優越も,すべて衰滅の過程にあると知るべきであり,それがこの世の「天人」(現代語訳すれば「エリート」)のノーブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)だ。
 それなのに,それなのに,この人は21歳の女の子のお尻を・・・・いやはや,困りましたなあ。

 

99/12/26

 千九百年代の最後というので,テレビでは映像による今世紀の記録がしきりと流されている。
 人間の(しかも我々のような一般の小市民にとっての)生活時間にとっては,感慨深く実感される過去などはせいぜいこの一年間くらいのもので,百年などというのはただの教科書的な歴史に過ぎないのではないだろうか。
 しかし,それはそれとして,結論としてはたしかにこの世紀は戦争と革命の百年であり,人類史最大の虐殺や迫害のあったことは間違いがない。凄まじい記録映像をあらためて見ると,誰だって陰鬱な厭世観にとらわれるだろうが,歴史的な事実は事実だろう。無差別爆撃,大量殺戮,民族浄化,難民,無尽蔵の破壊力・・・・これでもか,これでもかと。
 両大戦だけではない。朝鮮戦争,ベトナム戦争,インド内戦,その他の地域紛争のすべてで,近代兵器の徹底した合理的殺戮の効果が発揮されている。
 それが我々の同時代なのだ。ひとたび平和が崩れて,兵器が火を噴くと,人殺しと破壊のオートメイションが働く。もはや人間自身にもそれを止めることは出来ないようだ。東京空襲の際に,帝都防衛の司令官は,窓の向こうの空襲の音を聞きながら,机にうっぷして両腕で頭を抱え込んでいたままだったという。軍の最高幹部の一人である人間でさえ,もはやその無力に頭を抱え込んで時の過ぎるのを待つばかりだったという,その姿はまさに象徴的だ。
 しかし不思議なことに,私自身はこの世紀に生まれ,場合によってはこの世紀で死んでいてもおかしくない年齢まで生きたが,一度も戦火に遭ったことがない。革命については,ある時期,それが起きるかなと思わせるような瞬間がなかったわけでもなかったが(全共闘世代の人たちだけにはその辺の心事はわかると思うけれど),結局それは気配だけで歴史のアブクとなって消え去って行ったわけだが,それにしても大した流血というわけのものでもなかった。
 この世紀に生きて(あるいは生かされて),目の前に惨状を見る経験はなかった。まるでその一生は中世農奴のように平穏で,無難で,ありきたりで,平々凡々としていて,まったくこの世の例外そのままだったと言える。つまり私の世代以降の日本人は世界の,つまりこの世紀のまったく例外だったのだ。
 運の悪い人となると,二度の大戦に二度とも徴兵されて戦場に駆り出され,辛酸をなめた人もいる。二度きりの原爆投下に二度とも遭遇した人もいた。
 人間の五体が目の前で吹っ飛ばされるのを見たこともなく,自分が住んだ街がガレキになったこともない。そんな人間の方がこの世紀ではむしろ少数派なのだろう。
 だから平和はありがたいかというと,そうでもないようだ。なしくずしの平和がどれだけ人間の精神を蝕むかはすでに言い古されていることだ。では戦争や革命の時代が良いかというと,あの映像の数々を見てはとても恐ろしくて肯首なぞできない。
 では,我々二十世紀の例外人種はどうだったのだろう。生き難い時代を生き抜いた人々にとっては,生きて老いたこと自体が勲章ではないか。しかし我々にはそんな誇りは持ちようもない。いづれ,不幸な老人になるしかあるまいよ。
 漂白しただけだったのだ。この激動の世紀の騒音,流血,破壊,爆風の端っこをトボトボと歩いて,大して行く宛てもない道筋をぼんやり生きてきただけだ。この奇蹟のような平和のエポックを,何か様にならぬ身ごなしでトボトボと二十一世紀まで生きて行ったということ。
 しかし,「老少不定」。明日どうなるかは誰にもわからない。何か強烈なものが,すぐそこの地平線の向こうから飛び出してくるかもしれない。それを期待しているのか,それともやはり怯えているのか。それもわからない。

 

99/12/28

 冬の空が急に明るくなることがある。
 冬至を過ぎても,厳冬がつづき,朝晩の陰気な日差しに気が滅入る。
 そんな中にも,日中,鮮明な日光が雲間にあふれて,周囲の切れ切れの青空部分を輝かせる瞬間がある。とりわけ,瀬戸内海の地方ではこんな時の空の光のきらめきは,海の反射を反映して,圧倒的な透明感と光輝を顕す。
 昔の人々がそんな壮麗な空の光の変容に,神の啓示を感じたり,あるいは弥陀の慈悲を覚えたのは当然の成り行きだったろう。そうした自然現象への感激や共感(シンパシイ)があってこその,宗教的な体験であったことだろう。
 自然現象,あるいは自然そのものに対してさえ感動が枯渇している現代の日常で,かつての「宗教的な資産」を追体験することが出来るのだろうか。たとえば,経典の文言における微妙なニュアンスを,生(なま)の人間の経験の一片として読み解けるだろうか。
 死に行く人間の臨死体験の何ものかが,浄土経典のイリュージョンに反映しているといった「事実」をどうやって感じ取れるのか。
 ・・・・まあ,それはそれとして,「心無き身にもあわれは・・・」式で冬日のきらめきに,多少のあわれを覚え,これも弥陀の摂取不捨の慈光の瞬間かと想い,「心無き身」にもしみじみと,ガラにもない感慨を持つといった年の瀬。
 内海の空は,本当に明るい。無限の明澄。仏の光とは,こんなものなのか。こんなものであるべきか。そんなことを思うと急に海辺に行って,海そのもの光が見たくなって出かけて行くこともある。別に何が欲しいわけでもないのに,憧れたように岸辺にやって来る。(たとえば宇品港の波止場などに)
 するとそこにはやはり,海に会いたい人々が遠い視線を沖にやって,わけもなく佇んでいる。
 みんな今この時の,無限を予感したくて,海を見たり,夜空を見上げたりする。
 このサハー世界(現世,OR娑婆世界)は閉鎖され,いつでも言いようもなく息苦しい。 冬の晴れ間の日は,ふと心が「仏」に向かう・・・・

 

2000/1/4


 どこやら気持ちばかり急かされたような年が明けてしまうと,いつものことだが,名状もしがたい疲労感を覚えるのは私ひとりだろうか。
 また一年が巡ってしまったという,悔恨か,怨念か。これから,また改めて一年の季節の過程を生き直さねばならないという,いまさらながらの,くたびれきった気分。なにか徒刑のサイクルに締め付けられたみたいで,はなはだ受動的。
 もう,生き過ぎてはいるのだろう。生物としての一般的な寿命はとうに終わっているのかもしれない。人は三十代半ばまで生きれば上等なのだ。
 はっきり言って,何も始まらない間にすべてが終わってしまったごとき,滑稽な芝居をやらされたみたい。もし歴史の動きに少しでも抵触していたなら,この年に達して「隠居」もまた納得が出来るかもしれない。
 ただ単に,新聞の行間やテレビの画面の向こう側で,「われらの時代」は動いて行った。人類史上稀に見る激しい動きだったが,もしもあれらのすべてのニュースがまったくの虚偽妄想だったとしたら,私の「認識」(それほどのものでもないか)も瓦解する。
 ある日,私がぼんやり見ているテレビニュースのアナウンサーが突然,「あんたの40年以上見ていたこれらのニュースは全部デタラメでした。悪しからず」でアカンベエーをしたらどうなる。
 しかしそれだからといって,何が崩壊するのだろうか。
 そもそもこの世のことは夢のまた夢。生死の境を越えれば,すべては「自分」には係りのないこと。夢よりももっとはかない。
 それがわかっているなら,さっさと諦めろと言われても,やはり煩悩熾烈,欲念だけは夢も虚無も越えて歴然と立ち上がっている。
 インターネットのサイバー空間を,ただ憑かれたようにさまよい歩いても,これまた欲の具体的なはけ口にはならぬ。はっきり言って,何の足しにもならぬ。ただ欲が掻き立てられるだけのことだ。
 何十年間も,閉鎖された「欲の水槽」をわざと揺らして,水底の泥を掻きたて,それが静まって,水の澄むのをただ受動的に待つ。澄めば,また濁りに引かれて掻き立てる。
 それの繰り返し。それがWEBサーファーという種族ではないのか。やがて往生する瞬間には,そんなサイトのすべては冥土の土産にはなりませんよ。(サイバー寺院・西方極楽寺のサイトを除いてはね)
 別に「歴史」に係っても係らなくても,大した違いでもありますまい。歴史はあくまでも他人なんだから,他人の耳目にどう映るかははかりようも無い。
 結局,生物の「死」は一個の「自然」であるのだから,自然を自然に受け入れるしかないのでしょうよ。歴史などという人為は,人を本当に死なせたりできないだろうと,そんなことを覚える年越し。そして新年。
 まあ,幸か不幸か,歴史に殺されることもあるまいから,「自然」が自分を静かに,緩慢に殺して行ってくれることを望むだけです。

 それにしても最近では稀な,穏やかな正月で,うらうらとした冬日の日差しに照らされた乾いた庭の面を見ていると,気持ちは無限に沈下する。何か,自分は,どこかで死にそびれていたのではないかとさえ・・・・

 

2000/1/6

 ダニエル・キイスの小説「アルジャーノンに花束を」を読んで,基本的に作者が現代人の知性化傾向に否定的であろうということはわかるが,また一面では彼(ダニエル・キイス)こそ知性の極北を目指して邁進し,そこにたどり着いた数少ない人類のエリートであろうことも理解できる。
 作品は,ある知的障害者の青年が特殊な手術を受けて,天才的な知性の持ち主に豹変して,やがてまた元の状況に返って行くというストーリイ。天才的な知性が巻き起こす騒動や意外性,しかし最大の問題は元の世界からの陰湿な追放だった。白痴であった時には,憐憫や優越感から彼の存在を許し,認めてくれていた「俗世間」が,彼がいきなり寄り付きがたい知性を備えた瞬間拒絶する。
 まさに世間というものの正体を暴き出したようなフィクションだが,そもそも人は何らかの仮面を付けて,あるいは道化,あるいは柔弱,あるいは強がりを身に帯びて世間へ交わる。誰も自分が受け入れられるような形に,自分自身を変形させてそこへ入ってゆくわけだ。知性が知性として評価されるなどと望むこと自体おかしなことだろう。
 それはおそらく人類の六百万年間,変わらない現実ではないのだろうか。しかしこの主人公チャーリイ・ゴードンは,白痴の時と同じように仮面のないままで出かけたのだ。剥き出しの「知性」は周囲の人間を辟易させる。その突然の「知性」はまだ何の評価も受けていない。「そのまま」の知性。そんなものを目の前にぶら下げられても,パン屋のお兄さんたちと同様に誰だって戸惑ってしまう。
 で,彼の宿命的な「孤独」が確定するわけだが,では「知性」がなくて仮面の下に隠れた一般人は孤独ではないだろうか。いや,そんなことはない。みんな底なしの孤独を仮面の下に隠しているわけだが,ただそのこと自体(つまり自分もまた孤独であること)を理解できないかもしれない。自己客観化はたしかに極めて知的な活動であろうから。
 従って,社会には孤独でありながら孤独であることがわからない人間と,孤独でありながらその孤独にこだわる人間との二種が存在することになる。だからいわゆる「孤独な人間」と,孤独とは無縁な人間との乖離は広がる一方だろう。
 チャーリイは白痴に戻ることで社会に復帰できた。(実に,安直な解決法だ)しかし白痴にもなれない孤独な人間は,どこへ行けばいいのか。
 おそらく,それこそがこのサイトの提唱するところの「お浄土」だろう。
 親鸞はなぜ,しつこく「愚禿」ということを繰り返し言ったのか。
「親鸞聖人に花束を・・・・」
 

 

2000/1/8

 Y2Kの懸案も無難に過ごせて(私自身は,まったく心配などしていなかった。),世間,皆ともがらと思ふ世に,などて波風の立ち騒ぐらん。てなわけで,またまたお騒がせのエリティン大統領閣下。
 KGB出身で半年前には,その名前すらマスコミに知られていなかったプーチン氏(プチン?)なる「後継者」に跡目を譲っての突発辞任。それでもこの大統領のロシア内の人気はいまだに絶大なそうな。
 19世紀ロシア文学(とりわけドストエフスキー)の広大な虚無精神の中から突然に湧き出して来たようなこの政治家,エリティン。まさにロシア的と言ってしまえばそれまでだが,それにしても象徴的な人物でした。ほとんどフィヨードロフ・カラマゾフ的な徹底的な虚無とエゴを備えているのではないかと,遠い異国のわれわれにさえ感じさせるだけの迫力。それに比べるとたしかに人格者で,教養人であったゴルバチョフはロシア人には縁遠い政治家であったのでしょう。
 ロシアのニヒリズム。それは極寒という天然気候,最大の大陸社会という広がり,そしてタタールのくびきに完全に牛耳られたという歴史。いくらでも因果は説けようが,それゆえにこそ脂濃くも,ねっちこい民族性が醸されて来たと言えるでしょう。一方でその純朴さや生一本な性格上の美点を挙げる人もいますが,それは結局外部世界の世知辛い競争やすれっからした都市民に触れ合っていないからで,ロシアがやがて20世紀的な社会になれば(今はまだ多分に19世紀的ですから)そうした美質は摩滅させられて行くのではないでしょうか。
 危なっかしいけど,たしかにエリティンという人には可愛げがありました。あの人間的な面白みは,キザで,冷淡で,かっこばかり付けたがる西側の指導者には絶対にないものでしたろう。フルシチョフにもどこそこあった人間味ですが,ああした政治家はさすがにロシアでもこれから以後はいなくなるかもしれない。
 フィヨードロフ・カラマゾフは泥酔からの目覚めに,じっと暗黒の一点を凝視したまま「この世がハチャメチャになろうと,屁のカッパだ」とつぶやきます。まさに屁のカッパにして,エリティンさんも去って行きました。底抜けにニヒルな男でした。

 

2000/1/16

 「国民の歴史」(西尾幹二著)はたしかに,出版社のおもわく通りに大いに言論界の物議を醸しているようだ。
 その議論は偉い「知識人」の先生方にお任せするとして,一読者としてはやはり既成の歴史観に多少の衝撃を与えられたことについて語りたいものです。
 たしかに我々が教科書として当然の観点として不動の位置を占めていたはずの見方というものが,まったくのでたらめの幻影であったと言われてみると,別にその知識でメシ食っているわけでもないから人ごととしてではあるが,新鮮な知的な動揺を楽しむことができます。 
 まず「世界史」の概念が西洋の世界進出以降の歴史意識ではなくて,西欧はむしろ強いられた受身の反応としての「進出」であったのであり,そうではなくてモンゴルのユーラシア征服こそが世界史の創造であったという見方。それはたしかに教科書などには冗談にも書かれていない。モンゴルの大征服から「世界史」が始まったなどと,ほんまかいなと言いたいような,しかしたしかにそうかもしれないと思ってみたいような(モンゴロイドの一人としては)。
 また日本が当然のこととして,中国文化圏に属していると信じていたのに,日本は少なくとも遣唐使廃止以後現代に至るまで完全に中国とは独立した文化政治圏であったという見方。そもそも中国の民族史は唐代を最後に中国大陸からは完全に消滅しているのであり,唐から後の王朝は実態的にも理念的にも中国民族の独自性を顕してはいないという見方。
 そして中国社会には共同体的な(つまり封建的な)どんな性格もなくて,一方では中国は徹底的な専制独裁と,他方では孤独でどこにも属さない民衆の自我意識だけが,救いがたく広がっているだけの荒涼たる社会であると。
 つまり東洋的な愚鈍さの基盤とされていたはずの「アジア的な村落共同社会」は中国には存在していなかったという,ぶったまげるような「認識」だ。そんなところから10世紀以後に日本はどんな積極的な影響も受けてはいないという見方。
 これは驚き。何か,今まで教科書に騙され続けていたというような,キツネにつままれたような感じ。こんな印象を一気に与えてくれる二千円以下の書物も珍しい。
 たしかに歴史の認識も歴史と共に移り変わって当然であろうし,また変わらねばならないだろうけれど,それにしてもレッレ・・・となりそうなんです。西尾さんの観点そのものがとりわけて珍しいというのでもなくて,そんな見方の変化さえ教科書という世界ではまったく一言も提示すらされていなかったのかという,むしろ暗澹たる驚き。
 世界史の始まりが別に西欧の大航海時代でなくて,モンゴル人のやらかしたことであったって誰も困るわけでもありゃすまいに・・・そんな面白い見方は一般誌の記事ではあっても,教科書には載せてはいない。
 だから教科書はつまらない,なんてことは自分の立場では言えないけれど,青少年だってもう少し面白いものが学びたいには違いないのだ。