わたくし的に仏教とお経をご説明(少しわかりにくいかもしれませんが,ご容赦)

 

                                                 ご法座ご案内所へ

 



 さて,お経の話のはずでしたが,浄土真宗の順番からしてまずご本尊たる「阿弥陀」という仏のことから言わねばなりますまい。これはお釈迦さんと違って,実際にこの世に出現された「仏」ではない。


 阿弥陀。サンスクリットでは「アミターバ」,もしくは「アミターユ」と表し,無限の光と無限の寿命の意である。寿命はすなわち時間の謂いだから,これは光と時間の仏という意味になる。浄土教系仏教における唯一神であり,救済神でもある。
 無限の云々と言えば,さながら宇宙創生と終末の「大ボラ」話になりそうだが,もとより仏教そのものが日常的な感覚観点で取り上げるべき問題でもない。
 仏教という時も民族も越えた,壮大で,すさまじい哲学体系を語ろうとする場合には,そもそもの始めから我々はある程度日常の意識を超越している必要があろう。そう覚悟した上でないと,お経などという非日常的な書物には一歩も入って行けない。仏教は宇宙の秘密についても語っているのだということを,もう一度観念して,むしろワクワクして接近して行く必要があろう。


 浄土教。その原型は,紀元2世紀頃のインド北西部辺りで出現した西方信仰,終末信仰を元にした大乗仏教の亜種とされている。アミダが唯一神であり,救済神,かつ絶対神であることから東方伝播のキリスト教(キリスト教における忘れ去られた,まったくの異端)の影響を受けているとも言われている。
 阿弥陀仏の由来は,「仏説無量寿経」に詳細に記述されているが,元は「法蔵」という修行菩薩であり,十劫(一劫が細石が大岩になるほどの年月)の昔に誓いを立てて,この世の諸々の衆生を救いたい。自分が築く「極楽浄土(スカーバティ)」には,自分(阿弥陀仏)を念ずる者を無条件に救い摂ろうという誓願を立てた,とされている。
 いうなれば,そういうフィクションの上にのみ成り立っている「仏」の形である。形姿ということで言えば,無色,無姿,無性の「ほとけ」であるが,信仰の対象でもあるために,木像,絵像等で「表現」することは「宗教上」許される。(許されるということの意味であって,決してそれが実体であるわけではない。)
 ちなみに菩薩の位は仏道修行上で最も高い修行者の地位であるが,仏の位(仏教解脱の最高達成クラス)に比較すればひとつ手前の位に当たる。法蔵菩薩は,仏への最後の試験として,そうした誓願を掲げ,さらにそれを四十八の項目に羅列した。所謂,「四十八願」である。四十八項目の願がすべて適えられれば,自分は仏になろうという約束である。
 たとえばこのサハー世界(我々がアホな人生をかつかつ留めているこの現世)が,餓鬼畜生地獄の三悪道となるなら,自分は正覚(解脱への覚醒)を取らじ,と。衆生がみんないつかは仏のような存在にならねば,自分は正覚を取らじ,と。その他いろいろな注文。
 下世話に言えば,先輩の仏たちに対して一種,ズリをこいたと言えなくもない。適えられなければ,この世を荒廃と残虐と無意味と無気力の巷に残したままにしようという,裏の意味があったと推察するのは少々穿ち過ぎか。
 とまれ,現在の我々の世界が,人の生きるに足るだけのものであるのなら,法蔵の誓願は適えられているのだし,そうでないという認識ならば,ついに彼の願いは裏切られたと考えていいのかもしれない。


 こうして「これより西方へ十万億仏度の彼方に,極楽と呼ぶべき世界がある」(阿弥陀経)。それこそ阿弥陀が君臨する仏国土である。十万億仏度の距離の「度」とは,古代インドの計測単位であるが,これはもう無限の隔たりと言っても同じであり,少なくとも人間の計れる次元の単位ではないということなのだ。
 「十劫」という時間もまた無限,もしくは永遠のひねった別表現である。無限の時間の過去から,おそらく無限の未来の時間のすべてに渡って,無限の彼方から弥陀の慈悲は惜しみなく注がれている。しかもその極楽浄土と呼ばれる世界は,この同じ宇宙の中にはない。
 人のレベルで言えば,その極楽世界とこの我々の宇宙との差異は,人の生死の落差に等しい。人が死んでどこへ行くのか,どうなるのか,それについて明確に答えられる者がない以上,浄土の「存在」を否定することもあまり意味のあることではないだろう。


 阿弥陀経の中に浄土を説明して,真ん中に金砂子を敷き詰めたプールがあり,その周辺を宝の樹林が囲み,その木々の枝には七宝の飾りが覆い,そこに在する人々(正確には諸仏)は空腹もなく,老いることもなく,どんな煩悩に悩まされることもなく(とりわけ性的な欲望の焦燥に苦しめられることがない。なぜなら浄土は性が存在しない世界だ) ,心地よい音楽,昼夜六時(仏教における一日の時間区分)に降る曼陀羅華,天空には極楽鳥が飛び交い,プールには八功徳水というありがたい水が満ち,四辺の施設はすべて金銀瑠璃瑪瑙等の宝物で出来上がっている。
 そんなキンキラキンの情景描写がなされ,情報過多の現代人には少々うんざりさせられるほどのけばしさであるが,これは千年以上も昔の人々の篤厚な信仰心に訴えるためのイメージ・サービスであったと考えればよい。
 はっきり言って,この程度のイリュージョンはジョージ・ルーカスなら難なくハリウッドの撮影所で作り出せるだろう。我々はそうした修辞(レトリック)そのものにこだわる必要は無い。


 実際のところ,浄土とはすなわち涅槃であり,涅槃とはニールバーナ(バーナ・煩悩が燃え尽きたということ)であり,生ずるところもなく,また滅するところもないと呼ばれる完全無欠の無の世界だ。
 あえて詩的に表現すれば,夜明け前の大砂漠のど真ん中に,微風に吹かれてただ一人突っ立ているとでも言えようか。色も匂いもなく,形も感触もない。すべてが滅し果てた後の静寂。完璧な寂静。それがニールバーナであり,浄土であるはずだ。
 それは白骨となって後の,「心」の安らぎであり,無際限の平安であるはずだ。我々凡夫はどんなに意志を高めても,所詮この身に「肉」がある限りは「有情」の宿命から逃れられない。
 その絶望感が仏教の原点であったはずだから(なぜ釈迦が六年の修行を放棄して森を出たかを問い直すべき。),逆から言えば肉さえ削ぎ落とされれば,我々は煩悩から自由になれるという理屈で,これは「灰身滅智(けしんめっち)」と称して小乗仏教での最高の境地とされている。
 ただし大乗仏教の側からはこうした肉体否定の理想は完全に論難されてはいるが,事実関係から言えばそれが涅槃というものの究極のあり方であることに間違いは無い。
 死と静寂と無。それを救いと見るか,恐るべき絶対孤独の地獄と見るか。


 いづれにしろ阿弥陀如来は,自らの理想の「王国」を築いて,今現在のこの瞬間も我々が「往生」(生死を越えて達すること)すべき方向を指し示していてくれる。
 誓いの中でも特に浄土真宗で問題にされるのは,第十八願である「至心信楽の願」で,これは念仏宗(日本で言えば,浄土教,時宗,浄土真宗等の11〜12世紀に起きた浄土教系宗派)の最大の拠り所となる経文である。
 死の恐怖から逃れる手段としての「浄土」の観念的共同幻想の定立。それは一種の倒錯ではあろうが,死もまた観念である以上,そんな方法論が人類の最大の慰めになることは疑うべきことだろうか。
 あえて言えば,人類の文化史は自らの死の恐怖にいかに立ち向かったか,その試みの記録でもある。人類の物質的な文明(その最たるものが「科学」だが)も,いままでのところまったく死に対しては無力な中立のままだ。人として必ず死なねばならないという絶対性は,生の必然のままだ。

「人間の浮生なる相をつらつら観ずるに,おおよそはかなきものはこの世の始中終,まぼろしのごとくなる一期なり,(中略)われや先,人や先,今日とも知らず,明日とも知らず,遅れ先立つ人は,もとの雫,末の露よりもしげしといえり」(蓮如「白骨の御文」)
{註;蓮如:浄土真宗本願寺の第八世の門主であり,応仁の乱前後の混沌とした時代に,ほとんど消滅寸前の本願寺を巨大宗教勢力の法城へと発展させ,一代で時の戦国大名の誰をも凌ぐ世俗権力と宗教権威をものした不世出の宗教的英雄(日本ではこの手の英雄は数少ないが)。彼が僧侶門徒に書き送った消息を「御文書」として,真宗教団では現在でも法要仏事で節をつけて読み上げるしきたりである。}

 かつて中世戦国の凄惨たる日常の中で,都大路に腐乱した死体が累々と打ち捨てられていた時代に,蓮如が真宗教団を流血と戦乱と無秩序の荒野の中に築きつつあった時代と,一方最高の生活水準と最新の医療技術の21世紀直前の現代と比べて,人間は死から隔たったと言えるだろうか。
 たしかに娑婆世界での平均生存期間は延びた。それは間違いの無い事実だが,十年二十年の延命が数億年,数千万年を見渡す仏教の時間概念の中ではいったいどれほどの価値があるのか。
 我々が自らの人生について唯一わかっていること(おそらくそれ以外には何もわかってはいなのだ。),それは自分も多くの死者と同じく死んで行くというただそれだけの可能性なのだ。


 大なり小なり死を前にした誰もが求める極楽の来世。しかし仏教の基本はあくまでも「出家かつ修行」であり,こうなると俗社会にある者は仏教の救いの対象とならない。こう言いきってしまうことは,仏教の側の宗教的な自己排除となる。一般大衆と隔絶すれば,宗教は確実に社会的な地盤を失い衰退して行く。大乗仏教が成立する過程ですでにこの問題は僧俗の最大のテーマであったわけだが,また現代でも依然として引き継がれている問題でもあろう。
 そして「俗」の側に最大限軸足を移した仏教のあり様が,すなわち口称念仏であり,これは仏教からの「出家かつ修行」の完全否定であり,僧俗の意味の一体化を顕す。口称念仏,つまり口で「アミターバ」,「アミターユ」を称えることのみが,浄土への「機縁」となる。それ以外の雑行雑修(ありとあらゆる諸々の仏教修行)は敢然として必要無いと言いきる。
 それはあるいは仏教そのものの否定であったかもしれない。(出家仏教が宗教の否定と言い得るならば,同じ次元で非修行仏教は仏教の否定だと言う人はあるだろう。)否定はしても,日本の浄土教の系譜は,仏教の流れとしての歴史的な位置付け(すなわち仏教系譜の正統性の保証)には執着した。
 とりわけ浄土真宗は,仏教の正統性の確保に努めた。七高僧(竜樹,世親,曇鸞,道綽,善導,源信,源空)の流れに直結させることによって,親鸞独自の思想がいわゆる「仏教」であることを執拗に証明しようとしたのだ。
 ただ,我々にとって本当に必要なのは,それが仏教であるかどうかよりもそのことで我々がいつの時点かで涅槃,すなわちニールバーナを得られようかという問題だ。


 本当の寂静とは何か。そしてそれはどこにあるのか。そしてそこに辿り着くにはどうすればよいのか。そのことを知りたいだけだ。あなたも,私と同様にそうであると思う。
 白骨の後に煩悩の完全に止んだ状態を,出来れば生き身のままに知ること,体験することはできないか。絶対完璧な無の状況はどんなものなのか。それを知りたいなどという情熱は,物好きの最たるものとも呼ばれよう。この世の退屈さ,凡庸な人生,そんなものにうんざりしきった中年者の悪趣味と笑われようとも,この「興味」の一点で人生の認識をぎりぎり仏教に近づけたがっているのは,私一人ではないはずだ。
 純粋の無を体験したい。これを単なる好奇心,下世話な物見高さと言われても別にかまわないが,これはひとつには死への積極的な問題意識のなせることであり,それは同時に「生死出離」という仏教の最大のテーマに相応した好奇心でもあるはずだ。人間は死ぬからこそ,仏教を必要とするのだとも言って良い。
 そしてそうした絶対無の世界を構想する場合に,阿弥陀とはどんな位置付けをすべき「もの」なのか。このことは,一に係って経典に尋ねる他にはないのではないのか。


 この世に出現した仏(釈迦)は,二千五百年前に消滅した。それ以外にこの世に仏が出現したことがあったにせよ,我々の身近な語り部とはならない。残されたよすがは,経典,仏典の他にはない。とうの昔に著作権の法的な制限を解かれた「仏典」は,ともかく安く手に入る,実に身近な媒体(メディア)だ。(こけおどしの,パソコンマニュアル本なんぞよりもはるかに読み手がある。)
 その巻数は二万巻とも言われているが,いまだに漢語にすら翻訳されていないものもあるから,そのすべての実態は不明だし,また今でも物好きにもコツコツと作っている人もあるらしい。
 刻々と解釈が替えられ,さらにその原典自体もまた生み出されつつある,恐るべき人類の大文化事業ではある。
 その解釈にしても,時代と共に大いに変遷するのは当然のことで,たとえば現代アメリカの最先端の臨床心理学的な成果を基に,浄土教のイメージ,イリョージョンを解析したアメリカ人の哲学者(カール・ベック)もいる。
 もとより仏典に絶対的な解釈などは無い。時と人によって,それが異なってもむしろ当然のことではないだろうか。


 その経典の主人公が釈迦であり,釈迦は「仏」であった。釈迦を仏と認識しない
かぎりは仏教は始まらない。そういう意味の宗教なのだと思う。
 しかし,お経の著者が釈迦であるわけではない。彼が語ったこととしてお経の筋立ては成り立っているが,彼の声を直接聞いてお経を書き記した人もいない。
 あえて言えば,諸々のお経は釈迦について後世の人々がイメージした,まさにそのイメージの何百年にも亙る追憶の記録なのだ。故に,「シャカ」は仏なのだ。実際の「シャカ」なる人物が仏であったかどうか。はたして「仏」と呼ばれるに値する人物であったかどうか。そんなことは宗教的には何ら,取るにも足らない問題なのだ。


 唯一この世に出現した仏は,俗名ゴータマ・シダールターと呼ばれたシャーキャムニ(釈尊・釈迦)だけとされている。ご案内のとおり,この方が仏教のこの世での開祖ということになっているが,仏教思想の仮定の上では彼は過去現在未来に亙る時間の中に無数に出現した(必ずしもこのサハー世界ばかりとはかぎらない),仏の中の一人に過ぎないということになっている。
 つまり仏教では生身の人間であった者については,決して特別な絶対視はしないという,信念に等しい認識。生身である以上,そこには必然的に煩悩はあり,心身ともに汚れた存在であるわけだから,従って,正覚以前のゴータマもまたそこらの普通の「兄ちゃん」であったと思って何ら不敬ではない。
 とすれば,何より我らの最大の師たる釈尊のことを,一個の「人間」として語らねばならないだろう。ギリシャのソクラテス,中国の孔子とまったくの同世代人で,なぜそんな哲学思想の大スターが並存したのかと言っても,人類の歴史ではよくある偶然だ。(偶然というよりも,それなりの因果はあるのだろうけれど。)


 お釈迦さんは,二千五百年前に実在して(歴史的に確定しているわけではないし,そうした名前の個人は存在しなかったという説もあるにはあるが),この世の濁世を生き抜き,飯を食べ,息をして,歩き,糞をして,またセックスもされた生身の人間であったとたしかに言えよう。
 セックスと言えば,実際彼には息子もあって,その方はラゴラといって阿弥陀経にも出てくるお弟子だから,当然童貞などということはない。(その点が,36歳で罪を得て,ゴルゴダの丘に磔刑にされたあの童貞の青年教祖とはまったく異なる。どっちが人間的に興味深いかは,個々人の好みの問題であろうが。)


 29歳で出家して森の求道者になったわけだが,忖度するにこれは政治的にも的を得た選択であったらしい。彼はインド北部,ほとんど現在のネパールに近いヒマラヤ山系の麓の,小さな部族国家の首長の跡取息子だったが,当時時代が大きく展開し出す頃合で,もしあのまま親父さんの跡目を相続して領主になっていても,当時強大な力を見せ始めていた近隣の大国のどれかに攻め滅ぼされて,亡国の君主として時代の底に露と消えていたことであろう。実際,彼の祖国シャカ国は彼の存命中に,コーサラ国に亡ぼされてしまった。
 先の限りが見えた組織を見捨てて,新しい展望を開くために単身ドロップアウトしたとすれば,案外この人物,したたかな世知を備えた人だったかもしれない。
 また,森に隠棲することは現在でもかつてでも,インドでは決して珍しいことではない。森や道端の隠者には事欠かないのが,この底無しに神秘めいた亜大陸社会の大きな特徴だ。おそらく今でも学校の先生の数よりは自称「隠者」の頭数の方が多いのではないか。

 とまれ彼は森で六年間修行したとなっているが,これも一定の修業作法のようなものがあって,彼はそれを忠実になぞったのだろうが,当時すでにそうした修業法があまりに形式化しすぎていたのか,それとも彼があまりに柔軟な考え方を持っていたためか,とにかくあっさりと修行を放棄してしまう。六年の隠棲生活の後のことと言われている。いくらやっていても空しいばかりのご苦労には付き合っていられるか,といったところであろうか。
 樹の幹を伝わる雨水を飲み,下草や鳥の糞を食べ,断食と瞑想を徹底的に自らに課す。有名な「釈迦苦行像」はこの時の彼の修行を理想的に描いたものだが,あのあばら骨のすべて浮き出た皮一重の姿は,糖尿病末期の患者のイメージと妙にダブルけれども,茶化してはいけない。糖尿病の患者は,おそらく森で自由気ままにやっていた修行者たちよりもっとはるかに厳しい現実に置かれている。
 お坊ちゃん育ちらしく,彼はあまり物事に拘泥しないタチであったらしく,また物事の客観性を保つ知性もあったのであろう。結局修行を自ら投げ捨てる形で諦めて,河に沐浴に入ってしまう。当時ヘンな,意地っ張りな戒律があって,沐浴をした修行者はその時点で修行を放棄したことになるという掟だったらしい。シャカは,もう止めたと言いたかったわけであろう。こんなアホらしいことに付き合っとれるかよ。
 当然のことだが,修行者仲間たちはそんな彼を,一分の妬みと一分の優越をもって大いになじったとされている。
 彼はそんなことには頓着せずに,街へ出て行き,辻で説法を始めた。自らを覚者(ブッダ)と称して,人々に解脱への道を説き始めた。その自信に満ちた堂々たる物腰に,市井の人々は強い印象を受けたのであろう。いきなり何の前提もなしにそんなことを語り出した,その三十六歳の男を誰もなじったり,辱めたりはしなかった。
 その時から,彼が八十歳でクシナガラ近郊の沙羅双樹林で入寂するまでの四十数年間に亙る伝道の旅が続いたわけだ。乾いたインドの砂埃を裸足の足にまとわり着かせ,黙々と「象の歩みのように」歩んで行く彼の姿そのものが,まさに「仏教」そのものだったとも言えるかもしれない。


 ともかく彼は莫大な人数の弟子を生み,彼らが寄り集まって原始仏教教団が構成されたわけだが,その勢力は膨大なもので,直弟子だけでも一説には五百人(五百羅漢),さらにその孫弟子,ひ孫弟子まで合わせて行くと,当時の大国(コーサラ国やマガダ国)の青壮年人口を凌いだのではないか。
 人類の人口が世界をすべて合わせてもせいぜい数千万,あるいは数百万といった時代のその数万単位の集団だから,釈尊の名前がある程度世に出た時点で,大国の王が自ら城を飛び出して行って,釈尊の前に跪いて礼を成したというのもあながち説話の美談ばかりではなかったと思う。(王城のバルコニーに立っていたマガダ王ビンビサーラは,ある日弟子たちを従えて,ふらりと城門から城市に入って来た釈尊の姿を遠望して,その尊さに打たれて,真っ先に自ら出向いて礼をした,ということになっているが。)
 信仰に結束して,カリスマが実在するそんな集団を敵にまわすことの危険を当時の海千山千の為政者がわからなかったはずもない。それで,晩年は彼もそれなりに世間で十分一目置かれるだけの「宗教指導者」になっていたわけだが,ただ,それだけのために彼の名が二千数百年も間,全アジア地域に浸透したわけではない。
 新しい「教団」を生み,その組織を牛耳る「指導者」なる者はいつの時代でも存在するし,これからもあらゆる時代と人間社会に現れ出るはずだ。


 釈迦は文盲であったという説もある。それは彼が自らの著作物をまったく残しておらず,いわゆる「経典」というものは彼の説法を聴聞した弟子たちが語り伝えた後の世に「結集」として編纂されたものであったからだ。シャカ族の王子であったほどの人が識字という文化教養を備えていなかったとは考えにくいことで,むしろ文字にして残すことの危険を慮ったのであろう。
 文字にして残せば,彼の思想はそれで完全に確定されてしまう。その思想の範囲は有限なものとして現れる。どんなにすばらしい宗教思想を生み出しても,書かれたものは所詮その限度内のもの。後世の人間にはもっともっと賢い者が出てくるはずだから,そうした人間たちに批判のための証拠物件を残すようなもの。わざわざさかしらげな者たちに,叩かれるための頭を差し出すようなことをせずとも,謎めいた,しかし人々の関心を引かずにはおかない思想を薄ぼんやりと残しておいた方が賢い。
 いっそ何も「証拠」を残さず,ただ人々が帰依したという歴史的な事実と,語ったことの「伝説」だけを残した方がはるかに神秘性が増し,しかも伝説は伝説だから知識や合理によって古びることも,否定されることもない。書き残さなかったというのも,やはり彼なりの遠謀術数があってのことかもしれない,と憶測するわけだ。
 代わりに,彼自身が見たことも無い後世の弟子たちのために,彼ら自身の創意工夫を存分に発揮する機会を残してやったわけで,「仏典」とは時代を超えて書きつづけられた,その時々の最高の知識人が書き足して行ったまさに「総合文化事業」なのだ。
 経典は体裁上,すべて釈迦が生きてこの世で語った,その説法をサンスクリットに書き留めたものとされているが,それはあくまで建前の上のことで,実際に釈迦本人を知った人間が書き残した著作はない。伝説上の釈迦が,伝説上の説法を経典の中で語り続けているわけだ。


 彼の教理の中でもっとも印象深いのは,彼が自らの涅槃入滅の直前に弟子たちに語ったという説諭にある。彼は80歳で入滅するが,その時に語ったことを彼は生涯説き続けていたとも言えるであろう。
「すべてのものは移り行く。留まるものはない」
 彼はそう言いつづけていたであろうし,最期に臨んでもまたそのように自らの認識を確認して死んで行った。
 諸行無常。諸法無我。涅槃寂静。これは仏教の三法印であり,仏教思想の精髄が集約されているとされている。仏教を標榜する無数の宗派があるが,少なくともこの三原則だけは基本において共通しなければならない。


「諸行無常」:「行」とは,この世に存在するもの。無常とは,決して恒常ではないということ。釈迦が最後に言った意味と共通する。


「諸法無我」:「法」とは,真理あるいは原理とでも。無我は,自己同一性(アイデンティティ)などは本来的にどこにもなく,所謂「自己」なるものは幻想に過ぎないとする。人間が無謀にも,自己をこの世で唯一無二の存在と奢るところに,そもそも煩悩の苦が生まれる。
 そんなことは,多少でもこの現世で苦労した人間なら「理解」,「認識」の前にすでに体験的に直感しているはずだ。「自分」の存在なんぞ取るにも足りない,クズのようなものだと考えなければ,実際問題,この世のどんな世間の世渡りも出来かねよう。陰険で,世知辛い世の中で,我こそはなどという大望,野心は本当は許されていないものではないだろうか。
 平凡な人間付き合いの次元では,自分が世界で唯一の特異性を持った存在なのだとはとても言いかねる。当たり前のことだが,結局「無我」とはそんな風な月並みな人間の,月並みな自己認識なのだろう。


 また死後も人間は(人間だけではない,いっさいの生き物は),「魂」なる自己性を持って「霊界」に行くわけでもない,という意味でもある。従って,死後の霊界や黄泉を仏教は画然と否定する。そもそも釈迦自身が,バラモンの死後世界を否定して,死後の完全消滅を自らの認識の第一歩としたわけだから。
 「我」と言うべき「われ」はない。それは幻想であり,我々は決してお盆に先祖の魂となって子孫の家に訪れたり,また墓の下で「見守って」いるわけでもない。霊魂を徹底的に,完膚なきまでに否定しきったところに仏教という恐ろしい哲学が現れるのだ。


「涅槃寂静」:何のかのと言っても,仏教が最後に求めるべき究極の境地が涅槃であり,その様態が寂静であることは始めから明らかで,いまさらという感もなきにしもあらずの法印ではある。
 しかし時としてこの現世に浮き立つ人の中には,自分が真に求めるものが実際には何であるかをはっきりと認めない者も多い。

 まとめ。
 この世の一切のものは変化の過程にある。生そのものですら,刻一刻と死へ向かって崩れ落ちている。自分の自分と認定できるものなど何も無い。自分は単に一般的なものの一部に過ぎない(衆生という中の一単位)。そしてそんな哀れな凡夫にとっての最高の救いは,一切が無に帰する状態,すなわち涅槃に入ることに尽きる。
 これが二千五百年の間,東アジア一帯に湿った暗い土壌のように堆積した思想のエッセンスのはずだ。「はずだ」と断定できるような安直なものでもないだろうが,少なくとも重要な示唆にはなるであろう。


 また,忘れてはならないのは,釈迦がこの世を無目的化してこの世での人生という限定を否定したことと合わせて,彼が「神」を否定したことである。この世に頼るべき価値が無い,すなわち人生の無意味さを知った時,次に人が頼りにするのは絶対的なこの世の「神」であるはずだ。
 物神,絶対者,組織,国家,そうした諸々の人間を越えたある絶対を,金輪際否定しきったのがやはり釈迦の仕事だった。彼は二千五百年前のインドのバラモン教や土俗のありとある神を無視したのだ。これほどの徹底したニヒリズムはおそらく彼が,記録に残るかぎり最初の人ではなかったのか。


 この世の価値を(つまり人生の価値を)認めない。と同時に,外部に神的な価値もいっさい求めない。
 ただただ死に絶え,消滅し,無に帰するおのれ自身と付き合い続けようという,恐るべき無神論ニヒリズムであるわけで,ある意味で世俗にとっても最も危険な思想であるとも言えるわけだ。


 たしかに歴史上仏教が仏教それ自身として迫害された時代もなかったわけではない。唐の貞観の治世の頃にも政治的な圧迫があり,当時留学僧だった円仁が遭遇しているが,これなどただ寺方の政治的な立場が弱くなった程度のことで大したことではない。
 現代の民族紛争におけるような,あるいは中世キリスト教世界での新旧教徒同士によるような,宗教的なジェノサイト(大量虐殺)といったことには,仏教はほとんど遭っていない。
 これ自体重要なことで,俗世間から今も昔も人畜無害な,無毒で安穏な宗教団と認識されて,放任されていること。その事実にはこの宗教思想の大きな特質が隠されている。
 といっても,この宗教も教団も本当に俗世間に対してニュートラルで,無難なものであったかというと決してそんなことはない。


 ニヒリズムはそれ自身が恐ろしい思念だが,ニーチェの指摘するとおり仏教はまさにこの思念に始まり,この思念で完結される思想体系に属するものだ。しかしニヒリズムがイコール仏教なわけではない。それはキリスト教の中にも,現代科学思想の中にも隠れ住んでいる。
 むしろニヒリズムで完結させるところに,行為としての危険性が失われるわけで,無常観の悲しみと人間の無力感の自覚の内に消滅して行こうというのなら,それは時の権力者にとっては何の障害にもならない。気弱で,人の良い連中の取るにも足らぬ敗北的諦観と,腹の中でバカにしておけばそれで済む。
 仏教が大方の政治体制に容認されて,激しい血みどろの弾圧の対象にはほとんどならなかったことの理由(織田上総之介信長の比叡山焼き討ちや長嶋一向一揆弾圧は例外として)。それはまさに仏教の理念そのものの中に備わっていたと言えよう。


 とは言え,仏教が人畜無害の,アホみたいな思想かというと,そうでもないかもしれない。たしかに日本では江戸期を通じてひたすら体制に恭順することで,仏教団が権力の裾分けに預かったという事情によって,俗人たちからさえとことん侮蔑されるような「思想」に成り下がっていたのはたしかだ。実際,当時のエリート層であった,学識のある官僚的な武士たちは総じて仏教を冷めた目で見ていたようだ。
 そのためどんな組織でも,そこを牛耳る「官僚的な」資質の人間は古来から仏教にソッポを向けて来た。彼ら「官僚」の思想はあくまでも合理主義的な現世主義であり,それは正確に仏教の基本的な思念と完全に背反するものなのだ。つまり,言ってしまえば,「出世の妨げ」になるわけだ。
 それは歴史的な事実なわけだが,それで仏教が本来無力な思想であったとか,あるいは単なる人道福祉事業の延長のようなものとか断定するのは,まったくの愚の骨頂である。

 
 親鸞和讃に,「光触かむるものはみな 有無を離るとのべたもう」とある。
 有無を離れるとは何か。存在の有と無の観点から超脱するという信仰とは,完全に現世の価値体系,感覚原理を自ずから否定し去った境地ではないのか。このような思念がもしも一個の人間の心に宿れば,それは行為においては一人の凡夫に過ぎない生き方ではあっても,心に於いては釈尊の教理につながり,現世の一切の「価値」を否定する。
 これは最高のアナーキーであり,全否定である。現世の煩悩が存在に関わる以上,存在を諦めない限りは解脱もない,と言えよう。
{註;親鸞和讃:今様形式の和歌による,仏教への親鸞聖人ご自身の讃嘆を著したもので,五百近い作品が残されていて,かつて遠い中世の時代と同様に今様の音曲の節を付けて朗詠することが,読経の際の浄土真宗の作法となっている。}


 仏教を知れば知るほど,人生は「一睡の夢」という思いを強くする。本当に,我々の生きているということに夢ほどの「実態」があることだろうか。
「源氏物語」の最終巻末は,「宇治十帖」の「夢の掛け橋」で終わるわけだが,まさにどんなロマンもいっさい夢の如しという感慨は日本人の古来から共通した無常観のなせるところかもしれない。
 ちなみに紫式部は,叡山「横川の僧都」こと源信から直接教えを受け,仏教的な(とりわけ浄土教の教理)教養の土台の上にこの情念の大フィクションを書き上げたと言われている。言ってみれば,一代のロマンティイクもその最後は浄土教の最も強く訴える「無常」の哀しみに満ちた色調と成って,もののあわれに終焉を迎えるわけだ。


 浮船は最後に宇治川に入水して大団円にいたるわけだが,では仏教は「自殺」なのか。


 仏教は何世紀もかけて東アジアの全域に伝播した。世界宗教がみなそうであるように,仏教もそれぞれの土地々々で柔軟に変容して,土俗と融合しながら,しかも釈迦一代の教理の基本は伝播した土地に根付いたと思われる。その基本は,先の三法印そのものである。
 人生にどれほど多様性があって,個々の人生観に千差の万別があっても,結局つきつめれば,仏教の教えの根本はこの三つに尽きる。
 すべては移ろい,一切のものにそれ自体の絶対的な特異性などない。そして人間の苦しみを最後に救う境地は静寂,果てしない完璧な静寂,すなわち消滅の完全な姿だということ。それを否定できる人はいないだろう。


 さてそうして,我々は「我独り,何処から来て,何処へ行くのか」という根元の煩悶を問い合わせるべき教理に日本文化の中で出会うことになる。この偶然に(機縁と言ってももいいが)徒に感謝感激することもないだろうが,少なくとも思考の幅は広がる。
 我々が感謝してよい先人は,聖徳太子,最澄,源信,法然,親鸞,蓮如と挙げて行けるが,もっと別の系譜を挙げる人もあるだろう。


「何処から来て,何処へ行くのか」の問いについての仏教の回答が「自殺」というのではお寒いことになるし,そんなお寒い教理が世界宗教としていくつもの民族に受け入れられるだろうか。
 もちろん仏教は道徳ではないし,生き方の規範でもない。その思想の中には二千年以上もの間,人間の観念・情念・思想のありとあらゆるものが付け加えられている。中には,人道と真っ向から対立する淫猥で,狂燥的な情念を含んだ教理もある。悪も,恐怖も,神秘もある。およそ人間の範囲でなされるべきことはすべて仏教には含まれている。また,含まれていなければ,それは本当の力を持つことはなかっただろう。
 そしてさらに「何処から来て,何処へ行くのか」の問いを問いつづける「仏」と「経典」。その答えは無いと言っているのか,それとも有ると主張するのか。


 さらに一歩踏み進んで,やはり仏教とは人を安らかな自殺に導くものなのかという問い。その問いに対して,絶対にそうではないとヒステリックに反論して見ても始まらないだろう。人は生きてはいるが,また同時に死につつある存在でもあるという認識は,自殺を完全に否定する(それ自体がほとんど狂気に等しい)考え方を受け入れられないだろう。
 人はやはり生きながら,大なり小なり死に向かって確実に進んでいる以上,我々の誰もが緩慢な自殺を遂行しているとも言えるわけで,その事実は決して否定できない。
 また,実際に自らの死を受け止めるべき瞬間にも,死を謙虚に受け入れないというのでは,まさに「後生」が恐ろしい。