イタリア・ラベンナ市コンビナ−ト地帯を見学して


はじめに
 去る98年9月7日〜16日、水島コンビナ−ト地域の生活環境改善をはかる参考とするために、環境改善活動の先進地イタリアを訪問し、デルタ地帯の環境復元の国際会議参加・地方自治体による自然環境保全と復元計画の実施状況の調査・市民のボランティア活動でつくられたという「ミラノの森」視察 、さらにラベンナ市のコンビナ−ト地帯を見学する機会をえたので、特にコンビナ−ト調査の概略を報告し、水島のまちづくりの参考資料とします。
 
ラベンナ市
 このまちについて「モザイク美術の宝庫ラベンナは、ヴェネツィアの南、約150Kmに位置する、人工14万人の町。アドリア海に面した、ビザンチン文化の花咲いた古都ラベンナは、イタリア観光のメインル−トからはずれているがモザイク美術に興味のある人には、ラベンナを抜きにしてはモザイクを語れないほどに重要な町。」(地球の歩き方・ダイアモンド社)と紹介されている。(今回はモザイク美術についてはふれる機会がなかったのが残念でならない。)
 ラベンナ市は5世紀にポ−川流域の沼沢地に、地中に多くの杭を打ち込んで造られた町で、今でも市内には多くの湿地や潟湖が残っている。
 市庁舎に環境担当の方を訪問し、説明をおききしたあと昼食時に周辺を散歩する機会があったので、石畳の道をポポロ広場からガリバルディ広場へと歩いたが、ゴミ箱さえもデザインされた石柱の中にそれとわからないように組み込まれており、洗練された落ち着いたたたずまいの美しい石造りの古都であった。
 
ラベンナ市のコンビナ−ト
 ラベンナ駅の裏に道を隔てて運河があり約10Km先のアドリア海へとつながり、そこから沖へむけて左右に約3Km程度の防波堤を築いた港ポ−トコルシニがある。
この運河の両岸に幅約1〜2Kmのコンビナ−トが広がっていた。
 コンビナ−トは1955年〜60年にかけて干拓地に建設され、国営の石油精製所からはじまり、現在は第2次化学工業を中心に、鉄鋼・造船・流通基地・発電所など大企業10社の他に、関連する中小企業が多数立地している。
 水島コンビナ−トと決定的に異なる点は、製鉄業が立地していないということであり、その点では公害防止対策はやりやすいと思われる。
 工業出荷額やイタリアにおける該当産業中の生産割合などは、残念ながら調査不足で不明である。
 コンビナ−トはポルトマルゲ−ラ・マントバ・フェラ−ラ・ラベンナをパイプラインで結び、エチレンセンタ−は100Kmはなれたポルトマルゲ−ラにある。
なお、沖合には最近になってメタンガス田が開発され、近くそのメタンガスで発電をまかなう計画とのこと。
 主要な第一次原油精製センタ−は、油田基地のある北アフリカへ展開してあるとのことであったので、このコンビナ−トは北イタリア沿岸地帯からアドリア海さらに地中海をへだてた対岸のアフリカ大陸とも関連したコンビナ−トとして生産をおこなっていることとなる。
 このコンビナ−トでは約8000人が働いており、その80%はラベンナ市民が占めているとのこと。
 
最大企業EniChemを訪問
 我々はこのコンビナ−トの中心企業のEniChem(元国営企業)を予約もなく訪問しましたが、はるばる日本から勉強にきたということで、特別なはからいで、技術部門の最高責任者ディマイオ氏が工場内をマイクロバスで案内してくれました。
 工場敷地2.7平方キロメ−トル、従業員数約1540名の工場である。
 おどろいたことにこの工場は、人間の胴体ほどの太さのうっそうとした松林にかこまれており、日本の様な松枯の木は一本も目に付かなかったことです。
 水島コンビナ−トの装置類がぎっちり詰まった工場とは異なり、工場内は広々としており、点々と設置してある機器のブロック間は芝生に覆われていました。
また水島コンビナ−トの様な臭いも全くなく、フレアスタックがありませんでした。
 この工場では原料のエチレンからブタンを合成し、製品としては透水性のアスファルトや合成ゴム、プロピレンやビニリデンを製造しているとのことでしたが「その過程で不純物や急激な反応変動から設備を守る安全のためにフレアスタックで処理しないのか」と尋ねたところ「基本的に空中に放出しないようにしてあり、ガスが出る部分で全て除去している」という返事が返ってきました。
 安全や労働環境については徹底して対策をとっており、工場に労働者が入構退出する場合には健康安全センタ−がチェックするシステムであり、また防災体制も市当局の消防体制より工場の体制の方が強力であるとのことでした。
 工場でいただいたEniChemの1996年版の環境報告書には関連する全工場の報告が網羅されており、しかもコンピュ−タ−で活用できるように報告書と同一内容のデ−タ−が圧縮ファイルされたフロッピ−ディスクまで添付されており、企業の環境公害に関する情報公開は日本と比べてはるかに進んでいました。
 この報告書によるとラベンナ工場ではたとえば二酸化硫黄の年総排出量が1989年には41744トンであったものが1996年には約三分の一の13599トンに、ノックスは89年が8856トンであったものが96年には約四分の一の2107トンに、水質関係ではCODが1840トンから304トンに減少していることなどが報告されていました。
 
環境復元の状況
 日本であったら「環境公害対策」となる見出しが「環境復元」となるように、イタリアにおける環境対策は、積極的な自然環境の保全にとどまらずに、復元対策の考え方ですすめられていることがわかりました。
 州・県・市の環境関連の部局の責任者から行政としての対応についてそれぞれ事情をきかせていただきました。
 公害問題については、1960年代の激しい公害の経験から、70年代になって各種の規制をおこない、1995年からは各企業と市が自主的な協定を結んで、年次毎の汚染物質排出量の削減目標を設定して対策をおこなっているが、大気のノックスや水質の窒素の削減は困難が多いとのことでした。
 大気汚染濃度は常時モニタリングしているとのことでしたが、残念ながらデ−タ−は入手できませんでした。
 なお、ラベンナ市行政当局や病院などの調査でも喘息などの呼吸器疾患は増加しておらず、癌の増加があるが公害の影響かどうかは不明とのことでした。
 コンビナ−トとの関連では、隣接し周辺に広がる広大な潟が港湾化し水質汚濁がすすんでいるので、50ヘクタ−ルのみを港湾施設用として、残りは堤防で区切り汚水の流入を防ぐとともに、自然の浄化力を強めて再自然化し海岸地帯に広がる森林の自然地帯と結合した自然公園地帯を形成する計画が推進されていました。
 地図によれば、コンビナ−トよりもはるかに広大なグリ−ンベルトの自然公園地帯(潟湖も含めるとコンビナ−トの3倍以上の面積となる)が形成されていました。
 こうした野生動物を保護したり、アウトドアライフに市民が楽しめる自然公園地帯や狩猟地帯の創出に2年間で約60億リラのEU資金が投入されたとのことでした。
 地方自治体の行政では、産業政策といえば農業振興政策のことで(ラベンナには漁業は数軒しかないとのこと)、自治体行政の中心は自然保護・住宅環境整備・都市計画・緑化を含む自然景観復元対策とのことで、EUの資金で農地を林にもどす施策があちこちで実施されているのもみれました。
 もっとも、ラベンナ市の海岸地帯は夏の一大保養リゾ−ト地帯でドイツからも観光客が大量に訪れるとのことなので、そうした関連からも自然環境の保護や復元に力を注いでいるということでした。
 コンビナ−ト建設などの政策は、国家政策とのことで、地方自治体の今の公害対策の主要な問題は自動車交通にともなう騒音などの都市交通対策とのことでした。
 市バス燃料のメタン化や一部電気バスを導入しての公共交通機関を発達させることで対応策を考えているとのことでした。
 
  今後の課題
 イタリアの国家や自治体の行財政機構がどうなっているのか、さらにEUとの関係がどうなのかという基本的な問題についての調査研究が必要です。
 また行政の政策と予算執行や配分、さらに実際どういうように使われているのかといった点についての理解を深めて、日本との比較研究が必要と考えられます。
 公害問題関係では、大気汚染の濃度統計デ−タ−も調査が必要です。
 コンビナ−トの規模や工業出荷額などの統計デ−タ−の調査が必要です。
 こうしたデ−タ−の他に、たしかにラベンナコンビナ−トは臭いもなく良好に管理された環境対策の優秀なコンビナ−トに感じられましたが、ところがフェラ−ラや国際学会のあったコマッキオの近くには、かなりの悪臭を放つ工場もありましたので、公害防止対策が全体的にはどうなっているのか疑問となりました。
 また、エチレンセンタ−のポルトマゲ−ラでは、イタリア初の公害裁判が提訴されているとのことでしたし、アフリカでの第一次石油精製過程での公害対策はどうなっているのか、公害輸出にはなつていないのか、などの調査も必要と考えられます。
 さらに、環境復元の考え方にみられるような、自然への価値観に関わる文化問題についての調査と理解がないと、なかなか全体が把握できないと思われます。
 たとえば、コンビナ−ト地帯につくられた安価な労働者住宅は、労働者には全くみむきもされなかった(入居を拒否されたというニュアンスでした)ので失敗したとか、賃金の50%を家賃に払っても従来からの都市の住宅で生活することがあたりまえとする価値観とか、あるいは、都市には丸石の敷き詰められた凸凹な道路がいたるところにあり、そこを自転車で行き来し、自動車はバリバリ振動して交通している現状が普通にみられましたが、日本だったら直ちにコンクリ−ト舗装道路にされるであろうと思いますので、なぜ丸石の道路のままで残っているのかとか、文化性に根ざした価値観の問題があると思えてなりません。
 その一方で、大都市ミラノは落書されつくされた汚い町となっているなど、都市問題の深刻さも感じられました。
 第一回のイタリア調査では、問題の所在がどこらへんにありそうなのか考える出発点となった調査であり、次回からのこうした海外を含めての各地の調査では、その地域の歴史的経過や文化、さらに住民の日常生活までも含めての調査をする観点が必要と思ったしだいです。
 
倉敷・水島コンビナ−ト地域での今後の取り組みについて
 今日の世界的な不況のなかで、世界的に各産業の再構成とコスト・生産効率の必然的な変化がおこっています。
 イタリア・ラベンナコンビナ−トでは既に第一次素材のエチレン製造工程が北アフリカの原油産出地に移動していますが、公害防止対策というより、生産コストによる経済的圧力による側面もあったのではないかと疑問もわくわけです。
 日本国内においても、東京や大阪などの大都市近郊の臨海工場地帯では、公害問題と生産コストから第一次素材産業とそれに直結した第2次加工産業が衰退しつつある現実があります。
 グロ−バルに考慮した場合、特に東南アジア地域での第一次素材産業の技術は自己確保あるいは技術移転で確立されつつあります。
 それどころか台湾の様に、コンピュ−タ−生産技術では、アメリカのシリコンバレ−を上回っている現実もあります。
 日本国内で販売されている工業製品の製造元を少し注意してみると、実際は韓国・台湾・中国・マレ−シアなどで生産されている日本企業ブランド製品がけっこうあることに気づきます。
 こうした点からも、水島コンビナ−トの各素材産業の国際競争力があと何年あるのかという重大な疑問にぶつからざるをえません。
 水島コンビナ−トの集中・集積による生産性の高さ・コストの低さによる各産業での競争力はおそらく日本国内随一(鹿島コンビナ−トの方が優秀かもしれませんが)と考えられますから、このことは日本全体の今後の産業構造がどう変化するのかということと裏腹の関係で考えられることです。
世界各国での素材産業の発達のなかで、日本国内向けのみでの素材生産として考えた場合には水島コンビナ−トは生産能力がありすぎるために、世界的な生産コストによる圧力はより強く影響が水島コンビナ−トの各企業に現れる懸念が生じます。
 極端な場合として、水島コンビナ−トが無くなる場合も考えられるわけです。
 こうした問題について、今後の水島コンビナ−トの産業構造がどうなるのか研究することが緊急の課題であることは明らかです。
 また、水島地域は、コンビナ−ト建設当時からの生産第一主義の考え方によって社会資本の構成がゆがめられており、安全・健康や文化的な生活環境面での社会資本が不足し、都市機能が保ちにくく地域文化の発達が困難となっています。
 ですから公害問題のみでなく、倉敷市全体を視野にいれての水島地域の都市機能改善と生活環境改善のために社会資本の再評価が必要と考えられます。
 そのなかでは、例えば通行量からみても広すぎる産業道路による住民の通行の危険性により地域分断となっている問題、臨海鉄道の機能強化と児島や玉島への延長、水島中心部の商店街隣接地域への文化施設の再配置、私企業専用住宅団地の解放と住宅地域の再構成、名ばかりの公園をきちんと都市公園として整備すること、河川浄化と親水公園・海浜公園の新設、コンビナ−ト建設時からの影響で身よりのない高齢者の多いまちになってきているなかでの高齢者福祉対策などが直ちに検討されねばなりません。
 海の問題も、人工海岸で沿岸が覆い尽くされ、住民の立ち入れない瀬戸内海となっている現状、海底や地形までも工業生産のためにもっぱら利用されている現状を早急にあらため、豊かな瀬戸内海に復元し、だれもが親しめるように海の環境改善も検討が必要です。
 もちろん、環境改善は、イタリアの先進に学ぶならば本来の瀬戸内の自然環境への復元と、みんながその自然環境に積極的に親しめるように創設してゆく立場から一貫して系統的に大規模に推進する計画が求められると考えられます。
 こうした抜本的な対策と研究をおこないつつも、現在の水島コンビナ−ト地帯の生活環境改善への具体的着手が必要となっています。
 とりあえず公害問題の歴史や水島地域の伝統文化の掘り起こしをおこない環境改善へ位置づけること、八間川の水質浄化と都市親水公園づくり、各町内の公園の住民による利用計画をとりいれての再整備や、例えばコミニティの再生として空き地に花をつくる運動をおこなうなど、だれもが手軽に参加できる運動や行事を行政と関係企業と住民とボランティアによって少しでも実現させていくことが大切と思います。
 
                                                       1999/01/01
                      Chaos to Cosmsoトップペ−ジへ戻る