理事長室−牧師の祈り - 第5号-

≪1≫
運動会、園児募集の時になりました。めぐみ幼稚園が求め 歩んできたものについて記すことにします。 めぐみ幼稚園の歴史については第一号で記したと思います。 具体的にどんなことを求めて来たのかを少し記します。キリスト教 の幼児施設が、その働きを始める根拠がイエス・キリストが教え、 生きた姿によっています。女性や子ども達の存在、人格が尊重さ れないのではなく、全く無視されている時代、社会状況の中で イエス様は神の前で理想的な存在としての子どもを示されまし た。普通、人が子どもを評価するのは、成長して大人のメガネに 適うようになる姿を示す時が殆どですが、そうではありません でした。また、女性が一人前の人として評価されることのなかっ だ時代、イエス様の周りでは女性が生き生きとして働き、その働 きがきちんと評価されていました。子どもであれ、女性であれ、 障害を持った人であれ、普通の人であれ、イエス様の周りでは あるがままで受容され、生き生きとその歩み、人生を歩んでいま した。そのような世界の実現はとても難しいことかもしれません。 では、軽んじられていた人々が、イエス様の世界で生きている場 を実現することが出来ないのだろうか。それが女子教育、幼児教 育に早い時代からキリスト教が関わった理由です。  イエス様は子ども達の世界こそ神の国だと言われました。この 教えを心の底から信じることができる時、私たちの世界、社会は 大きく変わることが出来るのですが。自民党から民主党へと子ども についての施策は引き継がれ、いろいろと考えられているのです が、それらの施策はどうしても大人の視点からのものであって、子 どもを中心としたものではないのです。政治の世界は当然なのか?

























≪2≫
めぐみ幼稚園は創立の時から受け継がれてきた考えはイ エス様が子ども達と共に生きた世界の実現でした。それはキリスト教 が2000年たっても変わらなかったように、今も変わってはおりません。 教育の世界では専門用語がどんどん生まれて色々といわれますが、 基本はイエス様が子ども達と共に生きた世界の実現です。それを 専門語で表現すればインテグレーション統合保育であり、ノーマライ ゼーション障害を持った人も、弱さを持った人もどんな人も一緒に暮 らし、生きることが普通のこととして受け止めるであり、最近ではイン クルージョン共に包み込み合い、一人の人格として、存在として受容 して生きることを求める。これらのことが本当に求められ、実現し 合うところでは、現在とても問題になっている「いじめ」は乗り越え られるのですが。違ったものを心から受容できないところでは、本 当は自分自身をも受容できないのですが。         めぐみ幼稚園はそのような歩みを100年歩んできました。先輩達が 進めて来たその歩みを受け継ぐこと、踏襲することは必ずしも簡単 なことではありません。時代が変われば早期英才教育こそが大事 だとする社会風潮もありましたが、そのような中で総ての子どもが 子どもとして受容されることを最も大切な歩みとしてきました。 現代の子ども達は子どもとして大切にされているのでしょうか? 大都市では殆ど毎年待機児が増えています。毎年保育所が増設され ながらもです。現在の政策の急務は待機児をゼロにすることとされて います。児童福祉法第24条によれば、保育所に入所できるのは「保育 に欠ける乳幼児」です。少し発想がおかしくないでしょうか。保育に欠 ける子ども達が預けられているのが保育所?しかも求められる保育 時間は10時間です。保育士の勤務時間は8時間厳守が求められる。

 
2012年10月 5日
   めぐみ幼稚園 第5号 

≪3≫
9月30日の日曜日にめぐみ幼稚園の元保育者が日曜礼 拝に出席されました。旧姓佐々木と言う保育者です。およそ30 年前のことです。歩行器がなければ自立歩行できない子どもが 在園していました。座る椅子も、両ひじかけがなければ倒れてし まう。そのような子どもです。便所や階段、廊下に手すりがある のはその子ども達の為でした。その時代には、そのような設備の 為の補助金はありませんでした。幼稚園が求めて来たインテグ レーション統合保育でした。障害を持った子どもと助け合い、理 解し合いながら、互いに支え合った子ども達でした。特にその子 の為の所謂加配保育者はつけませんでした。子ども達の力を信 じ、互いが支え合うことを信じていたのです。歩行器を必要とす る子どもが普通に運動会に参加するにはどうすれば良いか、若 い若い23歳の旧姓佐々木先生をはじめ保育者達に考えるよう に求めました。予行のとき、徒競争で彼もどの子も同じスタート ラインに立っていたのです。これで良いのか。私は聞きました。 彼女はこれで良いのですと答え、競争が始まりました。圧倒的 な差がつき、たった一人彼はトラックを走っていました。そして友 である皆は精一杯の応援をしました。私は本当に心が熱く熱くな りました。皆と同じレースを走っている。皆と同じ人生を走ってい る。早い、遅いではなく同じレースを。それ以来、私は障害がある なしに関係なく、子ども達は同じ保育の中で共に育つと言うこと を大切にするようになりました。聞きますと、その保育者の姉は 障害を持っておられました。彼女はその姉と同じ人生を歩んで来た のでしょう。私も0歳から脳性麻痺で自分の意志で動かせるのは左 足の親指だけだと言う女性を友として60数年間歩んできましたが そこまでのノーマライゼーションは出来ていませんでした。
















≪4≫
さて、私が園長を辞し、現在の園長になると、徒競争はリレーと なりました。リレーをどうするのだろうか?私は園長に聞きました。 生命連鎖は途中どんなに小さないのちであったとしても、途絶える と今のいのちは存在しないのです。リレーとはそのいのちの連鎖を 象徴するものであって、子ども達に助け合うこと、支え合うことの豊 さを体をもって知ってもらいたい。そう言うのです。グループの速さ ではなく、一人ひとりが自分を信じ、自分の力を発揮し、それだけで はなく、前後の友の走り、人生をも考えて走る、これが幼稚園での リレーであって、オリンピックのようなリレーではないのですと。 障害をもっと子ども、ハンディキャップを持った子どもがいることそれ がノーマライゼーションだと。そのことを子ども達は十分受容し、 理解する力を持っているのだから、子ども達の意見を聞けば良いと。 私は子ども理解、子どもへの信頼は十分持っているつもりだった のですが、園長とこんな話しをしていて、足元にも及ばないことを 知らされました。保育者が子ども達に問いかけると、子ども達は 皆で支え合えば良いとの結論を出したそうです。子ども達は上 から求められたのではなく、自分達で導き出した方法でリレーを走る ことになりました。どんな集団でも「いじめ」を皆無にすることは、と ても難しいことです。めぐみ幼稚園の子ども達の間でも小さな それは日常的に存在しているのではないかと思います。この件につ いては前号に記したと思います。子ども集団の小さな日常的ないさ かいがあったとしても、私は子ども達が自分達で納得し、結論づけ たリレーを走るこの子ども集団に感動を覚えます。この子ども達に 保育者達がきっと勇気をもらい、育てられることと思います。そうで なければ保育者ではないでしょう。イエス様が理想的な存在とされた 子ども集団が目の前にある。運動会を心から楽しみたいものですね。



理事長室−牧師の祈り - 第4号-

≪1≫
7月には第4号を出すことができませんでしたので、この 号を7月、8月合併号にしますのでよろしくお願いします。 夏休みに入りました。保育者達は休暇に入るのではなく、自己 研鑽の時に入りました。保育技術の研修以上に保育者の心の研鑽 のために与えられた時を活用することに凡てをくだいています。 保育者が大きく変わって新学期に園児達及び保護者の皆さん に出会ってくれることでしょう。保育者の変化に気づかれた方は お話し下されば嬉しいです。小さな変化、小さな成長でも結構。  私が願っていることの一つは、保育者がどんなものであった としても、自分の保育哲学を抱いて欲しいのです。堅い表現か もしれません。別の表現をすれば少し違ってくるのですが、信念 とでも言えるかもしれません。でもやっぱり哲学です。哲学がは っきりと形成出来ておれば、子ども達への対応も違ってくると思 います。また、子ども達を愛する愛についての思いや、表現する ことばも、子ども達を愛するその眼差しも違ってくるでしょう。  私たちは研修において、93歳の佐藤初女さん−自殺しようと する人々におむすびを握ってあげ、それを食べた方々が自殺する ことを止めた。そんなおむすびを握りつづけられた方−の講演 を聞きました。いのちをいつくしむことの大切さ、私たちの手の中 に様々ないのちをいつくしむすべがあることを教えられました。 科学技術が発達した現在、私たちは自分の、そして人々の手のひら を見つめることをしなくなってしまった。私たちは最も近くにある いのちを感じ、いのちを伝える手のひらを忘れてしまった。保育の 基本、保育の本質を示された思いです。手のひらでむすばれたご 飯に優しさ、愛する力、いのちそのものが伝えられていたようだ。

























≪2≫
その講演を聴いた研修会は横浜で実施されました。全国の キリスト教主義の幼稚園、保育園の保育者およそ900名が参加した。 研修会の開催中、自由な時間が与えられていたので、めぐみ幼稚園 を卒園された方、在園された方で横浜近郊の連絡の取れる方々と再 会することが出来ました。連絡できたのはほんのごく一部の方々 だったのですが、11家族の方々が会場近くに集まって下さいました。 どなたもめぐみ幼稚園で共に歩まれたことを本当に感謝して下さっ た。私達夫婦も11家族の方々との再会を大変嬉しく思ったものです。 子どもの中には私たちのことを思い出せない?でいる人もいました。 お母さん方はどなたも本当に懐かしい思いでいっぱいでした。こん なに幼稚園でのことをいつまでもいつまでも覚え、感謝してくだ さる姿に感動します。再会したどの子どもも、またどの母親も心に深 く覚え続けることが私たちの豊かな使命だと思い、また祈りのうち にその成長と歩みを覚え続けることを約して辞しました。その時 の模様が保育者によって撮影された写真がブログに掲載されて いると思いますのでご覧下さい。私達夫婦には、これら11家族以 外にも再会したい方々がいらっしゃいます。連絡やその他の準備が できなくて実現しませんでした。お近くにいらっしゃるめぐみ幼稚園 を卒園された方々、また在園中に転居されていかれた方々、本当に ごめんなさい。人がどんな人生を歩んでいたとしても、その幼少期 本当に愛され、受容されていたことを実感できる時、人は自分の人 生が豊かなものであった、豊かなものであることを実感することが できるものです。また、そのような幼少期を共に過ごすことの出来 ることを幸せに思います。もし、ホームページでこれを読まれて同じ ようなことの実現を希望される方々はメールに連絡下されば嬉しい。

 
2012年8月 9日
   めぐみ幼稚園 第4号 

≪3≫
例年のように8月6日は子ども達と一緒に会堂の大画面 で平和祈念式典に参加しました。幼稚園の子ども達にとって式 典はあまりよく分からないことだと思いますが、特別なことと して子ども達の心に刻まれることを願っています。今年は、翌 8月7日、とても熱く、天気も良く、今年の夏の傾向では熱射病 をすら懸念しなければならない中、平和記念公園に電車に乗っ て行ってきました。いつも思うことですが、あの三歳児バラぐみ の子ども達も一緒に電車に乗り、歩いて原爆ドームから貞子の 像、慰霊碑そして資料館。資料館の地下には市民の描いた被爆 状況の絵があり、はだしのゲンの原画があり、保育者からの様々 な説明を聞き、さらに被爆青桐、平和公園内に唯一第二次世界 戦争での日本のアジアへの加害責任と懺悔を謳った全損保の碑 と子ども達は歩み続けました。保育者、大人が考えるほどのもの ではなく、かなり疲れた、きつい行動だと内心では実感していた ものだったかもしれませんが、参加した幼稚園及び小学生の子 ども達の心にヒロシマが印象づけられることを心から願ってい ます。広島にあるめぐみ幼稚園で、ヒロシマを覚える。それは心 から平和を願うことであり、心から人々が理解し合い、支え合う ことを願うからです。私は45年前に広島にやって来て、電車通 りにある住友銀行の前に立ちました。そこには原爆で蒸発してし まったのではないかと言われる人影がありました。一人の人の いのちの存在が蒸発してしまう恐ろしさを覚えました。そして、被 爆された方々が負われた様々な悲しみや苦悩が迫って来る思いで した。核兵器の残酷さ、非人間性を徹底して伝え、覚え続けなけれ ばならないと誓ったのです。地のもといが揺らいだ。今日は8月9日 ナガサキの日です。皆さんは黙祷下さった?子ども達はしました。
















≪4≫
8月6日の祈念式典に福島の方々が出席されておりました。 ヒロシマ・ナガサキと同じく福島はフクシマとなってしまいました。 フクシマの意味するものは、核エネルギーが使用される所では、 私たち人間の力、手ではどうしようもない危険と悲しみがあること を世界の人々に明確に知っていただく為の警鐘と昇華されたと 言うことだと思います。フクシマを覚えることは、どんないのちも 大切にされなければならないことを宣言することでしょう。また、 フクシマを覚えることは、人はどんな小さな愛でも実践されること を求めていると言うことではないでしょうか。放射線の影響が最も 心配されるのは幼児達。この子ども達が安心して遊び、生きること のできる世界を保障するのが大人の筈です。ヒロシマはこれからも っともっとフクシマを覚え、フクシマと共に歩むことが求められる ことと思います。人間は理解し、支え合い、愛し合ういのちの存 在だから。私たちは子ども達に見えない神さまのことを語り、神さま の愛に生きることを語り続けてきました。 目に見えない神さまの 豊かさ、素晴らしさを!ところが今、私たちは目に見えない放射線 を恐れなければならなくなりました。空気、空、風それらの豊かさでは なく忍びよる放射線の汚染を。とても悲しいことですが、これが現実 のようです。安全神話が空虚ではないと思われていた時代の原発は 私たちの生活を便利に、豊かにしてくれました。ところがその原発が 少し狂ってしまうと、人間の手に負えないものだと分かりました。 私がとても残念なことは、私たちの生活を便利に豊かにすること を大切にしていた筈の経団連の指導者が原発の再稼働の急先鋒に あることです。原発の再稼働なしに私たちの経済は成立しないと。 この危機的な状況だからこそ、経団連の指導者は原発への躊躇を 示し、そのためにはどんな働きと努力が必要かを共に悩んで欲しい。



理事長室−牧師の祈り - 第3号-

≪1≫
キリスト教では6月の第二日曜日を子どもの日・花の日と して守ります。子ども達にイエスの愛に深く触れてもらうこと、 また自然を通して神の愛を讃美する日として守ります。この日 には子ども達はお花を持ちより、 病気の人を見舞ったり、病院に 慰問に行ったりします。これから幼稚園では6月の第二日曜に 近い礼拝の日を花の日として守ります。子ども達にお花を持っ て来てもらい花の日礼拝を守ります。そして、そのお花を日頃 お世話になっている方々のところへ持って行って感謝の気持ち を表します。花と一緒に幼稚園からの以下の手紙も添えます。 拝啓 金環日食、金星の太陽面通過と今年は素晴らしい天 体ショーとも言われる自然の大きく雄大な姿を見ることが でき神さまの創造された世界の時空を超えた世界に出会う ことが出来ました。一方私たちが大空から大地に目を転じ ると美しく咲く花々、樹木そして土や石に出会う。それら は原発の事故で最も汚染されながらも生き、存在している。 逃げることもできないで。67年前広島は壊滅的な被害に 呻いた。そんな中で人々が希望と勇気を与えられたのが、9月 10月と野の花、野の草が咲き、芽を出したことでした。  キリスト教では6月第2日曜を子どもの日花の日として覚え 小さないのち、小さな子ども達の成長への歩みを覚えます。 めぐみ幼稚園ではこの日に最も近い金曜礼拝でそのことを覚え ます。子ども達はお花を持ち寄って神さまへの感謝の思いと自 分達の存在の豊かさを覚えます。礼拝で聖別されたお花をお世 話になっている方々へお持ちします。小さな花束ですが子ども 達の祈りと思いをお受け下さればさいわいです。 敬具

























≪2≫
1950年6月16日、原爆で焼失していた幼稚園が再開。 めぐみ幼稚園として創立されました。1945年8月6日一発の 原爆は広島を灰燼と化しました。現在の観音高校近辺にありまし た教会と幼稚園も倒壊、消失してしまいました。 私の前の赤木峯吾牧師(故人)、幼稚園の理事だった島崎史朗さん (現在91歳で毎日曜の礼拝にご出席されています)を中心に教会 と幼稚園の再建のための努力がなされました。大変なご努力だっ たようです。再建するからにはしっかりした建物をと踏ん張った ようです。被爆後復興した建物で現存しているものは広島市内で も老朽化して殆ど残っておりません。しかし再建された会堂は今 でもしっかりとして老朽化から程遠いものとして存在しています。 この会堂を用いてめぐみ幼稚園が創立されました。それまでは今 の広島女学院保母養成のための実習園だったものが広島西部教会 の付属幼稚園として出発しました。今年で62年になります。 前身の実習園の時代からかぞえますと105年になります。



 
2012年6月15日(会堂再建記念の日)
   めぐみ幼稚園 第3号 

≪3≫
垂直離着陸機オスプレイが沖縄に配備される前に岩国に 先行搬入されることが決定しました。沖縄配備については現地 では根強い反対があり、沖縄に配備する前に岩国に搬入しそれ から沖縄に配備しようとの思惑だと言われています。岩国でも それが配備されるのではなく、一時的に搬入されるということ で了承したと言われています。岩国でもオスプレイ搬入につい ての反対運動が進められています。とても難しい問題です。普 天間基地移転問題が全く進まなくなっています。民主党政権に なってこの問題は沖縄以外への移転が進むものと願っていた のですが、結局自民党政権下と同じ辺野古への移転ということ になってしまいました。ひょっとすればグアムへの移転が実現す るかなと期待していたのですが…。めぐみ幼稚園では過去二回 保育者と沖縄の戦跡めぐりをしたことがあります。平山先生と 佐々木先生はまだ行っていないのでいつかは行かなければと 思っています。その時に覚えたのは、沖縄は本当に戦争の被害 を受け続けているという実感でした。耳をつんざくようなジェッ ト戦闘機の発着する音が四六時中響いています。摩文仁ガ丘の 本当に美しい紺碧の海に、米軍に追い詰められて身を投じた人 のことを、ガマと呼ばれる洞窟で我が子を殺さなければ日本軍 の厳しい眼差しに晒された母。集団自決を強要され親を殺して 自分が死ねなかった証言。広島は原爆の厳しい被害の下にありまし た。沖縄の戦争中の被害のすごさを痛感させられました。沖縄は 今もその渦中にあるように思えます。灰谷健次郎さんの小説太陽 の子は沖縄の人の優しさを表現した秀作です。是非お読み下さい。 また、6月23日の沖縄慰霊の日には、心から沖縄のことを覚えて平 和のために、犠牲になられた方を覚えてお祈り下さるよう願います
















≪4≫
この欄には子ども達の声をいっぱい記してみたいのですが、 それは「めぐみだより」「クラスだより」の方が余程豊かに記され ていますのでそちらに譲ります。ただ、子ども達が牧師先生と呼 びかけてくれる姿には心から感動と喜びを覚えています。 子ども達と話していますと、私の語っている意味を理解しかね ていることがあります。牧師先生の言っていることが分からない そんなふうな反応を示します。子どもと言葉だけで対応する難し さを覚えることがあります。私たち大人は親であろうと保育者 であろうと案外違った意味ですが、言葉の暴力を子ども達の上 に振るっているのかもしれません。分かっているでしようと。でも 子ども達は大人の話している本当の意味が分かっていないこと があるものです。注意したいものです。また私たちが言葉を語り ながら言葉と裏腹な行動していて、子ども達に言葉の豊かさ、 優しさを示しきれていないことも。どんな時でも厳しい、剣のある 言葉ではなく、愛情に満ちた言葉で子どもと接したいものです。 たとえ子どもを叱るときでも。その雰囲気の中で育った子どもは とても優しい表情をしているものです。私が理解し、信じているこ と、それは神さまが人間を神さまそっくりに造られたと聖書に書 かれてありますが、そのそっくりとは言葉を話す姿だと。言葉は愛。 父の日を前にして子ども達はお父さんの姿を思い描いてい るようです。様々な父親があるもので、保育者はそれぞれ配慮し ながら子ども達に接していることと思います。そんな中で顔を描 く作業に関わっているとき、私が保育室に入っていくと、牧師先生 の顔を描いてあげると、様々に描いてくれます。とても優しい顔に 描いてくれたり、とても乱雑に描いたり、いろんな接し方をしてくれ ます。そんな子ども達に私はイエス様の顔を描いてあげています。



理事長室−牧師の祈り - 第2号-

≪1≫
5月は母の日でしたね。5月早々に皆さんに母の日につい ての思いを示すべきだったと思うのですが、ごめんなさい。  今月は私や園長の母についての思い出を少し書いてみよう と思います。  私の母は65歳と6ケ月で神さまのもとに行きました。兄によ って余命半年と宣告され、それから2年10ケ月肺がんを友とし て歩みました。通夜の晩、広告の裏に『うつし世に 会うことな かりし 亡き母に 会える日近くなるらしくある』の短歌が詠ま れていました。人はどんな時でも母や父を思い起こし、会える ことを求めるものかと心を熱くした日が忘れられません。同時 に母が母ではなく子どもになっていることに、子どもである私 たちの存在が消えていることに一抹の寂しさを覚えたもので す。そんな母の思い出を記します。  私が小学校三年生の時、病気で4〜5日休んだ後、やっと外 出できる元気が出て、小さな手に5円を握って八百屋さんに買 物にでかける途中、その5円を奪い、1メートルの深さの溝に私 は突き落とされました。幸い水は底をチョロチョロと流れているく らいでした。その時の記憶は壁が高いということと、お尻が濡 れて冷たく、やっと卒業した寝小便をまたやった。そんな程度でし た。それ以降の記憶はなく、気がつくと布団に再び寝かされて おりました。私をそのような目に遭わせた近所の4年生と母親が 謝罪にこられ、母はとても温厚にその母子に接したそうです。そ の場に居合わせた女性は、そんな母の姿を見て、キリスト教信仰を 持つようになりました。彼女が私に話してくれたことです。イエス の愛を信じる人はどんな時でも隣人を愛せよ。母の信仰です。

















≪2≫
園長の母について記します。私の母が早く死んだので、私 は可能な限り園長の母と接する機会をつくり、いろいろと話を聞く ことができました。おそらく園長よりも多く義母の情報を得たと思 います。母は今でいう高校生の時期、教会で歌われる讃美歌に魅 かれ教会に通うようになり、洗礼を受ける決意を固め母に相談 したところ、富山の大変な旧家で、家は日蓮宗なので強く反対され ました。ところが父は信仰は個人の自由なのだから、本人がそれを を願っているのなら、本人の希望通りにさせてあげなさいという結 論でした。母がこのことを話してくれる時の表情を私は忘れられま せん。どんな時でも一人ひとりの思いを尊重する父を尊敬する気 持ちに溢れていました。そんな家風の中で育ったので、明治生ま れの女性でありながら先進性に溢れていました。18歳の時、彼女は 富山の田舎から東京へ行って学びたいと、今のお茶の水女子大学 の前身保育科に進んで幼稚園の保育者になりました。さすがそ の時代には女性が大学で4年も学ぶことは無理だったようです。 卒業後はしばらく付属の幼稚園にいたのですが、彼女の信仰が それを許さず、地方・福井にある教会付属幼稚園の保育者に転身 され、園長である宣教師とかんかんがくがくと保育について議論 し、子ども達にとって日本社会では何が大切かを求めながら保育 に励んだそうです。幾つものの武勇伝を聞いたのですが、記すこ ことはできません。今の園長を彷彿とさせる事件も幾つかありまし た。およそ10年その働きに専念後、父と結婚し死ぬまで専業主婦 を貫きました。6人の子ども達を育てるために、また良き?妻とし ての歩みに励んだ人生でした。教会での奉仕の働きはとてもすご いものがありました。園長に母のそんな息が注がれているでしょう。

 
2012年5月31日
   めぐみ幼稚園 第2号 

≪3≫
母の日についての由来を簡単に記しておきましょう。前に も書いた覚えがあるのですが…。アメリカでの出来事です。A. ジャービスという女性の母親の記念会(日本流では法事)での 出来事。彼女は母親の生前、母親のことを理解できていなかっ た。彼女は母親が教会の奉仕の働きとして教会学校の教師を することに好意的ではなかった。それまでは彼女にとっての素 適な母親だったのが、自分だけの母でなくなってしまったから。 教会学校の先生をしている時の母親の表情にも嫉妬を覚えて いた。自分だけの母親であって欲しい。そんな気持ちを抱いて 大きく大人になった。その母親が亡くなって教会で記念会をす ることになった。多くの人が集まった。多くの人が彼女の母親へ の感謝を述べていた。そのような中、ジャービスさんは心の底か ら母親を尊敬し、母親に感謝した。自分だけの母ではなく、多く の人々の母であり、先生だった。彼女はそんな母親への尊敬と 感謝の思いを込めて白いカーネーションの花を母に捧げた。 ジャービスさんのその感動的な姿は、集まった人々の心を打っ て全米へと評判となり、母の日の制定にまで至ったのです。  母であること、母になることのむずかしさと素晴らしさを覚 えます。ジャービスさんも幼少の時、しっかりと母親との関係を 作り上げていたガ故に、心のわだかまりや、疑問を超えて母親 の生きる姿を理解することができ、共感することができたのでし ょう。これから先は私の憶測ですが、おそらくジャービスさんの母 がそのように歩むことが出来たのは、ジャービスさんから多くの 良きものを得ることが出来、ジャービスさん自身を心から信頼し 尊敬することが出来ていたからなのでしょう。母と子の信頼関係 愛情関係の確立のために母の日は心底守られるべきと思うのです。
















≪4≫
政府は消費税をアップする一つの理由に子育て改革を挙げ ています。それが子ども・子育て新システムです。政府はそこで 総合子ども園なるものの設置を目指しています。うたい文句では 子どもにとって最も良い施策を目指している。果たしてそうなの でしょうか。様々な番組を見て、小宮山厚労大臣の発言に接して きました。その中心は働く女性が安心して子どもを預けることの 出来る施策が中心となっています。私の率直な疑問は幼児期の 子育てを支援してきた文科省が表舞台に登場してこないことで す。殆どの幼稚園が、キリスト教主義の総ての幼稚園が求めてき たことは、家庭と幼稚園がタイアップして幼児期の子ども達の豊 かな育ちを保証することでした。乳幼児期に子どもがどれだけ受 容されて育ったかによって一人の人間の生涯の歩みが左右され ることを知っています。そこで人がとても悩むことは、人それ ぞれによって置かれた状況、出会う人々が違って、時にはとても 悩ましいことになるのです。その問題的な状況を克服するために うまれたのが保育園です。母親が子どもを誰かに預けて働かな ければならない。私も牧師として30数年前から、某保育園の運営 委員、委員長を務めてきておりますので、そのいわゆる保育に欠 ける家庭の状況は理解してきたつもりです。またその保育園にそ の為に子ども達に精一杯の受容を果たすように求めてきました。 乳幼児期の子どもを施設に預けるのは次善の策で、決して最善 の策ではありません。ところが現代社会は、労働環境が子どもは 施設に預けるという前提で進んでいるのではないかと誤解する ほどです。正規社員を減らして会社を運営しなければならない。 そんな状況をこそ打破することが子育て支援の本質だと思う。 子どもは母親にしっかりと受容されて育つことを求めているのだ。



園長室の中から−牧師の祈り - 第1号-

≪1≫
入園・進級おめでとうございます!  3月の末からこの日まで保育者は新しい子ども達や成長した 子ども達を迎えるために様々な準備や、研修を進めてきました。 少しの不安を覚えながらも、それ以上に大きな期待と希望をも ってこの日を迎えています。在園の子ども達については、保育 者は3月の末にその成長の記録を留めるために精一杯の思い を注いでおりました。これが保育者の愛情と反省なのでしょう。 新しく入園される子ども達については、願書とにらめっこしな がら、保護者の方々が記したその向こうの姿を求めての準備 でした。保育者が最も想像力と愛情、優しさを求められる時な のでしょう。幼稚園の皆がこの日を大きな喜びで迎えました。 めぐみ幼稚園は今年で創立105年、原爆で観音町にあった 幼稚園を失い、現在の庚午の地に再建して62年になります。 多くの先輩保育者達が培ってきた宝を大切にしたいと願って おります。その宝とは、幼稚園は子どもが最も子どもらしく自己 実現できる集団、交わりだと言うことです。  フレーベルが子ども達を集め、自然の中でいのちを見つめ、 いのちの素晴らしさに気付いて成長する子ども達と遊んだ生活が それでしょう。残念ながら、現代の子ども達を取り巻く世界には いのちがはずんでいる自然いっぱいの情景には欠けており、人工 のものが大手を振って闊歩しております。それでもいのちはとても たくましく、園庭には私たちが特に植えたわけでもないのに、小さ ないのちが自己主張をし、輝いております。いのちとはすべてこの ように輝いていることに子ども達と気付かされたいものです。

















≪2≫
めぐみ幼稚園は小さな幼稚園です。その保育方針の一つ に、子ども達すべてに保育者全員が出会い、子ども達と共に育って いくこと、即ちクラスの壁は保育者全員が、また子ども達全員が自分 の能力で超えることが出来、共に交流できると言うことを求めてお ります。便宜上担任制を敷いておりますが、ぜひすべての保育者と 子ども達も保護者の方も出会って欲しいものです。更にめぐみ幼稚 園の保育者に求めている高い理想は、子ども達を教えないようにと 言うことです。学校教育法によって幼稚園から大学は子ども達を教 育するのですが、幼稚園だけは教育するとは謳わず、子どもを保育 するとあるのです。幼稚園の本質を表している言葉です。教える 本質に出会ったのは大村ハマ先生と言う国語教育者の姿に接した 時です。この先生の名前を知ったのは、園長の父親の書だなでした。 園長は極力他者に言うことを拒絶するのですが、父親も国語教育 の研究に携わり、大村先生とも共にその理想の教育を求めた人 でした。大村ハマ先生は子ども達の身近な資料、新聞であったり マンガであったり、とにかく子どもが直ぐに興味を持つ素材を用 いて一人ひとり違った教材を作って教えておりました。一斉教育で ありながら、超個別教育でした。教えることの本質を示されます。 幼児期の子どもにとって大切なことは、育つことであり、共有するこ となのです。教えることではなく、保育者に求めていることは、保 育者の人生、生きざまを、感性を子ども達に指し示すことです。 確かに保育の中で教えている姿が見られますが、本質は保育その ものであることをご承知下さい。幼児期に最も大切な人生経験を 共にすることに一生懸命になりたいと思っております。理解下さい。

 
2012年4月9日
   めぐみ幼稚園 第1号 

≪3≫
めぐみ幼稚園が長い歴史の中で進めてきた保育が統合 保育です。インテグレーションとかインクルージョンあるいはノー マライゼーションなどとも言われることがあります。私たちの社 会は様々な人がいて、その一人ひとりが尊い存在であることを 大切にするものです。そんな社会こそ優しく、愛に溢れた社会と 言うことが出来るでしょう。めぐみ幼稚園の長い歴史の中で大 切にしてきた保育がそれです。さまざまな障害を持った子ども 達と共にその歩みを進めてきました。子ども集団、子どもの交わ りの中で子どもが育っていくことを。障害を持った子どもを特別 な子どもとは思わない。配慮を必要とはするが、障害があるか ないかは子どもにとって個性のようなものとして受容すること に生きてきました。とても重い障害を持った友人も何人もおれま す。それらの人から勇気や優しさをもらいます。困難にもへこた れずに生きることがどれ程大切かを示されます。子どもは本当 に優しい。障害を持っている子どもと保育者が普通に接してい ると子ども達も保育者が接するように関わっていきます。確か に初めて障害を持った人と出会うと衝撃を受けることもありま す。それは子ども未経験だっただけで、障害を持った人を知る ことによってそれらは克服されていくものです。差別は無理解と 誤解から生まれてくるものです。すべての人が神さまから愛さ れ、神様に求められていのちを与えられたことを知る子どもは本 当に優しい。レッテル貼り、ラベリングによる差別は大人が子どもの 世界に持ち込んでくるものです。幼稚園の廊下の手すりは自立歩 行ガ困難な子どもが一人で歩くために30年前に設置したもので す。トイレの手すりも同じころに設置したものです。子ども世界が 優しければ大人の世界も優しく、豊かな世界になっていくものです。
















≪4≫
入園面接の時に園長から話してもらったと思いますが、ここ でも記してみたいと思います。名前を呼ぶということがそれ。 私たちが30年ほど前に経験したことです。在園していた子どもが 交通事故にあって神さまのもとに行かれました。詳しい話しは別 の機会にしたいと思います。その母親が悲しみを乗り越えて弟を 産みました。その赤ちゃんにおっぱいをあげている姿に接し感動 したのです。赤ちゃんの名前をよびながらおっぱいをあけでいま した。母親と赤ちゃんがしっかりと見つめあっていました。母親は 無条件の受容をこの時覚えているようでした。自分の側に子ど もを引っ張ってくるのではなく、子どもの側にすべてを注ぐかの ようにして名前を呼んでいるのです。殆どの母親がそんな経験を している筈です。母親の総てを注ぐかのように。こんな素晴らし い経験をいつまでも子どもに注ぎたいものです。今は子ども の名前を呼ぶ時は殆どが母親の側に子どもを引き付けようとし ておりませんか。新しい年度の歩みが始まります。もう一度あの 時の母親の思いになって朝起こす時、起きた時、そして夜寝る時 一日にたった二度だけで良いので、無条件の思いをもって子ども の名前を呼びましょう。4月8日はキリスト教のイースター復活祭 でした。復活されたイエスは様々な困難を歩んでいた女性の名 前を呼ぶことで彼女に希望と勇気を与えました。イースター は、私の名前がイエスによって無条件な受容の中で呼ばれている ことを教えてくれます。子どもの名前だけではなく、家族の名前 をそんな思いの中で読んでみましょう。家庭の中が本当に輝い てくるでしょう。私はマザーコンプレックスの塊のような存在です。 私の年よりも早く死んだ母親が私の名前を呼ぶ声を今でも聞く ことが出来ます。私は愛されて育ったのだと。誰もが抱いて欲しい。







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