筝(こと)をならう2
初めて先生のお宅にお邪魔する。
いろいろと見せていただき、必要なものを購入した。
教本、爪、爪入れ、月謝袋や先生の筝。
私は筝を買わなくてもいいという先生の言葉を
家で稽古しなくてもよいのだと受け取っていたが
実は違っていた。
先生がお貸しくださるというのだ。
とにかく触る回数で慣れるようにという配慮である。
そしてお稽古場の先生のお宅には貸していただく筝とは別に
先生と生徒にそれぞれ一面ずつがお稽古のために用意してあるのだ。
私は声に出してうなってしまった。
楽器といえばそう安くないものだ。
そのうえ先生のお持ちになるようなものが粗末なものであるはずがない。
それを貸してくださるというのだ。
お借りするのは恐れ多いのだが、背に腹はかえられない。
ありがたく次回からおかしいただくことになりそうである。
本日は姉弟子である方の稽古の様子も見学させていただいた。
楽譜をおいながら、稽古風景を見ていると
口が開いたまま閉じないくらい感じ入った。
筝は調弦されたが音色が筝それぞれで違うのである。
もちろん技術の差もあろうが、楽器の個体差によるものでもあるらしい。
そして演奏に歌がついているのも生演奏で初めて見た。
本では読んで知っていたが実際どういう具合になるのか
わからなかったのである。
しかしながら昨今はやりのテレビで見る歌よりもずっと親しみやすい音に
安心するとともに、そういう気持ちに不思議な気もした。
これは慣れ親しんだ旋律ではないはずなのに、
日本人としての遺伝子のなせる技だろうか。
とにかく興奮とともに見学したのだった。
来週のお稽古が待ち遠しく、また不安な気持ちもぬぐえないが
それでも入門したからにはやっていこうと心に決めた。