灰色の丘の上で、天井の無い駅舎だけが町の記憶をとどめていた。
線路だった砂利道は、潰れたままのトンネルで行き止まりだった。
ひび割れたプラットホームが、待ち疲れたように座り込んでいた。
私は地図から消えた駅の一番のりばで最終列車を待っていた。
私はここで何をしているのだろう。
頭に浮かぶのは言葉ひとつだけ。
「何も思い出せないなら、右手の手のひらを見ること」
白い手袋に文字が書かれている。
「左胸のポケットのメモを読むこと」
雨で、でこぼこになった和紙に墨で文字がかかれている。
『もし、全てを忘れてしまったのなら、最初の駅に行くこと。
たどりついたら、一番のりばで待ち続けること。
この文章を疑わないこと。
一番大切な人を疑うことになるから』
文字は裏にも書いてあった。
『読み終わったら、左胸のポケットにしまうこと』
私はメモをしまった。
少し前にも同じ事をした気がする。
日が沈んだ。
夕焼けの残滓が闇に喰われた。
「何も思い出せないなら、右手の手のひらを見ること」
白い手袋に何か文字が書かれている。
でも、暗くて読めない。
灯をつけることは禁じられている。
光が無いなら、呼べばいい。
銀の鞄を地面に置く。
キーをモールス式にノックしてパスワードを入力する。
意味は忘れたけど、指は正確に覚えている。
鞄の上面がスライドして接続ユニットが有効になる。
3番のプラグをこめかみのソケットに差し込む。
脳と鞄の間で情報が交換され、魔法じみたシステムが起動する。
私はプラグを抜くと一つ深呼吸をした。
指を鳴らすと、目の前に列車が現れた。
ドアが開くと、やわらかい光のなかに女の子が立っていた。
「お疲れさま。
おかえりなさい、お姉ちゃん」
黒いコートを脱いで、緑のサングラスを銀の鞄に収めた。
パンプキンスープを二杯平らげて、ようやく落ち着いた。
列車は大地を離れ、雲海を抜け上昇を続けている。
客車にさっきの女の子が入ってきた。
女の子は、だぶだぶのスーツに赤い腕章をしていた。
腕章には大きなひらがなで
「し や し よ う」
と書かれていた。
「この列車はどこに行くの?」
女の子は眉を寄せて私を睨みつけた。
「お姉ちゃんはいつも無理しすぎよ。
その様子じゃ私のことも忘れてるみたいだし・・・。
いい?
列車に戻れなかったらそれっきりなよ」
「どうして?」
女の子は頭をかきながらまくしたてた。
「説明してる暇は無いの! コートのポケットのメモ全部出して!
記憶整理に軌道計算に影響予測にテストパターンの洗い出しに・・・・・・
早くしてよ!」
言われるままに、コートのポケットをあさってみた。
手のひらサイズのメモ用紙が何枚もでてくる。
メモにはケシ粒のような字がびっしりと書かれていた。
女の子はメモ用紙をかき集めて輪ゴムで止めると先頭車両の方へ走っていった。
星の光が急に弱くなった。
夜に包まれた地球の背後から無機質に光る太陽が現れた。
ダーウィンが朝を迎えている。
お昼前のデリーの牛は何を考えているのだろうか。
少しだけ自分の事を思い出した。
私は全てを知ろうとした。
だけど、私の記憶はパンクした。
パンクしたら、交換すればいい。
私にはそれが、可能だから。
できることは全部してみたかった。
列車が少し揺れた。
時間軌道に入ったらしい。
私は行き先を知っている。
でも、私には思い出せない。