■ 消えないもの ■


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「先生、私、今日で卒業なんですよ?」



いつものように、私はスネイプ先生の研究室に居た。今日は卒業式だというのにもかかわらず。
まだ朝の5時半で、生徒も教師も起きていないはずだったのだけれど、研究室のドアを一回ノックしたら、
先生は寝起きという様子もなく、普通に迎えてくれた。「寝てなかったんですか?」と訊いたら、微笑って
教師は色々忙しいのだ、と言った。
ぽつりと落とす様な微笑も、そういう時に目を伏せる仕草も、低くて重みのある声も、いつも通りだった。
それが今日は、微かに胸を締めつけた。



「それは分かっているが、その卒業生が、こんな時間から何の用があってここへ?」



私をソファに座るよう促してから、先生は紅茶を淹れながら背中を向けたまま訊ねる。
きっと、訊かなくても大体見当はついているはずなのに、律儀に訊いてくれるのは、先生の優しさなのか、
それとも、単にそういう性分なのか・・・・。
多分、両方だ。



「・・・別に、大した用はないんですけど・・・今日で最後だから。ここに来るのも、先生とこうやって話すのも。」



「それは、わざわざどうも。」



カチャカチャと、ティーカップを棚から取り出す音が部屋に響く。先生はずっと後ろを向いたままで、どんな表情
をしているのか分からない。多分、苦笑してるんだろう、と予想はつくけれど。



私が、先生にストレートに好意を表す時、先生はどんな気持ちなんだろう。ずっとずっと、疑問に思っていた。
少しは、嬉しいと思ってくれたりするんだろうか。それとも、ただ鬱陶しいとか、困ってるとか、迷惑とかだけ
だったらどうしよう。
・・・・それでも、先生はいつも、わざと突き放すようなことを言いながらも、やっぱり優しいから、微笑って
くれるから、つい、甘えてしまう。都合よく、考えてしまう。結局いつも、喜んでいるのは、私だけなのだ。



「・・・・名残惜しいですか?」



目の前に置かれたティーカップに口をつけながら、少し上目遣いで先生に訊いてみる。
先生は、私の向かいに腰を下ろすと、「何が」と訊き返した。



「私がもう、ここに来なくなったら、少しは寂しいとか、思ってくれますか?」



「どうだろうな。」



「先生!」



「もう、毎年毎年卒業生を送り出していて、送ることには慣れているのでな。」



「・・・・・」



また、こうやって、苦笑とともにかわされる。私が、そんな答えを期待してるんじゃないことくらい、先生にも
当然分かっているはずなのに。こういう時はいつも、自分が子どもだということが悔しくて仕方ない。
私だって好きで子どもなわけじゃない。でも、子どもの、生徒のうちしか、先生に想いを伝えることはできない。
そう思うと、ますます胸が締めつけられる。こんなに愛しいと思う気持ちを、どうすればいいのか分からなくて、
どうにもしようがなくて、先生の顔を見上げると、涙が零れそうだった。



「・・・私は、寂しい・・・です。ここに、もう来れなくなるの、嫌です。」



「しかし、もう卒業するのだから、仕方ないであろう。」



「でも嫌です!」



「・・・我輩にそのような事を言われても、どうすることも」



「先生が、好きなんです。大好きなんです。」



今まで、どんなにあからさまに気持ちを表しても、“好き”という言葉にしたことはなかった。先生を困らせるのが
嫌だったから。嫌われてしまうかもしれないということが、怖かったから。
それを、今、初めて口に出して、泣くのを堪えるのが精一杯だった。泣き落としというのは嫌だし、そんなのは
スネイプ先生には通用しないと、よく分かっていたから、絶対に涙を零すわけにはいかなかった。



「・・・・気持ちは、嬉しいが、お前たちの年で言う“好き”など、すぐに変わってしまうものだ。今までは、

 学校という狭い場所で、出会う相手も限られていたが、これからは違う。外の世界に放り出されて、本当に

 様々な人間と出会うだろう。そういう中で、お前も、我輩のことなどすぐに忘れる。忘れて、すぐに新しい恋を

 見つける。そういうものだ・・・。」



先生のその言葉を理解するのに、どれくらいかかっただろう。一瞬、頭を強く殴られたような、鈍い衝撃を受けた。
いっそ「嫌い」と言われる方がまだマシだ。私の思いなんて、所詮すぐ忘れてしまう、いい加減なものだと、下らない
ものだと、そう言われているような気がした。



「・・・・そんな・・・そんなことを言われたって、私にはどうしようもないじゃないですか!」



絶対に泣くまいと思っていたことなどすっかり忘れて、私は声を荒げて涙を流していた。悲しくて悲しくて、止まら
なかった。先生は驚いたような、困ったような顔をしたけれど、もうそんなことは関係なかった。



「確かに私は、子どもだけど・・・そんなの、私の責任じゃない・・・。先のことは分からないけど、そんなの、大人

 だって一緒じゃないですか!今・・・今、精一杯想うだけじゃ、なんでいけないんですか?!そういう気持ちを、

 “すぐ忘れてしまう”なんて、言わないで下さい・・・ちゃんと、答えて下さい・・・・」



「・・・・・・・・」



「・・・・・・・・・・」



重苦しい沈黙が、部屋を包んだ。先生は明らかに、困り果てた顔をしていた。
私は、やっぱり涙が止まらなくて、もう、言葉を発することもできなくて、ただ悲しくて泣き続けた。
卒業することも、先生に想いをちゃんと受けとってもらえなかったことも、真っ直ぐ向き合ってすらもらえなか
ったことも、最後だというのに、先生を困らせてしまったことも・・・何もかもが、どうしようもなく悲しかった。



「・・・・・戻ります・・・変なこと言って、ご迷惑をおかけして、すみませんでした・・・」



私は立ち上がると、やっとのことでそう呟き、部屋を出た。先生は、何も言わなかった。



















卒業式の間も、式が終わってからも、私はぬけがらのようだった。どうやって今ここに立っているのかすらよく
分からないくらい、朝の先生の言葉は、私の心に大きなショックを与えていた。
気持ちがすぐに変わってしまうというのなら、今すぐに忘れさせて欲しかった。
愛しくて、恋しくて、大切で、守られたくて、守りたくて・・・・こんなに好きで好きでどうしようもない気持ちを、
きれいさっぱり忘れることができたら、どれくらい楽になるだろう。
・・・けれど、そう思っても、やっぱり忘れたくない。なくしたくない。何よりも大事な気持ちだった。



式が終わった後の人の群れをすり抜けて、私は寮の自室へ戻った。戻った、と言っても、もうここは“戻る場所”
ではないのだけれど。
一人になりたかったのと、最後の1年を過ごした部屋に、最後の別れをしたくて、何となく足が向かった。



ドアを開けると、部屋には何もなかった。がらんとした空間を見つめながら、また、涙が溢れてきた。
―――と、ベッドの上に、小さな紙切れを見つけた。



“研究室に、来るように”



10センチ四方のその紙を手に取ると、それだけ、書かれていた。
次の瞬間、私は、その紙切れを握り締めて、駆け出していた。




















「・・・先生?」



ノックをすると、中から「入れ」と声だけで返事が返された。どこか強張る手でドアを開けると、背中を向けて、
先生は立っていた。これから、何を言われるのか、また、気持ちを否定されるのか・・・私は怖くて、それ以上
言葉を発することも、先生に近付くこともできないでいた。



「・・・今朝は、泣かせて悪かった。」



「・・・・・」



「あれから少し考えたのだが・・・我輩の答えを、聞く気があるか?」



「・・・・・はい。」



そう返事をした私の声は、掠れていた。
先生は、静かに振り向くと、ゆっくりとこちらへ歩いて来た。その顔には、いつもの微笑はなく、どこか深刻そうに、
眉間に皺を寄せていた。



「・・・気持ちは、本当に嬉しかった。お前がずっと、我輩を慕ってきてくれていたことも、“好きだ”と言って

 くれたことも・・・。けれど、やはりお前は生徒で、我輩は教師で、7年間、教師としてお前を見てきた気持ち

 が、急に恋愛感情に切り替わることは、難しい。」



一言一言、丁寧に紡ぎ出される言葉が、静かに胸に刺さる。けれど、先生が私のために、考えてくれて、ちゃんと
向き合ってくれていると思うと、今朝のような痛みはなかった。
私は、ただ真っ直ぐ、先生の瞳を見上げて聞いていた。



「・・・・ただ、我輩にとって、お前は、確かに“特別な”生徒だ。可愛いとも思うし、守ってやりたいとも思う。

 今までも、これからも、恐らくそのような生徒は、、お前だけだ。」



「・・・・・・」



「だが、今ここで、お前の気持ちに応えてやることは、出来ぬ。どんなに特別であっても、今はやはり生徒だ。」



「・・・・・・」



私は、黙って頷いた。これ以上、望むことなどなかった。そんな風に思ってくれていたことが、十分幸せだった。
応えてもらえなくても、もう、十分嬉しかった。
私が好きになったのは、“そういう”先生だから―――



「・・・来年、もう一度来い。」



「・・・え?」



「今、そういう関係になることは、どう考えても、お前にとっても我輩にとってもプラスにはならぬ。・・・しかし、

 もし、1年経って、お前の気持ちが変わっていなければ、もう一度、ここに来い。その時は我輩も、今とは違う

 返事ができるであろう・・・。絶対、とは言えぬがな。」



「先生・・・」



本当に本当に、思いがけない言葉だった。呆気に取られて、一瞬その意味が理解できなかった。
けれど、どういうことか分かって、今度は嬉しくて、涙が溢れた。



先生が、やっと微笑って、小さく手招きをした。私は、わけの分からないまま先生の方へ近寄った。
そして、先生に、抱き締められた。大きなローブにふわっと包まれ、強く、抱き締められた。
先生の胸が、腕が、温かくて、その優しさが伝わってきて、ますます泣けてくる。



「・・・先生・・・これ、卒業祝い・・・ですか?」



「・・・・そうだな。」



「・・・・・・・りがとう・・・ございます・・・」



やっと聞き取れるくらいの声でそう呟くと、先生は黙って、髪を撫でてくれた。



一年後、私がどこで何をしているのか、まだ分からない。時間が流れれば、気持ちも変化するかもしれない。
でも、どんなに変化したとしても、先生を想うその気持ちは、絶対消えたりしない。



先生は、ここで、待っていてくれる。私を、待っていてくれる。


(2004.3)





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