■ The proof of living ■


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もう季節は春だというのに、全くそのような空気は感じさせない、
どこか陰気で、冷え冷えとした地下室の廊下を、スネイプは足早に歩いていた。
その日最後の授業が終わった後で、その顔には、いくらか疲れの色が滲んでいた。
この後も、授業で集めた課題を採点するという仕事が待っている。しかもまだ魔法薬学の
勉強方法をよく理解していない低学年のものばかりである。ミスを一つ一つ指摘し、
添削してやらなければならない。
スネイプは、無意識に軽く溜め息を吐いた。



「先生ー、どうしたんですか?溜め息なんか。」



その時、一人の少女が小走りにスネイプに追い付いて、その背後から彼に声を掛けた。
ほとんどの生徒から恐れられ、スリザリン寮以外の生徒からは反感も多く買っている
スネイプに、全くもの怖じせずに話し掛ける生徒は、おそらく彼女一人だろう。
彼女は、レイブンクロー寮に所属する7年生で、名前をといった。
とスネイプは、1年ほど前から、ただならぬ関係にあった。
きっかけは、ほんの些細なことだった。偶然と偶然が重なり合い、この全く接点のない二人を
結び付けた。はそれを、“運命”だと嬉しそうに言った。



「……溜め息など、吐いていたか?」



スネイプは歩く速度を落として、に訊き返した。
彼の眉間に深く刻み込まれていた皺が、ほんの少し緩んだ。



「吐いてましたよ。……また、お仕事が忙しいんですか?」



「まあ、仕事はいつもと変わらぬが……部屋までついて来るつもりか?」



自分と並んで歩き始めたを見て、スネイプは訊いた。



「はい。……駄目ですか?」



「別に構わぬが、我輩は仕事をするぞ。」



「あ、何か手伝いますよ?」



「課題の採点を手伝えるのか?」



「……い、1年生のくらいなら……」



「冗談だ。本でも読んでいろ。」



他愛のない会話をしているうちに、二人はスネイプの研究室の前に着いた。
スネイプが短く合い言葉を口にすると、ギ、ギ、と重々しい音を立てて、古びた木製の扉が開く。
は、呪文を唱えるスネイプの声が好きだった。
低く、重厚な響きを持ったその声には、思わず身震いしてしまうような、しかし惹き付けられ、
吸い寄せられる、不思議な魅力があった。
短い呪文の深い余韻を心地よく感じながら、はスネイプの後について部屋へ入った。



部屋の中は、いつ見ても、雑然としていて、数え切れないほどの書物や薬品などで埋め尽くされている。
の鼻孔を、微かな薬品の臭いが掠めた。
授業で使用した薬品や教科書を棚に片付けるスネイプの背中を見ながら、はソファにゆっくりと腰を下ろし、
机の上に乱雑に置かれている羊皮紙の一枚を手に取った。



「へえ……これ、満点じゃないんですか?」




は手にした羊皮紙に書かれた文字をざっと目で追い、感心したような声を上げた。
彼女が手にしているのは、1年生の小テストだった。
その答案は、文字こそは拙いものの、内容は完璧だった。解答に加え、その説明まで書いてある解答欄もあった。



「……勝手に触るな。一応、寮別に重ねてあるのだから。」



の声に振り返ったスネイプが、子どもの悪戯を窘めるように言いながら、ソファに近寄った。
の手から羊皮紙を取り上げ、元通りに重ね直すと、その解答用紙の束を持って、
自分の机の方へと向かう。これから、採点するのだろう。



スネイプの採点は、テストを返却された生徒がうんざりするほど、細かい。
間違った解答に×を付けるだけでなく、なぜ間違いなのか、その内容は教科書のどのページに
書かれているのか……時にはその解説が数行にわたることもある。
それを全学年・全寮の生徒に対して行うのだ。気が遠くなるような作業である。
試験期間など、一体いつ眠るのかというくらい採点に追われている。
昼間は試験監督や、その他の仕事もしなくてはならない。そうすると、必然的に残った採点のために
彼の睡眠時間が削られることになるのだ。



別にそのようなことは、しなければしないでも何ら問題はない。スネイプ自身も仕事が楽になるし、
生徒もその方が気持ちが楽だろう。
しかし、溜め息を吐きながらも、そうせずにはいられない、それがスネイプの性分なのだ。



「今の答案、スリザリンの子でしたね。」



が、すでに椅子に座って採点を始めようとしているスネイプに向かって言った。



「やっぱりすごいんですね、スリザリンって……。1年生なのにあんな解答。」



「……別に、そう驚くほどのことではあるまい。さして難しい問いでもない。」



「いやー、でもなかなか満点なんて難しいですよ。……さすが、純血。」



スネイプの手が、一瞬、止まった。
「純血」―――のその言葉に、スネイプは顔を上げて、彼女の方を見た。



魔法使いといえど、何百年も経てば、自然と人間―マグル―の血が少しは混ざる。
けれど、スリザリン寮に属する者には、一滴もマグルの血は流れていない。
創設者であるサラザール・スリザリンが掲げたスリザリン寮の掟。正統な魔法使いの証……。



「……血など、関係ない。」



低く、どこか吐き捨てるようにそう言ったスネイプの表情は、険しさを帯びていた。



「……そうですか?」



スネイプのその反応が予想外のものだったので、は不思議そうにスネイプを見やった。



「……好きで、純血に生まれたわけでもない。少なくとも、我輩は。……“血”だけがどれ程優れて
 いようが、“生き方”が劣っていれば、そのような人間は……つまらぬ。」



そう言ったスネイプの瞳は、何処までも、果てのない深い暗闇のようだった。
それきり、何も言わず、採点する手を動かし始めたスネイプに、は何となくそれ以上言葉をかけることが出来なかった。
何故だか分からないが、どうしようもなく、泣きたい気持ちになった。



しんと静まり返った部屋に、スネイプの羽ペンを走らせる音だけが響く。
は、下を向いて、何か考え込んでいたが、不意に顔を上げ、口を開いた。



「……でも、スネイプ先生は、つまらなくなんか、ないです。」



スネイプの手が、また、静かに止まった。



「先生は、先生の生き方は、絶対、劣ってなんかいないから……私は、そんな先生が、大好きですから……」



紡ぐように、ポツリポツリと喋るを黙って見ていたスネイプは、ふっ、と小さい笑みを零した。



「そうか。」



そう、一言だけ返事をして、また、ペンを持つ手を動かし始めた。
その瞳には、さっきは無かった、小さな光が、さしているようだった。


(2004.4)





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