雨音のノイズ


一定のリズムで降り続ける雨と、鈍色の空を、見るともなしに眺めながら、窓に額を当てた。こつり、と音がして、張り付いた硝子のひんやりと低い温度が心地良く伝わる。
雨は、いつまで降り続くのか。何もかもを、呑み込んで、溶かして、流してしまいそうに、ひたすら落ち続ける洪水に、ああ、今、窓を破って飛び込めば、私も掻き消してくれるだろうか、と、ぼんやり想う。この身体も、思念も、何もかも、この灰色の雨に溶けてしまえばいい。溶けてしまっても、構わない。どうせこのまま持て余していてもあのひとを困らせてしまうだろうから。

否、ずっと隠し続けていれば、困らせたりなんかしないのだから、消してしまう必要なんかないのだけれど、それだとあんまり苦しいから、私が、苦しくて堪らないから、早くこの苦しみから解放されたいという私の我が儘に過ぎないのだ。弱くて狡い私を、あのひとは優しいから、突き放したりはしないから、そう、分かっていて一切の想いを託してしまおうとする私は、どうしようもなく、幼稚で、卑怯で、だから、この期に及んで消えてしまいたいなどと、心にもないことを願う、ふりをするのだ。

雨は、止まない。降り続ける。心鎮まる音で、地面に向かって、ひたすら、落ち続ける。



「ねえ、知ってた?」

「何を、」

「私、セブルスを、愛してるの」

「………」



ああ、想像通り。この上もなく、不機嫌そうな顔。思い描いていたのとあまりに同じ反応で、思わず笑いそうになる。笑ったら、きっと、もっともっと眉間に深く皺が刻まれて、射殺さんばかりの眼光で、睨み付けられるのだろう。
愛しい。いとしい。どうしてこんなに、このひとは。



「何故、今、それを言う」

「なぜだと思う?」

「訊いているのはこっちだ」



あからさまに苛立ちを込めたその声すらも、愛しく思えて仕方がない。確実に私だけに向けられたその怒りを、とても心地良く感じる。と、セブルスに言ったら何と答えるだろう?想像するだけで愉しくなってくる。大好きなこのひとを、怒らせるのが趣味だなんて、おかしな話かもしれないけれど、笑っている顔だってもちろん好きだけど、怒らせたときの方が、なぜだか嬉しい気持ちになる。不謹慎だと、ふざけるなと、間違いなく怒鳴られるのだろうけれど、その声を聞きたくてわざと怒らせるのだと、セブルスだって薄々気付いているんじゃないだろうか。



「セブルスは、優しいから」

「……答えになっていない」

「自分を愛してる人間が居るって、知っておいて欲しかっただけ」

「……できれば、知らずにおきたかった」

「そうでしょうね」



ノイズのような雨音は絶えることなく降り続けるのに、この部屋の中は異様な静寂を保ったまま、ふたりの声がやけに響いた。音のない空気を震わせてひとつひとつ壊していくように。けれど壊された空気はまたすぐに元の静寂を取り戻す。無限に生まれるその静寂は私をひどく落ち着かせる。規則的なノイズに包まれた静寂。緩やかで、あたたかな空気。それは、そこに、セブルスがいるから、かもしれない。感傷に浸った私の瞳を視てセブルスは何を思うだろう。果てしなく愚かで、絶望的に浅はかだと、そう切り捨てるには、セブルスは優しすぎるのだ。

返事の代わりに、首筋に音もなく落とされたくちづけ。長い指が私の髪をやさしく掻き上げる感触に背筋がぞくり、として顔をしかめた。私の顔なんてセブルスには見えないのだから構わない。別段喜びを感じるわけでも動揺するわけでもなく、至極冷静にセブルスの体温を全身で確かめている私は薄情だろうか。けれどべつにキスして欲しくて思いを告げたわけではないので、取り立てて感動がなくともそれは当然であって、かといって不快なのかというとそういうわけでもない、どう表現すればいいのか解らない感覚に襲われながら、定まらない焦点を、ただ、窓を打ち続ける雨粒に向けていた。



「……こうすれば、満足か?」

「………見当違いもいいところだわ」

「可愛げのない女だな」

「別れのキスなんだったら、いらないから」

「生憎、それほど酔狂じゃない」

「………そう」



キスなんかして欲しかったわけじゃない。本当に、ただ、知って欲しかっただけ。

セブルスが、何をしようとしているのかなんて知る由もないし知りたくもないけれど、もしかして、命を棄ててまで、何かをしなければならなくなったときに、一瞬でも、頭を掠めて、思いとどまってくれないだろうかと、思ったから。優しいセブルスは、自分を愛している人間が居ると知っていたら、死ぬことだけは思いとどまってくれるんじゃないかと、思ったから。それがほんの一刹那の逡巡であったとしても、その刹那が生死を分けるという可能性だってゼロではないはずだから。本当のところは解らないけれど。いや、多分、自分の命よりもなすべき事を選ぶ人だと分かってはいるけれど。それでも、勝算のない馬鹿げた賭けでも、願わずにはいられなかった。

死なないで死なないで死なないで死なないで。生きていて。

他にはなんにも望まない。生きていてくれたらそれでいい。この世界に、息づいていてくれたら、それだけでいい。本当に、それだけでいい、のに。



「ばかなひとね、」

「お前ほどではない」



今度は、唇に、あたたかい口づけ。
目を閉じて、雨音にだけ耳を澄ませる。この雨はいつまでも、降りつづける。



(2006.7.1)






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