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Wind tune
空は青く晴れ渡っていた。遠くの方を見ると、白い大きな鳥が数羽、気持ちよさげに悠々と弧を描いている。窓を開けると、頬を撫でる初夏の風が心地良い。すぅ、と息を吸い込めば、緑と、花々の匂いが混ざり合った、柔らかい季節の風が薫る。目を閉じて、耳に風の音を聞きながら、今日もまた朝がきたのだと、静かな、他愛のない喜びを感じる。 窓際に置かれたグロキシニヤの鉢に水を遣り、は身支度を始めた。白いブラウスの上に、長袖で、裾はくるぶしまである、黒いワンピース。その上から更に黒いローブを羽織る。外の陽気とは些かそぐわない出で立ちである。鏡に映ったその姿に、は柔らかく微笑を漏らした。 「おはようございます」 そう言って、いつものように研究室に姿を現したを見て、スネイプは一瞬、視線を止めた。彼女の格好がいつもと違っていたからだろう。しかしすぐに思い出したように「ああ、」と小さく呟くと、また手元の羊皮紙に目を落とした。 「墓参り、か」 「はい。今から出掛けて、午前中のうちには戻ります」 朝早くから仕事に追われているスネイプを残して、いくらスネイプ自身から許可が出たとはいえ、助手の自分が私用で外出する事に対し、は気が咎めているようだった。そんな彼女の様子を見てスネイプは苦笑し、手を止めて、顔を上げた。 「気にせず、行って来れば良い、と言っただろう」 「はい……あの、本当に、ありがとうございます」 「……礼になど及ばん。」 「でも、」 「我輩も、一緒に行く事にする」 「────え?!」 全く思い掛けないスネイプの言葉に、は驚いてスネイプの顔を見た。スネイプは、いつもと変わらず、どこか不機嫌そうで感情の読み取れない表情のままだったが、呆気に取られるに構う事なく、椅子から立ち上がり、机上の書類をまとめて出かける支度を始めた。 「あの、先生、どうして急にそんな……」 「急にというわけではない。以前から考えていたが言いそびれていただけだ。大事な助手の母親の命日だ。我輩も共に供養するのが筋というものだろう」 ──大事な助手──その言葉に、は自分の心臓が跳ね上がるのを感じた。スネイプに他意はない、本当にただ、その言葉通りの意味しかないのだ、といくら自分に言い聞かせてみても、スネイプを慕う気持ちが日増しに膨らんで、自分でもその気持ちを持て余しているは、スネイプのその何気ない一言や一挙手一投足に動揺させられっぱなしだった。ほんの一瞬、手が触れただけでも、平常心を失ってしまうこの挙動不審な自分が情けなく、もしやスネイプに気付かれはしないだろうかと思うと、それもまたの心を悩ませた。 「───なんだ、嫌なのか?それならやめるが、」 「え?!いえ、そんなことありません!!母もきっと喜びます」 「……では、行くか」 「………はい、」 小高い丘の上にある墓所には、とスネイプの他に人は居なかった。心地良い陽射しと、朝の涼しい風、そして鳥たちの囀りとともに、そこには緩やかな緩やかな時間が、流れていた。 「随分と、雛罌粟が咲いているのだな……」 丘を登り、ようやく目的の場所に辿り着くと、開口一番、スネイプがやや感嘆したように呟いた。の母の墓の周りにだけ、その墓石を取り囲むように、薄桃色の雛罌粟が咲き乱れていたのだ。 「好きだったんです。母が。見た目も、薬としての効能も、花言葉も」 「………お前の母親らしいな」 そう言って、スネイプは微笑すると、墓石の前に進み出て、持っていた大きな白百合の花束を供えた。目を閉じて、胸の前で手を組み、祈り始めたスネイプを見て、も慌てて後に続く。自分の母親の墓参りに来てまで、スネイプに翻弄されている自分に、泣きたいような気持ちになった。 静寂の時間が、二人を包んだ。鳥たちの声が遠くに聞こえる。風だけがただ、二人を通り過ぎてゆく。この、限り無く柔らかな時間の中、隣に立つのは誰よりも愛しい人────は、時間が止まれば良いと思った。愛しくて、愛しくて、胸が締め付けられて。一筋、零れた涙を気付かれないように、そっと顔を背けた。 「、」 墓所からの帰り道、スネイプが、徐に足を止め、口を開いた。 「母親の事は、好きだったか?」 「────?はい……好き、でした」 「そうか」 「………先生?」 「先程、お前の母親に、礼を言ってきた」 「………?」 「“を、生んでくれたこと、そして愛してくれたこと、とても感謝している”と───」 スネイプの瞳は、どこまでも、優しかった。は何か言おうとしたが、言葉にすることができず、立ち尽くしてスネイプを見上げた。 「、今日は、お前の、誕生日であろう?」 そう、は、15の誕生日に、母親を亡くした。そんな事を、話したことがあったかもしれない。けれど、まさかそれをスネイプが憶えているなどとは夢にも思わなかった。 誕生日が来る度、思い出すのは母親を失った悲しさだけで、いつしか、記憶の中から、“誕生日”というものを無意識に消してしまおうとする自分が居た。 今、そんなの心を包み込むように、スネイプは優しく、そこに立っている。手を伸ばせば触れられる距離に、ただ立って、を見つめる。その瞳が優しいのは、痛みや悲しみを知っている者の瞳だから。優しさの中に、少しの哀しみを隠した、瞳だから。 の目から、静かに、涙が零れた。ぽろぽろと、零れて、止まらなかった。 スネイプは、ゆっくりと身を屈めると、触れるか触れないかの口付けを、の唇に落とした。 風は変わらず、音もなく、柔らかく、吹き抜けていった。 (2006.6.11)
☆6月10日がお誕生日の稀城彩歌さんに捧げますー。Happy Birthday Dear 彩歌さん!!! 【back】 |