その時、先生は、とても驚いた顔をした。 もう、梟の鳴く声すら聞こえないような真夜中に、突然大きな音を立てて扉が開いて、 しかもその来訪者が生徒だったのだから、驚くのも無理はない。 加えて、その時の私の顔は、きっと蒼白だった。 今にも泣き出しそうな、情けない顔をしていたのだと思う。 「...何か、あったのか?」 夜更けに校内をうろついていたことを咎めもせず、 先生は眉間の皺を深くして、心配そうに駆け寄って来てくれた。 私は、先生の差し延べてくれた腕に縋ると、何も言わずにその胸に顔をうずめた。 その行動に、先生はさらにただ事ではないと感じたのか、私を強く抱き締めて、 「一体何があったのだ」と、いっそう深刻な声で訊ねた。 「....」 「....?」 部屋に飛び込んで来たまま、一言も喋らない私の背中を、 先生はあやすように撫でながら、静かに私の名前を呼んだ。 先生の低い声が体じゅうに響いて、私はそれがとても心地良かった。 「....何があったのか言ってくれねば、我輩はどうして良いのか分からぬ」 「....」 「......」 「.....何も、ないです」 私は、消え入りそうな声で、やっと返事をした。 「...何もない?」 「はい」 「そんなはずはないであろう、あのように青い顔をして駆け込んで来ておいて...」 先生は、私の答えが納得できないという様子で、 抱き締めていた体を離すと、私の肩を掴んだまま、真っ直ぐに視線を合わせた。 その瞳は、これ以上ないほど心配そうで、 私は、少し申し訳ないような、けれど、とても暖かくて、嬉しい気持ちになった。 「ホントに、何もないんです。....ただ、」 私は、先生の顔を見上げながら、そこまで言って、俯いた。 「ただ?」 続きを促す先生の背中に、私はもう一度腕を回すと、小さな声で、答えた。 「....ただ、会いたかった」 「....」 先生が、どんな気持ちで、どんな表情で、私の言葉を聞いたのか、少し不安だった。 私の、子どもじみた我侭。 こんな非常識な時間にまで、先生を煩わせて。 呆れられたかもしれない。 「...会いたかった」 先生の返事がないことに、今度は私の方が不安になって、 もう一度、同じ言葉を口にした。 「....それだけの為に...?」 背中から、低い声が響く。 「....」 「たった、それだけの、」 「会いたかったの」 三度目は、先生の言葉を遮って。 夜中に、目が覚めて、たまらなく会いたくなった。 声が聞きたくなった。 抱き締めて、欲しくなった。 気が付くと、寮を抜け出して、真っ暗な廊下を走っていた。 まるで見境のない、子どものするようなこと。 「.....」 先生の、溜息が聞こえた。 やっぱり、怒られるかな、と思った次の瞬間、 体に響いた先生の声は、とても優しいものだった。 「全く...仕方のない奴だ」 溜息交じりだったけれど、怒っていないことは、その声色と、 包み込むように私を抱き締める腕の感触から伝わってくる。 「怒ってない?」 「...訊かずとも、判っているのだろう?」 「....」 先生に、抱き上げられて、また、瞳がぶつかり合う。 笑いかけると、先生も、静かに微笑んでくれた。 嬉しくて、暖かくて、幸せで。 この温もりは、夜が明けるまで――― (2004.2)
【back】 |