セブルス・スネイプは校庭の芝生の上を歩いていた。その日は良く晴れていて、青い空には雲ひとつ無かった。 決して陽の光を好むとは言えないこの男が、そんな日に用も無く屋外に居るのは、稀なことであった。 午後2時を回った頃、仕事が一段落したスネイプは、ふとした気紛れで、地下の自室から地上に出て、特に 目的もなく学校の敷地内をゆっくりと歩いていた。丁度その時間は外で授業をしているクラスは無く、静かで 穏やかな昼下がりだった。スネイプは物憂げな表情で空を見上げた。 ―――やはり、我輩には眩し過ぎる・・・・・。 目を細め、胸中で呟いた。心に、暗い陰を持つ男だった。この世に生を受けて30数年――数え切れないほどの ものを失い、また、それ以上に、多くのものを他人から奪ってきた。多くの幸せ、多くの命――。それなのに、 生きている、自分・・・・・・ スネイプは足を止めると、小さく溜息を吐き、自室へ戻ろうと踵を回した―――その時、彼は視界の隅に白い物体 を認めた。それは塔の上にあった。柱の影に隠れて、ややもすると見落としてしまいそうなその白く小さい物体は、 時折、風を受けてひらひらと小さくはためいているように見えた。それが何なのかを確かめようと、スネイプは塔を 見上げて凝視したが、強い陽射しのせいで、なかなかはっきりとは分からなかった。 「・・・・・人間か?」 そう判断した次の瞬間、その白い“何か”はゆっくりと塔から落下し始めた。地上へ近付くにつれて、段々とその 姿ははっきりと見えてくる。それは紛れもない人間の少女。白くはためいていたのは真っ白いワンピースで――― 事態を理解した瞬間、スネイプは反射的に懐から杖を抜いた。スネイプが呪文を唱え終わるのと、少女が地面に 辿り着くのと、ほぼ同時に見えた。しかし、ほんの一瞬、スネイプの呪文が早かった。 スネイプは軽く舌打ちをすると、横たわる少女の方へと駆け寄った。一体何故このようなことが起こっているのか 呑み込めずにいたが、とにかく放っておくわけにはいかない。 見れば、その少女は制服こそ着ていないが、このホグワーツの生徒で、しかも自らが寮監を務めるスリザリン寮の 生徒だった。スネイプは、苦々しい表情で大きく溜息を吐くと、気を失っているその女生徒の頬を数度軽く叩いてやった。 数秒の後、少女はゆっくりと目を開いた。自分がどういう状況に居るのかを一瞬理解できない様子で、何かを言い かけるように口を開いたが、何も言わずにスネイプから目を逸らした。 「何の真似だ。」 まだ自力で起き上がれない少女を、スネイプは膝をついて抱き起こした状態で、怒りの込もった強い語調で問い糾した。 「・・・・・・・・」 「本来、授業中であるはずの時間に、制服も着ずにあのような場所に居た。それだけでも大いに処罰の対象になり得る。 しかしその話は後だ。・・・・なぜ、あのような真似をした?」 「・・・・・・・・」 「死にたいのか?!」 「・・・・・・・・」 「ミス・!質問に答えぬか!」 少女の名は、・といった。スリザリン寮に所属する6年生で、成績が群を抜いて優秀な生徒だったため、 スネイプも彼女には目をかけていた。そのが、突然このような自殺まがいの行為を起こしたのだから、スネイプは さすがに、少なからず動揺していた。 「何をしていた?まさか本当に、」 「どうして止めたんですか。」 スネイプの言葉を遮って、が初めて口を開いた。どこか虚ろな瞳でスネイプの顔を見上げながら、表情のない声で スネイプを責めた。その言葉に、スネイプは眉間に皺を寄せて彼女の顔を凝視した。 「・・・・・死のうとしていたと云うのか?」 「・・・・・・・」 「何故、そのような・・・・」 相変わらずスネイプの口調や表情には怒りが刷かれていたが、の顔を見ると、何となくそれ以上問い詰めることが できなかった。そして、沈黙が流れた。穏やかな陽の光と風の中で、二人の周りだけが、異質な空気で包まれているかの ようだった。 「・・・・・・何も、ないから。」 沈黙を破って、呟くようにが言った。 「・・・・・ない?何が?」 スネイプが、怪訝そうな表情で聞き返すと、はまた呟くように、しかし淡々と答えた。 「・・・・生きてる意味が、何も、ないから。」 「・・・・・・・」 「私が生まれた、理由とか、今、生きてる・・・これから、生きていく、意味が、何もない。」 「・・・・だから、死ぬと?」 の言葉に、スネイプは衝撃を受けた。それが何故かは彼自身にもよく判らなかった。ただ、スネイプは、胸が 千切れるような痛みを感じ、再び聞き返した声は、掠れていた。 「・・・・・・・・」 「それは、自分で見つけるものではないのか?生きながら、探すものではないのか・・・?」 スネイプは、彼女も、それがどのようなものかは判らないが、悲痛な過去を持っているように思えてならなかった。 半ば本能的に、そういうものを感じ取った。けれど、今この場で、彼女にかけてやれる言葉を、スネイプは知らなかった。 それでも、精一杯、おそらく無駄であろう問いを、投げかけた。 「欲しくないんです。何も。・・・・生まれてから今まで、一度も、何かを欲しいと思ったことがないんです。何も、 誰も、愛しいと思ったことも、本当に一度もない・・・・それって、変でしょう?・・・・それって、私は、私の 心は、壊れてるんじゃないかって思うから。・・・・壊れた心で、これからどれだけ生きたって、何も、見つからない でしょう?」 スネイプの問いに、は無表情のままで、変わらぬ淡々とした口調で語った。その瞳には、彼女の言葉通り、何の 望みも情も映っていないように見えて、スネイプは堪らない気持ちになった。スネイプは、彼女に自分自身の姿を 重ねていたのかもしれない。 ―――何故、自分は生きている?――― 「・・・・・・死ぬな。」 スネイプは、そう言うと、の細い腕を引き寄せて、その身体を強く抱き締めた。は一瞬、その身を強張ら せたが、力が入らないのか、スネイプの腕を振りほどこうとはしなかった。スネイプは言葉を続けた。 「要らぬ命だと云うのなら、我輩が預かろう。・・・・・今はまだ、死なせはしない。」 ただの一生徒に過ぎないこの少女に、何故これほどまでに強い感情を抱くのか、スネイプ自身も判らなかった。 けれど、「死なせたくない」という思いだけが、はっきりとスネイプの胸に浮かんだ。 「・・・・・あったかい・・・・」 どれくらいそうしていただろうか。暫くの後にの口から漏れたその呟きは、あまりに小さくて、スネイプには 届かなかった。そして、彼女の瞳から、初めて零れた一筋の涙にも、その時、スネイプは気づかなかった。 空は変わらず穏やかで、柔らかな風が、二人を撫でていった。 (2004.1)
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