人を恋ふる歌 (三高寮歌) 作詞:与謝野鉄幹 作曲:不詳 与謝野鉄幹(てっかん)(本名は寛)は、明治6年(1877)、京都の寺の4男として生まれました。 落合直文に師事し、歌人・詩人として活躍。「君死にたまふことなかれ」の詩で有名な 与謝野晶子は、3度目の妻。明治28年(1895)、招かれて漢城(現在ソウル)の 日本語学校に教師として赴任。この歌は在韓中の明治31年(1898)に作られたといわれます。 1 妻をめとらば 才たけて   みめ美わしく 情けある   友を選ばば 書を読みて   六分(りくぶ)の侠気(きょうき) 四分(しぶ)の熱 1番=「侠気」は、苦しんでいる弱い者 を見過ごせないような気持、おとこぎのこと。 2 恋の命を たずぬれば   名を惜しむかな 男(おのこ)ゆえ   友の情けを たずぬれば   義のあるところ 火をも踏む 2番=「義」は、他人に対して守るべき正しい道、 人としてなすべき事柄、大義。 3 汲めや美酒(うまざけ) うたひめに   乙女の知らぬ 意気地(いきじ)あり   簿記の筆とる 若者に   まことの男 君を見る 3番=「うたひめ」は妓生(キーセン)を指す。 妓生はもとは宮廷に仕える女芸人だったが、 日本の植民地主義的進出とともに高級娼妓の 色彩をもつようになった。 「うたひめに乙女の知らぬ意気地あり」は、 憂国の至情をもつ妓生であることを示唆している。 日本の幕末期、京都で勤王倒幕の志士を助けた 勤王芸者に比すべき存在か。 「簿記の筆とる若者」は、鉄幹が韓国で知り合った 志士的な人物を指すと思われる。 4 ああわれダンテの 奇才なく   バイロン、ハイネの 熱なきも   石を抱( いだ)きて 野にうたう   芭蕉のさびを よろこばず 4番=「ダンテ」はルネサンスの先駆となったイタリア の詩人(1265〜1321)。代表作は『神曲』『新生』。 ダンテを「コレッジ」としているヴァージョンもある。 どちらが先だったかは不明。「コレッジ」はイギリスの 詩人コールリッジ(1772〜1834)のこと。コールリッジ よりコレッジのほうが原音に近い。幻想的な作風でロマ ン主義の先駆となった。 「バイロン」はイギリスロマン派の代表的詩人。 反俗の青年貴族としてヨーロッパ大陸を遍歴し、ギリシア 独立戦争に加わり、客死した(1788〜1524)。 「ハイネ」はドイツロマン派の詩人。代表作は『歌の本』 など(1797〜1856)。 「芭蕉のさびをよろこばず」の「ず」は、打ち消しの助動詞 ではなく、意志・推量の助動詞。「むず」が中世以後 「うず」に変化し、さらに「う」がとれて「ず」だけになっ た。ここでは意志を表す。したがって、「芭蕉のさびをよ ろこばない」ではなくて、「芭蕉のさびをよろこぼう」と いう意味になる。「さび」は、一般的には「古びて枯れた 味わい」のことだが、芭蕉の俳諧用語としては、句中にお ける「深くかすかな趣、閑寂な情趣」をいう。 5 人やわらわん 業平(なりひら)が   小野の山ざと 雪をわけ   夢かと泣きて 歯がみせし   むかしを慕う むら心 5番=「業平」は平安初期の歌人・在原業平(ありわらのなり ひら)。六歌仙、三十六歌仙の一人。業平が比叡山麓・小野 の山ざとに訪ねたのは、彼が臣従していた惟喬(これたか) 親王。文徳天皇の第一皇子で、剃髪して小野に隠棲してい た。俗説では、藤原氏が推す異母弟との立太子争いに敗れ たため、剃髪・隠棲したということになっている。 韓国内の政治的不遇者に対する同情を惟喬親王の運命に重 ね合わせて詠ったと見ることができる。 6 見よ西北に バルカンの   それにも似たる 国のさま   あやうからずや 雲裂けて   天火(てんか )一度(ひとたび) 降らんとき 6番=「バルカン」はバルカン半島のこと。民族大移動の昔 から民族紛争が繰り返され、第一次世界大戦の発火点とな った。最近も、旧ユーゴスラビアで、凄惨な民族紛争が続 いた。日本とロシアとの勢力争いの標的となって乱れてい た韓半島の政治状況がバルカンの歴史に重ね合わされてい る。なお、鉄幹については、韓国滞在中、日本帝国主義の 立場に立って壮士的活動をしたという噂がある。 7 妻子を忘れ 家を捨て   義のため恥を 忍ぶとや   遠くのがれて 腕を摩(ま)す   ガリバルディや 今いかに 7番=「義」は、他人に対して守るべき正しい道、人として なすべき事柄、大義。ガリバルディ」はイタリアの軍人で、 小国に分裂していたイタリアを統一に導いた(1807〜1882) 。ガリバルディにたとえられるような人物が当時の韓国にい たのかもしれない。 8 玉をかざれる 大官(たいかん)は   みな 北道(ほくどう)の 訛音(なまり)あり   慷慨(こうがい)よく飲む 三南(さんなん)の   健児は散じて 影もなし 8番=「北道」は韓国(朝鮮)北部の黄海道・平安道・咸鏡 道をいい、三南は南部の忠清道・慶尚道・全羅道を指す 。「訛音」はなまり、方言のこと。「慷慨」は世の中の ことや自分の運命を憤り嘆くこと。 9 四度(よたび)玄海(げんかい)の 波を越え   韓(から) の都に 来てみれば   秋の日かなし 王城や   昔に変る 雲の色 9番=「韓の都」は韓国の首都ソウルのこと。李朝時代は 「漢城」、1910年の日韓併合後は「京城」と呼称され、 1945年の解放後ソウルとなった。 10 ああわれ如何(いか)に ふところの   剣(つるぎ)は鳴りを ひそむとも   咽(むせ)ぶ涙を 手に受けて   かなしき歌の 無からめや 11 わが歌声の 高ければ   酒に狂うと 人のいう   われに過ぎたる のぞみをば   君ならではた 誰か知る 12 あやまらずやは 真ごころを   君が詩いたく あらわなる   無念なるかな 燃ゆる血の   価(あたい)少なき 末の世や 13 おのずからなる 天地(あめつち)を   恋うる情けは 洩らすとも   人をののしり 世をいかる   はげしき歌を ひめよかし 14 口をひらけば 嫉(ねた)みあり   筆を握れば 譏(そし)りあり   友を諌(いさ)めて 泣かせても   猶(なお)ゆくべきや 絞首台 15 おなじ憂いの 世に住めば   千里のそらも 一つ家(いえ)   己(おの)が袂(たもと)と いうなかれ   やがて二人の 涙ぞや 16 はるばる寄せし ますらおの   うれしき文(ふみ)を 袖にして   きょう北漢(ほくかん)の 山のうえ   駒立て見る日の 出(い)づる方(かた) 16番=「北漢」は、ソウルの北辺にある北漢山を指す。ソウル市 を取り巻く山では最も高く目立つ山。昔の城壁が残ってお り、北漢山城と呼ばれている。北漢山は非常に険しく、頂 上まで馬で登るのはとうてい無理なので、「北漢」は城趾 を指していると思われる。