** さいとう・たかを氏が語る「ゴルゴ13」 **



10話で終わるはず
だったんです。
 連載30周年ですか。私としては1回1回を”ただ描いていただけ”で、それが30年間続いたというだけなので特別な思いっていうのはないんですよ。
 そもそも『ゴルゴ13』という作品は、10回で終える予定だったんです。だから、連載を開始したときには最終回もちゃんと決まっていて、コマ割りまでできていたんです。だから今は、その最終回に向かって描いているようなものとも言えるでしょう。もっと言えば、挿話を描き続けているに過ぎないんです。だからこそ、30年も続けられたのかもしれません。
 でも、こうやって改めて連載当初のことを思い出してみると最初は苦労しましたね。何しろ、モデルとする作品がなにもなかったんですから。というのもそれまでのコミックには「勧善懲悪」ものしかなかったんです。そんな中で、暗殺者という”存在自体が社会悪”のゴルゴ13を主人公にしたんですからね。
 ゴルゴ13に限らず私は、キャラクターを考えるとき、モデルとなる人物を想定して描くんですが、このゴルゴ13を創り上げたときもそうでした。モデルといっても単なる容姿というのではなく、キャラクターのイメージですね。それが、当時の高倉健さんでした。そして、もう一人。それは私の中学のときの恩師でした。
 その中学のときの話ですが、私はテストという一つの物指しだけで人間の能力をきめる学校教育というものに疑問を感じていたんです。そこで、抗議の意味で、テストで白紙で出し続けたんです。すると、ある先生に「白紙で提出するのは構わない。しかし、”私が白紙で出した”ということが分かるように名前だけは書きなさい。」と言われたんです。テストを白紙で出したことに対して叱りつけるのではなく、”自分のしたことに責任を持つ”ということについて教えられたわけです。つまり、「社会の約束事」を教えてくれたんです。
 ”自分の中で決めた約束事について、きわめて厳格に行動する”ゴルゴ13という人物を創り上げるうえで、このときの教えが影響しているようにも思えます。
 その先生の名前ですか?ええ、憶えていますよ。東郷先生といいました。そうです。デューク・東郷の東郷です。
冷戦崩壊後の
舞台はどこへ?

 最近、よく人に「東側陣営の崩壊で、ゴルゴ13の活躍も難しくなってきましたね。」などと、言われることがあるんですが、逆だと思うんですよ。
 というのも、資本主義対共産主義などというように、昔は敵・味方が非常に分かりやすかった。でも、現在は東西陣営の対立構造が崩壊し、誰が味方で誰が敵かというのが分かりにくくなっています。
 それに、これからは政治的イデオロギーに代わって徐々に民族・宗教などを巡る対立にかわっていくでしょう。特に今後、大きな問題となるのは食料問題。これらを巡る複雑な国際政治を背景にしてゴルゴ13の活躍場所は、ますます広がっていくのは確実だからです。
 そして、その複雑に絡み合う、世界情勢の中では、何が善で、何が悪なのか、ますます分からなくなっていく。もっとも善悪などというのは人間の都合で名付けられる便宜的なものでしか過ぎませんがね。でも、そこでゴルゴ13のように善悪を超越した存在が、これからの混沌とした世界の矛盾や汚さを映し出していく鏡のような役割を果たすことになるのではないでしょうか?
一面記事を読む
ような楽しさを

 時々、「『ゴルゴ13』で世界情勢を勉強しています」とかいう読者の方がいるんですが、正直困っているんです。だって、本当のような”ウソ八百”を描いているわけですから(笑)。
 私は、『ゴルゴ13』を読む面白さというのは、世界情勢を勉強するというより、むしろ新聞の一面記事を読む楽しさだと思うんです。
 一面に載るような政治や経済の大事件というのは「誰それが、どこへ行った」とか「どこそこで何が起こった」とかで、あまり細かいことは書いていないですよね。
 でも、どんな政界の大物でも、財界の大立て者でも、すべて人間ですから、いろいろな感情を持っているはずです。
 その生身の人間が「何を、どう考えて行動し、決断を下したか」ということは一切記事にはありませんが、それぞれの個人の感情というものが絶対にあるわけです。それを想像することができる一面記事は、読みようによっては実に面白い。逆に三面記事は、事件を起こした当事者の心情などが細かく書いて、読者が想像する余地があまりない。
 『ゴルゴ13』を読む楽しみというのは、この一面記事の余白を読む楽しさだと思います。そんな意図があるから、結末も何通りも解釈ができるようにしているんですよ。 だから、『ゴルゴ13』の読者の方には、新聞の一面を読むのと同じように、自分の解釈の面白さ楽しんで欲しいですね。

ゴルゴ13の「・・・・・」というセリフの意味も楽しんで欲しいと語るさいとう・たかを氏。その創作意欲と熱意は、ますます旺盛である。

(ビッグコミック 1998 11/25 より)


100巻を
迎えた感想
ものを創っている人間は、欲張りなものでして、常に新しいことをやりたい。新しいことを始めるには、やっている最中のものを切らねばならない。連載開始後10年ほどは、そんな状態で、やめたい、やめたいと思いましたが、”ゴルゴ13のさいとう・たかを”と言われだしたとき、作品で名前を呼ばれるのは、作り手冥利だ、と気付いたんです。さらに、体調を崩して入院中も連載を続けていると、意地も出る。よし、絶対に休まないぞと。これだけ長くやってこれた中で、自分でいちばん納得できているのは、28年間休載なし、ということですね。
ゴルゴ13の
アイデア

私の場合、思いつきでキャラクターやドラマを創ることはありません。煮詰めに煮詰めて詰め将棋をするように創るやり方です。たとえば構成でも、ひとつひとつの画面がどういう意図で、計算でそうなったかをきっちり説明できる。ただ、作品のテーマはいつも一緒「人間の矛盾に対する悩みをぶつけてしまう」こと。要するに”1たす1は2にあらず”という私の考え方になってしまうんですねえ。連載開始当時は、東西冷戦時代でした。そこで、西に利益があれば西は英雄、東は悪といった人間のご都合主義の矛盾、正義や悪の矛盾を描きたかった。そのテーマで書きたい主人公となると、結局アウトローになってしまう。ちなみに「ゴルゴ13」にもモデルはいます。人間のクセなどは、誰かを考えにおくと描きやすい。姿形という意味ではなく。それが、28年前の高倉健さん。行動、動きのなかに出ていると思いますよ。
長く続いた
秘密

「描き手は夢中になって描くだけ。正直言ってよくわかりませんねえ。ただ、いくつか感じている要因はあります。ひとつは、いろんな脚本家、延べ70人は超えているのかな。それもなるべく新人に、とにかく新しいものを考えてもらうこと。馴れ合ってしまうから、脚本家とは会わないようにもしています。おかげで、私にとってはとんでもない、こんなもの描けるかというものが上がってくる。私がまったくダメな機械、化け物と思っているコンピュータまで、バンバン脚本に出てきます。挑戦せざるをえませんよ。これを"大いなるマンネリ”と呼んでいるんです。挑戦する気持ちのあるマンネリという意味で。もうひとつは、ストーリー形式。最初に考えた段階では、ドラマをパターン分けして考えると10ぐらいしかなかったので、10話でやめるつもりでしたし、ラストシーンもできていました。それが連載を続けることになっても、最後はできているから話を間にはさんでいくだけ。いくら描いても挿話なんですね。それで続いたんでしょう。あくまで描く形の姿勢ですが、能書きをタレる、ただ表立って訴えるゴルゴ像を描いていたら、これまた続かなかったでしょう。娯楽作品であると同時に、自分の言いたいことをその中に描き込む。作品を通してにじませることは、ものを創っている限りは、ある種の義務だと思いますよ。
ゴルゴ13の美学

この作品を通して描いているもののひとつに、男の美学の追求もあります。母性愛のような本能の形で認められている美学が、男にはないでしょう。男は自分で考えて美学を作らなければならない。そしてそれは、"我慢"だと思うんですよ。やりだしたことをいかに自分が納得するまでやるか。ゴルゴはどんどんしゃべらなくなっていきます。これは、我慢することが重なっていったからなんですね。人間、しゃべるということはボロを出すことなんですよ。欠点もあからさまにしてしまうし、そのボロを出すまいとすると、しゃべらなくなる。そういう男の美学をゴルゴに追求させてる部分はありますね。自分ができないから(笑)
連載終了予定
ラストシーン

すでにコマ割りまでできていますが、ラストシーンの内容だけは、企業秘密ですね。いつ終えるのかは、もう私の判断を超えています。読者と出版社次第。作者がやめると言ってやめることができるのは、連載開始後10年までのこと。借地に住むのと一緒ですよ。土地を買ったものの土地だったはずが、住んでいる者のほうがどんどん強くなると・・・。
(週刊宝石 1996 10/3 より)


私とゴルゴ13

ゴルゴという男を生み出した時、私には少なからず不安があった。現在では、殺しのプロがいろいろな形で氾濫しているが、当時は全くなかったといってもいい。何といっても反社会的な主人公ではある・・・読者に抵抗感はないか・・・だが、私の芽生え育ち始めていた、一人の男のイメージは強烈に私の創作欲を刺激した。まるで私の分身のように明確な意志を持って・・・私には常に一つのテーマがあり、それは現在まで一貫している。社会機構や社会というものの価値観の無縁の場所で生きる人間を描くということである。当然彼は”自己のルール”しか持たず、そのルールにのみ忠実に厳しく生きる。ゴルゴにとって西側や東側は無縁であり、資本主義も社会主義も無意味である。社会のいう正義とか悪とかも無関係である。たとえば私は、最近「サバイバル」を描いているが、この作品では出発点が、すでに社会が崩壊している地点なのである。当然、思想も主義もない空白の世界である。そこで少年が生きていくためには"自己のルール"をひとつひとつ積み上げていく以外にない。ゴルゴと「サバイバル」の少年の共通点は、まさに社会の持つ価値観と無縁の地点に個人の価値観を持つということだといえる。だが主人公は、読者に共感を呼ぶ人物でなければ無意味である。私にとってゴルゴが私自身であると思われた時、私はゴルゴを描き出した。たしかに反社会的な人物だが、私をこれだけ熱くさせる人物が読者の共感を呼ばぬはずはない・・・幸いゴルゴは、まだ生きている。
(ゴルゴ13 第27巻より)


 漫画マニアの友人の影響を受けて、挿し絵を中心とした絵を描いて いた。 本人は映画マニアだった。大阪で貸本屋向けの仕事をしてい たが、貸本業の衰退とともに仕方なく東京へ。初めて書いたまとまっ た漫画作品が、プロとしてのデビューとなった。デビュー作品は、ゴル ゴ以外の作品だった。

 漫画マニアの時代を送ったり、弟子になったりなどの、漫画作品の 経験がなくプロとしての生活が始まったため、最初のうちは特に苦 労した。

 当時は手塚治虫などの影響が強く、前記のような漫画への経験の なさや、自分の描きたい(映画のような、青年が読めるような)作 品を描くために、自分がどのような作品を書いたらいいのか分から ず、悩んでいた数年間、その時期に先輩から「さいとうはこの仕事を するために生まれてきたような男だな」と言われて、大変救われた。

 悩んでいた数年間でも、すでに組織を作るつもりだったから弟子が いて、悩みを気取られないために大いに見栄を張った生活をしてい た。当時を知る人は、「さいとうは悩みを持っていた」とは知らないよ うだった。

 さいとう氏がそのころ描きたいと思っていた絵は、「リアル、かつ動きの ある絵」だった。当時流行の手塚作品では、例えば(開くために) ドアのノブを握ろうとする絵を描いても、丸っこい手では、指の関 節を描くようなリアルさは出せない。

 海外作品にはリアルな絵はあったが、次にノブを回すような、ドア を開けようとするような、動きは出せていない。さいとう氏が欲しかった のは「次の動き」が感じられる絵であったらしい。

 さいとう氏の言う「動きのない絵」とは、漫画の「表紙の絵」。自らゴル ゴ13の表紙の絵を指さしながら、「これは動きが止まっている、 表紙だから、これでいい」と言うことをいっていた。

 ゴルゴ13は10話くらいまでで終わるつもりだったので、ラスト もコマ割りまで出来ていて、その間はいくら書いても「挿話」に過 ぎない。最後が遅らされているだけ。 現実の世界で生きていたら、1ヶ月も生きていれないような荒唐無稽 な主人公だけに、舞台となる背景のリアルっぽさがいのち。舞台の 背景(絵や事象)のリアルさには、調査を書かさない(湾岸戦争の 話)。

 脚本家は現在まで4〜50人が関与。それぞれの脚本家にそれぞれの デューク東郷が存在するので、さいとう氏がゴルゴ13にする。  絵はスタッフが、それぞれの得意に応じて分担。人物が得意な人は人 物を、動物が得意な人は動物を。ゴルゴ13自身はさいとう氏が描くのか との質問には「そうです」と答えたが、歯切れが悪いような気がし た。

東郷とは中学の教師の名前、東郷先生。その先生は、学校に反発してテス トを白紙で出し続けるさいとう氏に言った「白紙で出すのは良いが、『私 が白紙で出した』と言うことの表明として、名前だけでも書け」と 言った。彼は、その言葉を「社会の最低の約束事」の教えと受け 取ったという。

(NHK番組 1997 8/17 より)情報提供者:K.A氏


 常々、大人たちのためのコミック誌、成年誌というものを何とか形にしたいと思っとったか ら、『ビッグコミック』別冊の時は、「ああ、やっと出るのか!」という感じでしたね。執筆依頼 がきた時には、即座に「絶対にやらなあかん」と腹を決めました。ワシが一番望んでた形の本 やったからね。どんな無理をしてでもやるゆう気持ちでした。

 そしたら、最初の依頼がいきなり百ページちゅうんです。その頃、大人の漫画では二十ペー ジで長編ですよ。他の雑誌で成年漫画を始めた時には、もめにもめて、やっと十六ページもら う状態やったからね。そりゃあ前から、しっかりした大人のドラマを創りたいから、ページは もっとたくさん欲しいとは言っていたんですが、まさか百ページも用意してくれるとは想像も してませんでした。実際には八十ページに落ち着いたんですが、それでも突然決まったもんや からね、そらキツかったですよ。

 ワシがね、なぜ成年向けのコミックちゅうもんをやりたかったのか、そして成年専門のコミ ック誌を欲しがっていたのかというと、まぁ、これからは成年誌が主流になっていくだろうと いう予感もありましたけど、やはりドラマを描こうという者にとって、少年誌の表現には限界 があるんです。ワシの夢は、コミックが大衆小説に取って代わることやったから、最終的には どうしても成年コミック誌に行き着かぎるを得んのですよ。

 昔は、少年誌の読者は、年齢とともに漫画を卒業していくのが普通やったんです。当時はち ょうど、団塊の世代がそんな年頃にさしかかっていた頃で、だからその世代を逃がさんうちに、 何とか早く成年誌を創りたかった。どうしても少年誌の読者を掴んでいるうちに始めたかった んです。それで、いろんな出版社を口説いて回ったんやけど、当時の編集者はみんな頭が固く てね。なかなか話を開いてくれんのです。要するに、ストーリーのあるコミックは子供のもの、 大人の漫画は四コマか一コマだという古い観念にとらわれていて、しっかりしたドラマを大人 に読ませるなんて、誰ひとり考えてもいない。焦りましたよ。

 だからこそね、ワシにとって『ビッグコミック』の創刊は「やっと」やったんですよ。絶村に 出るはずやと確信はしておったけれど、それでも当時は「やっと」ゆう感じやったね。 『ビッグコミック』で始めるからには、とにかく新しい世界を創らなアカンという気持ちで したね。もっとも他の作家さんからどういうふうに言われていたのかも、夢中で描いていて、 周りを見る余裕なんてないからわからんわけです。ただね、この世界は、趣味でやりだして、 その延長でプロになる人が多いでしょう。長いことやっていると、必ずマニアックになってく る。そういう世界にだけは落ち込みたくなかった。とにかくほんまもんの娯楽作品しか描かん ぞと決心しとりました。もちろん自分の趣味の世界をやりたいっちゅう気持ちも、一方ではあ るわけやけどね。あえてそれだけはやるまいと決めていたんですね。

『ゴルゴ13』も例外やない。『ゴルゴ13』と私の関係、よく訊かれるんですわ。子供のようか とか、分身かとか。けれど、どれも違うんです。あえて言えば監督と役者の関係でしょう。ワ シ、デューク東郷なる人物に全然のめり込んでいない。いたって冷静に見とるんです。のめり 込んでいたら、ここまで長いこと続かんやったろうなあと思います。

 で、『ゴルゴ13』の中で、いったい何をやるのか?考えてみたんですね。別に何も特別なこ とをやろうとしたわけやない。ワシの描く作品のテーマなんかみんな一緒。世の中、1+1= 2にはならんぞ、というのがどんな作品にも共通しとる。どういうことかというと、正義や悪 というものは、あくまでもその時代が作り出すご都合であって、本当は数式みたいにはかれる ものではないでしょう。もしそういった世間の規律をまったく持たない人間がいたら、自分で 規律を作るしかない。そんな人間を描こうと思ったわけです。それがデューク東郷。

 彼の人間像について訊かれると、こう答えるんですわ。彼が仕事をして、つまり人を殺して、 パッと振り返って歩こうとした時に、足元に蟻が一匹いたとする、彼は殺さんように、慌てて 跨ぐかもしれないって。なぜかというと、彼にとって殺人は目的を持ってやっていることなわ けで、もう一方の蟻を殺すことに関しては目的がないわけです。

 『ゴルゴ13』を描きはじめた頃、よく作家の大薮春彦さんの主人公と比較されました。大薮 さんの描く主人公が、冗舌で派手、豪快な立ち回りの末に敵を倒す、まさに血のしたたるビフ テキの味とすれば、ワシの描くものは、しやぶしゃぶみたいなもんやって言われました。でも、 もともとはデューク東郷という男も、そういうあっさりとした人間やない。人間として血の通 っている部分がいっぱいあったはずです。それが仕事をしていく上で、自然と自分を律する約 束ごとを作っていくことで、寡黙にもなっていき、いまのスタイルが出来上がっただけのこと なんです。

 『ビッグコミック』で描いていると、時々、読者の反響の大きさに驚かされることがあるん ですよ。『ゴルゴ13』で、話の解釈の仕方について、読者の間で問題になったことがあるんです ね。デューク東郷が仕事で人間を殺した時に、その飼犬まで殺したという話がありまして、読 者からこの行動に意見が殺到したんですわ。あの時は驚きました。ワシはデューク東郷の行動 を、まじめから何通りかに解釈できるような結末にしたんです。ただ、この話の時は、せいぜ い三通りくらいの解釈を自分では与えていたつもりだったんですね。ところが読者はワシが考 えてもいない解釈を書いてよこす。こんな見方もあるのかとあらためて考えさせられましたね。 何通りかに解釈できる結末という手は、昔からよく使ったんです。そういう結末を作ると読 者が考える。すると物語に余韻が残る。ドラマのテクニックですよ。でもそればかりだと読ん でいてつらくなるんで、たいていは非常に単純明快に読めないといけない。だから仕掛けはた まにいれるんです。『ゴルゴ13』をドラマのタイプ別で分けていったら、十ぐらいのパターンし かないんと違いますか。それをとっかえひっかえやっているっちゅうわけです。ず−っと。

 『ゴルゴ13』が長く続いたおかげで、ワシだけビッグで好きなものを書かせてもらってない。 おまえは『ゴルゴ13』だけ描いていればいいんだって(笑)。ある時期まではそれにえらく抵抗 がありましたよ。ほかにも描けるんだって気持ちがありました。『ゴルゴ13』をやめたいと思っ たこともある。29年前の当時、私はまだ32歳です。その頃に代表作は『ゴルゴ13』と決めつけ られてしまうというのは、抵抗あるもんです。代表作は常にこれから創るものでありたいと思 つていましたから。

 でもいまでも『ゴルゴ13』の・・・って言われても、これが描き手冥利なんやなっちゅう気持ち になってこれましたよ。それをね、実感するようになってからは楽になりました。『ゴルゴ13』 は自分のものじゃなくて、読者のものであり、雑誌のものだという気持ちになれたんですね。

 もし『ゴルゴ13』がなかったら何を描いていたか?そりゃ描きたいものはいくらでもあり ますよ。私が『ゴルゴ13』を始めたあの頃、切実にやりたいと思ってたものを教えましょうか。 幼年ものですよ。もし時間があれば『ドラえもん』とか『アンパンマン』とか、ああいう世界 を描いてみたかった。でも、少年向けに描いた『バロム・1』が精一杯でしたね。余談ですが、 これは実は変身ものの草分けなんですよ。テレビになったのは、『仮面ライダー』が先でした が、本を出したのは章太郎(石ノ森章太郎氏)よリワシのんが早かった(笑)。『バロム・1』の ような変身ものをもっと単純にして幼年向けにやりたかったんです。

 ワシはコミックっちゅうんは、そもそも娯楽やと思うし、だからこそ娯楽に徹しきっていき たいと思ってます。『ビッグコミック』も頑固なまでにその路線を変えずに三十年間も続いてい る。それでいいんやと思います。

 ただ心配なのは、いまの若手がどんどんマニアックになっとることです。コミックの持って いる、娯楽性の有利さいうのを忘れている感じなんですよ。皆、私生活ものになってるんです。 そういう人間の感情を表現するんやったら、文章の方が絶対に有利です。微妙な表現ができる んやから。でも逆に文章の世界では、どんなに表現しても大群衆は見えませんよね。映画も一 万人の大群衆を集めようと思ったら大変でしょう。ところが我々ならいとも簡単に一万人の大 群衆を揃えられるんですよ。だから、我々の持っている一番の強みは、簡単にスペクタクルが できることなんです。これに尽きる。それがコミックの王道なはずなんです。簡単にカメラを あちこちに移動できたり、とんでもない所にもカメラを持っていくことができる。それが我々 の持っている有利さなんです。それを忘れたらいけないと思うんです。

 文章の持っている娯楽性は官能小説に尽きると思っています。あれこそ文章でないと表現し きれない、文章の持っている最高の娯楽性でしょう。映像の持っている娯楽性は、見ることが できん世界を見せてくれることです。そういうふうに考えると、どんなに素晴しくても私生活 漫画は、キワモノやと思っています。

 一時期、漫画の娯楽性が勘違いした形で出だした時期があって、雑誌で、テレビの怪獣もの をバンパンやりだしたんですよ。こんなのやるなってワシは言ったんです。とんでもない勘違 いやと。あれは映像の内面で動くから面白いんであって、コミックの世界ではキワモノに過ぎ ないと自覚していないといけない。それと同じで、どうも最近、成年コミックがやっと地につ いたという感じなのに、それを駄目にしてしまいそうな気配を感じますね。このままでは、漫 画が歌舞伎のように大衆から離れて、どんどんマニアックなものになってしまうんやないかと 心配なんですよ。時代ものは描きませんとか、平気で言う人もいますからね。挑戦心がまった くない。誰でも最初は描けないんです。みんなそれを勉強して必死になって描いてきたんです。

 ワシも最初の頃、劇画とは、またはドラマ性のあるストーリーとはどんな絵で描いていいの かわからなくて、いろいろな絵を描きましたよ。少女漫画のタッチでまで描きましたからね。 いろいろな絵を描いて、最後に出てきたのが『台風五郎』という探偵もので、Gペンでガリガ リ描いたタッチの絵でした。どのへんでやれば絵としての魅力も失わないで、なおかつ動きの ある絵になるかということです。最初はね、描く荒っぽさで動きを表現しようとしていたんで す。あの頃は、手塚治虫さん調の丸まっちい絵ばっかりやったでしょ。それではリアルなドラ マには向かんのです。たとえば関節がどこにあるかわからんような手でドアのノブを持ったっ て、ピンとこんでしょ。アメリカンコミックのように、ただリアルに描いただけでは絵として の魅力がなくなるし、動きがないし、第一そんなので長編を描くのは、ものすごくシンドイ事 やないですか。悩みましたね。いまの人はいっくらでも見本があるから、その絵からいろんな 絵を自分なりに創っていけますけど……

 『ビッグコミック』は、その誕生から、ワシの思った通りの雑誌です。それが思った通りに 進んで来ましたからね。いまさら注文することはないね。いまのままでいいと思います。まさ にシニアコミックの王道をこれからも行って欲しいと思います。

 ワシも『ビッグコミック』で描かせてもらう限りは、『ゴルゴ13』をとことん描きたいという 気持ちです。やっぱり、これまで毎回挑戦するつもりになれたというのは、自分の制作姿勢と いうものが間違っていなかったからやと思います。この頃は、脚本の人ともあまり話さないよ うにしているんです。話していると、脚本の人がワシが描き易いものをやろうとしだすんです。 でもそれを拒めば、今度はこっちが苦手なのが来るんですよ。たとえばワシは、電球のソケッ トも直せんような人間なので、コンピュータの話が来た時にはどうしようかと思いましたから ね。結局それに挑戦する気持ちが新しいものを生んできたんやないかと思います。もうこの際、 編集部がやめてくれ言うまでは、『ゴルゴ13』を続けるつもりです。

 ワシには周りが騒ぐほど、良くやってきたという気持ちはないんです。『ゴルゴ13』は、最初 考えた時は十話で終わるつもりやった。実はその十話目を考えた時、すでにラストシーンが私 の中でコマ割りまで完璧に全部出来上がっているわけです。いまは、いくら描いても挿話なん ですよ。描き続ける分だけ、ラストがどんどん後ろにいってるだけなわけやね。だから年月が 経っただけで、自分の中ではそんなにやってきたという感覚はないし、毎回が挑戦なので、ど れも新しいものという感覚なんです。言われてはじめて「四半世紀もやってるのか」と驚きま した。長くやっているとどんな形であれ、評価されるんやなと思いましたね。

(構成・西田真二郎)

(ビッグ作家 究極の短編集 「さいとう・たかを」小学館 より)