こうして、俺は摩耗した ～性技の味方に至るまで・新生編～
「いや――――良く来てくれた、衛宮士郎」
突然、背後から、親しい友人に挨拶をするように、バン、と叩かれた両肩。
「――――――！」
あまりの唐突さに振り向くことも出来ずに俺は硬直していた。俺の背後に立ち、ずしりと両肩に手を置いている存在が誰なのかは考えるまでもない。
言峰綺礼。
この教会の神父、この部屋の異常を作った男、そして――――今に限らず過去においても未来においても、俺の人生に関わって欲しくない変態。
「いやいや、しかし上では凛たちが大騒ぎしているようだな。お陰で嬉し恥ずかし黒幕生活が台無しになってしまった」
背筋にぞわりとくる悪寒。背後から感じる愉悦。俺の背後に立つ変態は間違いなく笑っている。
だから。
それがどうしようもなく恐ろしかった。
「……どうした、衛宮士郎。私の可愛い娘達が気に入らないのかね？」
「う――――」
いや、それ以前に人として駄目だろう、これは！
「なんだ、酷いな。本来なら君もこの娘達と一緒に此処で私に鑑賞されるはずだったというのに」
「――――――へ？」
俺の背後に立ち、体を寄せるこの変態は――実に愉しげに、今、何を口にしたのか。
「――お前、今、何を……」
「このょぅι゛ょ達とお前は仲間だったといったのだ。性別と年齢は変わってしまったが、お前達は１０年前のあの地獄から生還した者達だ。血肉の繋がりは無くとも、その絆は姉妹のソレに近いと思うのだが、どうかな」
「――――」
１０年前。大火災で全てを失った子供達の内、俺は衛宮切嗣に引き取られた。だけど、引き取り手のない子供達は孤児院に預けられると聞いた。
その後の話は知らない。引き取り手のあった俺が、引き取り手の無かった他の子供達に対しての小さな負い目がそこから先を知ることを躊躇わせた。
――――その孤児院は、冬木の丘の上にある教会だと――――聞いていた。
でも、何故この狭い街でただの一度も俺以外の生還した子供に出会わなかったのか……。
「言、峰……」
「素晴らしいだろう、彼女達は。実に」
「――――テ」
「実に素晴らしい」
「テメエはぁ……っ！！」
金縛りにあっていた体は、この言葉で起動した。両肩に置かれた手を振り払い、振りむいた。
「言峰、お前が！」
その瞬間、鳩尾に衝撃が走った。言峰の拳が俺の腹部にめり込んでいる。
「ガ……ッ！」
「まったく残念なことだ。この娘達を置いて此処を引き払わなければならなくなるとは」
「グ、……こ、の。真性炉利神父が！」
息が詰まったまま強引に打ち込んだ俺の拳を軽々と流して、がら空きの背中に一発叩き込まれた。
「何を言う、衛宮士郎。貴様の養父だって似たようなものだろうに」
蹲る俺の耳に滑り込む悪魔の囁きが、俺の精神の奥底に染み込んでいく。
「……な、にを」
「ほう、知らなかったのかね。私と衛宮切嗣は真逆の存在と言って良いほどに正反対だったのだよ。奴は――女好きのくせに、ショタ萌え属性だったのだからな」
「……な」
「薄々気が付いていたのだろう。奴がお前を引き取ったのは一番美味しい時期を愛でるためだと言うことに……」
「く……」
「そしてその養子はその正しき後継として完成に向かっているようだな」
「……なに、を言って」
これ以上コイツを喋らせてはいけない。これ以上俺を“開かれ”ると俺はその基盤から崩れてしまう。
「ほう、その様子では薄々気が付いているのか。――すでに原初の理想は遠く。もはやお前の歪は極大だ。本来の自分が無いが故に容易く染まり……理想は妄想へ堕ち、燃える情熱は萌える情念へと変わり、真っ白な思いは、様々な色にぼやけてしまった。……もはや、貴様に理想など無い。いや、そもそもそんなものは――元々有りはしなかったのだからな」
何を、言って、だって俺は、正義の、味方に。
「……そのわりには」
言峰の蹴りが俺の体を吹き飛ばす。転がる体は、祭壇にぶつかって止まった。
「随分とお楽しみだったようではないか。……ほんの数日で、お前は一体何をした。お前の行動を思い返して見るが良い。何処に正義とやらが在る？ そしてその行動は……本当はお前の望んだ行動ではなかったのか」
「……それ、は」
それこそが、衛宮士郎が眼を背けていたこと。流されたから、強制だったから、仕方がないからとか、そんな理由をつけていたけれど。
はたして俺は、本当にソレが嫌だったのだろうか。
「――そうだ。もはや貴様は“正義の味方”などではない。正しく衛宮切嗣の後継として、奴を超え、さらなる萌え属性を極めた“性技の味方”へと堕ちてしまった。色に呆け、性に狂い、萌えに酔う。それこそが今のお前の疵だ」
心が痛かった。ずっと走り続けていたのに、俺は何時から間違ったんだろう。……いや、アーチャーを召喚した瞬間からなのに間違いないんだが。
体と心の痛みに動けない俺の髪を掴んで、言峰は俺を引きずり起こした。
「さあ、君の姉妹達が呼んでいるぞ。お前も本来そうであるように……彼女達の仲間になるが良い」
言峰が何かを呷った。そして、そのまま……、俺の唇が、奴の呼吸器官の先端（唇じゃない、唇じゃない、唇なんかじゃない。これは呼吸器官の先端なだけだ。だから、俺は男とキスなんかしていないっ！）で塞がれた。どろりとした液体が口の中に流し込まれる。甘くて苦くて辛くて、というかドアップの言峰なんか見たくないが、眼を閉じるのもヤバイ気がする。というか……何が起きている？
真っ白に燃え尽きた俺は、そのまま口に流された何かを飲み込んでしまう。
「な、な、な、ななななななな！？ ゲ、ゲイ！？」
俺の背後から何か聞こえてくる。
がたん、と俺の背後の祭壇が音を立て。
「！ 言峰ッ！ 貴方は……っ！」
真っ白に燃え尽きて崩れ落ちる俺の脇を、バランスを崩しながらもすり抜ける小さな影。振りかぶったその右手はシャープな角度、素晴らしい速度を以て……、言峰の“ピー”に叩き込まれた。
「Ohhoooooouch！」
アメコミっぽい絶叫が地下に響き渡った。
「こ、言峰ぇぇ！ 貴方は私を殺そうと、……あれ？ こ、言峰？ え？ え？」
青い顔で脂汗を垂らしながら悶絶している言峰を見て首を傾げる隻腕ょぅι゛ょ。
俺も精神的打撃に悶絶しながら、ざまぁみやがれ、と心の中で呟いた。しかし、本気で気分が悪い。
「あ、えーっと、鳩尾を殴るつもりだったんですけど。思ったより低く当たってしまいました。って、え？ 私、左手？ え？」
おどおどと、けいれんする言峰を足先で突く鉄腕ょぅι゛ょ。
「って、えぇ！ なんで私、こんなに小さく？ こ、言峰。せ、説明を……」
大騒ぎしているょぅι゛ょの声が遠くなっていく。
身を走る苦痛と倦怠。灼熱の熱さと凍り付くような怖気。高揚と憂鬱。
声が出ない。
そもそも声の出し方が分からない。
大体呼吸する器官が俺には無い。手もなく足もなく眼も無く舌も無く。それどころか肉体すらなく。
回る幻想は現実を浸食し、平坦な地球儀の両端をつなぎ合わせて世界を裏返す。まっすぐに引かれた曲線は繋ぎ合わされてメビウスを描き、その上を走る魚は何時の日か微生物へと進化する。マイナスの熱に浮かされた俺の脳はその脳漿から胃液をぶちまけて時速３０㎝で光を追い抜く夢を見る――。
「――――ぁ」
夢を見ていた意識が覚醒した。
「……眼が覚めましたか？」
横たわる俺の顔を覗き込む赤いショートカットのょぅι゛ょ。目元の泣きぼくろがせくしー、ってょぅι゛ょ相手に何考えてるんだ、俺は。
「こ、と峰、は？」
全身がむず痒い。痺れたような感覚を騙しながら、俺は強引に言葉を引きずり出した。ぅわんぅわんと鳴る耳鳴りのせいか、まるで自分の声じゃ無いみたいだ。
「……逃げられました。隠し扉からです。どのような仕掛けか、どうやっても開くことが出来ません」
祭壇を指し示しながらょぅι゛ょが答える。
「……な、ら、追わな、きゃ」
「まだ起きない方がいい。……貴方は……気が付いて無いのですか？」
起きあがろうとした俺の胸を無事な右手で軽く押さえて、不思議な台詞を言うょぅι゛ょ。俺が――何に気が付いていないと言うのだろう？
「――でも駄目、だ。アイツを野放しには出来ない」
「――令呪があるようですが。貴方はマスターなのですね？」
「！ ……君は、一体……？」
唐突なょぅι゛ょの台詞。令呪を、聖杯戦争を知っている？ 左腕の無い彼女は、もしかして――。
「……ええ、自己紹介がまだでしたね。私はバゼット。バゼット・フラガ・マクレミッツ。ランサーのマスターです。……いえ、ランサーのマスターでした」
軽く失われた左手に眼をやりながら答えるょぅι゛ょ――バゼット。
「そっか。君がランサーの……」
クソ。こんないたいけなょぅι゛ょの左手を奪うとはあの変態神父め。大体ょぅι゛ょの腕を切り落とすなど、炉利魂の風上にも置けやしない。
「……いえ、元々私はょぅι゛ょなどでは無かったのです。先ほど気が付いたらこの姿に――」
む、どうやら思考が口からだだ漏れだったみたいだ。俺の戯言に律儀に答えるバゼット。
――そっか。俺はこの部屋の水槽内のょぅι゛ょ達を思い出した。奴は他人をょぅι゛ょする手段を持っているんだった。
……えっと、すげぇ嫌な想像にぶち当たったんですけど、俺。
先ほどから自分の声に聞こえない声。
やたら広く見える部屋。
バゼットの言った台詞――「気が付いてないのですか？」
がばっと体を引き起こす。
ぶかぶかのトレーナーによって俺の手は隠れてしまっている。
靴は脱げてしまっているのに、足の先はどういう訳か長さがぴったりの筈のジーパンに隠れてしまっている。
ウェストががばがばしていて、ズボンの座りが悪い。というかずれてしまって下着共々ずり下がってしまう。
首元が大きく開いているせいで随分と涼しい。
先ほど、あの変態神父は、俺に――何を呑ませたの、かなー？
「な、なあ、バゼット……」
「――ええ」
俺の質問を予想しているのか、痛々しげな憐憫の表情のバゼット。
「もしかして、今の俺って――ょぅι゛ょ？」
「―――――――――――――――――――――――――――――――――――ええ」
「な、な、なんでさーーーーーーーー！！」
「今の、士郎の声？」
「ち、こっちか！」
「あ、階段があります！」
「私とセイバーが先行する。君達はその後ろに。く、あの馬鹿マスターが。ふらふらと！」
俺の叫びを聞きつけたアーチャー達の声が聞こえた。……不味い。今の俺にとって連中は……。
「――貴方の仲間ですか？」
「――さっきまでは。……今は最大の敵、かも」
俺は大慌てで立ち上がった。ずるり、とサイズが合わなさすぎるズボンがその下着ごとずり落ちるがこの際気にしない。幸いトレーナーの裾で危険領域は隠れている。
先ほどバゼットが言った、言峰の使ったという隠し扉を探す。その周辺を片っ端から解析して、仕掛けを見つけ――。
「大丈夫ですか、シロ……ウ？」
「無事か、マスタ……ァ？」
「……」
「……」
部屋に飛び込んだ二人のサーヴァントが発見したのは、壁沿いにずらりと並ぶ全裸のょぅι゛ょ生体標本達と、ぶかぶかのスーツにくるまった隻腕ょぅι゛ょ、そして壁に張り付いてる生足ょぅι゛ょの俺。
……間に合わなかった、か……。
がっくりと壁に額を付けて俺はうなだれた。この先どうなるか分からないが、ろくな事にだけはならないだろう。
「ぉ、ぉおおおおおおおおお！」
「……アーチャー？」
何時も以上に異常なアーチャーのハイテンションな様子に首を傾げるセイバー。
「ちょっと、何が……げ！」
「先輩は無事なんで……へ？」
飛び込んだ部屋の異常に硬直する遠坂と桜。
「おおおおお！ 神様ありがとう。鉄のょぅι゛ょは、鉄のょぅι゛ょは、鉄のょぅι゛ょーズだったのですね！」
「そんなわけあるかーい！」
……し、しまった！ 反射的に突っ込みを入れてしまうとは。
「……？」
俺達の様子についてこれずに呆然としているバゼット。
「……あー。マスター？」
「へ？ ……し、士郎？」
「……シロウ？」
「……せ、せんぱ、い？」
「……いえ、違います。お、俺は衛宮士郎なんかじゃ、ナイデスヨ？」
だらだらと脂汗を流しながら必死で俺は誤魔化……されないだろうなぁ。
「……ほうほう、ではパンツ履いてないょぅι゛ょ？」
「ゴメン、俺が悪かったからそれはやめてくれ」
ふむふむ、と顎に手を当てて俺を上から下まで舐めるようにじっとりとねっとりとまったりと粘着質の視線で観察するアーチャー。ついでにバゼットも観察する。
「色々と聞きたいことは在るのだが、とりあえず一番重要なことを聞こう」
一転して真面目な顔で真剣に俺を見詰めるアーチャー。
「マスター、君は先日私に言ったな。『鉄のょぅι゛ょを拾ったら私の好きにして良い』と。さて……、ではどちらが鉄のょぅι゛ょなのかね？」
「！」
「？」
何処までも腐っているアーチャーの台詞に身の危険を感じて体を強ばらせる俺と、何が起こっているのかまったく理解していないバゼット。
「俺じゃない、と、……思うなー？」
「何を言っているのですか、彼女は？」
そんな俺達を交互に見比べるアーチャー。眼が怖い。
「ふむ、ふむふむ。両方、というのは駄目かね？ やっぱり駄目か。ふーむ、ではマスター。簡単な連想ゲームだ。山？」
「何を言ってるんだ、アーチャー？」
「良いから素直に思うがままに答えたまえ。山？」
「？ 川？」
「白」
「黒」
「遠坂凛」
「貧」
「セイバー」
「幼」
「間桐桜」
「大」
ぴきり、と遠坂とセイバーの額に青筋が。
「干将」
「莫耶」
「体は剣で？」
「出来ている」
「血潮は？」
「鉄で…………あ！」
「……決まり、だな」
しまった。これが狙いか！
わきわきと手を動かしながらゆっくりと近づいてくるアーチャー。
「あ、あ……ま、まて。待て待て。落ち着け、アーチャー」
「いやいや、約束は約束だろう。なぁ、鉄のょぅι゛ょ？」
後退ろうにも後ろは壁。く、逃げ道は……。
「ちょっと待ちなさいアーチャー！」
「そうです。アーチャーさん！」
「そうです、アーチャー！ それはあまりにも短絡だ」
遠坂と桜とセイバーがアーチャーを呼び止める。ああ、さすがみんな。そうだよ、今はそれどころじゃ……。
「ええ、そうよ。アーチャー、ここはくじ引きでしょう」
「先輩のハヂメテの権利は私たちにもあるはずです」
「はい、シロウの最初の啼き声は私だって頂きたい」
……駄目だ。コイツらみんな変な菌に冒されてしまってる。
喧々囂々と白熱した議論を真剣に交わす馬鹿４人。
「……とりあえず、逃げるか」
俺は解析した隠し扉をこっそりと開け、中に滑り込むと一目散に逃げ出した。バゼットを生け贄に残しておいたし、多分時間は稼げるだろう。
あ、ズボンとパンツ……どうしよう？