こうして、俺は摩耗した 〜性技の味方に至るまで・口車編〜






深い深い森を抜けて、わたし達は再びアインツベルンの城へと辿り着いた。
一昨日も来たばかりだが、何故かそれが一年以上も前の事の様に思える。全く、これ以上わたしの理性とか常識とか日常が磨耗する前にさっさと終わって欲しいものだ、この聖杯戦争には。
わたしの脳裏に、あの夜、セイバーを引き当てた感動が走馬灯の様に思い出された。ああ、あの感動が懐かしい。あの頃に戻れたなら、今度は夜の校舎でぶっ倒れている奴なんか見なかった事にするというのに。……む。そもそもひょっとして、わたしがセイバーを引き当てたのが間違いだったのかしら? そうよ。大体触媒も無しに召喚されるような英霊よ。あの時は、“触媒無しでセイバーを引き当てるなんてさすがわたし、遠坂凛だわ!”って大興奮したけれど、そもそも、そんな都合の良い事があり得るのかしら。本来なら違うモノを引き当てる筈が、何処かで間違ってこんなのを引き当てたのかもしれないわね。大体、かの騎士王が女の子だったっていう時点で異常だ。歴史の闇に覆い隠された事実でそういう事もあるんじゃないかって思ったけど、それを信じてしまうよりは、コノ食っちゃ寝が本当は偽者だって思う方がよっぽどすっきりと違和感が無い。とはいえ、マスターが認識できるステータスを見る限りは、この食欲魔人とかの名高い騎士王がイコールだったりする訳なのだが。やはりこれは、聖杯が何処か壊れていて、変なものが混じってるのに違いない。ええ、そうよね。本当の騎士王はナイスミドルで高潔で清貧を以て旨とする、三杯目はそっと出すような人格に違いないわ。そう、本来わたしが召喚すべき筈だった英霊はこんなのなんかじゃ無いわよね。
「……何か酷い事を考えてませんか、リン?」
「いいえ、当然の帰結だったわ、セイバー。ええ、正しい結論が出て、今は爽快な気分よ」
来る前に駄菓子屋で箱買いしたう○か棒を一人で食べつくすような奴が騎士王だなんて絶対に間違ってる。
全く、大体どうしてわたしが語り部なんかやらなきゃいけないのだ。こういう汚れ役は主人公がやるも――
「まあ、衛宮士カが不在だからなぁ」
唇の端を吊り上げて皮肉げな笑みを浮かべた赤い英霊、アーチャー。何故わたしが何を考えていることが分かったのか本当に謎だが、こいつに関して不思議に思うこと自体がもはや泥沼なので考えること自体を放棄する。わたしの事を誰より深く理解しているだけなのかもしれないが、もしそうだとしたら即ち、わたしはキ印に理解される程度の底の浅い人間だということになってしまう。大体、出会って一週間程度の敵に内面を理解されているなんて屈辱極まりない。それも、あんなのやこんなのな弱みを握られまくってるし。……むむむ、何か落ち込んできたわね。思考を切り替えよう。
 ――まあ、こいつがわたしのサーヴァントで無かっただけありがたいと思うことにしよう。もし、わたしがこいつを召喚したであろう日には、その日のうちに自害を命じなければならないところだった。
「士郎が不在なのは仕方ないとしても、何でわたしなのかって話よ。たまにはアンタがやってみたらどうなのよ」
「ほう。――私がヤっても良いのかね、君?」
「……」
ぐるり、と面子を見渡して……、わたしは諦めた。駄目だ。このメンバーでわたし以外に解説役を任せたらどうなることか。アーチャーは論外、桜はアレだし、バゼットは空気読めないダメスメルが漂ってる気がするし、セイバーは……
「絶対にイヤです。雷○の役はわたしに務まりませんから! ほら、そういうのは知識豊かな魔術師の役柄じゃないかと!」
むかつく事を言うし。と言うか、わたしだってやりたくないわよ、そんな役。
「大丈夫、君は本編でも似たようなモノだ。適材適所だな」
――く、やっぱりコイツは倒しておくべきだったわね。
頭に登った血を落とすために溜息を一つ。それで意識を切り替えて、わたしは城の入り口へと視線を向けた。

そう、わたし達を出迎えるかのように城の入り口前に立つ、白いメイド姿に。

まあ、堂々と結界を抜けてきたわたし達の来訪くらい、イリヤスフィールは気が付いているだろう。バーサーカーを差し向かわせなかったということは、とりあえず戦うつもりは無いと言うことか。それでも――
わたし達は油断することなく、緊張感を保ったまま、ゆっくりと彼女との間合いを――
「やあ、こんにちは。可愛いメイドさん。本当なら君との逢瀬を楽しみたいところなのだが、残念なことに、今日は君の主に用事が在ってね。口説くのは後日にさせてもらおう。ということで、君の小さな主に取り次いで貰えるかな?」
「わ、ちょ、ま、ア、アーチャー!」
縮地の如く。一瞬の移動を以て白いメイドの真横に立ち、その手を取るエアリード機能未搭載型キ印馬鹿。不自然なまでに白い歯を輝かせる微笑みが気持ち悪い。と言うか、バゼット肩に乗せたままそんなことするなっての。バゼットがバランス崩して後ろに落ちかかってるし!
「む、済まない、マスター」
自身の背中にぶら下がっている己がマスターに気が付き、メイドの手を名残惜しそうに手離したアーチャーは、よいしょ、とバゼットを肩の上へと引っ張り上げる。
「いえ、アーチャー……下ろしてくれると、その、有り難いのですが。ここが目的地なのでしょう?」
「えー!」
「えー、じゃない! さっさとバゼット下ろして、少しは真剣にやりなさい! 」
「……何を言う凛、何時だって私は真剣だ。何時だって真剣にヤっているとも……知ってるくせにぃ?」
「……」
「凛、眉根に皺を寄せてばかりいると老けるぞ」
「五月蝿い! いいからさっさとバゼット下ろしなさい!」
わたしの非難に苦笑しながら、アーチャーはバゼットを下ろす。「いやいや、焼餅を焼かれては仕方あるまい」とかいう台詞は、聞かなかったことにする。
「……助かりました、リンさん」
「貴女もマスターなら、アレの手綱を何とか……何とか……ごめん、無理ね……」
「ええ、残念ながら、私ではあれの制御は力不足のようです……」
お互いに沈痛な表情を見交わすわたし達。……比較的常識分の多い人間には辛いわね、この状況。
そんなわたし達を顔色一つ変えずに見ていたメイドが、わたし達の話が終わったと判断してか、口を開いた。
「……イリヤ待ってる。案内、する」
そのまま、くるりと踵を返し、その白い姿は城内へと入っていく。ターンの時に、ゆさり、と重そうに揺れるその胸部の脂肪の塊。それは明らかに、わたしの横に立つキモウトより大きかった。一瞬だけ、わたし達姉妹の視線が交錯する。
「……姉さん。私、今初めて、少しだけ姉さんの気持ちが分かったような気がします!」
「アンタには絶対分からないわ!」
本当に本気で一度、決着を付ける時かもしれないわね、この元妹とは。





何処かの馬鹿達が暴れまわった所為であろう、あちこち破損している城内を抜け、応接室らしき部屋に通されたわたし達は、そこで待っていた銀色の少女と向かい合った。うーむ、我が家のものより確実に高い調度品達。……イリヤ倒して内装全部売っぱらったら、幾ら位になるかしら……。守銭奴と言う無かれ。宝石を使用する遠坂の魔術はとかくお金が掛かるのだ。
そんなわたし達を見ようともせず、目の前の小生意気な少女は、自分の前にだけ置かれたティーカップを持ち上げて、その中身で唇を湿らせた。
「ご苦労様、リズ。とりあえず、一昨夜の借りもあるから、話だけは聞いてあげるね、お兄ちゃ……って、アレ? お兄ちゃんは?」
 余裕たっぷりにわたし達へと視線を向けたイリヤスフィールは、ようやくわたし達の中に士郎が居ない事に気が付いたらしい。
「というか、わたし達が結界に踏み込んだ時点で確認しなさいよ」
「だ、だって仕方が無いじゃない。結界が反応したから感覚を近くに移してみたら、アーチャーのドアップだったんだから。しかも中指立てて投げキッスなんかしてるのよ。そんな気持ちの悪いもの見たくなんか無いわ。大体、どうして樹木に移した視覚を感知出来るのかしら? おかしいわよ、サーヴァントの能力を逸脱してない!?」
魔術師なんだからもうちょっと注意力を持つべきじゃないかと小一時間問いつめたい気分だったが、投げやりなイリヤスフィールの台詞に深く頷く自分がそこには居た。
「ふん。アーチャーたるもの、獲物の視線には敏感で無ければな」
だってコイツ、変態だし。というか、きっぱり獲物認定されてるみたいね、イリヤスフィール。
「……とにかく、私の知らない子も居るみたいね。何か有ったのかしら、リン? 見たところ魔術師みたいだけど?」
アーチャーには目を合わせず、バゼットの方へと視線を走らせてから、イリヤスフィールはわたしに口を開いた。まあ、アーチャーと話をしたくないのは判る。痛いほど判る。わたしだって嫌だ。でも、小学生の頃、教師にも言われたものだ。人の嫌がることを進んでしましょう、と。と、いうことで。
「まあ、色々あったのよ。詳しい事はアーチャーから話させるわ。貴女に会おうと言い出したのはアーチャーだから」
肩を竦めてからわたしはアーチャーを親指で指し示した。そんなわたしを恨めしそうに見るイリヤ。正しい事をした後は気分が良いわね。
さて、それはそれとして。実際、わたし自身はイリヤスフィールに用事なんか無い。用件が在るのはアーチャーだ。さて、一体何が始まるのか……ここは観客に回らせてもらうとしよう。
「さて、では話を始めようか、イリヤスフィール。……と、その前に質問だが……貧乳メイドはどうしたね?」
ちなみに巨乳メイドの方は、イリヤの背後に控えている。で、アーチャーの質問にイリヤは、実に情けなさそうな表情を見せた。
「ええ。一昨日の騒ぎで破損した屋根裏の修繕よ……多分」
「ほうほう。……ところで、先ほどから毒蛇の鳴き声が聞こえるのは、やっぱり気のせいかね?」
イリヤスフィールの返答に、心底楽しそうなアーチャー。しかし……毒蛇、ね。やっぱりここに居る訳か。正直、その存在を忘れてたわ。まあ、わたしのサーヴァントじゃないから良いわね。
「……眼だけじゃ無くて、ずいぶんと耳の方も良いようね、アーチャー?」
「私は自分の悪口と他人の啼き声だけは聞き逃さないのだよ。……フン、ずいぶんと激しい嬌声だことだな」
「いい加減、持って帰ってくれないかしら?」
「いやいや、モノじゃないんだからそう言う扱いは失礼だろう? 彼女達の意思に任せようじゃないか? 大体、良い事じゃないか。手駒にサーヴァント二体とは贅沢な」
「……最悪ね、貴女……」
まあ、一体何が起こってるのかは想像するしかないのだが。……多分アーチャー菌に毒された桃色、もとい百合色空間が展開しているのだろう、屋根裏では。

「へー、蛇って鳴くんですか……、私、初めて知りました」
「……あー、そう。良かったわね。一つ賢くなれて」
どこまでも呆けた私と血の繋がっている? 妹の言葉に、とりあえず適当に答えておく。マスターとしての自覚ゼロね、この娘は。

「話を戻すわ、アーチャー。で? その子は?」
頭を振ったイリヤスフィールは、バゼットへと視線を投げた。その視線に軽く頷いたバゼットが口を開く。
「……自己紹介をさせて頂きましょう、イリヤスフィール・アインツベルン。私はバゼット・フラガ・マクレミッツ。魔術協会から派遣された魔術師です」
「……封印指定執行者! そう、けど、あの執行者がこんな……その………………アレだったなんて驚きだわ」
バゼットの名乗りに、イリヤスフィールの眼が驚きに見開かれた。成る程、バゼットの噂を知っていたようだ。とはいえ、あー、その驚きは最もだと思うわ。
「ええ、アレなのよ」
「アレなんですよね」
「ああ、実にアレだな」
「……アレですよねぇ……」
うんうん、とわたし達一同も同意の頷きを返した。
「い、良いですよ、別に。素直にょぅι゛ょと言えば良いじゃないですか!」
すこし涙目で叫ぶバゼットが少し可愛……って、わたしはノンケの筈! そ、そうよね。現在の衛宮くんにキュンとなるのは、アレが元々は衛宮くんだからであって、決して変態英霊みたいにオニャノコ萌え属性なんか持ってない! ……持ってない、わよ、ね?
「まあ、驚きだけどとりあえず置いておくわね。で? その執行者を引き連れて何の用かしら?」
わたしの動揺を余所に話は進んでいる。まあ、とりあえず今は考えないでおきましょ。
「ふむ。所でイリヤスフィール。わたし達以外の客人は来なかったかね?」
「……いいえ、来てないわ。それが?」
「うむ。恥を晒すようなのだがな。……衛宮士郎が攫われてしまったのだよ」
「ええっ! お兄ちゃんが!」
真剣なアーチャーと驚愕するイリヤ。ああ、まるでリアルな演劇を見ているようだわ。というか、アーチャーのは間違いなく芝居だし。

「……何時からそういう話になったんですかね、リン?」
「あの変態の思考回路なんか分かるわけ無いわよ……、好きにさせましょ」
ぼそぼそと、わたし同様観戦モードのセイバーと小声で意見交換。気分は観劇だったりする。ポテチかポップコーンが欲しいところね。

「うむ。そして私との契約もどうやってか分からないが切れてしまったのだ。仕方が無いので、丁度サーヴァントを失っていた彼女に協力をお願いしてだな、私のマスターになって貰っている」
「そっか……お兄ちゃんは今、マスターじゃないんだ……そっか……」
「ああ、そうだ。衛宮士郎は今、マスターではない」
自分に言い聞かせるかのように呟くイリヤスフィールに、アーチャーが重々しく頷いた。まるで、脳裏に刷り込むかのように、士郎が今、マスターでは無いと言う事を強調してみせる。
「ア、アーチャーも大したこと無かったのね。みすみすマスターとの契約を切られるなんてね……」
「ああ、その辺に関しては返す言葉もない。我が身の至らなさを恥じるばかりだな」
重々しく、大真面目に頷いて見せる嘘吐き。
「……そ、それで? お兄ちゃんを攫ったのは誰なのかしら?」
視線を反らせて、興味無いけど一応聞いてみた、っぽく口を開くイリヤ。しかし、その頬が微かに赤く染まり、そして緩んでいる辺り、色々バレバレだ。そうか、コイツも士郎狙いか。一体何処が良いと言うのかしら、アイツの。

「姉さんも素直じゃ無いですね」
「うるさいわね」

「ああ、衛宮士郎を攫ったのは言峰綺礼。教会の神父だよ」
「……どうして監督役である筈の神父が、マスターだった士郎を攫うのかしら?」
「何、奴もマスターだったというだけだとも。一昨日の金色ょぅι゛ょのマスターなのだよ、あの神父は」
「……へぇ」
すっとイリヤスフィールの目が細まった。表情が抜け落ち、魔術師としての彼女が顔を出す。
「他にもランサーを使役し、謎の魔術師と同盟を結んでいるようだ」
「成る程。監督役が随分と好き勝手してくれるのね。……で、謎の魔術師って?」
「……ああ、赤い髪をした君くらいのょぅι゛ょだ。彼女が、衛宮士郎誘拐の実行犯だ。我々は彼女を追っている」
「……そう」
「ひょっとしたら君の所に来るかも知れないからな。一応の情報提供だ」
「それで? その情報提供とやらの見返りに何を望むのかしら、貴女達は?」
 顔色一つ変えないイリヤに、にたり、と厭な感じの笑みを作ってみせるアーチャー。
「何、もし捕まえたのならば、その赤毛のょぅι゛ょの身柄を引き渡して貰いたい」
「随分と虫の良い話ね。それで貴女達はお兄ちゃんを取り戻すって訳?」
眉根を寄せたイリヤに、アーチャーは小さく肩を竦めて見せた。
「いいや、衛宮士郎はこの際どうでも良い。……私は私をコケにした奴に色々とお仕置きしたいだけだからな」
わきわき、と宙を捏ね繰り回すアーチャーの指が何とも不吉だ。おそらくはイリヤスフィールもかんじているのだろう。冷徹な仮面の頬に、たらり、と一筋の汗が流れている。
「つ、つまり、貴女は衛宮士郎を見捨てると言うの?」
「まあ、寝覚めが悪いから、居場所が判れば助けるぐらいはするさ。だが保護する必要までは無いな。何せ奴はもうマスターではないのだからな。助けた後、聖杯戦争に巻き込まれてくたばる分には責任持てんな。だが…………ふむ、そうだな。…………イリヤスフィール、君、我々が奴を救出した後、衛宮士郎を監き、もとい、調きょ、じゃない、保護してくれないかね。この城なら部屋くらい余ってるだろう? 座敷牢なり何なり。……どうかね?」
「……どうして私がそんな事しなきゃいけないのかしら?」
アーチャーの真意を読もうとするかのように、じっとその眼を睨み付けるイリヤスフィール。あれだ。餌を目の前にしてお預けを喰らっているワンコの瞳そっくりだ。
「まあ、衛宮士郎は馬鹿だからな。たとえ自身が何も出来ない足手まといであっても、身の程を考えず夜の冬木をうろつこうとするだろう。ならば何処かに縛り付けておくのが一番良いだろう? 此処なら、脱走したところで外は深い森だしな。すぐ捕まえれそうだ。……まあもっとも君にとっては奴など只の足手まとい、何の得も無いだろう。断ってくれても結構だとも。その時は間桐の地下室にでも放り込んでおくさ」
「あ、それいいですね。むしろそうしましょう! いえ、それより私の影の中にですね……」
「アンタは黙ってなさい」
大体、間桐さん家の娘さんの影の中は、間桐さん家の息子さんの貸切でしょうに。
「べ、別に断る、とも言ってないじゃない! …………いいわ。その条件飲むわ。もし、赤毛のょぅι゛ょ魔術師が来たら、捕まえて貴女に引き渡す。その代わり、貴女方がお兄ちゃんを発見した場合、お兄ちゃんをこの城で保護させる。……これで良いのかしら?」
ああ、騙されてる。騙されてるわイリヤスフィール。何処か不貞腐れているかのような、それでいて何処か嬉しそうなイリヤの姿に、優しげに笑ってみせる赤い詐欺職人。
「うむ、助かるな、イリヤスフィール。もし、衛宮士郎を発見した場合、脱出不可能なくらいに拘束して此処につれてくる事を約束しよう。……優しい子だなぁ、イリヤは」
「べ、別に貴女の為なんかじゃないわ。士郎がマスターじゃないんだったら、殺しちゃう必要が無いだけなんだから!」
なんて教本通りなツンデレ。
「うむ、それでは……」
赤くなって照れ怒るイリヤの前でアーチャーは、パン、と両手を打ち鳴らした。
「とれ〜す・おん♪」
脱力する様な詠唱と共に、二人の間のテーブルにどさどさと様々な物品の小山が作られた。口枷、手枷、手錠、足枷、荒縄、ビニールテープ、ガムテープ、用途のよく分からない革製品、布製品、金属製の金具、等々。
「ちゃらららったら〜、拘束セット〜♪」
何処の汎用猫型万能兵器だ、コイツは。流石に、目の前のブツの山に少々げっそりしているイリヤスフィール。多分わたしの顔色も似たようなものだろう。
「何、赤毛ょぅι゛ょ用に改良した、対魔術士用拘束セットだ。奴は催眠言語の使い手だからな、とにかく喋れなくする事だ」
「え、ええ。……い、頂いておくから。と、とにかく。交換条件は成立よ。アインツベルンの名にかけて、貴女が約束を守る限りは私も約束は守るわ」
笑みを返す二人。生温く見守る観客一同、つまりわたし達。茶番だ。何しろ、衛宮士郎という存在は今、居ないのだから。今居るのは、えっと……衛宮士郎子? とにかく、そんな感じの女の子だし。
「ああ、我が真名に賭けても、その約束守らせてもらおう」

「……鬼畜ですよね、アーチャーさん」
「何を今更」
「よく、あんなにも都合よく大嘘八百並べられる物ですね、アーチャーは」
「……何を今更」

「で、話はそれだけかしら?」
にこやかに握手を交わしたイリヤスフィールとアーチャー。その後のイリヤの問いに対して、
「いや、今のは世間話だよ。士郎のことはついでだとも、ついで。さて、イリヤスフィール……」
すっと、アーチャーの眼が細く細く、獲物を観察する狩人のような視線へと変化する。
「イリヤスフィール、一昨夜何か感じたかね?」
「……いいえ、別段普通の……えーっと、ええ、普通の夜だった、わ、よ?」
イリヤスフィールはその問いに、ちらり、と屋根の方向へと視線を向けてから答えた。
「……ああ、彼女達の事情は置いておいて、だ。君の体に異常は無かったのだな?」
「ええ……、無かったわ。それで? 何が言いたいの?」
「ああ、何、簡単な話だ。……一昨夜、ランサーが脱落した」
「嘘!」
驚愕。イリヤスフィールが。ついでにちょっとだけわたしが。
「ちょ、アーチャー、アンタ、何敵に向かってべらべらと喋ってるのよ!」
「黙っていたまえ、凛。話の途中だ。それともその口を塞いでおいた方が良いのかね?」
くるり、とアーチャーの手に口枷が現れる。穴あきのピンポン玉に皮のバンドが付いているアレだ。
「道具が嫌なら私の情熱の篭った接吻でも良いが!」
「結構よ、話の腰を折って悪かったわ。情欲の篭った接吻はいいから話を続けて貰えるかしら?」
「ふむ、残念」
まったく、油断も隙も無いものだ。
「……ランサーの脱落、本当なのかしら?」
わたし達の会話をスルーして、イリヤスフィールが探るような視線をわたし達の方へ向けた。その視線へわたしは肩を竦めることで答える。
「……ああ、セイバーの一閃できっちりかっちり完膚無く止めを刺したとも。流石は剣の英霊という所だな」
「……そうね。あのランサーを倒しきれるなんて、正直セイバーを甘く見ていたわね」
「うむ。私も少々、セイバーを舐めていたようだ。最優の名はは伊達では無いと言うことだろうな」
二人してセイバーを持ち上げている。さぞやセイバーも鼻が高……居心地が悪そうな顔だった。まあ、気持ちは分かるわ。アーチャーなんぞに褒められても気持ちが悪いだけだし。

「リン、リン。……アーチャーはなんで私を褒めるのでしょう? アレはアーチャーの卑劣極まりない口車と罠の所為でしょうに?」
「ブラフでしょ? イリヤスフィールへの牽制で。アンタの戦闘能力を印象付けて置けば、バーサーカーに手を出させ辛くなるでしょ?」
「ああ、なるほ……」

「まあ、私の智謀と計略が見事に嵌ったからなのだがな」
自慢げに馬鹿が胸を張りました。

「…………三段階論法で自分を褒めたかっただけみたいね」
「……最低ですね」
「……アレが最低なのは今に始まったことじゃないけどね」

「……とりあえず、ランサーの脱落は本当みたいね」
桜を睨め付けてから、イリヤスフィールは重々しく頷いた。何故桜?
「残念だが、桜の方も異変は起きていない。だから君を見に来たのだが、な」
だから、なんで桜? わたしも桜を観察した。えへー、っと見られて頬を染める桜は何時も通り変だった。うん、何時も通りよね?
「で、アーチャー。貴女、何を知ってるのかしら?」
「――まあ、色々と、な。だが、そう易々とは教えられんな。分かってるだろうが……」
何時も通り、皮肉げな笑みで本心を隠す弓の英霊。そんな彼女に、魔術師としてのイリヤスフィールが返答する。
「……等価交換、かしら?」
「ふむ、話が早いな。こちらの知りたいことは………………アレの生やし方だ」

「……」
「……」
「……」
「……」
「……」

じゃらん、とセイバーの剣が硬質の音を立てる。
私の右手がポケットから宝石をつかみ出す。当然、左手はアーチャーに狙いを定めている。
桜の服が黒く染まる。その影が、墨汁の染みのように空間に広がっている。

「待て。落ち着け。場を和まそうとする些細な冗談だ!」
わたし達の本気狩な雰囲気に、さしものアーチャーも額に汗を流していた。いい気味だ。ここでぬっ殺そうかしら?
「……空気嫁」
これはソファーの上でずっこけていたイリヤスフィールの呟き。? 空気嫁って、その、男の人が使う空気人形のことかしらね?
「ンン。仕切りなおそう。そうだな。こちらは……聖杯の中に居るモノについて……だな。で、そちらは何を望むかね?」
軽く咳払いしたアーチャーが、手札を切った。ようやく真面目な話になるらしい。まったく、早く終わらないかしら、聖杯戦争。これ以上わたしの常識とか良識が覆される前に是非終わって欲しいモノだわ。
「……そう、一つの問いには一つの答え、と言う訳ね。その問いはアインツベルンにとっては秘匿しておきたい内容、それなりの対価を頂かなければね。良いわ、なら……」
イリヤスフィールの視線がアーチャーを射抜く。さて、彼女はどういう問いをハッするのかしら。
「……アーチャー。貴女が“何故”聖杯の中身に付いて知っているのか、かしらね。ええ、普通知れるはずが無いのよ、特にサーヴァントである貴女には、ね。……貴女、一体何を知ってるのかしら、イレギュラーさん?」







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