交差点から空を見よう 幕間 彼女が見た風景 2
朝、私の通常時間で起床。……まぁ、なんだ。オトコノコってのは朝が不便なモノだと痛感した。
お手洗いで、思春期の青い好奇心をちょっとばかり満足させてから朝食の準備に入る。……前言撤回、不便どころかなかなかに有意義な時間だった。
朝食完成間際、桜が来る。普段と同じ程度の感覚で会話しつつ、桜と"士郎"の距離を推測して修正する。こちらでは桜は"士郎"に恋心を抱いているようだ。さてさて、となると凛の心中はなかなか複雑そうだね。まったく、女泣かせな男だな、衛宮士郎。
しかし……、やはり桜は大きいな。凛の悩みも尽きまい。……む、そういえば士郎はおっぱい星人なんだろうか? もしそうなら拙いな。私の清らかな体が、最近成長著しい箇所が、奴の思春期の性欲の対象と化してるかもしれない。まぁ、あのアーチャーの律儀な性格を鑑みるに、大切に扱っているとは思うが。……むしろ思いたい。
凛起床。朝が弱いのはデフォルトか。セイバーは道場で瞑想、これも変わらず。虎は相変わらず虎だった。むしろ私が手綱を握っていない分、暴走度合いが激しい。一度シメようかとちらりと考えたが、あまり不必要な事をする訳にもいかないだろう。ああ、そういえば虎ってこっちでも私の担任なんだろうか? ま、ちょうど良い。
「藤ねえ、俺、今日休むから」
「な、し、士郎? 何さらっと言ってんの? ずる休みなんてお姉ちゃん認めませんからね!」
何かぎゃんぎゃん鳴く虎に、私はにっこりと微笑んでもう一回だけ伝達した。
「休むから」
よし、静かになった。……なんでみんな引くかな?
「いえ、そんな殺る気満々な殺気を出されたら普通の人は引きます」
ただ一人冷静な食卓の王の言葉にうんうんと凛と桜が頷く。
「まだアルコールが残ってるみたいで頭痛がするんだ。悪いけどそういうことで」
「……そ、それなら良いけど。大丈夫なの?」
「ん、今日一日大人しくしてるから。藤ねえ、お代わりは?」
「要るー!」
食い物で話をすり替えれるな。よし、藤ねえの扱いは変わらない、と。
藤ねえと桜は登校。凛もどうやら休むらしい。この現象の原因調査だろう。ま、うっかりじゃない遠坂凛なんか遠坂凛じゃないしね。ということで、それはそれとして。私は今いる部屋を見渡した。
「見事に何もないね」
ここは"衛宮士郎"の私室。この世界での"私"の部屋。
「本当に必要最低限のモノしか無いんだ……」
藤ねえとか桜とか、最近では凛とかが色々と持ってくる私の部屋とは全然違う。生活臭は在るのに、部屋の持ち主の個性が存在していない。ただ過ごすだけの部屋。
『……いや、違うか。この屋敷自体が私にはある意味部屋みたいなものだしね』
ここは単に寝るためだけの部屋と考えるべきか。そう考えるなら……私は自身に当て嵌めて思考を巡らせる。
答えはすぐに出た。私にとってもこの部屋は寝室と呼ぶべき空間だ。なら私にとって私室と呼ぶべき場所は……。
すっと部屋を出て廊下へ。お、サンダル発見。そのまま庭へと出た。目指すのは土蔵。私の"工房"。魔術使いである衛宮志保の魔術使いとしての象徴の場所。
「……のはず、だったんだけど……」
なんというか……大切な場所を汚されたときってこういう感情が沸くものなのだろうか。怒りとか哀しみとかそういうもやもやした感覚が交じり合った複雑かつ怪奇な気分。
「嬉しくない。実に嬉しくない感情だ……というか、このストレスをどうしてやろう」
とりあえず虎はシメる。心底そう思いながら私は土蔵の中に足を踏み入れた。そう、途轍もなくガラクタだらけの混沌と化した土蔵の中へ。
ああ、私の手によって完全に整頓された心休まる空間が懐かしい。……というかありえないだろう、なんで一般家庭にテキヤ御用達の業務用タイヤキ鉄板が転がってるんだ? で、こいつは原付のエンジンか……って違うだろ、草刈り機のエンジンだろ! エンジンだけあってどうしろっていうんだ? げ、ベー○のビデオデッキ発見。しかも破損。修理は可能そうだけど、こんなもの直してどうする気だ? というかガラクタばっかり積んでるんじゃない! にゃー! 訳が分からない、いったい何なんだ、この魔窟は!
土蔵のあまりの惨状に私はがっくりと膝を着いた。う、隅っこに埃発見。泣きそうだ。
「……?」
ふと、土蔵の床になんとなく違和感じみたものを感じた。というか、これは……。
細心の注意を払って魔術的な視界に切り替える。目に映るのはぼやけて、消えかけた……魔方陣。
「……ああ、そっか」
うん、直前までの苛つきが嘘のように今は平静。私の居た処とは確かに違うけれど、やっぱりここは衛宮の家の土蔵だった。すっと人差し指を伸ばし、ほとんど消えている呪印の線をなぞった。ほんの半年ほど前の日々が胸を過ぎる。でも懐かしさなんか全然無い。だって、聖杯戦争は終わったけれど、あの日々から始まった時間はまだ続いているのだから。様々な情景が記憶に浮かぶ。そして、最後に浮かんだのは頭の上に置かれた掌の記憶。衛宮志保に多くのものを与えて、そして去った赤い英霊。
「投影、開始(トレース・オン)」
昨日の走査で、この体の性能は推測出来ている。なら――なら、届くかも知れない。この頑強な体でなら、この強靱な魔術回路でなら。
ゆっくりと体内の魔力を制御する。
丁寧に丁寧に、回路一本一本を使い魔力を編み上げる。
私の心の奥底、ただ一度だけ顕現させた奇跡の地に眠る幻想を――。
そう、幻想を結んで、現実を組み上げる。
もとより、私は"創る"者。なら出来ない筈はない。届かない事もない。だってこの身は、ただそれのみに特化した魔術回路なのだから――!
両の手のひらに確固とした重量が感じられた。何もない空間に現れる――鋼の塊。黒と白の二振りの陰陽剣。
「出来た……」
私の本来の体では未だ不可能だったその投影が、今この身においていとも簡単に手が届いた。まるで幾度と無く繰り返したかのように自然に、最初からそうあるかのように違和感なく組み上げられた二振り。
「届いた。私の力じゃないけど、それでも……届いた」
この手の重みは幻じゃなく。ぎらりとした凄味のある刃は確かに現実。構成は甘く、骨子は掴み切れておらず、その完成度の低さは比べる事すらおこがましい。それでも届いた。私の記憶に今もはっきりと焼き付いた彼の姿に。
今この時において初めて、私は"衛宮士郎"という存在に嫉妬した。劣等感と言い換えても良い。どのような手段でかは知らず、それでも一途に、鋼を鍛えるかのように打ち鍛えられたこの魔術回路に。まったくもって心の贅肉だ。そんなことに意味なんて無い。私は選ばず、彼は選んだ、それだけのことだ。それに、こうして今この手に在る存在が、証明してくれた。何時か、そう、何時の日か。
「きっと届く。必ず……届く。届かせるから」
あの、血のように赤く染まった丘で、王のように君臨するあの背中に。今のこの身が可能な領域に、私もきっと。
二刀を消去し、私は眼を瞑った。意識を深奥へと飛ばす。そして精神の深奥に眠る、ただ一度だけのその風景を幻視する。
『……今なら……ひょっとすると』
それは耐え難い誘惑だった。さすがにそれは無理だろうと理性が否定する。魔力が足りない、回路も持つかどうか分からない、なにより、体が無事で済む保証もない。
『でも……』
魔力は凛から奪えば良い、ラインは繋がってるんだから。回路も体も"アレ"を何とか出来ればどうとでもなるはずだ。
『……もし届くのなら』
ただ一度だけの奇跡に、もう一度手を伸ばしたいと思うのは罪だろうか。
脳裏に刻まれた一節が私を誘う。
『体は 剣で 出来ている』
大丈夫、完全に覚えている。自然と、考えることすらせずに意識に上る八節を、私は――。
「――I am the ……」
「止めなさい、志保」
凛と響いた声に、私は白昼の夢から醒める。
「あ――」
目の前には赤い丘なんかなく、変わらぬただのガラクタの山。白昼の夢幻から私は、現実へと引き戻される。
「……凛?」
じっと私の目を見詰める遠坂凛の姿。私が今まで見たことのない、何か思い詰めるかのような瞳。
「何を……しようとしたの? いいえ、違う。そうじゃないわ、そうじゃない。衛宮志保、貴女は……見たの?」
なんとも微妙な、迷いとも怒りとも哀しみともつかない凛の表情。彼女は私が何を見たのかと……いや、待て。向こうの凛が知らないからと言って、こちらの凛が知らないという道理は無い。そうだ、そもそもこちらの凛は、アーチャーの真名を知っているのだから。
「……この身の魔術回路は丈夫だね、凛。思わずアーチャーの剣を投影してみたけど、まさか出来るとは思わなかった」
「……ええ、見たわ。士郎は普通に出来るわよ。多分精度も士郎の方が上だったわね」
「そうか、羨ましい事だね。私は、私の魔術回路はそれほど強くなくてね。あれを投影する事なんか出来なかったんだ」
「? どういうこと?」
私の言葉に凛は首を傾げた。
「ん? この体の魔術回路は強靱だってお話。どういう使い方をしたら此処まで鍛え上げられるか是非聞きたい処なんだけどね」
「知らないわよ。士郎が丈夫なのは今に始まった事じゃないもの」
「うん、実に頑丈だね。この体なら……彼は、士郎は届いたのかい、凛? あの果ての赤い丘に。並び立つ剣群の墓標に」
話を意図的に軽くずらしてからおもむろに確信を突くことで、私は凛を観察した。その表情の動きを。私の言葉を咀嚼し、その意味を理解し、息を呑み驚愕するその様を。
「……そっか。こっちの凛は見たんだね。アーチャーの真名を知ってるみたいだし、そうじゃないかと思ったんだけど」
「……アンタは……」
「うん、知ってる。だから一つ教えてくれるかな。士郎は、届いたの?」
「……」
沈黙と逡巡。それでも交わる視線は逸らされることなく。どれ程の時間そうしていたのか、長いようで短いような時間の後、凛はゆっくりと頷いた。
「届いた、んでしょうね。ライン越しにごっそり私の魔力持って行ったし。確かに、士郎は金ぴかと対峙して、そして勝ったわ」
「そっか。届いたんだ。――うん、ありがとう。お陰で希望が持てる。何時か私も届くって、そう信じられる」
私の顔に笑みが浮かぶのが自分でも分かる。意識してでなく、制御してでもない、自然に浮かぶ喜び。
「笑ってるんじゃないわよ」
そんな私の表情に、何故か不機嫌な顔の凛。
「私はね。士郎をアイツになんかしたくないの。絶対にしないの。約束、したんだから」
「ん、その意見には賛成する。私もアイツになる気は無いし、なれるとも思ってない」
うん。全くだ。アイツになんかなるべきじゃない。
「だからさ、凛。話をしよう。向こうの君じゃなく、こちらの君と話がしたいんだ。話したいことが一杯あるよ。聞きたいことも沢山ある。遠坂凛は私の――大切な、とても大切な親友なんだから」
情報の摺り合わせとか実験の考察とか世界の差違のチェックとか、そういった事に関係なく、遠坂凛と話をしたい。実際、凛は私を親友と呼び、私も凛を親友と呼んでいるけど、その実、私の方は少しだけ違うんじゃないかと思っている。聖杯戦争以降の私は、おそらく精神的に遠坂凛に軽い依存状態にある。こんな事は凛には絶対に言ってなんかやらないけれど。彼女の存在があるから私は安定していられるのだ。まぁ、感謝の気持ちとは別に、彼女で遊ぶのが楽しいというのも無い訳じゃない。む、そういえば戻ったときに凛の借金をうやむやにされてなければいいのだが。というか、もし返済されていても、"私"は返して貰っていない、ということでうやむやにしよう。そしてまた知り合いの処でバイトでもしてもらうとしようか。我が師匠は金銭面に隙が有りすぎるしね。きっちり手痛い教訓を叩き込んであげておかなければ。
「ま、まあ、話をするのは賛成よ。どうもお互いの情報に齟齬がありそうだし。とりあえずお茶にしましょ」
彼女を親友と呼び、爽やかに(邪悪に)笑う私に、軽く照れて顔を背けながら凛が土蔵の入り口から外に出る。うん、でも。
「ありがとう、凛。君が君としてこちらにいてくれて……良かった」
聞こえないように彼女の背に向けて呟くと、私も土蔵の外へと歩き出した。さて、色々とお話を聞かせて貰うとしましょうか。
主に思春期の青い暴走とか彼女と彼の間のラインのお話とか育たない彼女の一部とかこう、その辺りのを色々と根掘り葉掘り事細かく微に入り細に入り重箱の隅をつつくように羞恥プレイで。