交差点から空を見よう   幕間 彼女が見た風景 1





 ふと、目が覚めた。
 まとまらない思考。まとわりつく違和感。うすぼんやりとした視界がようやく焦点を結んでくれ、まったく見覚えの無い天井を写してくれた。
『――此処は、何処?』
 どうやら、窓から差し込む初夏の日差しの眩しさに目を覚ましたようだ。
 頭の奥に鈍い疼痛、混濁した思考はまるで、二日酔いの酩酊感。
『……洋室……家の客間……じゃないな。となると……』
 まだ回転速度の上がらない思考回路を無理矢理起動させて、私はごちゃごちゃに乱れている記憶から此処に至るまでの状況を引っ張り出そうとした。
『……ああ、なるほど』
 思い出した。凛の魔術の実験に付き合っていたんだっけ。私は構造解析能力にかけては凛の上をいっている。あんなのでも一応私の師匠なわけだし、弟子としては手伝わないわけにもいかないのだ。で、確か地下室で魔法陣のチェックをしていた時に凛がなにか声を上げて、そこから、そこから……。ここで記憶が断線している。
『……また凛の"うっかり"か……』
 まったく、彼女のアレは呪いの域にまで到達しているのだろうか。何が起こったのかは分からないが、今回も間違いなくあの娘が原因だろう。
『やれやれだね』
 まったく、あの娘と知り合ってからと言うもの、その被害は大抵私かもう一人が被ることになってしまっている。私はベッドに体重を預けて力を抜いた。つまり此処は遠坂邸か。客間……にしては私物が多い。ということは凛の私室だろう。
 何か、全身に感じる違和感。
 ――何かが、おかしい。
『どういう、ことかな?』
 違和感の元はどうやら私そのもの。外界ではなく、内界。
「同調、開始(トレース・オン)」
 魔術回路を起動、全身を走査して違和感の原因を探……ろうとした。が、魔力が流れない。魔術回路は起動しているのに、走査用の微量な魔力が走らない。いや、違う。魔力は走っている。ただ、それが感じられない。
『? 魔術回路の感覚が麻痺しているのか?』
 私はほんの少量、流す魔力を増やそうとした。元々の魔力の少ない私にとって、魔力の微調整はお手の物だ。ゆっくりと流す魔力を増やしていって、麻痺しているとことろを解していこう。
『……!!』
 ドン、と体内で音がしたような気がした。ほんの微量増やそうとした魔力は奔流となって爆発的に流れ出し、27の魔術回路を暴走する。
「ガ、ハァ!……ック、ト、同調、強制停止(トレース・カット)」
 何が、起きた? 何が、あった?
 壊れた蛇口のように魔力が溢れ出した。全くの中間が無く、まるでスィッチのオンとオフしかないかのように、微量の後は最大。ブレーキとフルアクセルしかない車のようだ。
 全身に走る痛みは暴発の余波。私の過去の経験からいっても、此処までの魔力を流したのはただの一度だけ。あの時は全身の神経がズタズタに断線したかのようになったのだが……。
『今回は問題、無い、な?』
 短時間だったからか。いや、違うな。私は痛みの残る全身を動かして、ベッドから起きあがった。魔力の奔流の中、それでもフィードバックされた捜査結果を確認するために。
 手……ごつい。
 見下ろした胸……おや、無くなってる。
 そして……ほう、生えてるよ……。
『さて、どういうことだろうね?』
 原因は幾つか考えられる……が、結果は一つだけ。
「ふーん、男になってる、のか。いや、実験内容から考察すると、平行世界の私と精神だけが入れ替わった、か」
 凛は知らず、私だけが知っている情報、あの赤い弓兵の正体を考えると、その答えが一番しっくりくる。
「つまり、この体が何時か彼に至るのか……」
 それは幸せなことなのか、それとも不幸なことなのか。
「ま、判断するのは私じゃない」
 間違いなく私では"至れ"ない。根本の方向性が違ってしまっている私は、すでに彼に至る方向へは進めない。
「故に、我が生涯に意味はなく、か……」
 一瞬だけ、私は私の戦友だった彼を幻視した。生涯に意味がない、と言った彼。
「それでも……私よりは意味のある生涯だったと思うよ、アーチャー」
 さて、意味のない追憶は終了。思考を切り替える。とりあえずこっちの凛に会って情報収集といこうか。





 スムーズに動いてくれない体。おそらくは記憶と実際の稼働とのズレによる違和感。これは実際に動かしていくうちに解消される問題。ならば今は考える必要はない。
 むしろ問題はこの世界の情報が皆無ということだ。私の居たところとの差違が少なければいいが、とんでもなくハジケたはっちゃけ空間だった場合は流石に問題がありそうだ。
「と、いうことで凛を探そう」
 此処が遠坂邸であるならばこの世界にも"遠坂凛"の配役にあたる存在が居るはずだ。とはいえ、私の今の性別を考えると……ふーむ、男の子だった場合の遠坂凛、か。
『……それはちょっと見てみたい、かな』
 少々重たい体を強引に筋力で動かして遠坂邸の廊下を歩き出しながら、私は考えるとは無しに自己分析を始めた。今の状況は十分に驚愕に値するものだ。普通の人なら慌てふためき、混乱し、困惑するだろう。……しかし、私の思考は全くの平静。驚きもなく、悲しみもなく、ただ受け入れて、機械的に"取るべき反応"に相応しいモノを選択していくだけ。
『ハ、無様なものだよ、凛。こんな状況になっても私は私の歪みから抜け出せないようだ……』
 ブリキの木こりである自分は、何処に行けば欠けているモノを見つけ出せるのだろうか。物語の結末では自分の中にこそ"存在した"のだが、私の中にもあるのだろうか。あの黒い太陽の下で失ってしまったソレは……。
 遠坂凛が指摘した私の問題が今も私の思考に重りを乗せている。私すら騙せていたその歪みを、彼女だけが、遠坂凛だけが見つけてしまった。
『もし分からなかったなら、自分すら騙し通して、間違ったまま朽ちていけたんだろうね』
 そちらの方が幸せだったのだろうか、不幸だったのだろうか。……ソレこそ意味がない。幸福も不幸も感情の領域の話だ。そんなことは私に意味がない。失った感情すら知識と思考でエミュレートし続けている私に、その違いは本質としては分からないのだから。それでも、凛は私にとっての"エメラルドの都の王様"だったのだろう。こんな私を、凛は"親友"と呼び、失ったはずのココロを取り戻そうとしてくれている。私の奥底に在った感情のカケラを見つけてしまったから。
『まったく、心の贅肉だね』
 私の親友がよく使う言い回しがぴったりだ。胸の奥底、思考で統御していないドコカが暖かくなった気がした。多分、これがココロのカケラ。これを大切に育てながら、これからも私は遠坂凛と付き合っていくのだろう。だから、とっととこの状況にケリを付けて元の世界に戻るとしよう。あのどこかお人好しで面倒見のいい私の親友が、責任感を感じて落ち込む前に。

 徒然と思考を展開しながら歩き続け、結果として遠坂邸の居間に辿り着いた。部屋を私が占領していたので、あの娘が居るとしたら此処だろう。もしくは地下か。
 扉をノックしてから開き、室内へと入る。
「! 士郎、目が覚めたのね……」
「シロウ!」
 私の姿を確認した瞬間、ソファーから勢いよく二人の少女が立ち上がった。良く見慣れたその姿は遠坂凛とセイバー……うーん、女の子……か。残念だ。ささやかな知的好奇心を満たすことが出来なかった。いや、この場合は痴的好奇心の方が相応しいのだろうか? 
 しかし、士郎……シロウ、か。エミヤシロウ……なるほど、やはり彼か。これが今の私の名前ということか、アーチャー。二人が私を男性名で呼んだ時点で考察はほぼ確信に変わった。
 それにしてもセイバーがこの場に居る、ということは聖杯戦争は起こり、セイバーが現界することを選択している、ということか。マスターは――やっぱり凛か? 
「……?」
 凛が静かだ。普段の凛なら「心配かけさせるんじゃないわよ!」と自分の責任を棚に上げて逆ギレしたり、「その……悪かったわね!」と素直になりきれずに詫びを入れたりするのがパターンの筈なんだが……。
 凛は安堵の表情を全開にしていた。心なしか眼が潤んでさえいる。私と眼があった瞬間、力が抜けたのか、ぽすん、とソファーに座り込んでしまった。……うーん、この凛は……貴重な見物かも知れない。もしかして性格が違うのだろうか。素直で優しい遠坂凛。
 ……
 …………
 ………………
 悪いが想像出来ないな。とりあえず、こっちの事情を説明して、こちらの状況を説明して貰うべき、か?
「悪いけれど、凛。落ち着いて話を聞いてくれると嬉しいんだが……」
 私の言葉を聞いた瞬間、凛の表情が劇的に変化した。はっきりと分かるくらいに見事なまでに深紅に染まってしまったのだ。
「? 凛、風邪? ああ、ベットは私が占領していたしね。熱があるのなら寝た方がいい。顔が赤いよ?」
「な、ななな、し、士郎? あ、貴方今、わたしの事、凛って、凛って……」
 ? ああ、この反応は"照れ"か。"喜び"も混じってるな。しかし凛は普段猫被ってる分、全開にしたときの表情の読みやすさは……。
 次の瞬間、深紅に染まっていた凛の顔色が元に戻った。スッと凛の顔から表情が抜け落ちる。魔術師としての遠坂凛が顔を出す。セイバーもいつの間にか臨戦態勢だ。何時でも剣を抜き打てるのだろう。
「アンタ、誰?」
「誰、と言われてもね……」
「士郎はね、わたしのことを"凛"って呼ばないの。もし呼んだとしてもそんな風にガラス玉みたいな眼でわたしを見ない。もし士郎がわたしのことを凛って呼ぶときがあるなら、きっと顔を真っ赤にして照れたような顔でぶっきらぼうに言うはずだわ」
 ――成る程、こちらの凛も素晴らしく聡明だ。これなら話が早そうだ、が。まずはこの殺気渦巻く空間を何とかしよう。
「落ち着いてもらえるかな、凛。私もつい直前に君の部屋で目覚めたばかりでね。少々情報が足りていない。セイバーも、出来れば剣を引いてくれるとありがたいのだが。君の今のマスターに手を出すつもりは無いよ。私は凛を傷つけるつもりは無い」
「……」
「……とりあえず、座らせて貰ってもいいかい? まだちょっと疲れているんだが」
「……いいわ、座って」
 手振りで対面の席を示される。
「お茶は出ないわよ」
「ああ、それなら後で自分で入れるとしよう」
 私はソファーに身を沈めた。敵意を無いことを示すために、すぐに立ち上がれないように深く座る。そんな私を観察して、何かに気が付いた様子の凛。
「……アンタ、まさか…………アー、チャー?」
「リン、それは……」
「その皮肉げな言葉使い、感情を殺した目つき、隙の無い立ち居振る舞い、そして何より、自分でお茶を入れると言った処……ちょっと、アンタ何呆れたような眼で見てるのよ」
 私の視線に気が付いて、照れ怒った風に拗ねる凛。
「いや、関心しただけだよ。成る程、アーチャーとはね。ああ、確かに彼は私に強い影響を与えていったから。間違える可能性はある、のかな?」
「つまりアンタは……」
「うん、アーチャーじゃない。君たちは……知っているみたいだね、彼が何処の英霊だったのか。でなければ私をアーチャーとは間違えないだろうしね」
 私の台詞を考える凛。お互いの台詞から情報を読み取り、その裏の意味を考え合う。
「シロウ……いえ、今は便宜上シロウと呼ばせて頂きますが……」
 私達の権謀作術ごっこに対し、王様は正面から切り込むことを選択したようだ。そうだよ、セイバー。この状況はそれが一番の正解。
「貴方は……女性ですね?」
「ちょっとセイバー。士郎は何処をどう見ても男でしょ? そんな訳……」
 私は凛の台詞を手で遮った。
「……その判断基準は?」
「まず言葉使い。それと立ち居振る舞い、動き方を観察して。私も男性として過ごした経験が在りますから、男女の振る舞いの違いは分かるつもりです。貴方の動きは男性にしては……その、柔らかい」
「……見事な洞察力だね、セイバー。確かにこのままだと話が進まない。さて、最初に聞くけど、"私"が凛のベッドで寝ている原因は凛の実験の失敗が原因?」
「な、なんでわたしの失敗だと「その通りです」……ちょっと、セイ「リン、このままでは話が進みません、それに事実です」グ……」
 この二人は……変わらないな。セイバーもずいぶんと凛の扱いが上手くなったものだが……まぁ、まだ私やあの"アーチャー"の域には至ってはいないか。
「……ちょっと。……アンタ、何笑ってるのよ?」
「……笑って? ああ、私笑ってたのか……」
 口に手を当てる。確かに笑みの形になっている。そうか……。そんな私の様子に訝そうな凛。
「うん、ありがとう凛」
「なんで礼を言われるのかが分からないんだけど?」
「うん? いや、凛が凛でいてくれて良かったと思ってね。まぁ、気にしないで。これは多分、私の『心の贅肉』だと思うから」
 目を閉じてソファーの背もたれに体を預ける。
「観測実験……ある意味では成功したよ、凛。とんでもない結果でね。……まったく、戯言だ」
「えっと……士郎?」
 ふむ、士郎か。その呼び名も悪くない。悪くはないんだけどそれは私が慣れている呼び名じゃない。じゃあ、まずはここから始めるとしましょうか。相互理解は必要だろう。私は目を開いて凛の目を見つめた。
「うん、とりあえず聞いて驚いてくれて結構。貴女の実験はある意味成功したよ、凛。私の名前は衛宮志保。目覚める前は確かに女性だった」
「……はい?」
 私の台詞に呆けた声を返す凛。うん、では始めましてから始めよう。
「元に戻るまで宜しくね、我が親友殿?」





「ところでさ、さっき体の走査したときに気が付いたんだけれど……」
「何よ」
「何で凛と私の間にラインが繋がってるの?」

 ぐーで殴られました。……なんでさ? 
 





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