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テレビ撮影現場 |
『 あの河は、今』 平成9年10/26テレビ朝日全国放送・広島ホームテレビ放送 (90分番組) 倉本 聰・CW・二コル両氏のカヌーサポートとして、 太田川源流〜原爆ドームの撮影に参加、 |
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「倉本聰 ドキュメンタリ−andト−クスペシャル」 【 あの河は、今 】 この番組 の撮影で、 平成9年9月21日−26日までの内5日、 倉本聰氏と、 CW・ニコル氏の、 カヌ−サポートをするチャンスに恵まれた。 9/21 朝 8時 ホ−ムテレビ 集合 吉和に向けて出発 ・立岩ダム上流にて、 東京のスタッフ と 初めて落ち合う。1日遅れて来られる 倉本聰氏のダミ− になり、カメラ アングル決めに、 私が カヌ−を漕ぐ。 ≪撮影全メンバー≫ クリックすると、少し大きな写真になります。 |
ニコルさん用に準備した LLサイズのライフジャケット、 小学生用ライフジャケットを大人が着たみたい、・・ 「僕に合う ライフジャケットは日本にはないよ〜・・ カナダに良いもがあってネ−・・」と 色々話がきけた。 二コルさん用に準備したカヌー<スペクトラム> ニコルさんが乗った・・漕いだ・・'エッ'カヌ−が、すごく沈んでいる・・ 体重は120キロ以上?、もしかして140キロ?くらいかな−と思う この時の場面が 番組予告コマ−シャルに使われていた。 |
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コルさんは、そうとう飲めるらしい。広島のスタッフは、 朝 起こしに行く 担当が決まっていた。\(^O^)/ ニコルさんは白人の為、1時間も 日向にいたら日焼けで 真っ赤 になる(ピンク色) 丁度好い事に、コンビミ横に車を止めて居たので、 日焼け止めクリ−ムを買う ことができた。「ア−良い所に車を止まってて助かったヨ−」と言っていた。 そのコンビニのおばちゃんが 近所の知り合いに、ニコルさんと倉本 聰さんが 来ていることを知らせたのでしょう、夫婦でカメラを持って待ち構えて、 ロケバスの中まで乗り込んで写真を撮っていた。 *ここで倉本聰さん、私のカナディアンをソロで楽しむ。私のカヌーはサイン入り* |
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倉本 聰 氏とは撮影4日目、これまで、何時もカメラの準備待ちで、倉本さん と話しをしていた。私の子供の頃の川の話し・原爆の話し・等など。 撮影4日目、倉本 聰さんから、君を撮るよ、と言われた??「何の話しを?」 ディレクターさんからも、「倉本さんが聞くからそれに答えればいい」?? 「高瀬で 初めて出会った事にして」 「どんな風に倉本さんと出会うの??」 すでに4日間、親しくしていると、この場所で初対面の演技が出来ず、 なれなれしくなってしまう。二人で話す場面、30分カメラ撮り。<この写真、 とても初対面の感じはないですよね〜>で・・、ボツ・・になった。(番組の 流れ上、ここで原爆の話しになるのには、少々無理があったようだ。) |
『高瀬堰で、初めて出会った事にして、上の写真の対談場面になる。 スチールカメラの小倉さんに、撮ってもらう。 【この河は、今】の 番組コマ−シャルが10月中頃から流れだして、初めて 倉本聰・CW二コル・立松和平・ 稲森正の四人 の作家で構成され テ−マ が、 原爆・復興を担った太田川 ・その恩恵で豊かだった瀬戸内海・いま、 それらが 病んでいる事への、警鐘 と言う、大テ−マであった事を知った。 10月26日オンエア−されたテレビを観て、この番組がすばらしい事、 倉本聰さんが 私が話し伝えた事を、番組の中でコメントしてくれた事、 等など・・この番組制作に参加できた事を、大変 誇りに思っています。 |
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後日談・・<撮り残し> 10月1日・・ホ−ムテレビの水内ディレクタ−よりTELあり、 カヌ−を出してもらいたい 高瀬堰のゴミを撮りたいので・・*これは雨のため中止のなる。 10月7日高瀬堰を撮る**この日 東京のテレビ朝日のフルメンバ−が来ているのにビックリ・我が家 の10階より(高層・高瀬堰全景が望める) 高瀬上流から高瀬堰までを・俯瞰撮影・・撮影時間30分 オンエア− 5秒 ・・高瀬堰・ 撮影時間2時間オンエア−10秒 東京のメンバ−は この後 広島市内を 1ヶ所 撮ったら 今日は終わりと言う、大の大人四人 全日空ホテルに泊まって全部で 20秒オンエア− この人たちの感覚と言うか、 テレビ界の常識と言うか、この番組に賭けた倉本 聰氏にも感心した。
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