■ 幸せな隙間 ■


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自分が、“不幸せだ”と思ったことは、ない。

家族にも愛されて、友達もたくさん居て、恋人も、私を愛してくれている ―― と、思う。


なのに、心にはいつも隙間があって、それは決して、埋まらない。

こんなにも、皆に愛されて居ながら、満たされない私は、欠陥人間なのかもしれない。




何が足りないのか、考えてみた。何が一番、欲しいのか。




恋人の顔が、真っ先に頭に浮かんだ。

家族よりも友達よりも、一緒に居た時間は一番短いのに、なのに、一番大好きな人。

きっとこの人なら、隙間を埋めてくれるんじゃないかと思って、訊いてみた。




――「 馬鹿か。 」


返事は即座に返って来た。


「 ・・・・馬鹿ですか? 」


「 それ以外の何と? 」


さも呆れた様子で、溜息混じりに吐き捨てる。


「 どうして馬鹿なんですか。私だって一生懸命考えて・・・先生しか居ないと思って・・・ 」


「 本気でそんな事を言っているのなら、救いようのない馬鹿だ。 」


そこまで言われると、流石にカチンとくる。


「 その救いようのない馬鹿を恋人にしたのは、先生じゃないですか。 」


「 ・・・人生最大の失敗だったかもしれぬな。 」


今度は、口の端を歪めて皮肉な笑みを浮かべて言う。


「 先生! 」


人が真剣に悩んでいるというのに、真面目に取り合おうとしないその態度に、

私は思わず椅子から立ち上がって、先生を睨みつけた。


「・・・ だから、心の隙間などというものを、他人に埋めて貰おうというのが

 馬鹿げている、と言うのだ。 」


立ち上がった私を、面倒臭そうに見上げながら、それでもやっと説明してくれる気になったらしい。


「 ・・・え? 」


「 ・・・座れ。 」


「 はい・・・ 」


どうしてこう、いつもいつも命令口調なのか、そして私はそれに逆らえないのか・・・。

そんな事を考えながらも、大人しく座って、話を聞く事にする。


「 大体・・・では今、我輩が抱き締めて、キスをして、“愛している”と気の済むまで言ったとして、

 それでお前の言う、その隙間とやらは、埋まると思うのか? 」


「 ・・・多分・・・・・だって、抱き締められてる時は、不安じゃないですから・・・。」


「 それは、“その時”だけだろうが。離れたら、また同じ事だ。 」


「 ・・・そうかも知れません。 」


「 では、どうしろと?死ぬまで抱き合っているつもりか? 」


「 ・・・それは・・・・動きにくいですね。 」


「 ・・・・誰がそんな話をしろと言った。 」


「 冗談です。 」


「 ・・・・・只でさえ、我輩は、お前の下らん話に付き合ってやっているのだぞ・・・? 」


先生はこめかみの辺りを押さえ、いつもながら失礼な台詞を吐いてくれる。

もう、そういう性分なのだろう。

初めは気圧されていたけれど、最近では、ちゃんと言い返せるようになった。


「 下らんってことないでしょう?!私は、先生みたいに何でも分かってて

 余裕な大人じゃないんですよ! 」


「 ・・・全く以って、子どもだな・・・。まあ、今更だが・・・ 」


「 だから!ちゃんと説明してくれないと、分からないんです。 」


「 ・・・だから、解ったところで、お前の期待するような結果は得られない、と言っているのだ。 」


「 どういう事ですか? 」


先生の話は、抽象的で分からない。

これは駄目だと思うと、溜息をつきながら、噛んで含めるように話し始める。

尤も、それでも私には、やっと理解出来るか出来ないかというレベルだ。


「 人間は、強欲な生き物だという事だ。・・・たとえ満たされても、すぐにまた、新しい隙間が生まれる。

 埋めても、埋めても・・・何かを手に入れれば、常に失う不安が付き纏うのと同じ事だ。 」


「 ・・・じゃあ、何もなくなれば、不安も隙間もなくなるんですか? 」


「 そういう事になるだろうな。 」


「 でも・・・それじゃあ・・・何もなかったら、生きてる意味が、ないじゃないですか・・・・。 」


そう、口にした途端、何だか無性に悲しくなった。

家族も、友達も、先生も、何もかも、なくなってしまう事を想像したら、悲しくて、淋しくて、怖くて。






「 ・・・・泣く程の事か、それは。 」


先生が、また呆れた顔で私を見る。


「 ・・・・・っ・・・。 」


何か喋ろうとすると、余計に涙が溢れてくる。

1度泣き始めると、止まらない。


「 ・・・・こっちへ、来い。 」


先生が、溜息を吐きながら手を差し延べてくれるままに、私はフラフラと先生の処まで歩いて行く。

その手をそっと握ってみると、抱き寄せて、小さい子どもをあやすように、髪を撫でてくれた。


「 全く・・・これだから手がかかって仕方ない・・・・ 」


それでも、相変わらず眉間に皺を寄せて、そんな事を言う。

でも、それが、私にはとても心地良かった。




― あぁ、そうか。 ―




「 ・・・・先生、 」


先生の腕に体を預けたまま、その顔を見上げると、少し首を傾げるようにして、

私に、言葉の続きを促す。


「 ・・・何となく、分かりました。・・・・生きてるっていうのは、不安な事なんですね・・・。

 ・・・・・でも・・・。 」


「 ・・・でも? 」


「 でも・・・・それって、不安とか、隙間とかって、そういうのがあるって、幸せなんですね。 」


先生は、それを聞いて、少し驚いたような顔をした。

そして、次の瞬間、可笑しそうに苦笑して言った。


「 ・・・そうか。 」


「 はい。 」


「 まあ、そう思いたいなら、思っておけばいい。 」


「 ・・・何ですか、それー。やっと分かったと思ったのに。 」


「 そう簡単に、生きるだの幸せだの、解られても困るのだが・・・・ 」


こっちは大真面目だというのに、先生はまだ可笑しそうに笑ったまま、続ける。


「 ・・・まあ、そうして前向きに考えられるようになったのは、進歩ではあるな。 」


「 ・・・・なんか意地悪ですね、先生。 」


「 何だ、今頃気付いたのか? 」


「 ・・・いえ、知ってましたけど。 」


「 その、意地の悪い男を恋人にしたのは、お前ではないのか? 」


「 ・・・・・。 」


もしかしたら、人生最大の失敗だったかもしれない・・・。




でも、分かった事は、私の心の隙間を作るのは、先生だという事。

そして、そうだと分かってしまえば、それは私にとって、とても幸せだという事。




先生の心にも、やっぱり隙間はあるんだろうか。

だとしたら、その隙間は、誰が、作るんだろうか・・・。







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